ニューヨーク州都オルバニーに係留展示されている、
駆逐艦「スレーター」を見学することになりました。
ちょうど艦内ツァーが始まることを知り、売店を兼ねた
ゲストハウスに立ち寄ってみることにします。
スレーターのシルエットとネーム、エンブレムが入ったオリジナルシャツ、
オリジナルキャップもあります。
唐突に自慢ですが、わたしは先日ある自衛隊基地に見学に行った時
お土産にMOCSのキャップをいただきました。
鍔にちゃんと将官用飾りがついているのは大変嬉しいのですが、
帽子のサイドに(普通配置が書いてあることが多い)バッチリ
フルネームが漢字で刺繍されていて、使用する場所を選ぶのが問題です。
アメリカ滞在時専用にしようかな・・。
ワッペンやピンバッジなど、自衛隊内売店と同じような感じ。
1940年代に作成された「正しい水兵帽のかぶりかた」。
「スクエア・ユア・ハット!」は「きちんとかぶりましょう!」みたいな意味かな。
まわりは水兵さんの帽子の被り方あるあるなんですが、
これにつけられたキャプションがスラング多め。
しかし頑張って知識を総動員しいい加減にさっくりと訳していきます。
左上から時計回りに:
「呪いをかけられて縮んだんだね」
「何も聞きたくない」
「首の細すぎるタイプ(帽子をかぶるのに時間かかりそう)」
「洗ってだめにしてしまいましたタイプ」
「これはうざい。(Salty!)前見えてんのか?」(右上角)
「ポール・リビア(独立戦争の英雄)スタイル」
「前後水平(グレイビーボウル)スタイル」
「右舷に傾いてる(特に丈夫な耳を持っていれば可)
「ここになーんにも考えてない奴がいます」(右下角) 「カレッジ・ジョー、あるいはスポーツモデル風」 「フローアフト(後流)スタイル、時々巡洋艦左舷スタイル」 (字が欠けて読めず)(左下角) 「翼みたい」「ライフガードのかぶりかた。鼻の日焼け防止によい」
「小隊長、あるいはセンター陥没タイプ」
絵がいまいちなのでよくわかりませんが、水兵さんなら
これをみてあるあるにウケてしまうのかもしれません。
フェーズ11993−1997
さて、開始を待つために外に出ると、そこには「スレーター」が
ギリシャから廃棄処分を免れてアメリカに帰国し、
展示艦になるまでが写真で紹介されていました。
左)
ギリシャで「アエトス01」として就役していた「スレーター」が
曳航されてニューヨークに到着したところ
中)
凸凹の艦腹になった「スレーター」の塗装の用意が始まる
右)
飛行ブリッジから天井が取り外されている
USS「スレーター」がギリシャからニューヨークの「イントレピッド」
博物館横に帰ってきたのは1993年8月27日でした。
最初の到達目標は、まず艦の浸食具合などを調べ計画を立てることです。
修復の目標は彼女を1945年6月1日の姿に戻すこと。
当時の内装や設備などをしらべ、ギリシャ海軍によって改装されていた
内部は、すべてボランティアによってかつての姿に近いものに戻されました。
修復にかかる費用は、護衛駆逐艦水兵協会が集めた寄付で捻出し、
ボランティアはコネチカットとニュージャージー州の住人から募集しました。
作業はまずギリシャ海軍の仕様を取り除くことから始まり、
この間、艦内の電気システムと空気圧力システム交換するために
飛行ブリッジの屋根を外すという大工事を行いました。
艦体の全ての部分の塗装を行ったことで費用は大変嵩みました。
フェーズ2 1997年から2001年まで
右:ジェネレーター(発電機)ビフォー&アフター
左:飛行ブリッジビフォー&アフター
左:兵員用洗面所ビフォー&アフター
右:CICビフォー&アフター
隣の「イントレピッド」博物館内に置かれた執行部では、
「スレーター」の次の「定係港」探しが行われ、その結果、
1997年10月27日、彼女はハドソン川を遡ってオルバニーまで運ばれました。
ここで待ち構えていたあたららしいボランティアグループは、
マンハッタンで行われていた作業を引継ぎ、次の仕事に移りました。
オルバニーに着いたからには、一刻も早くオープンして
客を集めることが次の目標です。
修復のフィロソフィーは、その安全、そして清潔の許容基準を念頭に置き、
なによりも「卓越性」(=いい仕事)を優先させることでした。
