Quantcast
Channel: ネイビーブルーに恋をして
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2815

ミズーリ艦上の降伏調印式〜ウェストポイント博物館

$
0
0

ウェストポイントに併設されている軍事博物館の収蔵品は、
アメリカ陸軍ならではの歴史的にも貴重なものが数多くあるのですが、
ここまできて、わたしたち日本人にとって特に注目すべき展示が現れました。

冒頭写真(残念ながらボケてしまいました)は、1945年9月3日、
フィリピンバギオ市のキャンプ・ジョン・ヘイ(Camp John Hay・元米軍保養地)で、
旧日本軍フィリピン総司令官山下奉文(ともゆき)陸軍大将が署名した
降伏文書で、南西方面艦隊司令長官 大川内傳七海軍中将とともに、
どちらも自分の名前を英語で署名しています。

ネットを検索したところによると、昔はここに山下大将が所有していた
日本刀も一緒に展示してあったらしいのですが、どこにも見当たりませんでした。

単に写真を撮り忘れただけという可能性もありますが、このわたしが
ウェストポイント軍事博物館にきて、日本に関するものを
見逃すはずがないので、おそらく展示されていなかったのだと思われます。
(でも実はあったとかならすみません)

ところで、この写真、皆さんも一度はご覧になったことがあるでしょう。

マッカーサーがミズーリ艦上で日本の降伏調印証書にサインしているところですが、
写真のマッカーサーの右手の横、机の上をご覧ください。

なんか万年筆がたくさん置いてありませんか?

そう、マッカーサーはこのサインを5本の万年筆を使って行ったんですね。
もちろん、それを戦利品として取っておくためにですが、なぜ5本も?

そして、そのうちの一本が冒頭写真に写っている万年筆です。
博物館の説明によると、これが

「マッカーサーが最初に使ったペン」

だというのですが、どうしてここにあるのでしょうか。

 

さて、ここで、「赤城」の巨大模型があったエンパイアステート航空博物館の
降伏調印式のミズーリ艦上での写真を思い出していただきましょう。

ほらこれ、これですよ。

マッカーサーの遁走後、後を引き継いでフィリピン軍の指揮を執り、
その結果、降伏して日本軍の捕虜になってしまったウェインライト将軍。

彼を抱き抱えているマッカーサーは、自分の敗走を棚に上げて
ウェインライトがフィリピンで降伏したことを非難し、
おまけに捕虜待遇における叙勲に反対していました。

で、今回初めて知ったんですが、上のサインしているマッカーサーの
後ろに立っている軍人、この人誰だと思います?

ジョナサン・”スキニー”・ウェインライト大将その人なのです。

 

展示には、

「彼はペンをジョナサン・ウェインライト大将に贈呈し、
大将はこれを『大変素晴らしい贈り物だ』といった」

とあります。
この万年筆はウェインライトの息子と思われる、同名の
ジョナサン・M・ウェインライト五世大尉から寄贈されました。

つまり、マッカーサーは、降伏調印文書にサインした万年筆を
その場でウェインライト大将にプレゼントしたのです。

ウェインライトをミズーリ艦上に呼びつけたのは誰か、もう明白ですね。

 

ここで残りの四本の万年筆はどうなったか見てみましょう。

陸軍士官学校ウェストポイント

海軍兵学校アナポリス

妻ジェーン

そして、

アーサー・パーシバル陸軍中将
(シンガポール陥落の時山下奉文に降伏した司令官)

つまり、おわかりいただけただろうか。

マッカーサーは、降伏調印式に、かつて日本に降伏した敗将二人を呼びつけ、
その二人に万年筆を与えるというアイデアを思いついたというわけです。
それなら最後の一本は妻じゃなくて自分がもらっておけば良かったんでない?

という嫌味はともかく、ウェインライトはもちろん、パーシバル中将だって、
「敗軍の将」枠でわざわざクローズアップされたくはなかったと思うがどうか。

マッカーサーという人をわたしは全ての歴史的人物と同じく、
好きとも嫌いとも思いませんが、この後に連合国軍最高司令官として
赴任した日本を

「私の国」(My country)

と呼んでいたことなどと考え合わせると、この万年筆も
ウェインライトの件も、マッカーサーという軍人の外連味というのか、
おべんきょはできても人望がなかったという噂を証明している気がします。

白洲次郎も、畏れながら昭和天皇もマッカーサー嫌いだったようですが、
(白洲はお堀の横を通っても明治生命ビルからは顔を背けるくらい)
このレベルの方々から見てわかる「邪悪」なものがあったのかもしれません。

うがった見方をすれば、降伏調印式の時も、マッカーサーが
本当に呼びたかったのは自分の弱みを握るウェインライトで、
かといってウェインライトだけ招くのは邪推されるので、
無理やり「敗軍の将枠」を作りパーシバルを呼んだのではなかったでしょうか。

マッカーサーは、ウェンライトが周りに唆されたりして
自分について何か言い出す前に、名誉と勝利を分かち合うことで
懐柔し、口を塞ごうとしたに違いないとわたしは思っています。

 

「どうしてこれがここにあるんだろう」

わたしとTOはこれを前に思わず呟きました。
ミズーリ艦上で調印された公式文書(コピーではない)が
目の前のケースに収められていたのです。

まず、マッカーサーがなぜミズーリ艦上が選んだかというと、

1、洋上であれば式典を妨害されることがない

2、ミズーリが時の大統領トルーマンの出身州だった

3、海軍側に花を持たせるため

でした。

ミズーリはかつてペリーが日米和親条約を調印したときに
旗艦ポーハタン号が停泊させていたのと同じ位置に停泊しました。
これら全てもやはりマッカーサーの演出であったそうです。

