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マルチな万能機、シューティングスター〜スミソニアン航空博物館

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世界のジェットエンジン開発史について紹介した後、
ジェットエンジン機のプロトタイプ、XP-80「ルルベル」と、
それを開発した天才ケリー・ジョンソン&スカンクワークスについて
一連のブログ記事でご紹介してきたわけですが、今日は
XP-80を進化させたジェット戦闘機、

T-33 シューティングスター(Shooting Star)

のマルチロールぶりについてお話ししようと思います。

スミソニアンのジェット機リスペクトコーナーの壁画には
歴史的には早い時期を表す左の方で飛んでいました。

 

シューティングスターシリーズは多様性に富み、信頼性があり、
戦時、平時問わずいかなるミッションにも適応しうる力があります。

まず操縦が非常に安易であることで、そのことはかつて
プロペラ機からジェット機に転換する過渡期のパイロットが
何千人もこの機体を使って訓練を行ったことが証明しています。

第二次世界大戦中には操縦する機会が全く用意されていなかったにもかかわらず、
P-80はアメリカ空軍にとって1940年代後半の主要戦闘機になりました。

F-80のノーズには6基の.50口径銃を取り付けることができました。

朝鮮戦争の時代にはF-80として、戦闘任務を帯びて長距離を飛行、
爆撃機援護、近接空中支援、偵察の任務を全てこなしています。

戦争が終わると、空軍はF-80を暫時廃止して行きましたが、
その派生型はアメリカ軍のみならず、他国の空軍に膾炙し、
その時代はもう20年間は続きました。

XP-80A グレイゴースト Gray ghost

以前お話しした「ルルベル」の後継者で国産エンジンを積んだ
「グレイゴースト」は、そのペイントの色からこう名付けられました。

イギリスのゴブリンエンジンを積んでいた「ルルベル」の後継機は
二機作られましたが、どちらも積んでいたのはこのI-40エンジンです。

ジェネラル・エレクトリックの開発したターボジェットで、
ゴブリンエンジンより大型で重量がありました。

以前お話しした「シルバーゴースト」はこの「グレイ」の改名版で、
テストパイロットマイロ・バーチャムが、ルルベルと比べると

「まるで犬になってしまったようだ」

とその駆動性が鈍重であると評価していた機体です。
グレイゴーストことシルバーゴーストは、同じエンジンを積んだ
ルルベルの二機の後継機のうち一機がそのバーチャムを乗せて墜落し、
彼を殉職せしめたあと、別のパイロットを乗せて飛行を行いましたが、
タービンブレードの故障でこれも墜落しています。

ちなみにこのときのパイロットは背中を骨折しましたが復帰しました。

ターボジェットエンジンを胴体の中央部に収め、
機首両側側面のインテークから空気を取り入れて、
ダクトを通じ、機体後部に排気を導いていくスタイル、
そして翼端に備えられた増槽という設計は、
その後のジェット戦闘機の基本形となりました。

エンジンが用意されていて、それを載せる機体を
側だけ注文されたとはいえ、設計者のケリー・ジョンソンは
図面の書き起こしから1週間でこのデザインを完成させています。

 

この写真でシューティングスターのコクピットから笑顔を見せるのは
ジョン・S・バベル大尉。(Capt. John S. Babel)

1946年1月、バベル大尉は4時間23分54秒でこれまでの航空機による
大陸横断速度を大幅に更新する記録を打ち立てました。


そして、戦闘機としてもF-80は

「ジェット戦闘機同士の空戦で史上初めて勝利した」

というタイトルを持っています。
様々なコンビネーションの爆弾、ロケット、そしてナパームを
翼のラックに搭載することもでき、F-80は対戦車、対地、
あらゆる攻撃に対して効果的であることを証明したF-80は
朝鮮戦争に重点的に投入されることになりました。

シューティングスターに乗っていた頃の
第94戦闘機部隊「ハット・イン・ザ・リング」。

94th Fighter Squadron.pngちなみに部隊章。そのまんまです。

94戦闘機隊は第二次世界大戦が終わってすぐ
史上初めて導入されたジェット戦闘機を導入しました。

ロッキード社はF-80Cを練習機に仕立てました。

練習機としては最高の性能を持つT-33、別名「Tバード」です。
T33は、シューティングスターの他のどのバリアントよりも大量に生産されました。

1947年5月、ロッキードは2人乗り練習機の設計を開始し、
3か月後、空軍はP-80Cの機体をベースにすることを決定します。

二人乗りというのは、パイロット以外にインストラクターが座るためで、
スペースを提供するために、胴体の燃料タンクのサイズが縮小され、
翼の前方と後方にプラグを挿入することで、胴体自体が長くなりました。

胴体タンク内の燃料削減を補うために、翼端タンクが追加され、
最終的に改造前と同じ量が搭載できるようになりました。

また、重量を節約するために、内蔵の武装は2門の.50口径機関銃に削減されました。

TP-80は1948年3月22日、トニー・ルヴィエによって初飛行を成功します。
その取り扱い特性はP-80Cと全く変わりのないものになりました。

Tony-LeVier jet af.jpgルヴィエ Tony Le Vier

当初、20機がアメリカ空軍から注文され、すぐに増産されます。
1948年6月11日に名称がTP-80CからTF-80Cに変更され、
1949年5月5日に最終的にT-33Aに変更されました。

