川崎重工業における新型潜水艦「とうりゅう」の進水式が終わりました。
進水式が行われたドックから引き込み線沿いに、
クレーンを見上げながらバス乗り場に戻ると、バスはそのまま
神戸駅前にそびえ立つ川重のビル向かい空き地まで行ってくれます。
この日写真を撮ったのはいつもバッグに入れているコンデジなので、
ビルのてっぺんまでフレームインしているか眩しくてわかりませんでした。
この日の神戸は、船出を行った「とうりゅう」の行手を祝福するような
雲ひとつない青空で、後で祝賀会席上、呉地方総監杉本海将が、
「わたしは晴れ男ですからね!」
と自信たっぷりに自慢しておられたくらいです。
そういえば、幹部候補生学校卒業式の前日夜半まで降っていた雨を
てるてる坊主の力で見事晴天にした実績がおありでした。
「あんまり(晴れ男)言うと、降ってしまうのでやめときます。
あちらには今年の観艦式を雨にした張本人がいますが」
👉→→→山村海幕長
「しかし『雨男』は今禁句ですから(いいません)」
現体制の海上自衛隊も、この杉本海将といい山村海幕長といい、
海軍伝統のユーモア受け継ぎまくりとお見受けします。
川崎重工での祝賀会は、いつも本社ビルの三階ホールで行われます。
自衛隊主催の祝賀会と違うところは、会費が要らないことと、
会場に入ると、夜会巻きにロングスカートのコンパニオンが
おしぼりを渡したり飲み物を注いでサービスしてくれることです。
時計はすでに祝賀会開始時間の1330になっていますが、
おそらくこの頃まだ海幕長が工場見学をしておられたのでしょう。
会場を出たところには正帽置き場が設置してあります。
潜水艦の祝賀会ではあまり見たことがない女性幹部の帽子もあり。
陸自はおそらく伊丹駐屯地から招待されて来ていたようですが、
副官らしき自衛官がなんといまだにOD色の旧型制服を着ていました。
ここでは帽子置き場のスペースは十分にあるらしく、副官の帽子の上に
ボスのが重ねて置いてあるというおなじみの光景は見ることはできませんでした。
前回来た時と少し内容が変わっていて、まず、中華チマキがなくなり、
そのかわりに大きな魚(タイ?)の揚げ煮つけ料理がどーんと登場。
このお料理、味見してみたい気持ちは山々だったのですが、
微妙に取りにくそうだし、汁が滴れそうなので手が出せず、
どのテーブルでもほとんど減っている様子がありませんでした。
そして今回ちょっと残念だったのは、いつもの
潜水艦の名前をラベルにしたお酒の瓶がなかったことです。
微妙に緊縮財政気味なのかな、と感じたのはこれだけでなく、
本日と前回冒頭画像に使った絵葉書入りパンフレットも、
いつもはテーブルに無造作に置かれ、その気になれば
いくつでも持って帰れたのですが、今回は会場に入る時
欲しい人だけに一枚ずつ渡していたことからもでした。
小さなことにすぎませんが、これは実に氷山の一角であって、
お節介船屋さんがコメントでも書いておられるような、
造船業、特に防衛計画を請け負う業界の置かれた苦しい状況を
わたしのような部外者ですら嗅ぎ取らずにはいられません。
そしてさらにその根本原因をたどっていくと、どうしても
自衛隊が憲法で保障されていないということにたどり着くのですが、
そういう考察はまたの機会に譲ります。
さて、開式にあたり、まず川崎重工業社長よりご挨拶がありました。
少し長いですが書き出しておきます。
「本艦は平成29年1月27日に起工して以来、防衛省関係諸官の
ご指導とご支援のもと、建造を行い、本日めでたく
海上幕僚長、山村浩様により「とうりゅう」と命名されました。
上幕僚長の見事な支鋼ご切断により、(なぜか笑いが起きる)
