皆さんはカリフォルニアの州都がサンフランシスコでも
ロスアンジェルスでもなく、サクラメントであり、
ニューヨーク州はニューヨークではなくオルバニーであると
ご存知だったでしょうか。
どちらもアメリカ建国後の拠点だったり当時の最大都市ですが、
その後経済の動きに伴って人口移動が行われ、また
産業構造も変化することによって新たな大都市が形成されると
州都と有名な大都市が一致しないという現象が生まれます。
カリフォルニアの州都は何度か移転していますが、オルバニーは
ニューヨークに港が整備されてここが入植者の入り口となり、
その後ここが巨大都市に成長しても首都機能を維持し続けています。
ちなみにアメリカの州で州都と州最大都市が一致しているのは、
アリゾナ(フェニックス)アーカンソー(リトルロック)
コロラド(デンバー)ジョージア(アトランタ)
アイオワ(デモイン)インディアナ(インディアナポリス)
などで、アトランタ以外は州GDP低め?みたいなところが多い気がします。
州都以外にに大都市が存在する、というのは、あらたな経済活況が生じた、
という証明でもあるわけですからこの傾向も偶然ではないかもしれません。
もう一つついでにこのGDPがダントツに高いのはカリフォルニアで、
国別のランキングでも
1、アメリカ
2、中国
3、日本
4、ドイツ
5、カリフォルニア
と5位に食い込んでくるのですから驚きますね。
ちなみに国内ベスト5は2位以下テキサス、ニューヨーク、
フロリダ、イリノイ州となります。
そういえばイリノイ州の州都もシカゴではなくサクラメントです。
さて。
ニューヨークで空母「イントレピッド」が展示されていたのも、
陸軍士官学校ウェストポイントがあったのも、ビリー・ジョエルが
グレイハウンドで渡ったのも、サレンバーガー機長が着水したのも
ハドソン川という世界で誰も知らぬ者のない河川であるわけですが、
わたしは東部に滞在していた2年前、オルバニー市のハドソン川岸壁に
駆逐艦「USS スレーター」が公開されていることを知りました。
ダウンタウンからすこし離れたところにある住所をナビに入れ、
到着したのはこんな場所。
USS「スレーター」の姿が岸壁に見えます。
手前にあるスペースはどこに停めても無料の駐車場。
ちゃんとくる前にオープン時間と休館日でないか確かめてきました。
「スレーター」は週5日、10時から4時までだけのオープンです。
もしかして住んでるんじゃないかというくらい家っぽい船が。
クーラーの室外機といい、屋上のスペースといい、充実してます。
で検索してみると、なんとこの船、貸し切りもできるクルーズ船で、
最大150人のクルーズパーティもできるとか。
ただの遊覧船として乗るなら、27ドルくらいでハドソン川周遊ができます。
物好きにもイベントカレンダーまでチェックしてしまったのですが、
11月から3月までは営業をしていない模様でした。
ニューヨークはとにかく冬寒く、この辺りも1月の最低気温で
マイナス10度くらいなり、ハドソン川が凍ることもあるそうです。
「スレーター」の見学も冬季は行っていません。
「オランダリンゴ」(ダッチアップル)の上流側ごく近くに
USS「スレーター」は係留展示されています。(ここ伏線)
近づいてみました。
起工が1943年3月、44年2月進水式、2ヶ月後の同年5月就役、
と戦争に投入するために超スピードで建造された駆逐艦で、
もう76歳になろうとしているだけあって、艦体は
痩せ馬仕様というのではなく、経年劣化による凸凹だらけ。
11月には早々に閉ざされてしまうハドソンリバーですが、このときは
まだ8月のシーズン真っ最中で、ごらんのように
自家用モーターボートで楽しむ人たちの姿もありました。
ちなみに船首に乗っているのは年配の女性です。
第二次世界大戦中に、アメリカはそれこそ駆逐艦を
時間単位で建造していたわけですが、この「スレーター」は
そのうちのDE、「キャノン」級護衛駆逐艦72隻のうち一つです。
今まで駆逐艦は「ギアリング」級の「ジョセフ・P・ケネディ・ジュニア」
を見学したことがありましたが、遠目にも全く佇まいが違う模様。
だいたい艦体の左舷に二本立っている煙突みたいな構造物は何?
ちょっと遠くで正確にはわかりませんが、40ミリ対空砲?
ナンバーがステンシルされたテッパチもちゃんとあります。
この頃の駆逐艦特有の爆雷( Deapth Charge)ラックです。
傾斜になっていてゴロゴロ転がって落ちるという省エネ投下機構。
50口径3インチ砲、アンタイ-エアクラフト・ガン(対空砲)。
この対空砲は日本近海で突入してくる特攻機を攻撃した経歴があります。
デッキの上にはまるで海軍軍人のような格好をした
ボランティアが始業前の点検作業を行っている様子が見えました。
これは何だろうとまじまじ見てしまったのですが、
銃が取り付けられていない銃座なのかな?
