Quantcast
Channel: ネイビーブルーに恋をして
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2842

オハイオへの旅〜ミリタリーミュージアムを訪ねて

$
0
0


MKが学校の新学期からの授業を日本で受けるという可能性もあったため
この夏はそもそもアメリカに行くことができるのかどうか、
ギリギリまでわからなかったのですが、最終的に渡米が決まりました。

その瞬間、わたしはある計画を実行にうつすべくリサーチを始めていました。
実は今度ノースイースト滞在が実現すればぜひ行きたいところがあったのです。

去年、ピッツバーグに滞在している時、coralさんに教えていただいた
ライトパターソン空軍基地に付属するアメリカ国立航空博物館です。

ピッツバーグからオハイオまでは車で4時間くらいかかるとはいえ、
いつもなら何を置いても実行していたところですが、今回はCOVID19を始め
何かと世情が不安定なことがあり、ニュースやHPをチェックしていたところ、
2週間くらい経ってアメリカの様子が基本いつも通りであることと、
博物館はマスク着用とソーシャルディスタンスを取ることを条件に
オープンしていることがわかりました。

さらには借りている車(日産のムラノ)にも十分慣れてロングドライブいつでもOK、
と思われたので、博物館近くのホテルを二泊予約して出かけることにしました。

調べていると、デイトンまで3時間走ったところにあるコロンバスに、
「Mott military museum」という軍事博物館があることに気がつきました。

そこで、一日目をこの「モット」という博物館に使い、
その日の夕方にデイトンまでたどり着いて投宿し、翌日丸一日、そして
翌々日の午前中を予備にして国立航空博物館を制覇することにしました。

というわけで昼頃コロンバスに到着の予定で出発しました。
レストランは当てにならないのでランチを用意して車に乗り込みます。

高速を走っていると必ず視界ににAmazonプライムのトラックが入ってきます。
ステイホームの影響でアメリカでもAmazon大忙しのようです。

前も後ろもAmazonプライム、こんな光景はしょっちゅうでした。

しばらく走っていると、お馴染みの「草ロール」がころがる牧草地が出現し、同時に

「ウェルカムトゥ・ウェストバージニア」

という看板が現れました。

ペンシルバニア州の隣がオハイオ、と思っていたのですが、
実は両州の間にウェストバージニアが「ツノ」をちょこっと下から出していて、
フリーウェイを走っていると一瞬州内を通り抜けることになるのです。

看板を見た次の瞬間、わたしは

「♫ オールモストヘーヴン〜〜ウェストバージニア〜〜
ブルーリッジマウンテーン シェーナンドーアーリーバ〜〜」

と声に出して歌っていました。(実話)
そして、

「♫ ウェストバージニア〜マウンテンマーマ〜
カントリーロー・・・」

「・・・・ん?」

「でたあああああ!」

なんっとウェストバージニアには「カントリーロード」が存在する!

などと一人でも結構ドライブを楽しめてしまう自分でよかった。
と思いつつ、一回の休憩を挟んでコロンバスに到着。

わたしが車の中で持参してきた昼ごはんを食べていると、ガラガラの駐車場に
車が二台止まり、いかにもボランティアらしい爺さんたちが入っていきました。

今までアメリカの各所で見た、規模の小さな軍事博物館、
毎日リタイアした老人たちが趣味のボランティアで維持している
あのお馴染みのタイプのあれだな、と思いながら車を降りました。

