今日は最後に近づいたので、ウェストポイント軍事博物館の展示から
ウェストポイントそのものの歴史に関する資料をご紹介します。
あらためて博物館エントランスを入ったところから。
博物館のオープンは1854年、世界で最も古い軍事博物館です。
入ったところには伝統のグレーの肋骨服を着た
カデット(士官候補生)のマネキンが立っています。
1800年代前半ごろの制服。
どう見てもブルーですが、陸軍的にはこれもグレイなのかもしれません。
世界の海軍が黒の軍服を「ネイビー」と言っているように。
最初にウェストポイントに軍隊を置いたのは、イギリス植民地支配に
対する反乱軍である「大陸軍」でした。
ジョージ・ワシントンは大陸軍の軍の最高司令官です。
冒頭写真に、ここウェストポイントの前を流れるハドソン川の
S字にカーブした部分をイギリス海軍の遡上を防ぐのを物理的に阻止した、
「ザ・チェーン」の一部が写っています。
陸軍士官になるための初級訓練は1794年からここで行われ、
その主な訓練は砲撃ともっぱら工学の研究でした。
最初に軍事アカデミーを成立する法案を通したのは、
あのアレクサンダー・ハミルトンであり、設立を指示したのは
時の大統領、トマス・ジェファーソンです。
ヨーロッパで、ナポレオン率いるフランスとイギリスの間に
次第に戦雲が立ち込めてくるような状況になってくると、
そこにアメリカが巻き込まれる可能性が濃くなってきました。
そこでジェファーソンは大統領として、アカデミーの初期の開発を
慎重に指図し、民主的価値と国家の基礎を築くために不可欠な原則に
献身することができる入学候補者を厳選したのです。
これらの選ばれた若者たちは陸士を卒業後、国家の軍事指導者としての
階級を与えられ、より貴族的で保守的なメンバーとして他の将校の上に立ちました。
ジェファーソン個人は科学に並ならぬ関心を持っていたため、
新しい共和国における科学事業の発展を奨励するという観点から、
1802年3月16日、アメリカ合衆国初の工兵隊を成立させました。
7人の司令官と10人の士官候補生で構成された工兵隊は、そのまま
ウェストポイントに配置されて、最初の軍事アカデミーの祖となったのです。
あー、本当にこんな人だったんだろうなあ、と思う肖像画ってありますよね。
ジョセフ・ガードナー・スィフトJoseph Gardner Swift
(1783−1865)1802年卒
は最初のウェストポイント卒業生10名のうちの一人です。
士官学校成立が間近というとき、ジョン・アダムスはこの優秀な若者を
工兵隊にスカウトし、彼は初めてのウェストポイントの卒業生になりました。
10名の中でおそらく一番優秀だったようで、彼は25歳で少佐、
29歳で陸軍最高技術者、30歳で陸軍士官学校の学長にまでなっています。
開校した頃の陸軍士官学校。
右は、最初の陸軍士官学校最高責任者、
ジョナサン・ウィリアムズ大佐(1751−1815)。
この人が、最初のウェストポイントの十人を育てた教授の一人です。
この真ん中の肖像もスィフトです。
左は、オルデン・パートリッジ(Alden Partridge)1806年卒。
この人も初期の卒業生で、卒業するなりウェストポイントの教授になりました。
パートリッジは士官候補生のユニフォームを最初にグレーのものに、
そしてレザーのドレスキャップを制定した人です。
陸軍士官学校の「ロング・グレイ・ライン(長い灰色の列)」
という言葉はこのときに生まれることになったのです。
ここに展示してあるプレートは、新しく制定された
シャコー帽と言われる庇のある円筒形の帽子の飾りに使われました。
この時代から、帽子につけるプレートを、アメリカ陸軍では
「フライド・エッグ」🍳
と呼ぶ習慣が生まれたということです。
海上自衛隊では正帽の庇の金の刺繍を「カレー」と呼びますが、
この習慣もたどっていくとこのあたりから始まっているのかもしれません。
真ん中のがシャコー帽、金のプレートはフライドエッグです。
左は南北戦争の頃の帽子に見えます。
右の軍帽は、世界的に1900年代初頭まで使用されたタイプですね。
当時アカデミーで使われていた実験道具などなど。
