アメリカから帰国してまいりました。
本来であれば今頃は成田のホテルで絶賛自粛期間だったはずですが、
3日めにしてホテルの缶詰生活に根をあげてしまい、自宅に帰って
おとなしくしているというプランに変更を余儀なくされたのです。
現在の日本政府の指針は、海外渡航から帰ってきた人に対し
空港で検疫検査を行い、陰性であった場合も公共交通機関を使わず
自宅かあるいは対象宿泊施設で自粛することを推奨しているので、
お上から言われたことを真面目に守る我が家としては、夏前にMKが帰国した時も
彼に2週間のホテル生活をさせたわけですが、今回自分がそうなって
隔離された状態の自粛というのがどれだけ精神的に辛いものか思い知りました。
なぜわたしがホテル隔離に耐えられなかったかというと、
まず、外に出ることも制限されるということ以前に、
何の予定もないのにホテルに連泊するということに対する絶望感。
今回、TOが成田でおそらく最もグレードの高いホテルを取ってくれたのですが、
この「良かれと思って」が大変な落とし穴で、なまじ高級を謳っているので
MKの泊まったホテルのように館内にコンビニがないのも問題でした。
つまり、水とかお茶とかちょっとしたスナックとか、そういう買い物ができない。
食べ物は三度三度全てホテル内のレストランかルームサービスのみ。
そのうえちょっとお茶でも、とルームサービスでポット入りを頼むと1,200円。
ホテルのお茶代は場所代込みなので日常であればこの値段でも受け入れますが、
ホテルの部屋で過ごしている身にはなかなか気分的に辛いものがあります。
チェックイン時に、自粛宿泊対象者のためのレストランの食事30%引きチケットや
朝食バッフェ3,600円が2,800円になるチケットも束にしていただきましたが、
ホテルの食事はそもそも旅の非日常に属するもので、重さ的にも金額的にも
普通とはかけ離れていてこれが半月続くと思っただけでげんなりしました。
一番辛かったのはジムが使用禁止であることです。
しかも今回は帰国した日から3日間千葉県では雨が降り続き、外に出られず
仕方がないので、ベッドの上でヨガをしたり、ハウスキーピングが居なくなる夕方に
誰もいないホテルの廊下と非常階段を早足で歩いていました。
昔マドンナが全盛期の頃、日本に来てプールで物凄い勢いで泳ぎまくり、
エレベーターを使わずホテルの非常階段を駆け上っていたところ、
遭遇した従業員が驚いた、という話をふと思い出したりしながら。
これも一日二日なら話の種ですが、2週間続くとなると絶望でしかありません。
二日前までアメリカの広大な自然公園の延々と続くトレイルを
1日1〜2時間歩いていたのに、この環境の急激な変化には心身ともに酷く堪えました。
今にして思えばMKは2週間弱音も吐かずえらかったなあ・・・。
しかしわたしは彼ほど堪え性がないのでたまりかねてメッセージでTOに弱音を吐きました。
「ジムが使えないし売店も閉鎖していてホテルで水を買ったら300円だって」
「閉塞感やばい。14日この生活したら確実に死ぬ」
アメリカのホテルで一人で何日いても平気なわたしがここまで弱るとは
さすがのTOにも予測ができなかったらしく、慌てて自宅軟禁、じゃなくて
自宅待機に切り替えることにして、自粛帰宅者対応のタクシーを手配してくれ、
帰ってきたというわけです。
同じ自粛生活でも何でもそろって勝手知ったる我が家では全く精神的に違います。
自分でお茶を淹れたい時に淹れ、自分の食べたい量の食事を作り、
なんといってもピアノが弾けて外が歩ける。
自粛中ということなのでウォーキングは人とすれ違うことの少ない
早朝にマスクをかけて出ることにしました。
さて、今回の帰国についてその前日から淡々と語ります。
ピッツバーグでは9月半ばになると急に朝夜の気温がガクッと落ち、
午前中に外に出ると体が温まるまで歯の根が合わずに
ガチガチカスタネットのようになるくらい冷える日が増えてきました。
最低気温4度というと確実に日本の冬並みです。
最後の日の散歩ではMKの学校の横を歩きました。
後で聞いたらこの日は対面の講義(レーザーカッターを使うため)
があったということでした。
滞在後半に近づくほど野生動物を多く目撃しましたが、
これはどうも寒くなって彼らが冬眠の準備をしているせいかと思います。
ピッツバーグ空港からトランジットのオヘア空港までの飛行機は
出発時間が朝の7時だったので、わたしは数日前から5時起きを心がけ、
