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ソルジャーズ&セイラーズメモリアルホールと博物館〜南北戦争のヴェテラン

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ペンシルバニア州はアメリカでも最も古い州の一つです。
その中でもピッツバーグは古くは鉄鋼で栄えた街で有名で、わたしなども
実際に行くまでは「鉄鋼の街」「工業都市」をイメージしていました。

イメージを大いに助長したのはビリー・ジョエルの「アレンタウン」という曲で、
あの曲の効果音に入っていた鉄鋼を打つ音がどこからでも聞こえてくるような街だと
今にして思えばとんでもない勘違いをしていたものですが、現代のピッツバーグは
アメリカの中でも住みやすい都市としてトップに名前を連ねています。


さて、歴史のある街らしく、古い様式の石造りの教会などが数多く残り、
1700年代に創立のピッツバーグ大学や工学系の名門校カーネギーメロン大学、
自然博物館などが集中するオークランド地区の一角に、

Soldiers and Sailors Memorial Hall and Museum
兵士と水兵の記念ホールおよび博物館

があります。
滞在時に見学して参りましたので、シリーズとしてご紹介していきます。

SSMMはその名前が表すように、アメリカのために戦った軍人を顕彰する
慰霊施設であると同時に、軍事博物館でもあります。

このビザンチン様式絵画みたいなタイルの貼ってあるところが
地下にある駐車場から出てくる階段となります。

わたしが見学した時にはまだコロナ前で、地下にある駐車場は
ピッツバーグ大学のオリエンテーションに参加する父兄の来訪のために
無料で解放されていました。

 

ピッツバーグの歴史的建造物で、かつランドマークであり、
国の歴史遺産に認定されているこの建物は、創設以来
軍事に関わる収蔵品の保存と全ての退役軍人たちを称えるための
会合などが行われてきました。

まずは建物の正面に足を運んでみましょう。

フランスの新古典主義の手法による「ボザール様式」は
1800年代後半から1900年にかけて流行した建築様式です。
イタリアやフランスのバロック&ロココのエッセンスが取り入れられています。

市庁舎やカーネギーメロン大学の学舎など、市内に多くの建築を残した建築家、
ヘンリー・ホーン・ボステル(1867−1961)が設計し、1910年に完成しました。

"Lookout"


まずわたしが足を運んだのは水兵のブロンズ像の前です。

望遠鏡を持ってたたずむそのセーラー服の襟は風になびき、
彼が今海を望む場所に立っていることがわかります。

彫刻家フレデリック・ヒバードが開館して10年後制作したもので、
「Lookout 」(監視、見張り)という題名が付けられています。

"parade Rest"

水兵像とはファサードを挟んで反対側に兵士像があります。

同じヒバードの作品でこちらの題名は「Parade Rest」、
分列行進の「止まれ」の状態の陸軍兵士の姿です。

制作年は水兵像より1年後で、彫刻家がまず水兵像、
続いてこちらを手掛けたことがわかります。

製作年月日から想像するに、これらの像は第一次世界大戦で犠牲になった
兵士と水兵を顕彰するためにここに設置されたのに違いありません。


ところでヒバードの作品には南北戦争関連のものも多く、
 たとえばグラント将軍の像などもあるわけですが、この度のBLM関係で
作品が引き倒されたり落書きされたりということはあったんでしょうか。

”America"

兵士と水兵を従えるようにファサードの中央にあるのは、
剣を携えた女神像で、彫刻家チャールズ・ケック作「アメリカ」。

 

この後館内に入って行ったわけですが、正面から入れると思いきや、
扉は閉ざされていたので建物沿いに歩き、とても博物館の入り口に見えない
小さな入り口をやっとのことで見つけて入館しました。

まずは当ホール建築の写真からご紹介です。

左上、1908年9月11日撮影の工事現場の様子

土台となる部分ができて行っている感じですね。

メモリアルホールの計画は、1891年、南北戦争が終わって14年後、
戦争に参加したヴェテランたちが中心となって起こされました。

設立に際して求められたポリシーは、

記念碑は、私たちの偉大な産業の中心地の富、知性、愛国心を
表せば表すほど、荘重で立派でで印象的なものでなければなりません」

というものでした。

その1ヶ月後の写真が下で、10月24日撮影です。
右上はその2ヶ月後12月28日で、特徴的なギリシャ神殿風の柱がもう取り付けられています。

進捗の早さは流石に鉄鋼の街の総力を挙げたプロジェクトです。

工事を請け負ったのはエイクリー(Eichley)ファームという建築業者で、
現在もピッツバーグで設計・施工・デザインなどのビジネスを行っています。

左上:1909年の3月24日にはもうすでに大まかなフレームは完成。

右下:1910年5月、完成間近。

丘の上と右後ろに見えている建物は現存するピッツバーグ大学関連の施設です。

同じ方向から現在の写真です。

そして、1910年10月11日、晴れて完成相成り、SSMMはオープニングの日を迎えました。
メモリアルホールにおけるオープニングセレモニーの様子が二枚の写真に残されています。

ステージの上には来賓が並び、その中にはゲッティスバーグの戦いで有名な
ダン・スティックルス将軍Dan Stickles始め、
南北戦争に参加した将官(政治家になっていた人あり)が含まれました。

