みなさま、長らくコメントに対する返事等全くできずに申し訳ありませんでした。
色々あって、現在日本から遠く離れたウィーンにおります。
今年の出国は7月半ばになり、そのおかげで散々日本ならではの
蒸し暑い梅雨を味わうことになったわけですが、今、
日差しは適度にあれど湿度の少ないオーストリアに身を置いて、
出国までのスリルとサスペンスに満ちた日々を思い出しております。
出発は7月某日の羽田空港、25時発。
ラウンジに着いたとき、深夜発のせいか人の少なさにまず驚きます。
そして、同時にここに辿り着けたことに心からホッとしたわたしたちでした。
今回、MKが
「パスポートがない」
と言い出したのは、出国予定日の11日前のことです。
まず、家の中どこを探してもないことを確認したのち、警察に電話。
遺失物の届け物のなかにないことを確かめると同時に。翌日の朝一番で
戸籍のある文京区に車を飛ばしてパスポート発行のための戸籍謄本を取りに行き、
そのまま住居地のパスポートセンターで再発行の手続きを怒涛のように行いました。
出国まで時間がないので、もう探している余裕はありません。
彼の場合、パスポートだけでなく、アメリカ大使館からビザを受け取り
パスポートに添付しないとアメリカ入国できないのですから、
探すことを放棄して、一日も早く再発行することを選んだわけです。
パスポートセンターの窓口の係員(仕事できそうな感じ)は、
「どんなに急いでも4日が最短です」
と恐縮しておられましたが、待っている間にすることはあります。
まず、大使館への面接の申し込みを優先してもらうための色々。
学生ビザを貰うには、大使館で面接を行うことになっているのですが、
普通に申し込むと、面接をしてくれるのは17日後、完全にアウトです。
そこで、HPに入ってからイマージェンシーを選択し、面接を早めるために
知人二人にレター(これこれこういう理由で彼は何日までにMKは
アメリカに行かねばならないのでよしなに、という内容)をお願いしました。
一人はMKがインターンシップをしていた日本の会社の社長、もう一人は
アメリカの大学の研究室の教授で、このお願いは皆TOがしてくれました。
そして、4日後。
朝一でパスポートを受け取ったらすぐに家に戻り、パソコンで
大使館に申込み、その後出発の5日前に面接が決まりました。
そして面接当日、6時半に家を出て、ホテルオークラに車を停め、
朝食を食べて時間を待ち、面接に突入。(わたしはずっとカメリアで待機)
面接の時、MKは、一応ダメもとで
「パスポートを出来るだけ早く送ってもらえないだろうか」
と言ってみたそうですが、返事は、
「我々には面接を早くすることしかできない」
そして、ビザの添付されたパスポートは通常通りなら
5日以内に届くであろう、というものでした。
5日で届いたとしても、それは出発の日の朝ということになります。
もうギリギリもいいところです。
その日から週末まで家を空けないようにし、トラッキングで
今どこまでパスポートが来ているか1時間おきにチェックさせました。
そもそも、パスポートが来なかったら、大変なことになるのです。
と言いますのは、今回我が家は、三大陸周遊チケットといいまして、
地球を同じ向きに移動しながら、たとえばわたしたちのように
日本ーヨーロッパーアメリカー日本
と各地24時間以上滞在すれば要件を満たし、二都市間往復の
ほぼ半額くらいの値段で世界一周ができるという航空券を取っており、
秋学期のためにアメリカに戻るMKも、
アメリカー日本ーヨーロッパーアメリカ
というアメリカ起点での同じ周遊システムで移動する予定だったのですが、
もし予定の便に乗れなければ、最悪、彼だけが米国までの片道を
ほぼ正規料金で買って、1週間後に単身渡米、アメリカで落ち合うことになるのです。
そして、パスポートが今日本郵便の手に渡った、というトラッキングにより、
どうやらなんとか間に合いそうだ、と安心しかけたその朝のことでした。
出入りのクリーニング屋さんが、仕上がった服と一緒に、
「これ、入ってたんですけど・・・」
と半笑いで渡してきたのが、MKのパスポート。
なぜ?
