映画「スパイと貞操」、後半です。
それにしてもこの映画の題名ですが、スパイはともかく後半の
「貞操」ってなんですか、と誰しも思うに違いありません。
そして、実際見てみると、さらに謎は深まります。
映画の中で貞操をどうこう言われそうな立場にあるのはただ一人、
上海陸戦隊の士官だった父を亡くした海軍省勤務の絹子ただ一人ですが、
この女性、事故を契機に近づいてきた大金持ちっぽい男に
花とプレゼントであっさり心を許し、即日デートに応じた上、
二度目のデートで何もかも許してしまうというフリーダムさ。
そもそも貞操を辞書で引くと、
女として正しい操(みさお)。妻として操を守ること。 また、男女が性的関係の純潔を保つこと。とあるのですが、この映画にそういった事案は全くなく、また、
山野と絹子の恋愛も、決して貞操を問われるべきものではありません。
そこでこの映画の制作事情を調べてみると、こんなことがわかりました。
もともと企画段階での映画の題名は
「憲兵と女間諜」
であったそうです。
つまり、今日のタイトルには登場していませんが、山野を好きになって
彼のためにスパイ行為に手を染める絹子のことです。
当時東宝では、脚本の段階でボツになった、いくつかの
「憲兵とスパイもの」があったのだそうです。
たとえば、
「太平洋の薔薇」
日本で教鞭をとっていたアメリカ人教授の娘と、
彼女をスパイとし暗殺せよと指令を受けた憲兵の恋物語。
「太平洋戦争と幽霊戦士」
中野学校出の将校がスパイを捕らえてみたら中野の同級生で、
スパイと思って殺した中国娘は無実だったので、やけになって
終戦後も酒とアヘンに溺れ、浮浪者として行き倒れる。
どちらも面白そうですね(棒)
いずれの作品においても憲兵は「殺人者」として描かれていたのですが、
正義の憲兵というテーマに回帰した企画が、
「憲兵と女間諜」
だったのです。
この企画に登場する男女の恋に焦点を当てた結果、タイトルが
「スパイと貞操」に変わってしまったというわけなのですが、
これはどう考えても、センセーショナルなタイトルに釣られる
一定の層の受けを狙った制作会社の下心からくるものでしょう。
さて、スパイの一人武井に拷問して自白させた情報により、
憲兵隊捜査班は、彼を囮に機密の受け取り場所である
両国駅で張り込みをしますが、憲兵の目の前で受取人もろとも
むざむざと射殺させてしまいます。
犯人はホーム向かいの建物の中から二発で二人をしとめる、
まるでシモヘイヘみたな凄腕のガンマンです。
さて、海軍省勤務の絹子は、上司の目を盗んで
せっせと書類を盗み出しておりました。
しかし、実際に書類を抜いてガーターベルトに挟み、
持ち出すという素人丸出しの仕事ぶり。
これではばれるのは時間の問題です。
そこで山野は彼女にマイクロカメラを与えました。
なるほど、これで効率的に情報が盗み出せますね!
さて、今日もキャバレーに潜入捜査中の小坂に
一人のホステスがお誘いをかけてきました。
部屋に連れ込んで小坂を毒殺する指令が降ったのです。
女は小坂に毒入りの酒を運んできますが、自分のグラスにも
毒が仕込まれているとは思いもせず、一気に飲んでしまいます。
一方、小坂は自分は飲まずに女にだけ酒を飲ませ、
死んでしまった女に寄りかかって死んだフリ。
殺したはずの小坂の持ち物を漁りにきた人物を捕らえてみると・・・。
なんと、山野の秘書、田宮摩美さんじゃありませんかー。
さあ、捕らえたスパイは女ですよみなさん。
「女なら女のような調べかたがある。
恥ずかしい思いがしたくないなら今のうち吐くんだな」
この三流サスペンスみたいなチープな脅し文句、
ベタすぎて逆にワクワクしますね!
それにしても、小坂憲兵隊長の捜査のカンは冴えまくっています。
まず、田宮摩美が着ていたスーツを作った仕立て屋を突き止めます。
そこに聞き込みに行くと、店主が、
「田宮摩美はもう一着スーツを注文している」
そして別の仕立て師がその仕事を請け負っていると聞いた途端、
「そのスーツの襟をといてくれ!」
と命令するのですが、なんと襟の中にフィルムが縫い込まれていました。
どうしてそこまでわかったのでしょうか。
小坂は受け取りに来る人物を捕まえることにしました。
さっそく海軍の諜報部を呼んでフィルムの撮影会。
なんで海軍かと言うと、海軍から盗まれたものだからです。
「戦艦大和の設計図の一部です!」
砲塔部分ですから、これが本当に盗み出されていたものなら
大変な国家機密が漏れたことになります。
ただし、いくら海軍の人間でも、設計図を見た途端、
「大和です」と即答することはあり得なかったでしょう。
昭和14年というとまだ大和は建造中でしたが、
名前は最終的に天皇陛下のご裁断を仰ぎ、
昭和15年に「大和」「信濃」の二つの選択肢から選ばれたので、
このときは何人たりとも新造艦の名前など知る由もありません。
知っていたとしても「1号艦」あるいは「A140-F6」という仮称だったはずです。
しかも、大和建設は極秘裏に行われ、設計者に手交された
任命書すらその場で回収されたという(それでも配ったんですね)
くらいですから、諜報部とはいえ一軍人が知っていたはずはありませんし、
たとえ百歩譲って知っていたとしても、軽々に艦名を
陸軍軍人に伝えるなどということはなかったでしょう。
というわけで、せっかく海軍に関係あるエピソードだと思ったら、
歴史的考証は無茶苦茶でがっかりしてしまったのですが、
まあしょせん東宝の「スパイと貞操」ですから、こんなものに
史実を求めてもね、ってことで気を取り直して次に参ります。
海軍の情報が通信前に漏洩しているらしいと報告を受けた憲兵隊は、
絹子の勤める海軍省のオフィスで抜き打ち検査を行います。
そこでは山野の意を受けた絹子がスパイ行為真っ最中でしたが、
彼女はとっさに小型 カメラをゴミ箱にいれて乗り切りました。
「わたし、精一杯お芝居しましたわ!」
「ありがとう!それで絹子さん、
ぼくは明日から香港に行って帰ってこられないかもしれない」
「えっ・・」
でも僕は一時の気まぐれであなたを恋したのではない。
僕の生涯で心の底から本当に愛したのは絹子さんだけです!」
「山野さん、香港に連れて行ってください!」
「・・・・ありがとう!行こう、一緒に!」
(´・ω・`)えええ〜?
