USS「スレーター」、メインのギャレー、艦首を周り、
メインデッキのオフィサーズ・アイランドを見学しました。
メインデッキの士官用ダイニングには、専用のキッチンが
カウンター越しに隣接しています。
駆逐艦は小さいですが、下士官兵と士官は食堂はもちろん、
食べ物を作るキッチンも別にあります。
そもそも士官は食べるものが別なのですから当然ですね。
士官居住区域の部屋は「ステートルーム」と称しますが、要は
寝室兼ラウンジ兼オフィスのことです。
彼らの居住区は必ず下士官兵より上の階にあることになっていて、
士官特権を享受していることになっていましたが、実際には
大して差はないのが普通です。
広いとはお世辞にもいえないスペースに衣類全部、ライフジャケット、
任務用のマニュアル、ヘルメット、そして故郷に残した女の子の写真、
そういったものを詰め込めば、息もできないほど狭くなるのですから。
かろうじてカーテンで仕切られたベッドがプライバシーの保てる唯一の空間です。
また、海軍士官にとってペーパーワークというのはなかなか厄介な仕事で、
たいていは消灯後に行われましたが、狭いスペースではライトは暑いし、
訓練や戦闘、その他諸々の出来事を毎日日報に要約して書くのは大変です。
加えて、スケジュールや要請する物品の目録なんてものも、
この小さなオフィスで全てを仕上げて提出しなくてはいけません。
しかもペーパーワークだけやっていればいいというわけでもないので、
彼らは故郷に手紙を書く時間もろくに確保できないのが普通でした。
士官のオフィサーズ・アイランドのあるメインデッキを一階下に降りると、
そこは「ファースト・プラットホーム・デッキ」です。
前方から「ボースンズ・ロッカー」と呼ばれる掌帆長の倉庫、
後ろにあるウィンドラス・ルームに繋がる索を収納する倉庫があります。
その後方は
その後方にあるのが、チーフ・ペティ・オフィサーズ・クォーターです。
英語でCPOといい、裁定10年から20年という長期間にわたる勤務経験、
優れた評価スコア、筆記試験のパスを経てのみ到達する下士官の最上級階級。
アメリカ海軍では
「CPOは神である」
と自称してしまうくらい(笑)実権を行使する存在です。
一般の工場の人事に例えると、「職工長」がいちばん近いでしょうか。
彼らは豊富な経験を生かして下級の指導を行うほか、士官と兵の間で
両者の橋渡しをするような役も担います。
賢明な士官は、彼らの存在を立てて、重要な決定をする際には
意向を尊重するのが海軍の重要な倣いになっているのです。
たとえば「スレーター」のような駆逐艦には「チーフ」は
技術を要する各所につき一人ずつ配置されていました。
掌帆、銃撃手、水雷、通信、書記、操舵、倉庫管理、購買部、
ソナー、信号、消防、電気関係、機関、エンジン。
つまり、この全部のトップですから十四人ということになります。
しかしながら戦時は人手が不足するので、しばしばCPOではなく
その下の一等、あるいは二等海曹がこの役割に就くケースも多かったのです。
彼らが食事をするスペースはCPOメスといいます。
小さな調理オーブンと冷蔵庫、シンクが装備されていて、
彼らはここで調理されたものを同じ場所で食べていました。
食事には、下士官兵が使用していたあの金属製のメストレイではなく、
士官が使うような海軍マーク入りの陶器の食器を使っていました。
食器が陶器か金属かというのは、彼らにとって大きな違いだったようです。
CPOの居住区は、下士官兵のそれと比べるとかなり独立していて
「つまみにするくらいは」プライバシーが保たれていました。
ただし、寝台のスペースに関しては私用共用の境目は曖昧でした。
特に変わりやすい海象における任務は規則的ではなかったからです。
海軍には洋の東西を問わず面白い隠語がたくさんあるものですが、
そのひとつとして、「ゴートロッカー」というものがありました。(あります?)
