スミソニアン博物館には、ご覧の
マクドネル FHー1ファントム
を展示しているコーナーで、ジェット機の歴史を紹介しています。
まずはこの1945年に制作された、世界最初のジェット戦闘機について
展示の内容をご紹介していきたいと思います。
FH-1ファントムは、アメリカで生まれた史上初の純粋なジェット推進機で、
離陸と空母からの発艦が可能であり、最初に海軍と海兵隊に導入された
ジェット戦闘機です。
海軍の要望に応えてまだ若かったマクドネルエアクラフト社が1943年、
XFD-1として開発し、1945年の1月には初飛行を行っています。
1946年には、アメリカ海軍のジェームズ・デイビッドソン少佐が
XFD-1を海上のUSS「フランクリン・D・ルーズベルト」から発艦させ、
着艦にも成功しました
■史上初の空母離着艦実験
デイヴィッド少佐の操縦するXFD-1。
フックが降りているのでこれから着艦でしょう。
ちなみに冒頭写真はファントムを後ろ下から見上げているので、
画面上方にこの着艦フックがあるのが確認できます。
ファントムの前のデイビッド少佐(右二人は中将ズ)
ファントムは60FH-1sだけが製造タイプになりました。
運用上のキャリアこそ、より優れたパフォーマンスを備えた
新しいジェット戦闘機の出現によって制限されることになりましたが、
汎用性、耐久性、そして戦闘における効果は、
その後の航空機設計の成功への道を開いたといえます。
XFD-1の初発艦の準備をする「ルーズベルト」の乗員たち。
前年の1945年12月に、イギリス海軍がジェットエンジン搭載の
ハビランド・ヴァンパイア
の空母離着艦実験に世界で最初に成功していたため、
こちらはアメリカ最初の実験となりました。
ファントムの配備が始まったのは実験成功の翌年1947年7月からです。
最初に受領した部隊はVF-17A、彼らはU.S.S「サイパン」で
艦載機搭載部隊としての選抜試験をうけ、訓練してきたメンバーであり、
1948年から正式に部隊運用を開始しました。
彼らはこれで世界で初めてジェット戦闘機を艦上で運用した部隊となりました。
VF-17Aのパイロットは176回にわたる離着艦を繰り返し、
戦闘行動をシミュレートしましたが、ファントムはそのすべての要求に
完璧に応え、空母ベースのジェット機の運用に多ける基本的なコンセプトの
健全性を証明し、ここに海軍航空の新しい時代が幕を開けたのです。
FH-1ファントムを最初に運用した海兵隊ユニットはノースカロライナの
チェリーポイントにあった海兵戦闘機隊122です。
MF-122は、「フライング・レザーネック」という曲技飛行チームを結成し、
この機体を使って高い評価を受けました。
「レザーネック」は海兵隊の別称で、昔は革製だった立ち襟からきています。
アレスティングケーブルを超える機体を息を飲んで見つめる「FDR」乗員たち。
デイヴィッドソン少佐の空母「FDルーズベルト」からの発艦試験は
それまでのピストンエンジン搭載戦闘機時代の終了と、
ジェット時代の始まりを表していました。
ターボジェットによる機体の急激な加速力と減速力が
発艦と着艦に適しているかについては懸念もありましたが、
ファントムはそのテストにパスし、それらを証明したのです。
■艦隊におけるファントム運用
USS「サイパン」のカタパルトから射出される寸前のFH-1。
矢印が何のためについているのかはわかりません。
ここに立っているジェット後流で危ないという意味かな?
ファントムは空母から発艦するのに122mあれば十分でしたが、
カタパルトがジェット時代のスタンダードになったわけは、
それだけ甲板のスペースを駐機に使えるという理由によるものです。
LSO(着艦信号士、ランディング・シグナル・オフィサー)が、
アプローチしてくるファントムのパイロットに、正しい高さとスピード、
角度を機体が保っているかの信号を送っています。
シグナルパドル(わたし着艦うちわと勝手に呼んでました)は
1950年代まで着艦の補助に用いられましたが、高度の高い位置から
アプローチしてくる新しい飛行機のために、そのうち
フレネルレンズ式着艦装置に置き換えられていきます。
このシステムは、着艦デッキの中心線に並行のビームを投影し、
適切な機位を教えるものですが、近づいてくるパイロットには
黄色い楕円が見え、彼らはこれを「ミートボール」と呼びました。
初着艦で、着艦フックを最初のアレスティングケーブルにかけるXFD-1。
ファントムは安定した時速153kmでのアプローチを行いました。
■ ファントムの遺産
時速966kmのF2H-1 バンシー(Bansheeスコットランドに伝わる妖精の名前)
はFH-1の発展型で形はほとんど同じというくらいそっくりでしたが、
より大きなエンジンと燃料タンクを持ち、翼と尾翼はより薄く、しかしながら
翼の面積は大きく改良してありました。
空母「ルーズベルト」での実験の結果から、その性能に感銘を受けた海軍が
注文したのがこのバージョンです。
およそ900機がH-1からH-2に移行するまでに生産され、その中には
夜間戦闘機、写真偵察機、戦闘爆撃機などのバージョンを含みます。
ファントム1のサウンドデザインコンセプトはバンシーによって発展し、
それはF-101 ブードゥーに引き継がれ、最終的には
F4H-1 ファントムII で結実したといってもいいでしょう。
マクドネル F2-H2 バンシー
編隊飛行を行うバンシー。
F2H-1からこのF2-H2に変更された点は、翼の先に増槽を付け、
航続距離が1・5倍も伸びたことです。
ウェスティングハウスの強力なエンジン二基が取り付けられ、
高度1万5千mでの任務にも耐えました。
マクドネル F2H-4 バンシー
これがバンシーの最終形となったバージョンです。
空中給油ができるプローブを備え、航続距離が伸びたことで
核兵器の輸送任務も可能になりました。
ノーズに探索レーダーを搭載し、4基の20ミリ銃を搭載したタイプは
1959年まで部隊に配備されていました。
マクドネル F-101A ブードゥー
ニューヨークのエンパイアステート航空科学博物館で展示されていた
F-101ブードゥーをご紹介したばかりです。
バンシーをさらに進化させたのがこのブードゥーです。
(そうだったのか)
長距離護衛戦闘機としてデザインされ、空軍が運用していました。
航続距離、高高度での使用に抜群の安定感を誇り、
1954年時点ではアメリカで最も強力な戦闘機とされていたほどです。
カナダ空軍では1980年までサービスを行なっていました。
スミソニアンに展示してあるファントムはどこから撮っても
広角レンズでもない限り機体が全部画面に収まりません。
スミソニアン航空宇宙博物館のFH-1は、先ほどご紹介した
海兵隊のMarine Fighter Squadoron 122(VMF-122)
が運用していたもので、1954年4月、418時間の飛行を終え、
1959年、米軍によって寄付されたものです。
次回からは他の国のジェット機開発について引き続きスミソニアンの展示からご紹介します。
続く。