山野は翌日、絹子を使ってフィルムが仕込まれているはずの
背広をとりにいかせます。
なんだー、やっぱりそういうことだったのねー。
絹子、張り込んでいた憲兵隊に取っ捕まってしまいました。
車の中で彼女がスーツを取ってくるのを待っていた山野は、
その様子を見て両国駅でのように、彼女を射殺しようと銃を構えますが、
あと少しと言うところでどうしても撃つことができません。
まさか山野さん、絹子のことを本当に愛していました?
(-_-)/~~~ピシーピシー
さて、こちらでは女スパイ田宮さんの拷問真っ最中。
「上級機関は誰だ!」
田宮さんなかなかしぶとくて吐きません。
半裸の田宮さんに水なんかもかけたりします。
拷問にもかかわらずスパイだと自白してしまわないのは、
忠誠心というより、スパイだということが決定すれば、
当時の日本では問答無用で銃殺になることを知っているからでしょう。
本作のベースとなった「憲兵と女間諜」には、
男に籠絡され、軍機密を漏洩していた女性(本作における絹子)が
軍事裁判で銃殺の判決を受ける様子が描かれているそうです。
連行してきた絹子には、あらかじめ田宮摩美の拷問の様子を
外から見せて、自白を促すという手が取られました。
さんざん拷問を見せつけておいて、「ホトケの小坂」が、
こんこんと、しかしその良心に訴えるという方法で
彼女を落とすという手練手管です。
「あなたの愛している山野さんも利用されているだけなんだ。
用がなくなればきっと彼も殺される」
そして絹子は、メモの「365」が「熱海の365番」、
つまり王の電話番号であることを自白するのでした。
しかしなぜ彼女が上部機関の電話番号を知っていたのでしょうか。
憲兵隊は電話番号から割り出した王の家に乗り込みます。
こちら、スパイ組織「王機関」の元締め王徳元。
演じているのは江見俊太郎、「憲兵とバラバラ死美人」で
美人を殺す陸軍軍人を演じていた俳優です。
早稲田の政経卒で、学徒出陣で特攻隊に編成されたことがあります。
トップスターではありませんでしたが、演劇一筋で、舞台のほか
時代劇や特撮ものにも多く出演し、のちに俳優連合の副理事長、
芸団協常任理事、東京芸能人国保理事長として俳優の権利向上、
生活向上のための諸活動にも取り組んだという人でした。
さて、熱海の王の家では、テーラーや港湾会社社員などの
「手下」とともに王が香港にトンズラしようとしていたら、
そこに憲兵がやってきました。
浜辺から船で脱出しようとする一味を追って、
小坂率いる憲兵隊一個中隊は熱海の海岸にやってきました。
一人また一人と憲兵隊に仲間を射殺され、浜辺を全力疾走する王機関の人々。
逃走用の船を用意していた義足の男と一緒にいたのは・・
「山野さん!」
「絹子さん!」
銃弾の飛び交う中、衣子はハイヒールで砂浜を駆け出し、
転んで靴を脱ぎ、また走り出すのでした。
男もまた思わず駆け出していきます。
心の底から本当に愛した(らしい)女性を抱きしめるために。
そんな二人を王の凶弾が襲いました。
「やまのさん・・・・」_(:3 」∠ )_
「きぬこさん・・・・」_ノ乙(、ン、)_
瀕死の山川が胸から取り出したのは、絹子が置いて行った
プレゼントのコンパクトでした。
その山野の手にエメラルド の指輪をつけた絹子の手が伸ばされますが、
ついに二人の手か重なりあうことはありませんでした。
そこで、王らをすべて射殺し終わった小坂少尉が、
お節介ながら二人の手を重ねてあげることにしました。
「これでよしっと」
もし死なずに済んでもどちらも銃殺は間違いなしだったので、
彼らにとって最良のハッピーエンドと言えるかもしれません。
ところで、原作者である元憲兵、小坂慶助ですが、
特高として捜査に加わった事件は、
甘糟事件・虎ノ門大逆事件・田中義一大将事件、三百万円機密事件
三一五事件・四一六事件・濱口首相狙撃事件・十月事件・五一五事件
相沢中佐事件・二二六事件・宮城内局寮放火未遂事件
などなど、もし全部本当だとしたら昭和史そのものの只中にいたことになります。
そして終戦間際に外地に出征し、帰国してきた途端、上海の軍事法廷で
死刑求刑、結果禁固三年の刑に服しています。
出所後は、憲兵についてのいくつかの著書を上梓ししましたが、
その後の行方や没年等、一切不詳のままだそうです。