今回のオーストリア旅行は、飛行機代を安くするため、あえて
世界一周プランを選択し、たまたまウィーンに直行便があったので行った、
という経緯だったため、特にわたしなど、旅行前に
「何か見たいモノある?」「行きたいところある?」
と幾度となく旅行主催者に聞かれていたのにも関わらず、忙しいのにかまけて
真面目に観光について調査しなかったのですが、ウィーンの軍事博物館と、
ザルツブルグの航空博物館、ハンガー7だけはぜひ行きたい、と希望しました。
ザルツブルグには二泊三日しかいられないので、ガイド付きツァーの翌日、
わたしが運転してザルツブルグ飛行場の近くまで車を走らせました。
32分くらいでハンガー7(ジーブン)に到着しました。
ザルツブルグが旧市街のような古い建物ばかりだと思ったら大間違いです。
いわゆる保護地区は建物の改築も撤去も許されませんが、それ以外は
普通に近代風の建物が立ち並んでいる街です。
ハンガー7は何もない場所を開発したらしく、街灯すらオブジェのようです。
ハンガー7は、オーストリアの飲料会社、レッドブルのオーナー、
ディートリッヒ・マテシッツが個人的にコレクションした歴史的航空機、
そしてフォーミュラ1のレーシングカーなどを一堂に集めた博物館です。
F1関係者でいちばんの資産家というマテシッツの慈善的な事業の一つで、
ハンガー7は無料でコレクションを展示しているだけでなく、
イベントの企画、有名なシェフを招聘したレストランによる食の提供、
画期的な建築などによって総合的な文化の中心となっているのです。
そう行った予備知識なしでとにかくたどり着いたハンガー7。
とりあえずまずは何か食べようということになりました。
入り口で尋ねると、中の展示を見ながら食べられるカフェと、
オープンエアでがっつり食べられるレストランがあるとのこと。
このオブジェとスタイリッシュな倉庫の向こうがレストランです。
そこまで本格的に食べなくても良かったので、カフェに入ることにしました。
片面がガラスで展示ハンガーと仕切られています。
窓ガラスには航空機のシルエットのシールが貼ってあります。
こ、この形は・・もしかしてペロハチ?
後から知ったのですが、P-38もハンガー7のコレクションの一つだそうです。
ふと天井に目をやると、宇宙ドームのようなガラス張りの部屋があり、
人の姿が見えるではありませんか。
ここはThreesixty Barといい、鳥瞰を楽しみながらお酒が飲めるスペース。
バーというからには夜間営業もしております。
眺めを確保するために床まで透明にしてしまっているわけですが、
日本だと、下からの視線が気になったり、気にすることに気を遣ったり、
軽犯罪の発生を危惧したり、とにかくいろんなつまらない理由で
企画段階でポシャりそうなコンセプトだと思いました。
何しろ予備知識がないわたしたち、普通のカフェに入ったつもりでお茶を注文したら、
これだけのものがトレイにセットされてきたのを見て驚愕しました。
「ザルツブルグで南部鉄瓶に遭遇するとは・・・・・」
セットされてきた砂時計は、3分、4分、5分と計れるようになっており、
一人に二つカップがついてきて、違う濃さで入れたお茶を別々に楽しめる仕組み。
当たり前のように小さなマフィンも付いてきて、これはオーストリア人好みに
甘く仕上げてありましたが、テイストは「お茶」。
チキンラップを注文したら、野菜たっぷりのラップが二本、味付けのレモン、
カリカリすぎるベーコンと共に出てきました。
カフェでこの頑張りよう、もしかしたらレストランも?と思い後から調べてみると、
オーストリアを代表する大企業のCEOが、マーケティング、つまり
仕掛け人出身であり、趣味人であったことが、この贅沢な
コレクション自慢ついでに文化の発信もしてしまおう的なハンガー7を
生み出したのだといえましょう。
ついでに、世界的な大富豪であるマテシッツ氏は、
なる個人用潜水艦を所有しているそうです。
フィジーの彼の島に遊びに来た人はこれに乗せてもらえるんだそうです。
つくづく乗り物が好きな人なんですね。
ちなみにちょっと気になった人のために、マテシッツ氏の近影を。
おお、75歳でこれだと、若い時はさぞかしイケイケだったんでしょうな。
隣のお姉ちゃんはガールフレンドで妻ではありません。
彼は一度も結婚したことがありませんが、子供はいるそうです。
食事もそこそこに、まだ食べている二人を置いてハンガーに出たわたしですが、
「・・・・暑い ; ̄ー ̄A 」
壁面が総ガラス張りのドームは、夏の昼間、太陽の熱でとんでもなく熱くなる、
そんなことは誰でも分かっているわけですが、不思議なことに、
ハンガー内の展示場には全く空調はされていないようで、とにかく暑い。
これだけ色々と先端を行っている施設なのに、しまり屋さんなのか、
あまり客が多くない日は冷房も入れないという主義のようです。
この水上機はセスナの「キャラバン」。
アメリカから大西洋を越えてヨーロッパにシングルエンジンで飛行しています。
わたしたちが帰りに立ち寄った美しいヴォルフガング湖では、一年に一度
この「キャラバン」がイベントで姿を現し、湖面に舞い降りるのだとか。
なぜかクライスラーのイエローキャブが。
トヨタ・カムリレーシング仕様。
そういえば、私事ですが、最初にアメリカに住んだときの車が中古のカムリ。
CAMRY→MYCAR→MY CAR
という宣伝をちょうどやっていたときでした。
西海岸に引っ越したとき、車専用の引越し業者に頼んで大陸横断して
持ってきてもらい、二束三文で売っ払って帰ってきました。
F-1に詳しくないので専門的になんというのかは知りませんが、
とにかくレースカーを誘導するための車であることは確かです。
本体はアストンマーチン、タイヤはピレリのようです。
AT&TはアメリカのNTTみたいな感じの会社ですかね。
さて、ここからは航空機が続きます。
見たことがあるようなないような、このトラ塗装の飛行機は何?