CPOの寝室のことをほかの乗員が称していたもので、どういう意味かというと、
まず、チーフ・ペティ・オフィサーの連中のあだ名が「ゴート」。
ヤギという動物は英語圏では強情で気が強く、目的には
まっすぐ頭ごと突っ込んでいくイメージがあるのですが、CIC連中は
まさにこの「オールドゴート」の集団、というわけです。
その強情なヤギさんを収納しておくところだからゴート・ロッカー。
実はヤギというのは早熟で繁殖力が強いことから、「好色」の意味もあり、
また、古代ユダヤ人によると、原罪を持ったまま世に放たれた存在だったり、
ヒツジとは対照的に破壊的な性質を持っているから悪魔的、というイメージもあります。
まあ、そういう色々を含めてCPOってヤギっぽいよね、ということに
いつの間にかなっていったのではないかと想像されます。
しかしながら、だからこそ海軍にはなくてはならないバックボーンとして
機能してきた実力集団であったのも事実です。
ちなみに、このCPOには「manly」なイメージを誇示するためか、
髭を立てている人がものすごく多いわけですが、我が日本の海上自衛隊でも
髭が無茶苦茶サマになっている先任海曹を時々お見かけします。
そしてその後ろにあるのがクルーメス、乗員のダイニングです。
このコンパートメントには乗員のバンク(寝床)がありますが、
ここは乗員といっても「エンリステッド・セイラー」、下士官の居住区です。
こちらは下士官用のギャレー。
流石にコーヒーカップは陶器のものが使われていたようです。
そしてこのテーブルと座りにくそうな長椅子が、彼らの寛ぎの場所。
フネが時化たら皆すべっていきそうです。
各自のライフジャケットなども持ち運び式のものが用意されていました。
下士官たちはこの三段のキャンバスで就寝していました。
皆で閲覧する雑誌や新聞なども用意されていました。
USS「スレーター」の下士官たち、同じ場所で撮られた写真です。
右の二人は銃の使い方について情報交換でもしているんでしょうか。
バンクの上のU.S NAVYと書かれたものは多分海軍毛布だと思います。
これも、大西洋の船団護衛勤務ではもっと分厚いものが支給されたでしょう。
各自の持ち物を入れるロッカーは、ベッドの下段のこのスペースだけです。
CPOは縦型のロッカーをもらえたので大きな違いがあります。
乗員の数に対してスペースが狭いのでいつも混雑し、
混乱する(あ、だからクルー・『メス』なのかなんて)居住区ですが、
航行中は夜でも「ワッチ」と呼ばれる見張り業務に3分の1が勤務し、
残りの乗員でベッドを使うというのが常態となっていました。
ワッチは深夜0時と朝の4時に交代します。
乗員は交代のときにはほかの乗員を起こさないように
できるだけ静かに、素早く暗闇の中で衣服を身に付けます。
こういった環境下では、互いの配慮が、生活状況をできるだけ
耐えやすくするための最も重要な留意点でした。
船乗りたちの眠りを妨げないために、夜は赤灯だけが点灯されていました。
下に物入れがある上、さらに食事の際に腰掛けるので、
ベッドの下段は毎日跳ね上げて使っていたようです。
ただし、これらの設備は本当に「スレーター」で使われていたのではなく、
全面的な改装を行った時に全米から集めてきたものです。
なぜ根本的な改装工事をしなければならなかったかというと、
「スレーター」はいちどギリシャ海軍に譲渡されて使い倒された末、
廃棄が決まって放置されていたのをアメリカが買い取ったからでした。
1993年、ギリシャからアメリカに帰ってきた時の「スレーター」、
改装前の艦内各場所の写真が展示してありました。
海軍違えば軍艦も違う、というわけで、ギリシャ海軍時代に
手直しされて使われていた部分がけっこうたくさんあったのです。
当時の雑誌が見開きでおかれていましたが、なぜこのページなのかは不明。
壁のサーチライト、スピーカー、説明の紙。
これらもすべて改装後に設置された「どこかの船のもの」です。
ギリシア海軍時代のものは全て取っ払って箱の状態にし、
それからアメリカ国内で集められた第二次世界大戦中の内装設備を
吟味して取り付け、今日の形になりました。
こちらは下士官用の食事テーブル。
食事テーブルはいくつかに分かれています。
最初に見学したギャレーで作られた料理は、梯子で下ろされて
ここに運ぶことになっていましたが、荒天の航海中においては
日常的でありながら簡単な作業ではありませんでした。
しかし、のちにこの問題は改善されました。
従来の駆逐艦クラスでは、ギャレーとメスデッキの間に
密閉された通路がなかったため、メスのコックは
食材とともに波のうねりに耐えなければなりませんでしたが、
そのうち艦体の長い護衛駆逐艦が現れ、そこでは
メインデッキに通路が設置されており、料理人は
食べ物を梯子で運ぶ必要がなくなったのです。
めでたい。
何かあった時に閉めるハッチやドアのマークですね。
日本でもおなじ記号が使われているようですが、
◯でかこんだ『W』だけは見覚えがないような気がします。
(忘れているだけかも)
XのときはXだけ閉めればいいけれど、YのときはXとY、
ZのときにはX、Y、Zと閉めることになっている、という法則が
わかりやすく表にされています。
メスデッキの係はつねに交代制だったので、マニュアルが一から記されたものが
つねに目につくように貼られていました。
コンロは電気式。
この蚊取り線香みたいなぐるぐる渦巻のコンロは、今でもアメリカでよく見ます。
最初に住んだアパートのキッチンもこれだったなあ。
アメリカでは火事を防ぐためなのか、オール電化の住居が多い気がします。
その向こうにあるのはコーヒーサーバーですね。
各寝台はカーテンで囲むことができて、そこが
トイレと並んで唯一の「プライバシー空間」となります。
ところで、この区画には海軍式ハンモックが吊られていました。
旧日本海軍の艦船では皆ハンモックで寝ていて、この吊り床は
日露戦争の日本海大戦の絵でも、畳んで筒状にしたものを
艦上の安全クッションにして使っていたようですが、アメリカ海軍の展示では
帆船以外では初めて見るものでした。
居住区は常に混雑しているため、メステーブルをギリギリまで長く
たくさんの人数が座れるように作らねばなりません。
そこで、ここで寝なくてはならない人もでてくるわけで。
その可哀想な係のためにハンモックが取り付けられていました。
ハンモックの上には帽子、制服、靴、本、トランプなど
乗員の「全財産」が積み重ねて置いてありました。
メスデッキの仕事はこんな具合に割が合わないので、
海軍では勤務期間を4〜6ケ月と決めており、彼らがスキルを学び、
上から評価されると、ここの仕事はようやく「免除」になりました。
これは、海軍が乗員のやる気を失わせないための
ちょっとした工夫ということになりましょうか。
続く。