江田島のオータムフェスタ参加レポートの途中ですが、
神戸の川崎重工で行われた新型潜水艦の進水式に行って参りました。
潜水艦の行事は造船所内で撮影が厳しく禁じられているので、
いつものように写真を元にということはできませんが、
この貴重な行事を目撃するという特権に預からせていただいた以上、
そのときの様子を微力ながらご報告させていただこうと思います。
前回潜水艦関連の行事にご招待いただいたのは、今年3月、
やはり同じ川崎重工で行われた「しょうりゅう」の引き渡し式です。
潜水艦の艤装は進水式を行ってから1年半で完成するので、
だいたい今の季節に進水式を行い、3月に引き渡し式となります。
この日進水を行った平成28年度計画により建造された8127艦は、
(この数字は自衛隊が建造した艦艇の通算数でしょうか)
令和3年の3月に引き渡しが行われる予定です。
潜水艦行事の招待者は、構内で受付を済ませると、自衛官が
待機するための社屋の前まで連れて行ってくれます。
無言で歩くのもなんなので、
「良いお天気でよかったですね」
と話しかけると、
「本当です。三菱の進水で雨が降ってあの時は大変でした」
川崎重工では、潜水艦の艦首の部分に向かい支鋼切断する
命名者はじめ、立ち会っている者全てが屋内にいるので
雨が降っても大丈夫ですが、三菱では潜水艦の右舷側に
艦体と並行に観覧席があるので、屋根がないのです。
受付ではパスカードをもらい、それを建物の入り口で
駅の改札のようにピッとゲートにかざして入室します。
さすがは軍需産業、セキュリティは大変厳しいものなのです。
通常この部屋でお呼びがかかるまで待つのですが、
この日わたしは時間を潰してぎりぎりを見計って到着し、
待合室に入ることなくバスに案内されました。
バスから降りて結構長い距離を歩き進水ドックまで到着すると、
スロープを上って組み立てられた観覧台です。
絶望するくらいひどい図面ですが、macにカタリナを入れたら
途端にいろんなものが今まで通り使えなくなり、スキャンはできないわ、
ワコムインストールはペンタブレットのクッキー調整で行き詰まるわで、
恥を忍んで超やっつけ仕事の手書きの図で失礼いたします。
わたしが観覧したのは左側の招待客ゾーンでした。
観覧席はすべて自衛隊旗の意匠で覆われた艦首と向き合う形です。
わたしたちのいる席の一階には川崎重工の社員たちが、
音楽隊のこちら側には自衛官が並んでいたようです。
到着してしばらくすると、呉音楽隊が演奏を始めました。
これが一曲目かどうかは最初に入場したわけではないのでわかりませんが、
それが「君が代行進曲」だったのにわたしはいたく満足しました。
川崎でも三菱でも、旧海軍時代から変わらぬこの伝統の進水式において、
演奏されていたにちがいないこの曲が流れるのは、海軍時代から受け継がれる
潜水艦魂を受け継ぐ海上自衛隊潜水艦にとって大変良いことだと思えたのです。
演奏のおよそ半分は「国民の象徴」などのアメリカ製マーチでしたが、
そのあと、これも海軍時代の進水式で必ず演奏されていたであろう曲、
/ "Patriotic March" by Tokyo Band chor
「愛国行進曲」が演奏され、わたしは内心快哉をさけびました。
演奏の合間に、場内には待ち時間を利用して潜水艦の説明などや
撮影をしないこと、携帯の電源を切るかマナーモードにするようにという
諸注意がアナウンスされました。
アナウンスはまず今日進水する潜水艦のスペックからです。
「潜水艦の全長は84メートル、幅9.1メートル、深さ10.3メートル、
基準排水量は2,950トンでございます」
なんでも本型は、戦後我が国によって建造された潜水艦の中で
最大級の大きさなのだそうです。
「主機関は川崎12V25・25型ディーゼル機関、2基、
および推進電動機、1基1軸を搭載しております」
「ソナーなどに最新の設備が施されているほか、船体には
強度を高めるための高張力鋼を使用しています」
マンガンを添加したり、熱を加えたりして引っ張りに対して
強い鋼材のことを高張力鋼、ハイテン鋼といいます。
強度が高いのに薄いので船体の軽量化にとっても欠かせません。
とにかくこの最新鋭艦は安全性にも万全の対策が施されている、
というようなことが説明されました。
ところでわたしの描いた図で、潜水艦の脇にある「浮き」と書いた
四角いものは、現地で見ると黒い箱状の羽のように取り付けられていて、
進水後の揺れを抑える役目をするものだそうです。
ただ、この名称をいうときアナウンサーが言葉に詰まり、
正確になんといっているかわかりませんでした。
たしか「バル・・ジなんとか」と聞こえた気がします。
わたしの立っていた左の招待席(といっても全員立っている)
の横が、命名者である海幕長始め、本日の進水式の「当事者」となる
自衛隊と川崎重工関係者(偉い人)の立つ席です。
わたしたちのところにも隣にも、床は赤い毛氈が敷かれていましたが、