建物の横のゲートは扉が閉まっていないので誰でも入っていけます。
航空機が数機、航空博物館というものではなさそう。

この手作り感あふれるアットホームなエントランスを見よ。

入っていくとそこには数人のおじさんたちがいて、
他の小さな軍事博物館と同じように物珍しそうな視線を浴びせてきました。

「10ドルです」

わたしが財布を出していると、レジのおぢさんが
おっと大事なことを聞き忘れたわい、という感じで

「ヴェテランですか?」

と聞いてきました。
あまりにも予想外の質問だったのでわたしが思わず

「は?」

と戸惑うと、

「あ・・・いいです」

このわたしが一瞬でもアメリカ軍を引退した元軍人に見える?
と後でMKに笑い話のつもりでいうと、

「自衛隊にいたかもしれないじゃない」

もしそうだったらやっぱりヴェテラン割引対象だったんだろうか。

展示はやはり南北戦争から始まりました。
リンカーンの死体検案書や髪の毛もあって、ここが
ただの小さな軍事博物館ではないことはすぐわかりました。

続いて第一次世界大戦関係。

ここから両側の通路は全部第二次世界大戦関係です。
左の上にある赤子を抱いている肖像はヘルマン・ゲーリング閣下です。

そのなかでここ「も」ユダヤ人迫害とその解放については
特にこだわっているように見られました。

Dデイ関係、日系アメリカ人の開戦に伴う強制収容なども。

軍服を着た有名人コーナーより。
アメリカ軍人(特に陸軍)って、皆帽子を斜めに被りますよね。

ナバホ族のコードトーカー(暗号通信員)の資料がありました。
これはちょっと珍しい展示です。

左上には、ここでも一度紹介したことがある日本の
「次は本土攻撃だ!」を啓蒙する「日本領地陥落時計」があります。

日本軍関係の資料もなかなか充実しています。

マニラで日本軍が降伏したときの山下中将の写真がありますね。

天井の零戦はもちろん模型です。

エノラ・ゲイとチベッツ少佐の「偉業」を称えるコーナー。

スペースシャトル「チャレンジャー事故」コーナーにあったオニヅカ少佐の写真。

珍しい企画として「戦場カメラマンコーナー」がありました。

ここの内容についてもそのうち詳しく整理して
当ブログでお伝えしていきたいと思っています。

航空機のあるヤードにはいくつかの慰霊碑がありました。

展示を見ている間中、おじさんたちは同じところで歓談していましたが、
わたしがありがとうございました、といって出ようとすると、一人のおぢが

「どうだった?」

と聞いてきたので、普通に感動しました、と言った後、

「外にある大きな”ボマー”の説明がなかったんですが、あれなんですか?」

と聞くと、

「え?なんてった?・・マスク外していいよ」

「だから・・あの大きな飛行機・・」

まわりのおぢたちが

「Dakotaのことじゃね?」

と言い出したので、

「紙に書いてくれます?」

というと

「DC-3 Dakota」

とメモに書いてくれました。

案の定わたしが輸送機を爆撃機と間違えていたことが判明したわけですが、
そりゃボマーとかいきなり言われても何のことかわからないよね。

書いてもらっている間、おぢさんの一人が、

「あんた、コラムニストかなんかかい?」

と聞いてきたので、

「そんな感じ(Kind of)です」

と答えておきました。

博物館を出てデイトンに向けて走っていると、
「スプリングフィールド」という看板が出てきました。
おお、うわさによるとイリノイ州の州都であるところのあれか。

同じ名前の都市はマサチューセッツやその他にもあるせいか、
(シンプソンズの住んでいるのも確かスプリングフィールドだった気が)
イリノイの州都がシカゴだと勘違いしている人は案外多いんですよね。

そういえば、第二次世界大戦のときに捕虜になったある将官(有名な人)に、
アメリカ人かどうか確認する尋問として、

「イリノイの州都はどこですか?」

と聞いた訊問官もその一人で、将官が正しく

「スプリングフィールド」

と答えたのに

「ブー!間違い!さては貴様アメリカ人じゃないな?」

となったことがあったそうです。いい迷惑だ(笑)

 

さて、デイトンに向かう前に現地のホールフーズで
今晩と明日の食料を調達しようとしたら、同じモールに
ときどき掘り出し物が見つかる「オフ・サックス」を見つけてしまい、
ついふらふらと入って行ったところ、これがなかなかの「あたり」でした。

特にファッション関係では同じチェーン店でも地域によって品揃えが全く違うのがアメリカです。
同じオフサックスやノードストローム・ラックでも、ニューヨークとかロングアイランドは
悲しいかなピッツバーグとは比べ物にならないくらいセンスがいいのですが、
それでいうとオハイオの「レベル」はなかなかのもののようでした。

両者は高級デパートのバーゲン品を売ることで、本家のブランドを落とさずに
在庫を捌くための文字通りのアウトレットですが、同じ高級デパートでも
バーゲンを年に2回しかせず、アウトレットを持たない超高級路線の
ニーマン・マーカスは、先日ついに倒産したというニュースを聞きました。

国立博物館から15分くらいのところに取ったホテルは、
COVIDのせいなのか部屋にコーヒーのセットすら置いておらず、
これまでここに泊まる理由の一つだった一階のカフェもやっていませんでした。


窓から見えるモールは閉店してゴーストタウンになってしまっています。
巨大なメイシーズの建物が無人の様子は実に物悲しい光景です。
 
朝方は蒸し暑く大雨が降っていました。

わたしも体調を崩し気味だったのでこの朝はゆっくり過ごし、
昼前になって国立航空博物館に出撃しました。

アメリカ空軍のマークのペイントされた格納庫と、フィールドに展示された
輸送機が見えてくるとテンションが上がってきました。

ここがミュージアムの玄関となります。

この航空博物館の展示機はもともと屋外にあったのですが、
1971年に格納小型の展示室が完成し、今の形になっているそうです。

かつて展示機があった(のかもしれない)フィールドでは
ガチョウの群れが草を食んでいました。

入場口から駐車場まで結構な距離ドライブします。
見学客の少ないうちにということなのか、通路にロータリーを作る工事をしていました。

駐車場の前の緑地はメモリアルパークとして
空軍関係の慰霊碑や記念碑が点在します。

COVID19のピーク時にはやはりここも閉鎖しており、7月くらいに
再オープンをしているようです。
エントランスではマスクをしたライト兄弟がお出迎え。

水飲み場やカフェは廃止していました。

入り口では熱を測るわけではなく、マスクを着用していればOK。
金属探知機の前に荷物検査を受けるのですが、そのとき、

「武器は持っていますか?」

どんな相手にも一応聞かなければならない質問事項のようです。

そしてこのとき驚いたのが入場料が無料だったこと。
さすがはアメリカ合衆国が全面支援している博物館です。

展示場は大きく中で二つの格納庫に分かれており、一つは
航空黎明期のものから第一次世界大戦ごろの航空機など、
もう一つは第二次世界大戦以降ということになります。

アメリカのみならず、世界各国の軍用機も揃っています。
ドイツ軍の飛行機ではあの「コメート」やMe262も所持しています。

各国空軍の制服の展示が充実しているのもここの特色。
海軍の代表的エースとして坂井三郎が紹介されていました。

疲れていたこともあって座り込んで最後まで見てしまった「カミカゼ」紹介ビデオ。
日本人としてはまずこのロゴからツッコミたいところです。

さて、これらの展示について、当ブログでは今後
いろんなアプローチでご紹介していきたいと思っておりますので、
その折にはどうぞよろしくお付き合いください。

 

 

 


Viewing all articles
Browse latest Browse all 2842

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>