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自衛隊記念日・江田島オータムフェスタ〜自衛隊資料室

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さて、オータムフェスタに早く着きすぎてしまったわたし、
そのおかげでいつもはバスの車窓から見るだけのグラウンド南側を
歩いて(しかも芝生の上を)回ることができました。
しかしそれでも時間はまだたっぷり残っています。

となると、一階に売店のある江田島クラブに行くくらいしかありません。

普通の自衛隊ショップにもないようなグッズを探すのもまた楽しいものです。
幹部候補生学校では昔と同じく陸戦訓練も行いますが、それに必要な
陸自的装備もここで調達することができます。

足ゴムとか弾帯止め(100円って安っ)など、どう使うのか想像できないものも。

ちなみに幹部候補生学校の陸戦訓練は専用のフィールドで行うそうです。

江田島を訪れた時の故菅原文太、小西博之の写真あり。

この売店、模型も飾ってあります。
小型潜水艇を搭載している伊号16潜水艦出撃の図です。

前回、術科学校グラウンドに展示されているヘッジホッグの話が出ましたが、
伊16はまさに米海軍の駆逐艦「イングランド」から5回にわたって投下された
24発ずつのヘッジホッグによってソロモン諸島で戦没しています。

力作です。
坊ノ岬沖海戦、天一号作戦に出撃する「大和」艦隊。

輪形陣と呼ばれる艦隊配列ですが、若干駆逐艦の数が足りてません。

第一術科学校の見学コースは毎日3回(祝祭日は4回)
行われており、所要時間は1時間半。
大講堂、教育参考館だけでなく、不定期に今では
表桟橋と陸奥の砲塔を見せてくれる日もあるようですが、
一般コースでは見られない建物や施設、碑など、
写真が江田島クラブの一階に展示してあります。

「海軍兵学校の碑」

「赤城戦死者の碑」

「従道小学校記念碑」

はわたしもまだ見たことがありません。

「水交館」「高松記念館」は見学しましたが写真公開不可。
「理化学講堂」も向かいの学生舎から中を覗き込んだことはありますが、
まだ実際に中に入ったことはありません。

ところで理化学講堂には「出る」という噂が絶えず、ついにクレーム?が出たので
当時の幹候学校長が神職に御祓してもらって今はもう大丈夫なんだそうです。

しかし、これだけ色々と歴史を重ねた(しかも何かと出る要素が多そうな)
江田島のなかで、どうして理化学講堂だけが問題となったのか不思議。

 

さて、売店を見終わったあと、自衛隊資料室があるのに気がつきました。
いつの間にか江田島クラブ二階に開設されていたのです。

階段を上がっていくと、海上自衛隊出身の宇宙飛行士、
金井宣茂「軍医大尉」のポスターがありました。
潜水医官から宇宙飛行士を目指し、平成29年、ソユーズに乗り込み、
長期滞在を終えて昨年無事帰還してきたことが報じられましたね。

金井氏は医官として7年間務めてきましたが、自衛隊呉病院と、
ここ第一術科学校の衛生課での勤務の経験もあるということです。

ところでアメリカの場合、軍人が宇宙飛行士になっても軍籍はそのままですが、
自衛隊の場合それができないので、金井氏は宇宙飛行士採用と同時に退官しました。

しかし、NASAは金井飛行士をアメリカ人宇宙飛行士の例に倣い、公式にも
「大尉(Lieutenant)」の称号で呼び、軍人として扱っていたということです。

ポスターのISS 54/55は、国際宇宙ステーション第54次・55次滞在を意味します。

史料館には第一術科学校のジオラマが展示されていました。
江田内を大護衛艦隊が航行していますが練習艦隊にしては多すぎるような。

一般公開に来る人のために作られたジオラマなので、一般見学コースを
紅白のラインで示し、自分がどこを歩いてきたかわかりやすく示しています。

展示室入口には、昔当ブログで希望者に送らせていただいた、
兵学校と幹部候補生学校の今昔写真集

「伝統の継承」

のページが展示してあります。
兵学校の写真は1943年、カメラマンの真継不二夫氏が、
幹部候補生学校は真継氏の娘美沙さんが手掛けました。

起床、食事、教務、実習、点検、短艇、遠泳・・。

兵学校時代と幹部候補生学校、今昔の写真を見比べると、
海の武人としての教育は時が移り変わっても変わることがない、
ということをあらためて思います。

10分の1サイズのエアークッション艇模型です。
なんと第二代LCAC艇隊の隊長だった町田三佐が、隊員の教育用に

段ボールだけで

制作したという超力作です。
教育用って、これ絶対町田三佐の趣味だろっていう。

説明をそのまま書いておくと、

「輸送艦『おおすみ型』に搭載して運用する
ホバークラフト型の輸送艇。
通常は第一エアークッション艇隊に所属し、整備・訓練を実施、
輸送艦が運行する際に2隻搭載され任務にあたる。

輸送艦後部ランプを開いて発進、エアークッション艇なので上陸地の
地質などにあまり影響を受けずに揚陸できる。

最大速力40KT、陸自の90式戦車2両、人員約30名、
重量にして約50トンの積載能力がある」

90式が2両運べるって凄すぎない?
本当に訓練で戦車を載せたことはあるんでしょうか。

どちらも教練用の弾薬砲(3インチと5インチ)です。
中にカプセルみたいなものがぎっしりと詰まっています。

「対空戦コーナー」として、冷戦時、対艦ミサイルから身を守るため、
砲や対空ミサイルなどの武器をシステム化することにより、自動的に
迅速、かつ正確な防御がおこなえるようにした、という説明とともに、
シースパローミサイルが展示してあります。