演出といえば、式中掲揚されていた星条旗のうち一つは
真珠湾攻撃時にホワイトハウスに飾られていた48州星条旗、
もう一つは、1853年の黒船来航の際、ペリー艦隊が掲げたものでした。

そして、海軍では乗艦している最高指揮官、つまりこの場合は
ニミッツに対する将官旗をマストに掲揚するのが慣例のはずが、
この時にはマッカーサーの要求で陸軍元帥旗も揚げられました。

ご存知の通り、マッカーサーとニミッツは誰もが知る犬猿の仲で、
親の仇ではないかというくらい憎み合っていたわけですが、
この特別措置に対し、ニミッツは内心どう思っていたでしょうか。

 

日本帝国政府を代表して重光葵が、そして大本営を代表して
梅津美治郎参謀総長が署名しました。

ところで、実物の署名を見てわたしが思ったのが、筆跡の乱れです。
両名ともに字はかすれ、梅津大将は書き直しをしているなど、
ご本人たちには不本意な書だったのではと慮られます。

改めて重光全権大使のサインする姿を見て納得しました。
足の悪い重光氏がテーブルに手をついて、立ったままサインしています。

ちなみに右側で重光氏のシルクハットとステッキを持っているのは
内閣情報局第三部長、加瀬俊一氏。
前にも書きましたが、オノ・ヨーコの伯父さんに当たります。

それでは梅津大将のサインしている姿をご覧ください。
やっぱり立ったままで、中腰になってサインしています。

こんな姿勢ではちゃんとした字が書けるわけがありません。
他の代表の署名中の写真を見ると、座っている人もいますが、
この状態を見るかぎり、座るとサイン出来なさそうですね。

東京湾 1945年9月2日0908、
アメリカ合衆国、中華民国、英国、ソビエト連邦、そして他の関連する
対日戦争の連合国において受け入れられる。

連合国軍最高司令官総司令 ダグラス・マッカーサー

「マック」と「アーサー」の間が離れていて最初誰のサインかわかりませんでした。
これは、いうまでもなく、名前を5本のペンで書いたからです。
「ダグ」「ラス」「マック」「アーサー」「tの横棒」
と分けたのではないかと思われますが、どうでしょう。

その後、各国代表者がサインを行いました。
マッカーサーはこのときアメリカ合衆国代表をニミッツにして、
海軍に花を持たせる配慮をしています。

上から順番に、

アメリカ合衆国代表 チェスター・ニミッツ海軍元帥
中華民国代表 徐永昌陸軍大将
イギリス代表 ブルース・フレーザー海軍大将
ソ連代表 クズマ・デレヴャンコ陸軍中将
オーストラリア代表 トーマス・ブレイミー陸軍元帥
カナダ代表 ローレンス・コスグローブ陸軍大佐
フランス代表 フィリップ・ルクレール陸軍大将
オランダ代表 コンラート・ヘルフリッヒ海軍大将 
ニュージーランド代表 レナード・イシット空軍少将

この署名の時、カナダ代表のコスグローブ大佐が、勘違いから
ポカミスをやらかしました。

ここにあるのは連合国用ですが、関係者がもう一種類、
日本用に同じ書式にサインしたとき、コスグローブ大佐、
まちがえて、自分の欄ではなく一段下にサインしてしまったのです。

これが日本用。
カナダ代表の欄が空欄になっていますね。
コスグローブ全権がフランスの書名欄にサインしてしまっています。

Cosgrave CANADA 1945.jpgコスグローブ・只今チョンボ中

その後の流れはこうでした。

フランス代表→気づかずオランダの欄にサイン

オランダ代表→間違いに気づくもマ元帥に言われてニュージーランド欄にサイン

ニュージーランド代表→やはり気づくも仕方ないので欄外にサイン

つまり戦犯?はカナダ代表だったのですが、サインが終わると、
彼は皆とともに祝賀会のため艦内に入っていってしまいました。
(この祝賀会には日本代表は呼ばれなかった模様。当たり前か)

 

気づいていたオランダ代表が祝賀会に向かう前に日本代表に、

「これ、カナダさんが間違えてるんですけど・・いいんですか?」

日本側、困惑。

サザーランド中将「まま、ひとつここはこれで・・・・。
(連合国用には間違いはなかったし、どうせ日本用だから)」

重光葵「不備な文書では枢密院の条約審議を通らない!」

日本側「もう一度各国代表にサインし直しさせてもらえませんかね?」

サザーランド「皆食事中だしだめですな(そんなこと俺言えねーよ)」

日本側「そこをなんとか・・・・」(必死)

サザーランド「仕方ないなあ、じゃ私が訂正サインしますよ。
  ならいいでしょ。これで我慢して。ね? ちょちょいのちょいと」

というわけで、日本側も納得し、9時半に下艦を行いました。

実物をもう一度見ていただくと、左側にサザーランドのサインが4つあり、
代表の国名も手書きで直してあって、実に適当な感じです。

こういうことに人一倍?きちんとしていないと気が済まない国民性ゆえ、
全権団は、これによって敗戦の屈辱をことさら噛み締めたに違いありません。

 

ちなみに、このとき、ミズーリ上空ではアメリカ海軍機の編隊と、
陸軍のB-29爆撃機が祝賀飛行を行っていたそうですが、
艦上ではそういう騒ぎになっていたため、少なくともサザーランドと
日本代表はこれを見ている場合ではなかったと思われます。

 

続く。

 


Viewing all articles
Browse latest Browse all 2815

Trending Articles