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アルディーティとシュトゥース・トルッペン(突撃歩兵)〜ウェストポイント博物館・第一次世界大戦

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アメリカの陸軍士官学校、ウェストポイントにある軍事博物館の展示から
第一次世界大戦に関するものをご紹介しています。

第一次世界大戦の白兵戦

まるでマンガの原始人が持っているようなトゲつきの棍棒、
各種ナイフ、鉄条網カッター、そしてバックミラーになる剣。

これらはすべて第一次世界大戦参加国軍隊が塹壕戦で使用された武器です。
ミリタリーナイフも、塹壕における白兵戦で用いられるためには
特別の仕様を必要としました。

ドイツ軍とオーストリア軍は従来のデザインのナイフを使い続けましたが、
塹壕では戦闘時を除いて役に立たなかったといわれます。
展示されているアメリカ軍のナイフ(左端)とベルギー軍のナイフ(右端)は
どちらも「刺し」専門です。

いずれにしても相手に肉薄したときには、ナイフよりも拳銃、銃剣、
なんならトゲつき棍棒の方が有効だったと言えるかもしれません。

事実、塹壕陣地の制圧のためには歩兵による白兵戦がまだしも有効で、
したがって、ナイフや銃剣、スコップといった、まるで
中世と変わりない武器がまだまだ現役の状態でした。

 

この中では一番新しいのが右端のアメリカ製で1917年タイプ。
このライフルは第二次世界大戦でも引き続き使用されました。

そして、下に脚を立てて置いてあるのがフランス製の軽機関銃です。


第一次世界大戦には近代兵器が次々と投入されました。
迫撃砲。航空機。ガス。

しかし、ヨーロッパ全土を覆い尽くすような塹壕が前線となったとき、
技術的にも未熟なそれらの武器で戦況を打開することはできませんでした。
まず、塹壕そのものが時を経るに従い、鉄条網で強固に守られていったこと、
そして塹壕陣地を防衛する、恐るべき兵器が登場していたからです。

第一次世界大戦に参加した人々が初めて遭遇した恐るべき兵器、機関銃です。

機関銃と塹壕

写真下は、第一次世界大戦で使用された機関銃、
ルイス軽機関銃です。
下の菊の御門みたいなのは弾薬マガジンで、
弾薬が5発消化された状態で展開して展示してあります。

機関銃による弾幕射撃の中、突撃する歩兵は易々と倒されていきました。

人海戦術など、生身の人間が行う限り、この新兵器の前には
全く無力であることがあらわになったのです。

そのため、戦線は膠着し、いたずらに人命だけが大量に失われていくばかり。
第一次世界大戦が、開戦時は想像もされていなかった総力戦となり、
長引いて終わらなかった原因の一つは、機関銃にあったのかもしれません。

 

シュトゥース・トルッペン(ドイツ突撃歩兵)

さて、前回、イタリア軍のアルディーティという特殊部隊の制服をご紹介しましたが、
すこし、このことについて詳しく触れておきたいと思います。

突撃歩兵(Stoßtruppen シュトース・トルッペン)

という言葉は、パンツァー関係に萌える層でも馴染みがないかもしれません。

 

繰り返しますが、第一次世界大戦の象徴ともなる塹壕陣地は、
野砲による攻撃、航空機、戦車、毒ガスなどという新兵器をもってしても
戦局を打開する決め手になりませんでした。

その頃ドイツ軍がその硬直した塹壕戦を制すべく生まれたのが、

「浸透戦術」(Infiltration tactics)

と連合軍の呼ぶところの戦法でした。

その戦術の思想をあえてひとことでいうならば、

「正面突破ではなく、弱いところから浸透するように突破する」

特に選抜されたメンバーによる小隊が、迅速に塹壕に肉薄し、
敵を制圧しているうちに残りの軍勢が全体に攻勢をかけるという方法です。

さらに具体的には、

「攻勢直前に歩兵を最前線に集結させる」

「毒ガス弾を混ぜた短時間での急襲(砲撃)」

「強点を避けて弱点を攻撃する」

というのが攻撃のポイントでした。

1918年にドイツが最後に攻勢をかけ勝利した春季大攻勢では、
突撃歩兵隊は、敵の抵抗の中心を避けて弱いところに回り込み、
それに成功したのちは、真っ先に通信所、そして指揮所を破壊しながら前進。

この戦法で相手(イギリス軍)はたちまち士気を崩壊させられ、
大敗走することになり、前線は大きく後退させられることになりました。

 

この立役者、突撃歩兵が編成されたのは春季大攻勢の3年前のことです。

工兵の中から特に体力に優れ、俊足の若者という条件で
選び抜かれた、超エリート特殊部隊でした。

彼らの任務は、相手の機関銃から自分の身を守るため自ら弾幕を構成し、
敵陣に素早く肉薄したのち、塹壕内を掃射し、制圧すること。

そのためにドイツが開発したのが、彼らの身を守るための短機関銃、
写真の兵士が手にしているベルグマンMP18でした。

この牽制射撃によって援護された突撃歩兵が敵陣まで疾走し、敵に近づけば
短い射程の拳銃をもってしても十分制圧が期待できました。

春季大攻勢の大勝利は、突撃歩兵とMP18のおかげだったといえましょう。

少なくともこの戦いでドイツは大きく前線を前に進めることになり、
その結果、ドイツ軍はパリを列車砲の射程に収め、砲撃を行うに至りました。

人々がこの戦いを「皇帝の戦い(カイザーシュラハト)」と呼び、
国内は戦勝祝賀ムードに包まれたというくらいの圧倒的な勝利でした。

ただし、追い詰められていたドイツは、兵力不足の上機動力も足りず、
この大勝利を有利な戦局へとくつがえすほどの余力もなかったため、
敗戦を迎えることになったのは、皆さんもご存知の通りです。