「スレーター」が現役時代備えていたすべての機器や細々したものを
備えた区画を完全に復元する目標は、段階的に実現されていきました。
まず最初のステップは各コンパートメントにすでに存在するものを記録すること。
それからなにが必要かを調べる作業に進みました。
続いての作業プロセスは、ギリシャ海軍時代の改修跡をを削除、つまり
古い塗料を落とし、セラミックタイルの分厚い層と糊をはがし、
彼らが付け加えたスペースを取り壊すことです。
その後、第二次世界大戦時代に実際に使われていた
ブラケットと棚が手に入ったことで金属を加工する仕事は完成しました。
電気の配管関係はコード関係も全てカスタムメイドされ、照明器具は
第二次世界大戦時代の「オーセンティックな」パーツが取り寄せられました。
各コンパートメントはスプレーによる塗装が施され、
新しく設置された機器などはすべて清潔に修復されることを優先しました。
そして最後にデッキが修繕&塗装されて一般に公開されたのです。
フェーズ3 オルバニー 2002〜現在
左から:
ーホエールボートのモーター修理が行われている
ーホエールボートの修理完了
ー海水の浸食で鍍金の4分の1が剥がれた「スレーター」艦腹修理前
艦体の修理は全ての段階において骨身を惜しまぬ努力が払われ、
パーツの調達、設置、装備の改装などは、ボランティアによって
細部に至るまで敬意を払って行われました。
特に「スレーター」のホエールボートは新品のようになりましたが、
これは当時の護衛駆逐艦が運用した26,000ほどの同タイプで
現存する最後のボートとなりました。
2007年に行われた最後の工程は、SL海面探索レーダーと
CICのオペレーターコンソールにインストールする作業と、
マストにアンテナを設置する作業でした。
爆雷を保管するラックと、それを海に落とすための
爆雷プロジェクタのローラーローダーは、ギリシャ海軍が
取り外してしまっていたので、2008年になってメンバーはそれを探す仕事、
そして艦尾の機械室の修復に取り掛かりました。
2010年には艦首側の乗員用トイレ(ヘッド)、そしてデッキの板張り替え、
オリジナルのTBL通信トランスミッターを備えた通信室が完成します。
これらのプロセスによって、「スレーター」は国内でも数少ない
完璧な状態に修復された歴史的軍艦のひとつとなったのです。
それにとどまらず、関係者は決して終わることのないメインテナンス作業を
続け、完璧な状態を常に目指しているということです。
修復開始当初の問題は、「スレーター」の海面にある艦体部分の修復で
ドライドックに上げるためにファンドを立ち上げる必要があることでした。
そのプロジェクトは300万ドルの予算を必要としましたが、
しかし、従来の入館料や寄付などによる収入ベースではそれを見込めず、
関係者としては頭の痛いところだったのです。
艦船の海面下の修復には艦体をドライドックに上げる必要がありますが、
やはり問題となったのは一にも二にも資金です。
「スレーター」が最後にドライドックに入ったのは1993年、
ギリシャ海軍籍にあったときで、それから20年以上経っています。
政府の支援が全く見込めない中、寄付だけで資金集めを行い、
「護衛駆逐艦歴史博物館」は なんとか1400万ドルを得て、
スタテン島のキャデルドックで修復を行いました。
船殻は圧力洗浄され、耐腐食剤が塗布され、海面下部分も新しく塗り直されました。
艦体の塗装には新しいパターンが採用されました。
作業はオルバニーに移転してからもさらに行われ、
タンクの洗浄、ビルジのメインテナンスまで完成し、完璧な状態になりました。
新しいカモフラージュペイントは、完成の日に向けて施されました。
このペイントは地形と同じようなパターンで、目立つようですが、案外
艦体を背景に隠し見え難くする効果があり、艦体の大きさが視認しにくいそうです。
つまりそのことによって魚雷の狙いを外しやすくするという狙いがあるんですね。
とにかく、このこだわり抜いた修復の全ては、かかわった人たちの
熱意と完璧なものを作り上げたいという執念のなせるわざだったといえましょう。
さて、というところがわかったところで、見学ツァーのスタートです。
心して見せていただきましょう。
続く。