何年も人がここに立ち入ったりした様子はなく、
拡大すると照準などにも蜘蛛の巣が張っていました。
当時の救命ボートはそのものが甲板上階に固定してあって、
いざとなればこれを解いて海に落としたようです。
一刻を争う際にこんなにたくさんの留め具を外していて間に合うのか。
つい最近見た映画「眼下の敵」の戦闘シーンで、
駆逐艦艦長のロバート・ミッチャムが総員退艦を命じたあと、
このボートが海に落とされて海に飛び込んだ乗員が乗り込んでいました。
いたるところに対空砲。
40ミリボフォースMK51の二連装マウントです。
信号旗の読める方がいたら右はわかりそうですね。
多分片方は「スレーター」を表しているのだと思いますが。
護衛駆逐艦は、第二次世界大戦開始時に大西洋における
対潜水艦戦への必要性から大量に建造されました。
「スレーター」はこの時期建造された563隻の駆逐艦の一つです。
対潜戦に加え、対空兵器と当時最新の電子機器が搭載され、
さらに高速で長い航続距離を持つ新型駆逐艦が
迅速に建造できるような構造設計によって次々に生み出されていきます。
護衛駆逐艦は、特に危険であった補給船などの船団護衛、そして
沿岸基地攻撃、機動部隊のレーダーピケット艦などの役目を果たしました。
「スレーター」は1944年5月に就役した後は大西洋で船団護衛を、
5月8日にヨーロッパ戦線で連合国が勝利した後は6月にパナマ運河を経て
太平洋での船団護衛を命じられました。
終戦の日、「スレーター」は特攻機の攻撃を受けているのですが、
危うく難を逃れ、戦後はフィリピンで任務を続けて1946年に帰国しました。
そのわずか1年後、1947年の5月には除籍となっていますから、
まさに戦時用にとりあえず調達された駆逐艦という位置付けだったのです。
仕切り柵に取り付けられた「スレーター」のシルエット。
「スレーター」がここに展示されるようになったのは1997年からです。
たまたまそのような話(スレーターを展示艦にする)が許可になったとき、
「スレーター」は戦後ギリシア海軍に譲渡されてその任務を終え、
クレタ島で廃棄処分になるのを待っているところでした。
その後ギリシャから大西洋を曳航されてニューヨークに到着し、
準備が整うまでの4年間「イントレピッド」の隣に係留されていたそうです。
これを見て、先ほど「銃が取り付けられていない銃座」と
言い切ってしまったところに
「GUN DIRECTOR 」
と書かれているのに気がついてしまいました。
銃手に敵機の方向を指示するための機器だったようですね。
またこれによると、ゴム筏ではないボートを「ホエールボート」と称しています。
この図とともにあった解説には、護衛駆逐艦が当初太平洋で
ドイツ軍のUボートから輸送船団を守るために投入された経緯から、
シップネームの由来、戦争中の任務、戦後から現在に至るまでが
実に詳しく書いてありました。
まだ博物館はオープンしていませんでしたが、この頃になると
何人かの見学希望らしい人たちが集まってきていました。
そしてゲストハウスのようなところからブルーのダンガリーシャツに
ジーンズ、黒のベルトというまるで昔の水兵のような格好の人が、
艦尾に星条旗を揚げ始めました。
すでに海軍籍にはないので、敬礼もありませんしラッパもなしです。
アメリカの博物艦は、海軍籍になくとも艦尾に旗をあげることが許されているようです。
海軍旗と国旗が同じであるからこそできるということですね。
かつて「スレーター」の艦尾に揚っていたのは海軍旗でしたが、
今ボランティアの手によって掲揚されているのは国旗というわけです。
国旗を揚げ終わると、ボランティアはスタスタと戻っていきました。
星条旗がハドソン川沿いの緑に映えて「スレーター」の艦尾に美しく翻りました。
ところで、今回「スレーター」について調べていたところ、わたしが
この見学をしてから1年後、つまり今年の9月10日に、先ほどご紹介した
クルーズ船「ダッチ・アップル」衝突されていたことがわかりました(笑)
なんでも原因は「ダッチ・アップル」のエンジントラブルだったそうですが、
そりゃ「スレーター」は動けないんだからぶつかった方が悪いに決まってるがな。
幸い、大事にはならならず「スレーター」も「ダッチアップル」も
営業を続けていたようでなによりです。
もう1日後だったらアメリカ人にとって洒落にならない日だったので、
そういう意味でもいらない話題にならずにすんだといえるかもしれません。
入館料は大人9ドルと激安ですが、ちょうどこのとき、
艦内ツァーが行われるということを聞き、参加することにしました。
当ブログではこれからしばらくUSS「スレーター」と駆逐艦について
お話ししていこうと思います。
続く。