オータムフェスタというのは直訳すれば秋祭り。
秋祭りだと神事のようなので日本語にしなかったわけはわかりますが、
第一術科学校とカ幹部候補生学校がある江田島で行われるのに
なぜ「学校祭」と銘打たないかというと、自衛隊の単独主宰ではなく、
江田島市の多大なる支援を受けているからではないかと思います。
江田島市が観光名所でもある第一術科学校を借りて地域を盛り上げ、
海上自衛隊はこの日だけは内部を開放する代わりに、行事を
一般に公開し、広報活動につなげるWin-Win✌️✌️というわけですね。
しかし、そのために、敷地内ににステージは立つわ屋台は出るわ、
芝生には皆がズカズカ入り放題、シートを引いて寝そべったり飲み食いするわで、
unknownさんもショックを受けておられたように、その日一日だけは、
もし海軍兵学校を知る人が見たらかつての聖地が卒倒しかねない有様になります。
地元の人々に親しみを持ってもらう試みそのものは大いに結構ですが、
わたしとしてはこういうのは年一回だけに留めて頂きたいという気もします。
さて、早く来過ぎてしまい、グラウンドを一周してから
江田島クラブにある自衛隊史料室を見学して時間潰しをしたわたしですが、
それでも控室となっている大講堂の応接室はまだこんな状態。
応接室には山本五十六の書の下に、聯合艦隊司令部が
岩国の海軍航空基地で真珠湾攻撃のための作戦説明会議を行った
昭和16年11月8日の集合写真が飾ってありました。
「凌雲気」の書は、山本長官が揮毫し、岩国の海軍旅館「久義萬」の主人に
贈呈されたのと同じ文字ですが、もしこれがレプリカでなければ、
旅館が廃業したあと、江田島に寄贈されたのでしょうか。
「凌雲気」は文字通り「雲を凌ぐほどの気」、つまり俗世の全てを超越した
覚悟や意気、というものを表していると思われます。
今度機会があったら、これが本物かどうか確かめてこようと思います。
さて、誰もいなかった控室も1時半にはすっかり人で埋まり、
隣の方と名刺交換をしたり、知り合いと挨拶したりしていると、
控室に集う人々に、バスに乗るようにという指示がありました。
こういうときに、さすが序列社会である海軍の末裔だと感心するのは、
海上自衛隊の式典ではこんなことまでというくらい、席次とか
順番とかが前もってきっちりと決まっていることです。
式典に到着すると、まずホッチキスで止めた分厚い紙束が配布されるのですが、
それはおどろくなかれ、本日行われる全ての場面別席次表なのです。
バスに乗る際も、前もって色のついたカードが紙束と別に渡されていて、
赤いカードをお持ちの方はこちらにお乗りください、といった具合。
海軍では集合写真を撮る時も車に乗る時も、序列により場所がきまっています。
たとえばこの岩国の写真では、山本大将がきっちり真ん中に座り、
前列に座っている8名は全員が中将、後ろがが少将と大佐です。
(ところで、この前列一番右が井上成美中将ってご存知でした?)
というわけで、その伝統を引き継いでいるところの海自でも、
公式の写真は必ず椅子に名前が振ってあり、立食パーティのテーブルや
花火の見学まで席をきっちり決めないといけないようなのです。
この順番を考える係の自衛官には心からお疲れ様と申し上げたい。
ここで史料館の江田島ジオラマを活用させていただきます。
バスでの移動は、通常大講堂からだと赤煉瓦前を通り、グラウンドを
時計回りする青い線を通りますが、この日は青い線のところに
屋台が出ていて人がたくさんいるため、赤線コースを通ることになりました。
なんどもここには来ましたが、初めて通る道です。
古い建物は自衛官の官舎のようでしたので写真は控えました。
コース途中にはこのような廃墟マニア垂涎の年代物建築もあり。
スロープで車のついた用具を出し入れしていた倉庫かもしれません。
グランドが見えてくると、そこにはすでに観閲行進を行う部隊、
そして指揮官部隊が整列していて壮観です。
グラウンド内の出入りはとくに制限されていないらしく、
自衛官が持つ黄色いロープのぎりぎりで見学することができます。
乗っているバスが第一術科学校前の式典会場来賓席に到着しました。
さっそく小冊子?を頼りに自分の名前を探して席に着きます。
最前列は国会議員、市長、町長、県会議員など。
指揮台の前に並んでいるのは術科学校副校長始め、
指導官といった立場の幹部と海曹の一団です。
朝から立ち入りを禁止していただけあって、指揮台前は
まだ目立てがきれいに残っている状態でした。