ステージ側から撮られたのがこちらの写真です。
客席を見るとそのほとんどが白髪の老人ばかりで、客席側の出席者もまた
南北戦争のベテランが中心であるらしいのがよくわかります。

実はこの二枚の写真を撮るために、会場に二台のカメラがスタンバイしており、
同時にシャッターが押されたものと思われます。

客席側のほとんどがカメラ目線になっているのにご注意ください。

後ろ側から撮影した写真には、舞台袖側に三脚を立てたカメラマンが
手を上げてこちらを見るようにと合図をしている様子が写っています。

その甲斐あって、ほとんどがこちらを見ているわけですが、
写真のご老人のばかりの中に一人だけ帽子をかぶった女性がいます。

この女性、アンナ・シャープ・マクドウェル(Anna Sharp Mcdowell)は、
ペンシルバニアの陸軍第3連隊にとって不可欠な存在だったといわれています。

彼女の父親が陸軍の退役軍人であった関係から彼女は食事係を務め、そのかたわら
彼らのスケジュール管理などの事務的な仕事をしていましたが、歌が得意だったので
何かしらイベントがあると歌手として喉を披露し皆を楽しませたそうです。

部隊のアイドルというか、マスコットガールみたいな存在だったんでしょうか。

女性であり、さらには南北戦争の退役軍人でもなかったにもかかわらず、
彼女はこの退役軍人会の正規メンバーに認められてここにいるわけです。

記念館が完成して公式にオープンしてから10日後、
SSMM評議員における最初の会合が行われました。

その会合が行われた部屋がこの「ゲッティスバーグの間」です。
ここには、南北戦争の資料の一つとしてゲッディスバーグの戦闘で第二軍を率いた
アレキサンダー・ヘイズ准将の肖像画が(おそらくその頃から)あります。

 

 

そして完成したばかりのソルジャー&セイラーメモリアル前に集合したのは、

National Encampment of the Union Veterans Legion(UVL)

つまり南北戦争のユニオン(北)軍の退役軍人たちで、1911年9月15日の日付です。
全員がスーツに帽子着用なのが時代ですね。

 

今ベテランの会合は、全員ベースボールキャップ(部隊マーク入り)
にボマージャケットか夏ならTシャツの集団になることでしょう。

こちらはさらにその11年後、1922年のUVLの「戦友会」ですが、
さすがに少しだけ人数が減っている感じです。

わたしなどまたしても、

「ブルーのために戦ったのか、それともグレイだったのか」

「ゲッティスバーグの演説を聞いた思い出を彼は語る」

「彼らはいつかこの世からいなくなるだろう。
その時この世界はどんなに寂しいものになるか」

と南北戦争のベテランのことを歌ったスタンダードナンバー、
「オールド・フォークス」(Old Folks)を思い出してしまうわけです。

Carmen McRae / Old Folks

 

ちなみにピッツバーグのあるペンシルバニア州はアメリカ合衆国側(北軍)でした。

我々日本人にはいまいちピンとこない

北軍=ユニオン
南軍=コンフェデレート

という名称ですが、
地図にするとこんな感じです。

薄紫は合衆国にとどまった奴隷州となります。

ちなみにカリフォルニアは北軍側ですが、今回、
サンフランシスコにあったグラント将軍の銅像は、
BLMの皆さんによってきっちり破壊されております。

どうもよくわからないのですが、奴隷解放を旗印にしていたはずの
北軍の将軍も許されないっていうのはどういうことなんですかね。

わたしなどニュースで「風と共に去りぬ」を放送禁止にしようという動きがあると聞いて、
こいつら本当にこの小説を読んだことあるのか?と情けなくなりました。

 

 

名前が書いてあるだけでどういう人たちかわからなかったのですが、
一人ひとり検索してみると、

1937年、南北戦争のベテランであるルイス・マラゼー(一番右)が
85歳でピッツバーグの自宅で亡くなった

というニュースが引っかかってきました。

南北戦争のベテランで、1927年にここで行われた戦友会にやって来たのは
この人たちだけだったとということになります。
ニュースによると、マラゼー氏がなくなったのはこの会合の10年後。

南北戦争が終わったのは1865年ですから、1952年生まれのマラゼー氏は
終戦時わずか13歳の「少年兵」ということになり、最年少組です。

13歳で戦争に参加ってそれはないんじゃないか?
と思った方、南北戦争には普通に子供が参加していたんですよ。

The Civil War's Child Soldiers: "Danny Boy"

海軍の水兵の制服の子、一人だけですがアフリカ系の少年もいます。
おそらく年格好から言って、写真の一人(左から3番目)を除く6人は
ビデオの写真のような「子供連合軍」だったのでしょう。

写真を見ると、下手すると10歳くらいの子供兵士の姿もあります。
だからこそ、南北戦争のヴェテラン=オールド・フォークスは、
第二次世界大戦が始まる寸前まではまだ生存していたのです。


次回からはソルジャー&セイラーメモリアル・ミュージアムの展示を
順にご紹介していくわけですが、展示の目的であったところの
南北戦争関係の資料からということになります。

 

続く。

 

 


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