彼の着ていたコートの内ポケットをチェックせずに
(まさか内ポケットがあるなどと思ってもいなかったため)
クリーニングに出したのは他ならぬこのわたしですが、もし業者が
洗濯がすんだ彼のコートと一緒に2週間前に届けていてくれさえすれば、
MKが紛失したと気づく前にことは終わっていたのです。
どうしてコートの配達を終えてからさらに2週間の間、パスポートという
誰が考えても大切なものを取得しておきながら、届けてくれるどころか
一言の連絡もくれなかったのか。
わたしは自分の過失を棚に上げてクリーニング屋の気の利かなさに呆れました。
そして、
「クリーニングに入れたまま出してた・・・」
平謝りしながら家族にそのことを話したのでした。
今回の事件で、今になって本当に良かったと思ったのは、パスポート紛失が
確実となったとき、わたしもTOも、MKに向かってそれを
一言も責めたり、怒ったりするようなことを言わなかったことです。
モノを紛失した人間に対して、不注意を咎めても出てくるわけでもなく、
もちろん自分自身も山ほどそんな経験をしてきているわけだし、
なんといっても、人を責めている間に、再発行に向けて、家族一丸で
ことに当たらなければならない時に、そんなことで互いを傷つけても、
なんの生産性もない、とそんな時我が家では全員が考えるのです。
果たして、パスポート紛失はわたしのミスだったことがわかっても、
TOもMKも、わたしを一言も責めませんでした。
わたしたち以上に人間ができているところがあるMKなど、
「いいこともあるよ。
今回更新したから大学在学中にパスポート作り直さなくて良くなった」
と超前向きな発言をしていたほどで、全くいい家族を持ったなあと感謝した次第です。
今回の便でもらえる機内セット、提供はグローブトロッター社です。
今回、もし彼のパスポートが一日遅れていたら、家族三人とも便を遅らせる、
という案もありました。
我が家ではMKが高校生になってから、親とは別に彼だけエコノミーですが、
どうしても一緒に行くならわたしたちのビジネスクラスが確保できなくなるのです。
しかも、その際、ビジネスクラスの料金を払っていながら、
差額返却なしでエコノミーと聞いた途端、わたしは非情にも、
「やっぱりそれは辛いからそうなったらMK一人で飛行機乗ってね」
と言い放ちました。
わたしがMKだったら、てめーが失くしたんだろうがてめーが!
とキレていたかもしれません。
しかしMKは人間ができているので、母親に向かって
そんな暴言は決して吐いたりしませんでした。(-人-)
とにかく、結果良ければで無事に予定した便に同じクラスで乗れたため、
わたしは非情な(しかも勝手な)母親にならずにすみ、しかも
このオリジナルポーチを手に入れることができたというわけです。
今回は25時発なので、機内に入ってからの食事はありません。
到着3時間前に朝ごはんが出てきました。
出発したとたんすぐに眠りについて、起きたら時間は
朝の9時半、という理想的なフライトで、体はとても楽です。
みなさん、ヨーロッパ行きの深夜発はおすすめですよ。
機内では映画を一本だけ観ました。
クリント・イーストウッドの「運び屋」。
イーストウッドに仕事をやらせる麻薬の売人のレベルが、
次々とレベルアップしてきて、ラスボスが出て来る頃には
最初に出てきた(それでも最初は怖かった)売人たちが
可愛く見えて来る、という興味深い演出あり。
エンディングに少し不満はありますが、いい作品だと思います。
年老いてゆく全ての人々に送る応援歌みたいなエンドロールも👍。
到着寸前に窓の外を見るとこんな景色が。
この辺の畑全てを所有しているハンスさん(仮名)の豪邸です。
ヨーロッパに来るのは本当に久しぶり。
しかも、これまでの渡欧は全てアメリカ経由だったので、
日本から直接飛んだのはこの人生で初めての経験になります。
空港のドイツ語表示も、駐機している機体も珍しいものばかり。
空港からは、荷物が多いのでタクシーに乗りましたが、
前もって調べておいた(TOが)定額タクシーのブースにいき、
大型車を手配してもらいました。
ウィーン空港から市内のホテルまで43ユーロです。
ウィーン市街も、いたるところこのような落書きにあふれています。
