ウィーンに到着した次の日、ガイドをチャーターして観光をしました。
初めての土地に来たときによくやる方法で、最初にツァーで見所を抑え、
ガイドに残りの日に自分たちだけで行くべきところを教えてもらうのです。
朝10時にホテルからチャーターした車で待ち合わせ場所の
シェーンブルン宮殿前に行くと、そこで待っていたのは
日本の音大を出て若い頃ウィーンに留学し、それ以来ここに住んで
音楽活動の傍らガイド業をしているという男性でした。
ヨーロッパ留学組で現地に骨を埋める音楽家のうち多くが、
ガイドを兼業して生計を立てているというのはよく聞く話ですが、
まさか実際に観光地で遭遇するとは思いませんでした。
ハプスブルグ家の夏の離宮として建造されたというこの宮殿には、
●御前演奏をした神童モーツァルトが、マリー・アントワネットに求婚した
●ヨーゼフ一世が宮殿の一室で息を引き取った
●マリア・テレジアがウィーン少年合唱団の団員だったシューベルトの
声変わりした声を聴いて、アレは辞めさせろと言った
●「会議は踊る」で有名なウィーン会議の会場。座長はメッテルニヒ。
と、有名な逸話がそれこそ星の数ほどあります。
ハプスブルグ家の紋章である鷲があしらわれた門柱。
現在のオーストリアの旗は赤白二色のシンプルなものですが、
1945年、ナチス・ドイツによる併合が終わってから
再び国章は鷲の意匠になりました。
ヨーロッパの建造物には、やたらと人間があしらわれています。
これは天使のようですが、普通の子供ですね。
庭園のランプ越しにグロリエッテという戦勝記念碑を臨む、
ガイドオススメの撮影スポットだそうです。
どんなスポットにも中国人観光客が写り込んでくるのは
もう世界中どこの観光地でも逃れようがありません。
階段を上り、かつて宮殿の住人たちが姿を現したバルコニーから
庭園と戦勝碑が左右対称の完璧な姿で見えます。
庭には惜しげも無く大理石を使った彫刻が規則的に配されています。
ちなみに、ウィーンはこの時期日中の日差しの強さはかなりのものなので、
外を歩く人は帽子が欠かせませんが、なぜか中国人の中老年女性は、
折りたたみの雨傘を日除けにしてどこでも闊歩しています。
シェーンブルン宮殿は、それ自体がオーストリアの「観光のドル箱」
(ユーロ箱?)で、稼ぎ頭です。
観光用に公開されている40室を全部歩いただけで、その広さに驚きますが、
実はシェーンブルン宮殿には部屋が1441室あって、かつては侍従や使用人が住んでいた
「普通の部屋」は、貸し出されて一般人が住んでいるのだそうです。
シェーンブルン宮殿が住処というのは話のタネとしては洒落ていますが、
何しろ昔の建物なので、不便すぎてウィーンっ子にはあまり人気はないそうです。
かくいうわたしも現在、アメリカはペンシルヴァニア州の、おそらく
100年くらいは経っているに違いない家を借りていますが、空調や水回り、
細かいところの経年劣化など、外見がたとえ趣があって美しくとも、
実際に住むとなるとなかなか辛いものがあります。
今世紀に経った普通の家でもこうなのですから、築269年の元使用人の部屋は、
いくら歴史的建築物の一隅でも住みたいと思う人は少ないでしょう。
ウィーンの街は観光用の馬車が現役です。
広大なシェーンブルン宮殿の庭を全部見て回るのは、歩くより
馬車に乗るのがいいかもしれません。
オーストリアは乗馬が盛んで、オリンピックでもいつも
上位入賞をするのですが、歴史も裾野も広く、ウィーンには
「ウィーン・スペイン式宮廷乗馬学校」
という、貴族階級のために作られた乗馬学校があります。
訓練された白い馬だけがいる特別の乗馬学校ですが、同じ白馬でも
「出来の良くない馬」
は、馬車に売られてしまうのだそうです。
それでも、白馬というだけで馬車界に行くと大事にされるようです。
手前の白馬仕立ての馬車が他の馬より高いのかどうかは聞きそびれました。
宮廷の一階エントランス部分にあったブロンズ像。
殴られているかわいそうな怪獣の口は「手洗い場」だったとか。
床の材質は木です。
六角形の杭を縦に埋め込んでいって、まるで敷石のように見せています。
なぜここまでするかというと、ウィーンの冬は大変厳しく、
大理石の床では人間が耐えられないからなんだそうです。