TF-80Cには、最終的にアリソン-A-35エンジンを搭載しました。
ロッキード製のT33A-1 / 5-LOは、1958年までに合計5,691機製造され、
ラテンアメリカおよび東南アジア向けのAT-33A-LO、
ドローンディレクター向けなど、他のバージョンも製造されました。

そのほかはこのようなバージョンがあります。

特殊試験機 NT-33A ドローン QT-33A 

写真偵察機 RT33A  海軍用 O-2 / TV-2

海軍ドローンディレクター TC-2D、海軍ドローンTV-2KD

T2V-1 シースターSeastar

海軍に導入された変化形バージョンが今から空母の甲板に着艦するところ。


TV-1シースター(手前)とTV-2。

 

 

T-33Aは、1948年以来長い間USAFの唯一のジェットトレーナーでした。
(1957年にセスナT-37Aと1961年のノースロップT-38Aが出現するまで)

使い勝手の良い機体は計器飛行訓練機、実用航空機、および試験機として機能し、
世界30か国以上ででベストセラー機として使用されました。

特にカナダではロールスロイスのニーンエンジンを搭載した
ライセンス生産版「シルバースター」が、カナダ空軍にされ、
フランスでも同じくニーンエンジンに換装しています。

1950年代初頭に北大西洋条約機構、NATOが創立しました。
ソ連を中心とする共産圏(東側諸国)に対抗するための
西側陣営の多国間軍事同盟であるNATO軍の創設を支援するために、
カナダは自軍の搭乗員だけでなく、数千の連合軍要員にも
訓練を提供することを約束しました。

ジェット機訓練のプログラムのために、カナダは
0機のT-33A-l-LO、さらに10機をアメリカ空軍から貸与しました。

これらは後に米国空軍に返却されましたが、T-33のカナダ製バージョンは
ギリシャとトルコに譲渡されました。

フランス、ギリシャ、ポルトガル、トルコ、ボリビアは
カナダ製のT-33を採用しています。

日本では、航空自衛隊が創立されると同時にF-86Fと共にアメリカから
68機のT-33の供与を受け、翌1955年(昭和30年)からは
ライセンス生産も始まり、278機が生産されました。

操作しやすい練習機ですが、航空自衛隊ではこの278機のうち
59機という少なくない数のT-33が事故で失われており、
そのなかには、かつてこのブログでも取り上げた、
T-33A入間川墜落事故が含まれます。

Tー33はアメリカでは1950年代にはすでに後継機と置き換わっており、
日本でもすでにその頃老朽化していたのですが、そんな中で
行われた年次飛行中故障が生じ、パイロットが墜落にあたって
人のいない河原に機体を誘導したため、脱出の機会を失い殉職したという事故でした。

 

 

こうして少なくとも1,058機のロッキード製航空機が友好国、
あるいは中立国に納入されたため、外国の空軍が所持するT-33は
カナダと日本のバージョンだけではありませんでした。

たとえば相互防衛援助プログラムなどにはアメリカ空軍から
直接海外に転送されています。
いくつかの国で起こった武装反乱の際にはジェット戦闘機としても使用されました。

T-33の最も興味深い用途の1つは、「超臨界」(スーパークリティカル)
翼のおおよその設計を検討するために、アエロ・スパティアーレが
カナダバージョンの翼を建造したときです。
テストウィングの飛行試験は1977年4月13日に始まりました。

スーパークリティカル翼とは、高速機用の低抵抗翼型です。

飛行機の速度が音速のある時点を超えると翼面に衝撃波が発生するので
抵抗を少なくするための形が研究されていたのです。

Supercritical wing

飛んでいる姿を見ることができます。

 

1980年代の初めに、T-33はUSAFを含むいくつかの空軍から引退していました。
一部は直接米国の民間人に転送されました。
導入からほぼ40年たっても、世界では多くのT-33がまだ使用されていました。
天然金属仕上げのものもあり、その他は最新のネイビーグレーペイント仕様で
「エアフォースグレー」に塗装されています。

冒頭写真はわたしが実際にこの目で見た、スミソニアン別館、
スティーブン・F・ウドヴァー-ヘイジー博物館のT-33A-5-LOで、
1954年USAFから譲渡されたものです。

航空機は塗装されたことはなく、高度に磨かれた天然金属仕上げです。

F-94Cスターファイア starfire

スターファイアーはTTF-80Cの直接の子孫です。

レーダーの操作と操縦、二人の要員を乗せる複座が必要だったため、
TP-80Cをベースにして開発された夜間戦闘機です。

大出力レーダー(AN/APG-33)と火器管制装置(ヒューズ E-1)、
射撃コンピュータ(スペリー A-1C)、地上データリンク、
武器は無誘導空対空ロケットを装備していました。

朝鮮戦争勃発とほぼ同時のに配備が開始され、夜間撃墜も記録されています。

朝鮮戦争に投入されたときには写真偵察機としても活躍しました。
ノーズのセクションにはカメラを搭載することができました。

 

続く。

 


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