 

こちらにあるのはM2444魚雷(展示用)。
哨戒機やヘリが行う対潜戦について、

捜索・探知 (ソナーなどによる)

攻撃(魚雷、ロケット型飛翔魚雷による)

などの説明付き。

対潜戦で用いられるソノブイ。使い捨てです。
P-3Cなどから投下し、海中でマイク(左下の黒いの)から
潜水艦の音をとらえ存在を航空機に伝達します。

最深70mまで潜水可能な潜水服。
錘が入っているらしい靴が凄まじいですね。

ここで使われていたようなのですが、平成12年度教育終了、とあります。

右側にあるのは米軍の使用していた昔の潜水ヘッドです。
ヘッドギアの横と上部にどちらも視界を確保するための窓があります。

ペルシャ湾の掃海派遣で海上自衛隊の掃海部隊が破壊した機雷。
機雷の上に置かれたプレートには

「誇り高きペルシャ湾の勇者に

1991.6.5~9.11

掃海派遣部隊」

と刻まれています。

 モールス号表の下に置かれた練習用の電鍵。

この説明には

「1985年にマルコーニが無線通信装置を実用化」

とありますが、これはもちろん1895年の間違いです。

ながらくモールス信号は無線通信の中心でしたが、昨今は通信衛星、
そしてデジタル技術の発達によってその座を退きました。

船舶における通信手段も通信衛星が登場したため、日本では1990年代に
モールス通信は廃止されています。

ただし、アマチュア無線、漁業無線、そして自衛隊では現在も
モールス符号を使った通信が行われています。

第一術科学校ではここにあるのと同じ電鍵を用いて
通信技術の研鑽が日々行われているということです(-人-)

アネロイド気圧計。
電源を用いず、真空の容器が外気圧との差で伸縮する動きを
針に変換して気圧を表示します。

水銀(液体)を用いた気圧計に対し、こちらは
液体(ネロイド)がない(ア)というギリシャ語からきた名称です。

右は

「通信制限付き 船舶時計」

で、色がついている秒に針があるとき、特定の周波数の電波を
使ってはいけない、と規制する意味があります。

遭難信号が確実に受信されることを目的としています。

左はおなじみ信号ラッパ。
ご存知とは思いますが、ドミソ三種類、ドソドミソ5音しか音が出ません。
この三音を組み合わせた曲で、自衛隊は号令を伝えます。

右は天測を行うために使う六分儀です。
天体の高さをはかることで現在位置を知ります。

操舵磁気羅針儀(マグネットコンパス)、操舵装置、テレグラフ、
自衛艦の外に設置されている速力信号標、そして艦長席、司令官席。

このコーナーには「ゆき」型の艦橋が再現されていて、
今本艦が航行しているのは音戸の瀬戸だと思われます。

自衛艦見学で舷側を歩いているとよく目にするこの赤いパイプの
正式名称を初めて知りました。

アプリケーターといって、先端の孔から低速の霧が噴霧され、
消火活動時に人員を防護したり、甲板や外板の冷却をするとき、
ノズルの先に取り付けて使用します。

「たちかぜ」型の2番艦、「あさかぜ」の時鐘と艦名プレート。
「あしがら」の就役と同時に除籍され、2010年に廃艦になりました。

昭和30年度計画で建造された「あやなみ」型のネームシップです。
術科学校校庭に展示してあったヘッジホッグを搭載しています。

ヘッジホッグ。艦橋の前に設置されていたんですね。

昔の護衛艦は甲板の真ん中に魚雷を積んでいたと_φ(・_・

観艦式の訓練展示では必ずミサイル艇のIRデコイ発射を行います。
水の噴水みたいで今回これが見られなかったのも残念でしたが、
そのミサイル艇「はやぶさ」「おおたか」「くまたか」の先輩、
ミサイル艇1号「わかたか」の模型がありました。

ミサイル艇って、転倒防止に水中にこんな脚を伸ばしていたんですね。

 

ここの説明で初めて知ったのですが、ミサイル艇は、
北海道沿岸の対艦ミサイルを搭載する「外国艦」に対抗するため、
魚雷艇の後継として建造されたのだそうです。

そして驚いてはいけない、この30分の1模型を制作したのも、
あの町田三佐なのだそうです。

クッション艇を制作したのは「隊員の教育用」だったようですが、
この模型はもう退官されたらしい町田元三佐が、この展示室のために
「余暇を利用して」(←わざわざ書く必要あるかな)作製したものです。

しかし、これだけ力作を提供してくれたのだから、「町田三佐」の
フルネームをせめてちゃんと掲示すべきと思うのはわたしだけ?

今年の呉地方総監部における自衛隊記念日では、呉海自カレーが
感状を授与されていましたが、このアイデアは、海上自衛隊にとって
多大な広報効果があったことは間違いありません。

右下はいまでも自衛艦内の隊員食堂で使われている食器ですが、
初期のカレースタンプラリーでは全カレー制覇したらこのトレイを
プレゼントにもらえる、という企画でした。

わたしはゴルフ場の中や離島のレストランまでカレーを食べに行き、
見事これをゲットしたという奇特な方を知っています。

 

 

江田島クラブの入り口にあった自衛隊音楽まつりのポスターと、
てつのくじらをフューチャーした呉市観光ポスター。

音楽まつり、今年は武道館が工事中なので代々木体育館で行うんですね。


さて、というわけですっかり充実した時間潰しが終わったので、
まだ少し早いですが、控室に戻ることにします。

 

続く。


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