日本でも出来るだけiPhoneの歩数を気にしていたわたし、
アメリカに来てから、アップルウォッチデビューをしました。
日本でもそうかと思いますが、こちらのAppleでは、製品を買うと
パッケージを自分で開けさせてくれます。
アップル製品の箱はものすごくよくできていて、開けたり
製品を取り出したりするときになかなか気持ちがいいのです。
どこまでもきっちりと収まっている感じ、滑らかな材質、
シャープな箱のエッジ、全てがある種の快感を呼び起こすのです。
今まで携帯を持っているときにしか歩数が測れなかったのですが、
これなら一日の総歩数がわかる上、このリングモードにすると、
赤→ムーブメント(総歩数)
緑→エクササイズ時間(基本設定は30分)
青→スタンディング時間(12時間)
が完成すると輪がつながり、チャリーン!と音がして、
時計がメダルをくれたり、メッセージで褒めてくれたりします。
どういうセンサーなのか知りませんが、座っていると時々、
「立ち上がって1分動きましょう」
と教えてくれますし、やはりじっとしていると、
「1分間深呼吸しましょう」
などと言ってきます。
一度、呼吸アプリを押して何か用事があってやらなかったら、
あなたやってませんね、みたいなメッセージが来てビビりました。
というわけで、すっかり時計に支配される生活になっているわけですが、
これがなかなか快感で、やめられません。
今のところ買ってから連続リングをつなげることに成功しているので、
それでモチベーションが維持されているという感じです。
というわけでピッツバーグでも恒例のウォーキングが捗ります。
MKを大学に送って行ってから、早速学校の近くの公園に歩きに行きました。
もちろん音楽は欠かせません。
Apple Watchは、iPhoneに入っている音楽とリンクしていて、
いちいち携帯を取り出さなくても音量やスキップが手元できて便利。
加えて、今回、わたしは散歩のお供としてこんなに心強い奴はいない、
というくらいよくできた、BOSEの新型サングラス型イヤフォンを手に入れました。
これはウィーン空港から出発する直前、空港のショップの前を通りかかって
見つけた瞬間お買い上げを決めた運命の商品ですが、今まで愛用していた
オークリーのサングラス型イヤフォン(イチローが使ってたやつ)が
生産中止になって、今持っているのが壊れたら修理もままならないのでは、
という状況だったため、飛びつきました。
買ってみるとこれがなかなかの優れものです。
サングラスを裏返して置いたツルの部分です。
ゴールドのボタンをぽちっとすると、
「バッテリ−100%、コネクテッドトゥNYAN CAT'S PHONE」
と聴こえ、電源を切るには、サングラスを外して裏返しにするだけ。
ちなみにNyan cat's phoneはわたしのiPhoneの名前ですが、
このメガネ、これを
「ナイヤン・キャッツ・フォン」
と発音します。
耳にかける部分にイヤフォンが付いていたオークリーと違い、
サングラスのフレーム部分に小さなスピーカーの穴が空いていて、
ここから聴こえてくるのですが、近くにいる人には全く聴こえませんし、
何より耳の穴を塞がないので、サングラスをしたまま人と普通に会話できるのです。
ピッツバーグの中心部には、シェンリーパークという広大な緑があり、
その中はいたるところにトレイル(散歩用の小道)が設けられています。
到着してから1週間は、毎日歩きやすくて日陰が多く、
森の中を通るコースを探して色々歩いてみましたが、あまりに選択肢が多く、
これぞというコースを極めたのは最後の日でした。
どこを歩いても、だいたい1時間で車を停めたところに帰って来られます。
管理はしっかりできていて、トレイルの整備もしょっちゅう行われますが、
こんな感じに倒れたような木は基本放ったらかしのまま朽ちさせています。
あくまでも自然のままに任せる方法で森を維持しています。
最後の日に極めた「至高のコース」は、こんな道をずっと通って
木陰を歩き、一周して帰ってくるというものでした。
公園の中には川が流れ、こういう池があったりします。
ピッツバーグも最近は雷を伴う土砂降りが多く、地元の人は
今までこんなことはなかった、と訝っているそうですが、何か
地球規模でそういう傾向にあるようで・・・何が起こってるんでしょう。
この日は前日の雨で池が泥に濁っています。
公園のあちらこちらには、古めかしい雰囲気の橋や階段があり、
そのどれにも
WPA 1939
と刻印があります。
今ではトランプの悪口などが落書きされていますが。
WPA( Works Progress Administration)
は、あの大恐慌で失業した人たちに対する救済プログラムで、
ここピッツバーグでは1938年から1939年にかけて、
公園内の橋や階段を設置する工事に人が集められました。
「昨日まで葉巻をくわえてガウン着てた人たちが、
ツルハシ持って頑張って作ったんだね」
恐慌後の失業者対策で、特にアメリカ東部には各地に
このような公共事業によって作られたものが点在するそうです。
公園の中にはサッカー競技場、陸上トラック、テニスコートやゴルフコース、
ありとあらゆるスポーツの施設が含まれます。
この時には女子サッカーのチームが練習をしていました。
冒頭写真は公園の高みからピッツバーグ大学の塔を望んだところ。
塔を見下ろす丘には、いくつかのこのようなメモリアルがありました。
この「フロー・ジェイミソン・ミラー」という女性は、
南北戦争時代に結成された
「ナショナル・ウーマンズ・リリーフ・コーア」
という愛国団体のプレジデントだった人物です。
戦争に女性が参加しなかった時代なので、彼女らの任務?は
戦死した兵士の墓に飾る花輪を子供たちと一緒に作ることなどでした。
公園のいたるところには銅像がありますが、この後ろ向きの像は、
発明家ジョージ・ウェスティングハウスの若い頃です。
またそのうち取り上げますが、エジソンと同時代の発明家で、
ライバルでもあった彼は、のちにエジソンと電気椅子を使った処刑を巡って
反対の立場から対立したことでも有名です。
福島の原子炉がウェスティングハウスであったことは皆さんご存知ですよね。
車をいつも停めるところにあるネイティブアメリカンのメモリアル。
カテカッサ(ブラックホーフ、黒い蹄)1740–1831
は、ショーニー インディアンの酋長でした。
イギリス系アメリカ人の入植者とショーニー族との戦いで、
勇者として知られた人物です。
現地の碑には、ブラックホーフが、白人に宥和政策を取り、最終的には
同士となったようなことが書いてあり、確かにそれで戦闘を止めたようですが、
実際は1812年の戦争の直後に実施したインディアン排除の方針に抵抗し、
条約に署名せず、1831 年にオハイオ州で死ぬまで部族を率い続けました。
最終的には西側への移住を余儀なくされたということなので、なぜここに
碑があるかというと、モノンガヒラの戦いで戦ったから、ということらしいです。
碑の上の丘に(周りはゴルフコース)ポツンとある家。
まさかインディアンが住んでたってことはないと思いますが、
1800年代からあるのはおそらく間違いのないところでしょう。
街の外れにあって、誰でも立ち寄ることができ、車を停めさえすれば
延々と広がる緑の芝やこんな眺めを楽しむことができる広大な公園。
お金をかけずに自然を身近に感じることができる公園がどんな都市にも
必ずあって、散歩できるトレイルが整備されているのがアメリカのいいところです。