宮殿の内部は撮影は一切禁じられています。
海外の展示にしては珍しく、大抵はフラッシュ不可でも撮影は可ですが、
絹の調度品や洋服など、光が当たらないように細心の注意を払って
管理しているものが多い関係で、そのようになったようです。
最初にハプスブルグ家の家計を示すパネルがあったので、わたしが
ガイドにふと、
「ハプスブルグ家の唇っていいますけど、こういうのですか」
と一人の写真を指差して聞きますと、特に醜かったとして、
カルロス2世の肖像を指し示し、
「血族を維持するために近親婚を繰り返したせいだと言われています」
こちら、ウィーン市内の三位一体像の中に登場する、レオポルド1世。
「ハプスブルグ家の唇じゃなくてこれは顎ですね」
同一人物です。肖像画補正が入っていてもこれ。
しかし、ガイドによるとハプスブルグ家はフランスの王家のように
贅を貪ることもなく、市民に宮殿を公開し、国民とふれあい、
革命どころかたいへん慕われた王家だったということです。
そんなハプスブルグ家の女帝マリア・テレジアは、娘マリー・アントワネットが
フランス王室に嫁いだあと、国民の困窮をかえりみず贅沢をしているらしいと
肖像画や周りの報告によって聞き及び、大変心配していたそうですが、
彼女の心配は杞憂に終わらず、その贅沢が娘を死に追いやることになります。
女帝にとって幸せだったのは、娘が自分の心配通り、革命によって
断頭台の露と消えてしまったことを知る前に死んだことでしょう。
丘の上にある「グロリエッテ」の近くにももちろん行けますが、
ツァーの内容には含まれていません。
個人ツァーなので、ガイドの采配で時間配分が自由に変わるのですが、
宮殿の内部見学でそれはそれは熱心に話をしてくださったので、
外に出た時には大変な時間オーバーとなっていました。
現在のオーストリアの国章は普通の鷲ですが、かつて
ハプスブルグ家のオーストリア=ハンガリー帝国の紋章は
双頭の鷲で、頭が二つありました。
それにしても思うのは、若い人は国籍を問わず自撮りに命かけてますね。
この写真に写っている二人は、まるでモデル撮影のように気合をいれて、
日本人なら人目があるところでは恥ずかしくてとてもできない
恥ずかしいポーズ(腰に手を当てて片方の手を高く上げ、斜めモデル立ちをして
ウィンクするというような)を次々と決め、相手にシャッターを押させて
それを熱心に確認し、またもう一度、と飽きることなく繰り返していました。
シェーンブルン宮殿も庭園も、素敵なわたしを引き立てる背景に過ぎないのでしょう。
きっと自撮りが許されない宮殿な内部の見学はさぞ辛かったことと思います。
彼女らがポーズを研究しているこの街路樹の間をまっすぐ歩いていくと
シェーンブルン動物園があります。
昔、メナジェリーという「宮廷の小動物園」として設立したものが
今でもシェーンブルン動物園として営業しているのだそうです。
神聖ローマ帝国のヨーゼフ二世(マリー・アントワネットのお兄ちゃん)
の時代には、動物を捕まえるためにアフリカとアメリカに遠征隊を派遣し、
その結果連れて帰ってきたキリンが、当時ウィーンに「キリンブーム」を起こしました。
皆が挙ってキリンのデザインのファッションを身につけ、戯曲家パウエルは
「ウィーンのキリン」というお芝居まで作ったそうです(笑)
その後、当動物園が話題になったのは、パンダの飼育かもしれません。
当動物園では、ヨーロッパでは初めて、自分たちで生まれた仔を育てることに成功。
ジャイアントパンダの飼育にかけては世界でも貴重な技術を持っているそうです。
おかげで最初のパンダは中国に返してしまい、中国共産党の「パンダ外交」に
乗っかる必要もまったくなくなった訳で、これはめでたい(嫌味です)
しかし、その反面、当動物園は、
● 2002年、ジャガーが給仕中に飼育員を襲い、入園客の目の前で彼女を殺害
園長は救助を試みたが、腕に重傷を負った
● 2005年2月20日、若いゾウのアブが飼育員を圧死させた
などという(これだけではないらしい)悲劇に見舞われています。
どんなところか今回は見ていないのですが、飼育するケージの広さとか、
動物にストレスを与える環境が何かあるのでしょうか。
続く。