 

アルディーティ(イタリア特殊急襲部隊)

そして、イタリアの特殊部隊、アルディーティについてもご紹介しておきます。

アルディーティの編成理由も、ドイツと同じく塹壕戦の打開でした。
シュトゥース・トルッペンはエリートを選抜して編成されましたが、
こちらはさらに選ばれたエリートに訓練を施して養成したため、
結成はドイツより2年後の1917年となっています。

1万8千人の訓練された兵士、「アルディーティ」の初陣は1918年6月15日。
イタリア王国軍がオーストリア=ハンガリー軍とピアーヴェ川を挟んで対峙した、
「ピアーヴェ川の戦い」です。

特殊訓練された兵士は、口にレゾルザ・ナイフを咥えて川を泳いで渡り、
向こう岸のオーストリア=ハンガリー軍の陣地を攻撃しました。

「arditi」の画像検索結果

アルディーティの旗は、髑髏がナイフを咥えている意匠。
もちろんこのときの史実に基づいたデザインです。

「COMSUBIN」の画像検索結果

現在のイタリア軍にはCOMSUBIN(潜水奇襲攻撃部隊)という
特殊部隊が存在しますが、そのマークは「刀を咥えたカイマンワニ」。
もちろんアルディーティの勇士を称えたデザインです。

 

アルディーティは、体力、技術力、そして精神的な強さを考慮して選ばれ、
武器の使用と白兵戦における近接戦闘など攻撃戦術の特殊訓練を受けました。

手榴弾、火炎放射器、射撃などの訓練中に何人もの兵士が殉職しています。

中世の騎士ではありません。
ファリーナというヘルメットを付けたアルディーティの兵士です。

アルディーティがあまりにもカッコ良かったので、バッジやシンボルの多くは
のちにイタリアに生まれたファシスト政権に多用されることになりました。

「黒シャツ隊」の黒も、アルディーティのシンボルカラーから取られています。

 

第一次世界大戦=毒ガス戦

第一次世界大戦というともう一つそれを印象付けるもの、
それは毒ガス戦でした。

写真はドイツ軍のガスマスクと防ガス服。
粘膜を糜爛させるガスがあったため、皮膚を覆い隠す必要がありました。

イギリス軍使用のガスマスク。

ガスを発生させるタンクと、持ち運びのためのバッグ。
小さい魔法瓶のようなものもガスタンクです。

当時、すでに毒ガスの使用はハーグ陸戦条約違反だったのですが、
1914年、ドイツ軍は、それを無視して侵攻したベルギーの小さな村、イーペルで、
風上からイギリス軍陣地に塩素ガスを散布し、前線が崩壊しました。

そのあとは条約などなし崩しに無視されることになったため、
ガス兵器を使用したのはもちろんドイツだけではありませんでしたが、
科学者フリッツ・ハーバーを擁し、化学工業の発達していたドイツで
もっとも多くの毒ガスが製造され、使用されたというのも事実です。

ちなみに、以前もお話ししましたが、マスタードガスは
最初の使用地であるイーペルから取られた

「イペリット」

という名前が広く認識されて今日に至ります。
イペリットは毒ガスの中でも特に浸透性が高く、防護も困難で
前線の兵士たちに恐れられました。

わたしがかつて訪れたウサギ島、大久野島にはかつて毒ガス工場があり、
ここではイペリットも製造されており、日本人はこれを
「きい剤」と呼んでいた、という話をここでしたことがあります。

 

第一次世界大戦の情報戦

第一次世界大戦では、大規模な軍隊が投入されたため、
命令を伝達するのも部隊を統制するのにも、通信が重要な力を発揮しました。

通信方法、それは電信、手旗信号や旗旒信号など目に見えるもの、
通信将校、そしてメッセンジャーなどです。
しかしながらこの戦争の間に革新的なが登場しました。

無線、伝書鳩などです。

塹壕戦では旗旒信号や手旗信号はたちまち敵の狙撃手の的になるため、
電話が主な通信の手段となりました。

 

通信のためのケーブルは塹壕を掘った地面、六フィートの深さに敷設されます。
しかしこれでも依然として大砲の着弾に対しては脆弱だったため、
システムを確立するためにバックアップシステムが設置されました。
そのために注ぎ込まれた時間と労力は莫大なものがあったそうです。

ただし、これらも敵の集音機器によって音を拾われ、
通信が傍受されるという可能性は依然としてありました。

この問題を解決するためには、振動をあえて混合させて聞き取りにくくするため、
当初、ケーブルはいくつかがまとめられて拗られていましたが、
のちにダミーのバイブレーターが取り付けられ、傍聴の問題は解決しました。

また、原始的な無線機はそのものが大きくて、明らかなターゲットとなり、
使用が限定的になっていました。
さらに、壊れやすいという問題も最後まで残ったと言います。

ここに展示されていた電話機は、ドイツ軍使用のもの。

ガスマスクをした兵が、野外に設置した通信機を使って
通信し、その伝令をメモしているところです。

 

 

続く。

 

 


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