広いグラウンドなので観覧席からはかなり遠くに見えます。
観閲行進の先頭部隊は呉音楽隊。
呉音楽隊といえば、呉地方総監部で行われた自衛隊記念日の演奏で
お伝えするのを忘れていたのですが、「海をゆく」に続く二曲目は、
「月月火水木金金」
でした。
作曲者江口夜詩の息子は海軍兵学校2年で終戦を迎えています。
この曲の演奏時も「海をゆく」と同じように
「うみーのおっとこのかんたいきんむ、げ(略)」
の部分ではやはり小さくメロディを歌う声が周りから聞こえてきました。
まず第一術科学校長、丸澤伸二海将補が壇上に上がり、挨拶と訓示。
公明党の幹事長、斉藤鉄夫氏が挨拶。
続いて挨拶した参議院議員の森本信治氏は、民主党から民進を経て国民民主、
それだけでもわたし的にはアウトで政治主張にも全く賛同しませんが、
祖父が海軍兵学校卒で南方にも出征したという話には思わず聞き入りました。
ただし、氏は護憲派の立場上そのことにはプロフィールでは一切触れていません。
つまり、ここに来たときだけ披露するとっておきのネタというわけですねわかります。
シニカルな言い方をすると政治家の挨拶なんてそんなもので、
たいていはその場にいる有権者にアピールする目的しかないですが、
そんな中で江田島市長明岳周作氏の挨拶だけは、
「江田島市はこれからも海上自衛隊とともに歩んでいきます」
など、いつもわりと真に迫っています。
呉市もそうですが、江田島にとって海軍遺跡とそれを継承する海自は
大事な観光資源でもあるのですから、真に迫るのも当然のかもしれません。
観閲部隊はこちらから見て左に音楽隊、そして幹部候補生隊が並びます。
海側に向かって海曹、つまり部内選抜の幹部候補生、
海士の部隊、そして一番右が喇叭隊です。
海士の行進部隊を率いる小隊長も海曹です。
学校長や来賓の挨拶のとき、最初に敬礼を行い、
しばらく気をつけの姿勢でいますが、壇上の訓示者が
「休め」「休んでください」というと、「整列休め」の号令が降り、
手を後ろに組み、銃を持つ者は地面に銃床を置いた姿勢で立ちます。
一連の式典開始に先立ち、幹部候補生から選抜された隊長と
女性候補生一人を含む5人が、指揮台前で報告を行います。
指揮官と部隊の間にも始まりの挨拶が交わされ・・。
観閲行進部隊は銃に着剣を行います。
これは何に対しての着剣かというと、国旗と自衛艦旗に
捧げ銃を行うための準備となります。
我々参列者も国旗と自衛艦旗に敬意を払って起立します。
このあと、国歌斉唱が行われました。
自衛官は国旗掲揚のとき敬礼をし、斉唱は気をつけで行います。
国旗と自衛隊旗を持つこの一団は、自衛隊ではなんと呼称するのか知りませんが、
一般的には「カラーガード」の範疇に入ります。
マーチングバンドでも旗、銃、サーベルを用いるパートを
「カラーガード」といいますが、この「カラー」にはまさに
国旗と軍旗(日の丸と自衛隊旗)を意味し、それをガード、
護衛するというのがこの名称の語源であり、旗の両脇、
そして後方を着剣した銃で守って歩くというわけです。
旗が移動中、壇上では第一術科学校長、幹部候補生学校長が敬礼を、
江田島市長が左胸に手を当てていました。
この左胸に手を当てる仕草は、サッカーの三浦カズ選手がやり出してから
(だと思います)特に最近日本でも同じようにする人が増えましたが、
もともとはアメリカの「忠誠の誓い」であって、日本の作法ではありません。
日本では国旗国歌の際直立不動というのが正しい姿です。
善意で解釈すれば、他の二人が敬礼しているのに、自分だけ空手で
ぼーっと立っているのもなんなのでやってみました的な?
厳しい言い方かもしれませんが、スポーツ選手ならノリで許されても、
この立場の人間がこれは物知らずという指摘は免れません。
仮にも日本国の自治体の長たる者、もうすこし勉強された上、
正しいプロトコルに則った所作で臨むべきではないでしょうか。
国旗・自衛隊旗は右回りに移動して指揮台に正対しました。
これから観閲官による巡閲が行われます。
ここで観閲部隊の総指揮を行う隊長が一人、進み出ました。
一挙手一投足をここにいる全ての人に注目される華々しい役目です。
指揮台前に到着した巡閲用のオープンカーの前に立った指揮官は、
「お供いたします!」
というようなことを力強く宣言し、それに促されて
前の車両に第一術科学校長、後ろの車両に幹候校長が乗り込み、
江田島市長は幹部候補生学校長と同じ車の後部座席に座りました。
広大なグラウンドなので、全部隊の巡閲は車で行われるようです。
続く。