隣の席にはこれもまたきっちりと、立ち位置に名札が貼ってありました。
両脇の観客が全部位置についてから、真ん中の人たちが入ってきました。
その中には河野元統幕長はじめ、元自衛官がおり、その中の何人か、
現役時代潜水艦だった将官は、川重の顧問という肩書きで参加しておられます。
解説を挟み、音楽隊は長時間立って潜水艦の頭とお見合いしているだけの
人のために、最後まで心躍るようなマーチを聴かせてくれましたが、
一番最後に演奏されたのは「宇宙戦艦ヤマト」でした。
潜水艦の式典のために作曲された委嘱作品、「てつのくじら」は
この日聴けなかったのですが、もしかしたらわたしが到着する前に
すでに演奏が終わっていたのでしょうか。
さて、いよいよ命名者である海上幕僚長が入場し、式典の始まりです。
まずは命名者たる海幕長が
「本艦を『とうりゅう』と名付ける」
と力強く宣言すると、同時に艦体上部にある幕が取れて
「とうりゅう」
という文字が皆の前に現れます。
わたしは潜水艦の命名式に呼ばれるたびに、次は何になるだろう、
といつも遊び半分に名前の想像をして楽しむのですが、この
「とうりゅう」も一応は今回の想像の範囲内にありました。
ただし、どういう漢字を当てるのかは祝賀会までわかりません。
さて、国歌演奏により国旗が掲揚されてから進水式にうつります。
進水の準備、つまり支鋼一本だけで船体を支えている状態になるまで
その支えを「排除」していく作業が始まるわけです。
これが始まる時、最前列台の上には工場長(かどうか知りませんが)
が立ち、ホイッスルによる「始め」の合図を送ります。
そこから先は、残念ながらわたしたちのいる観覧台からは
潜水艦の影で行われているため、全く見えません。
ですので、「ちよだ」のときに三井造船でもらった資料を出してきます。
艦体を支えている盤木は、ピンの隙間から砂をおとすことで離れます。
そのことで船の重量は盤木から離れ、今や滑走台にかかりました。
進水する船は生身?で台を転がるのではなく、水際までは
滑走台というものに乗って進水台を転がり落ちていきます。
準備段階ではこの滑走台を止めているつっかえ棒の土台、
「ジャッキ」をおろし、つっかえ棒を外します。
そして、最後の最後に「トリガー」から安全ピンを外します。
このとき支鋼切断の数十秒前。
上の図に支鋼が見えていますが、今船体が動くのを止めているのは
この鋼一本なのです。(実際は違いますが一応こう言っておきなす)
そこまで作業を終えると、台の上で笛を吹き、手を上げたり下げたり
指差しポーズをしていた人(1)は、台の右手にいる人に
「進水準備作業完了しました!」
すると、その人(2)は、自分の後ろにいた人に
「進水準備作業完了しました!」
すると、その人(3)は、山村海幕長に
「進水準備作業完了しました!」
皆おなじところにいるんだから最初の人が海幕長に直接
完了しましたといえば済むことじゃね?という気がしますが、
そこはそれ、進水は「儀式」なのですから、こういうことも
昔から伝わる慣例通りにやらなくては意味がないのです。
すると、それを受けた海幕長が台に進みでて、このために作られた
銀色のまさかり状のオノで、自分の前に張られている支鋼を
一刀両断に?叩くと、支鋼はまず、上部で支えられていたシャンパンの
紅白の布で包まれたビンを艦体に叩きつけ、次の瞬間、
自重で艦は滑走台ごと進水台を転がり落ちていくというわけです。
ところで「支鋼一本で支えられている状態」といいましたが、
さすがに重量が全部一本の鋼にかかっているわけではありません。
最後の瞬間滑走台を止めているのは、実はこの図の三色のトリガーです。
支鋼は青いトリガーの下にあって、これが重力で下に落ちるのを止めているのです。
支鋼を切断すると、まず青のトリガーが下に落ち、続いて赤が落ち、
最後に黄色が外れて滑走台を止めていたものが全てなくなるというわけです。
この後の祝賀会で支鋼切断を行った海幕長とお話ししていると、
「自分でやっておきながらどういう仕組みであれが(支鋼を切ると)
ああなるのか(船体が転がり落ちていく)全くわかりませんでした」
とおっしゃっていたのですが、つまりこういうことなんですよ。
艦体がほとんど音もなく滑り出すと同時に、音楽隊の
行進曲「軍艦」の演奏が始まり、どこから放たれたのか
色とりどりの風船が舞い、薬玉が割れて中からリボンが翻りました。
(あとから映像を見たら、風船を放す係の人がいた)
何回見ても心躍る瞬間です。
サンテレビのニュース映像が非常に簡潔にこの日の式典とともに
「とうりゅう」のスペックについても簡潔に報じています。
リチウムイオン電池搭載 川崎重工で新潜水艦の進水式
潜水艦が台を滑り降りていってからしばらくしても、周囲には
シャンパンの放つ香りが強烈に漂っていたのが印象的でした。
このあと、バスに乗り込んだわたしは、神戸駅前の川崎重工ビルで
関係者を招き華やかに催された祝賀会に参加しました。
続く。