多くの関係者の見守る中無事進水し、神戸の海に其の勇姿を浮かべました。
命名ならびに支鋼切断の大役を賜りました山村海上幕僚長、ならびに
海上幕僚監部代表、藤装備計画部長、防衛省庁代表、佐藤装備官、
そして本式典を執行されました杉本呉地方総監に厚く御礼申し上げます。
ご臨席賜りました高島潜水艦隊司令官、牛尾近畿中部防衛局次長をはじめとする
防衛省防衛省関係の諸官、吉田国土交通省運輸管理部長、
ならびにご来賓の皆様方にこころより御礼申しあげます。」
「本艦は昭和35年6月にお引き渡ししました戦後初の国産潜水艦、
「おやしお」の建造から数えて当社29隻目の潜水艦となります。
これまでの「そうりゅう」型潜水艦とことなり、新たに水中動力源として
大容量リチウムイオン電池が搭載されました。
さらなる水中潜航能力の向上が図られております。
当社は現在本艦を含む2隻の潜水艦の建造を進めております。
また、修理の分野では年次検査、定期検査の工事にくわえ、
潜水艦増勢に向けた延命工事を施工してきております。
日本を取り巻く安全保障環境が厳しさを増す中、
潜水艦の建造修理に携わる者として国防の一翼を担うと言う責務の元、
「とうりゅう」建造におきましても、当社の建造技術を結集して
基礎工事を進め、防衛省どののご期待にお答えし得る潜水艦として、
令和3年3月には慣行のお引き渡しをする所存でございます。
なお、当社は潜水艦以外にも航空機、ガスタービンエンジン、
各種推進機関など数多くの製品分野にご用命いただいております。
この新たなご要求にお答えし得るように、
さらなる研鑽を積んで参る所存でございますので関係各位殿より
一層のご指導ご支援を賜りますようよろしくお願い申し上げます」
「見事なご切断」で一部から笑いが起きたのは、おそらくですが
近くにおられた山村海幕長がそれに反応されたのでしょう。
じつは、この後海幕長とお話しさせていただいたとき、
支鋼切断のとき緊張されませんでしたか、と伺ってみたのです。
即答でした。
「無茶苦茶緊張しました!」
「進水式といっても自分が何かするわけでないので
こーんな( ̄σ・ ̄*) ←感じで横にいればいいのかと思ったら、
副大臣が出られなくなって自分がやらなくてはいけないって・・。
もう心臓バクバクでした」
海幕長のような方でもいまだに心臓をドキドキさせる場面があるとは、
海上自衛隊ってなんて刺激の絶えない活気のある職場なのかしら。
ちなみにこの前にお話しした杉本海将は、今回、
潜水艦の進水というものを自衛官になって初めてご覧になったそうです。
「初めてですか!」
思わず驚いてしまったのですが、よく考えたら固定翼機出身の自衛官は
海幕長か地方総監、しかも川崎三菱のある神戸がお膝元である
呉地方総監部にならない限り、潜水艦進水式には縁がないものなのですね。
このとき総監に指摘されたように、自衛官は自分の分野以外は
同じ海自のことでも未知の世界のまま終わるもので、
わたしのような物好きな一般人のほうが、よっぽど自衛隊について
外から見える部分に関しては詳しいものなのかもしれません。
また、山村海幕長はそのご挨拶の中で、「とうりゅう」は、
幕末の詩人梁川星巖(やながわせいげん)の七言絶句によって、
「白波雲の如く立ち水声夥(おびただ)し」
とうたわれ、巨龍の躍動に似たところから名づけられた
兵庫県加古川にある名勝、闘竜灘から取られていると説明されました。
闘竜灘は、川底いっぱいに起伏する奇岩、怪石に阻まれた激流で、
この新型潜水艦の荒々しく闘う姿にその名を被せたのです。
「とうりゅう」の配備先はまだ決まっていないそうですが、
この命名由来からいうと阪神基地隊がいいのでは?