左から:
プリズム投射機、顕微鏡、ダニエル湿度計、
ガラスの提灯のようなものは、フランスで買ってきた発光装置。
一番右は物理の授業で実験に使われた「ダブルコーンと傾斜面」と言う機器。
Double Cone and Plane
ダブルコーンを傾斜面に置くとあら不思議、登っていくではないですかという実験ですね。
実験道具の上の額に入っているのは、1923年卒業生の卒業証書(ディプロマ)です。
こんなでかいものどうやって受け取ったんだ・・・。
1827年に描かれたウェストポイントの様子です。
画家ジョージ・カトリン(1796-1872)は1827年にハドソン川沿いに
ウエストポイントにやってきてアカデミーのこの絵画を制作しました。
上は北向きの方向で、訓練する士官候補生が描かれています。
下は南を見たところで、砲撃の訓練が行われているところです。
画面右に見えるオベリスクは、1812年独立戦争の戦闘で戦死した
エリエイザ・D・ウッド大佐(1806年卒)を顕彰するために建てられました。
写真が一部欠けてしまいましたが、ギルバート屈折潜望鏡です。
どうやってつかうかというと、これですよ。
特に塹壕戦でお役立ちだったんですね。
アカデミーの形成期には、多くの科学機器や教科書を
パリやロンドンから取得する必要がありました。
理由は単純で、この国ではまだそれらは入手できなかったからです。
この屈折望遠鏡は、1816年頃にロンドンの会社から
自然および科学実験クラスのために購入されました。
上に写っている卒業証書のちゃんとした画像をどうぞ。
この屈折望遠鏡は、現在もウェストポイントの卒業証書の
デザインにあしらわれています。(右側太鼓の上)
ここからはカデット生活をご紹介していきます。
1900年、絵画クラス。
陸軍士官学校に美術のクラスがあったとは驚きです。
当時は絵を描けると作戦立案にいいことでもあったのでしょうか。
1905年、エンジニアリングの授業。
測量のクラス、1907年。
陸軍の場合砲撃に測量は大変重要な技術です。
1905年、実験中。
みんな授業中でもやけに姿勢がいい。
いきなり時代は遡って1869年の小クラス授業中。
カデットが在学中に描いた「オールドノースバラック」校舎。
ペンと水彩で紙に直接描いたものです。
これを描いたアルバート・ニスカーン候補生(1886年卒)は
最終的に准将にまで昇進しました。
准将になったニスカーン
「ラリー・オン・ザ・カラーズ」(結集された色)
というタイトルの、写真をもとに描かれたイラストです。
ルーファス・ゾグバウム Rufus F. Zogbaum(1849−1925)は
アート・スチューデント・リーグという、
現在もニューヨークにある名門美術学校で勉強しました。
この学校に学んだそうそうたるアーティストにはイサム・ノグチ、
ベン・シャーン、ノーマン・ロックウェル、ジョージア・オキーフ、
ジャクソン・ポロック、ロイ・リキテンスタイン、ピーター・マックス、
そして高村光太郎、葉祥明などがいます。
ゾグバウムは特に陸軍、海軍などを題材に描いた画家でした。
このイラストは、1887年、ハーパース・ニュー・月刊マガジンのために描かれました。
ゾグバウムの作品、ハーパースに掲載されたもの。
後ろに見える戦艦は第一次世界大戦ごろの艦影ですね。
これもルーファスの作品。
南北戦争の一シーンを描いたものです。(´;ω;`)
ついでに?今回検索していて見つけたお宝?写真。
これ、だーれだ。
今アメリカの政治家である意味最もホットな🔥(熱い)男、
マイク・ポンペイオ国務長官のウェストポイント時代のお姿です。
ウェストポイント卒業時の成績はトップで、卒業後は機甲部隊に所属、
その後ハーバード大学ロースクールで博士号を取得しています。
ちなみにポンペイオの名前の発音について、ある議員が、
「ぱんぴーお」でないと誰のことかわからない!と
なぜか激怒していましたが、どっからどう聞いてもポンペイオです。
ポンペイオ長官、今ではご存知の通り、
金書記長と似たり寄ったりの体型になっておられますが、
さすがにウェストポイント時代はスマートですね。
続く。