と思ったら、これは
アルファー・ジェット
ダッソー、ブレゲ、ドルニエ三社の共同開発による軍用機で、
ポルトガル、エジプト、モロッコ空軍および他の5つのアフリカ諸国では
現在でも運用されているそうです。
卓越した飛行特性と操縦性の良さでパイロットから評価の高い飛行機で、
その機体は美しく、空力的にも完璧と絶賛されているんだとか。
マテシッツ氏がよっぽどお気に入りだったのか、ドイツ空軍が運用中止し、
資産を売却したとき、ハンガー7はこれを結局5機購入し所有しています。
もちろん所有の際には非武装化し、航空ショーに出演しています。
ハンガー7の凄いところは、ただ歴史的な航空機を集めて展示するのではなく、
メンテナンスを行って実際に飛行させているということです。
B-25J「ミッチェル」
わたしが今までにアメリカで見た機体はどれも非活性化され、
ただ機体を展示されているだけでしたが、ここのは違います。
このピカピカの機体を見てもお分かりのように、「ミッチェル」は
今でも、ザルツブルグのハンガー7から飛び立つことができるのです。
マテシッツ氏が乗り物オタだったことは、世界の旧軍機ファンにとっても
大変な恩恵であったということに間違いはないでしょう。
ところで、ハンガー7のHPに記されている「B-25の物語」面白かったので、
これを二つ紹介しておきます。
というか、その一つ目は映画「パールハーバー」でも描かれていた話ですが。
1942年4月18日、ドゥーリトル空襲が行われることになりました。
指揮官のジェームズ・H・ドゥーリトルの名前を冠した日本本土攻撃作戦です。
作戦は、16機のB-25ミッチェルが空母「ホーネット」から出撃して
海を渡り日本へと向かうことになっていました。
しかし、B-25の重量は15トン。
空母は爆撃機が発艦するように作られていません。
そこで重量を減らすために、ドゥーリトルは「ミッチェルから服を剥ぎ取り」、
いや、不要な部品と大きなタンクを取り除いたのです。
機関銃は敵を欺くために塗装された黒いほうきに置き換えられました。
結局、これらのB-25は空母から発艦した最初の爆撃機となりました。
滑走路の長さはたった250メートルです。
そして二つ目ですが、ちょっとこれを読んでびっくりしてしまいました。
今これを制作しているのはペンシルバニア州ピッツバーグ。
前にもお話ししたことがあるかと思いますが、ピッツバーグは元鉄鋼の街で、
街の中心を流れる川にいかつい鉄橋がいくつもかかっており、それが
ピッツバーグの象徴と言われています。
川の名前は、おそらくネイティブアメリカンの命名によるものだと思いますが、
「モノンガヒラ川」といいます。
ハンガー7のHPにこの「MONONGAHERA」の文字見たとき、偶然に驚愕しました。
さっきこの川に掛かる橋を渡って帰ってきたばかりなので(笑)
そして、ザルツブルグからピッツバーグに移動したこの夏、
このタイミングでしか知りようのなかった、以下のストーリーがあったことを
不思議な思いで噛みしめることになったのです。
20万ドルの価値のあるミッチェルが、わずか10ドルで人手に渡りそうになるも
新しい持ち主はその受け取りを結果的に”拒否された”という話があります。
1965年1月31日、一機のB-25が、燃料不足によるエンジン故障の後、
ペンシルベニア州ピッツバーグのホームステッド・グレイズ橋すれすれに、
モノンガヒラ川の氷の上にに緊急着陸することを余儀なくされました。
劇的な救助任務のすえ、4人の乗組員は無事救助されましたが、
機体は2キロ下流に流されていって、17分後に沈んでしまい、
大々的な捜索活動にも関わらず、機体は見つかりませんでした。
事故から9か月後の11月9日、B-25の所有権が競売にかけられました。
現在なら機体が逸失したままとはいえ、おそらく何百万ドルの価値があるでしょう。
しかし、ピッツバーグ水上飛行機パイロットのジョン・エヴァンスが落札した
ミッチェルの入札額は、数ドル。
つまり彼しか手を挙げた人間がいなかったということになります。
数ドルの投資でもし機体が見つかれば、ハイリターン間違いなし、というわけで、
彼は行方不明のミッチェルを見つけるため惜しみなく費用をつぎ込みました。
彼の雇ったダイバーはモノンガヒラの隅々までくまなく調べ、
B25のものとみられる多くの破片を見つけましたが、不思議なことに
15トンもの機体は結局最後まで見つからなかったのです。
それは、”as if it never existed”.
あたかも最初から存在しなかったもののように。
一つのありうべき可能性としては、「モン・リバー」(地元の人はこういう)
と街のアンダーグラウンドに別の川が流れており、そこに飲み込まれたという説です。
多くの”ピッツバーガー”は、今日でも、行方不明のB-25が
この神秘的な川に飲み込まれ、そこで最後の休息場所を見つけたと信じています。
この話を、ピッツバーグに在住して20年になるという夫妻に話したところ、
二人とも聴いたことがない、と驚いていました。
もはやそのセンセーショナルな事件を知るのは、当時ここに住んでいて
不思議な話に首を傾げた人たちだけになってしまったのでしょう。
続く。