宴たけなわ、会場ではあちこちで挨拶が行われております。
そうそう、この日祝賀会会場でわたしがお話しした自衛官が、たまたま
当ブログを読んでくださっていたのですが、この方が例の
「自衛官の旅費問題」
に中の人としての証言をしてくださったので触れておかなくてはなりません。
ちなみにこの自衛官が遠洋航海に行ったのは10年前。
「そのときは任地までの旅費は出ました」
そのときも遠洋航海から帰り即日赴任だったそうですが、もしかしたら
それまで海自では、遠洋航海の後すぐに任務ではかわいそうだから?
着任までの間休暇を挟むこともあったのではないか、という推測でした。
その方の任地は青森(ってことは大湊ですかね)だったということで、
艦を降りてから同じところに着任する何人かで一緒に移動されたとか。
ちょっと遠洋航海の延長みたいな感じで楽しかったかもですね。
それから、最後に河野元統幕長とお話しすることもできました。
「虎ノ門ニュースに出られた時のは全部聞かせていただいてます」
河野さんといえば、有本香さんの関係で何度か同番組に出演され、
憲法改正についても韓国との関係についても、気持ちの良いくらい
本音で語り、現役の自衛官もこう言う風に考えるんだ、とある意味
瞠目させていただいていたこともあってぜひそれをお伝えしたかったのです。
「もうやめたので、好きなこと言ってやろうと思って」(笑)
統幕長の立場だった方がこうおっしゃるのですから嬉しいではありませんか。
「是非お願いします。これからも期待しております」
お愛想でもなんでもなく、心からこのような言葉が出ました。
もうすぐお開きというとき、先ほど支鋼切断に使われた斧が
川崎重工株式会社より山村海幕長にプレゼントされました。
通例この斧は切断を行った本人に贈呈されます。
アリガトゴザイマシタ┏o o┓ドウイタシマシテ
山村海幕長、満面の笑顔です。
きっと内心「うれぴー」と思っておられるに違いありません。
・・・・・いえ、単なる空想ですよ?
斧と切断した支鋼(右の木製のものは何?)は
しばらく会場に飾ってありました。
支鋼がまず「鋼」ではなかったことがこれでわかりました。
海幕長は、
「ほら、斧って先がこんな風に丸いじゃないですか。
その先端がうまく当たるかどうか心配で」
とおっしゃってましたが、確かに。
でもこんな洗濯ロープみたいなのなら、難なく切れるような気しません?
ところが、このとき伺ったところによると、過去、
名前は秘しますが、一回で切れなかった方もいたとか・・。
わたしが、
「外国の艦艇だとシャンパンを艦体に叩きつけて割りますが、
これが失敗すると船にとって縁起が悪いとまでいいますよね」
というと、海幕長、
「先にそのお話を伺わなくてよかったです。
聞いてたらもっと緊張したでしょう!」
またまたー、そんなことくらいよくご存知でしょうに。
この斧は「とうりゅう」の進水のためだけにつくられたものです。
進水式でこのような形の斧をつかうのは日本だけで、外国では
切断を行うのは槌とのみを使っていたそうです。
日本で初めて古くからの縁起物である斧を使って進水したのは
1907年、佐世保海軍工廠における防護巡洋艦「利根」でした。
なんでも、軍艦の進水式なのだから西洋式の槌とのみではなく、
日本古来の長柄武器であるまさかり状の器具を支綱切断に用いるべき、
として考案されたのがこの形の斧だったということです。
というわけで「とうりゅう」進水を祝う祝賀会も終了です。
実は現在の安全保障分野における最前線にいるのが
潜水艦であり、原子力を使わない潜水艦分野ではその技術と
海上自衛隊潜水艦隊の実力は世界のトップクラスと言われています。
その評価をさらに高めるであろう「とうりゅう」の完成が心から待たれます。
終わり。