ホテルは「スタッドパーク」という彫刻のある公園の前です。
「キャノン」という彫像があるので、
「もしかしてキャノン砲と関係ある?」
と色めき立ったのですが、こちらは画家でした。
スタッドパークの彫像は芸術家ばかりのようです。
ウィーン空港に着いたのは朝の6時でした。
街角を歩く人影はまばらです。
ホテルはヒルトン。
予約を決めたTOによると、便利で割と安かったそうです。
ロビーに、ヒルトンを訪れたセレブリティの写真がありました。
ダライ・ラマの左の男性は、ロジャー・ムーアだそうです。
ヒルトン家のご令嬢パリス・ヒルトン。
左はオーストリア出身の俳優シュワルツネッガーが、
最初の映画に出た後、ホテルで記念パーティをした時に
シェフがザッハトルテ風チョコレートケーキを焼いたとか。
ホテルを一歩出たとたん、オーストリア出身のレハールのオペラ、
「微笑みの国」のポスターがありました。
この衣装を見てもわかりますが、オペラの舞台は中国です。
さすがはウィーン、しょっちゅうレハールなど、典型的な
ウィーンオペレッタの公演が行われているんですね。
ホテルのチェックインまで時間があったので、荷物を預け
前のスタッドパークを散歩することになりました。
池を泳いでいた母艦と駆逐艦のカモ艦隊。
ウィーンのカラスは首が灰色です。
ものすごく変な彫像発見。
近くのモダンアートスクールの生徒の仕業か?
シュレティンガーといえば猫、猫といえばシュレディンガー。
その理論物理学者、
エルヴィーン・ルードルフ・ヨーゼフ・アレクサンダー・シュレーディンガー
がオーストリア出身だということは今回初めて知りました。
アントン・ブルックナー。
第四番交響曲「ロマンティック」がわたしは特に好きです。
シュレディンガーもそうですが、なんとなくドイツ人だと思っていたのが
実はオーストリア出身だった、ということがよくあります。
アドルフ・ヒトラーも実はオーストリア出身ってご存知ですよね。
顔だけ黒いシャネルズみたいな鳥さん。
有名人の像ばかりではなく、ペンギンもいます。
花時計?葉時計?の向こうにはレストランがあります。
ここにあったんだー!
のヨハン・シュトラウス像。
「名曲アルバム」の画像で何度これを見たことか。
本当にこんな顔をしていたんでしょうか。
ものすごく楽しそうな周りにあしらわれた人たち。
この後、歩いていくと、女性がヨハンシュトラウス像はどこですか、
と英語で話しかけてきました。
わたしが後から、今の人イギリス人の英語だったね、というと、MKが
「アイリッシュだったよ」
「あれだけの会話でそこまでわかるんだ・・・」
「まあ日本人も関西人かどうかすぐにわかるもんね」
公演は市民の憩いの場となっており、木陰には
大学生のサークルが語らいを楽しんでいました。
フランツ・シューベルトもウィーン出身です。
今回、ウィーンでお願いした個人ツァーのガイドさんから、
シューベルトの身長がわずか157センチしかなかったことを聞きました。
魚に当たって腸チフスとか、梅毒の薬の水銀のせいとか
言われていますが、それにしても低身長な上、31歳で死んでしまうとは。
モーツァルトも35歳で若死に、身長も163センチだったとか、
いや150センチしかなかったとかいわれていますがとにかく低身長。
栄養状態というよりはモーツァルトの場合、物心ついた頃から
ほとんど一生涯馬車で旅をしていたので、つまり成長ホルモンが
潤滑に分泌されていなかったせいであるともいわれていますね。
ウィーン市内を走る「はとバス」的二階建て観光バス。
午前中にホテルの部屋にいれてくれそうにもないので、
近くの近代美術館の中にあるカフェでウィーン名物、
ウィンナシュニッツェルを食べてみました。
ポークに衣をつけて薄く焼いたもので、レモンをかけ、
クランベリーソースを乗っけていただきます。
美味しかったですが、案の定量が多すぎでした。
この美術館、窓をガラス張りのドアに変えた時にくり抜いた部分を
作品としてその前に展示してあります。
これからウィーンとザルツブルグに計一週間滞在します。
このブログ的にお話しすべきところも見学してくるつもりですので、
またよろしくおつきあいください。