前日は夜7時半に寝て3時に起き、4時にホテルを出ました。
真っ暗な道を空港まで25分。
ただしその時間だと渋滞の心配もないし、空港のゲートもガラガラで、
朝早い便というのは「あり」だなと思いました。
7時出発の便に乗ってシカゴ・オヘア空港に着くとまだ7時30分でした。
東部時間のピッツバーグから中部時間に巻き戻ったからですね。
乗換便のボーディングまで3時間以上あるので、とりあえず
ゲートをチェックした後は、いつもするように運動のため、長いコンコースを
移動のフリして行ったり来たりして時間を潰そうと思い端っこまで歩いてみたら、
なんとひとつだけユナイテッドのラウンジがオープンしていました。
入ってみると、ここしか開いていないのに人はまばらで、
供される食べ物もパックされた簡単なものやスナックだけでした。
このとき時間は11時、いつもなら人であふれている通路です。
こちらでもコロナのせいで皆不要不急の旅行やビジネストリップを控えているのでしょう。
しかしそれだけで空港というのはこうなるのか、ということが衝撃でした。
搭乗10分前になってゲートに行ってみると・・・やばい。
人がいない。
この写真をTOとMKに送ると、
「ゲート間違えてないよね?」
間違えるも何も他もみんなこんなもんですがな。
搭乗は後方席から順番に行われ、わたしの搭乗順番は最終となるグループ4。
そう、今回のフライトでは
わたし史上初となるファーストクラス体験をすることになったのです。
なぜこんな非常時にファーストになったかというと理由は簡単で、
マイル移行で特典チケットを取ろうとしたらすでにビジネスが満席だったからです。
この便、わたしがFAに尋ねたところ、乗客総数30名ほどでした。
ファーストの席は全部で8隻、そのうち埋まっていたのは4席。
わたしの前にはアメリカから日本を経由して帰国するらしい、
背だけはやたら高いサングラスにマスクのおそらくK POP歌手(か俳優)
真ん中の4席には客はおらず、窓際に二人連れの日本人男性です。
KPOPだかKPOOPの人はわかりませんが、ビジネスの特典席が満員で
この数ということは、ファーストも4名が上限で、つまり乗客のほとんどが
わたしと同じく「マイレージ組」だったのではと思われます。
まあ事情はともかく、記念すべきファースト初体験を堪能することにしました。
どうもこれは噂に聞いていた新型らしく、細部がいかにも今風です。
一見壁のようなパネルを押すとこんな小物入れ(多分メガネ用)が出てくるとか。
シートの横にはヘッドフォン収納のスペースやリモコン入れが
これもパネル方式で面一に収まっており、シートの調整もタッチパネル式です。
ヘッドフォンもファーストはちょっとグレード高め。
アメニティケースはビジネスと同じ、グローブトロッターのトランク型。
これはデバイスのコードやコンセントを持ち歩くのに大変便利です。
それ以外にもザ・ギンザの化粧品セットが用意されていました。
さて、わたしは朝3時に起きて何も食べずに搭乗時刻を迎えたため、
さすがにお腹が空いてきていたのですが、搭乗の際、
「食事サービスについてはお客様の要請があれば行います」
みたいなことを言っていたので、黙っていれば何も出てこないのかと心配して
一応FAに聴いてみたところ、即座にメニューを持ってきてくれました。
さすがはファースト、ってか一人のFAがわたしとKPOOPの専用係として
痒いところに手が届きまくる手厚いサービスをしてくれました。
ビジネスとの違いはメインディッシュの選択肢ですかね。
ビジネスだと洋食でも肉か魚、という感じですが、ごらんのように
「牛フィレ」「チリアンシーバス」「猪の肩」「野菜」
と4種類のメインから選ぶことができました。
昔神戸のホテルで「猪の背肉の団子」を食べたことがありますが、
ジビエはワインをいただかない下戸とははっきり言って相性が悪く、
今回もわざわざ空の上で挑戦するだけの気力も意欲もなかったので、
普通にフィレステーキを選択しました。
ちゃんとした食器とシルバーが出るのがファーストです。
まずアミューズ(アペタイザーではない)に出てきた一皿。
左端のピスタチオをまぶしたチーズボールは、マグロの切り身の上に鎮座していましたが、
残念ながらわたしが死んでも食べられないシェーブル(ヤギ)チーズでした。
サラダかと思ったらこちらがアペタイザーでした。
赤い身はロブスターです。
サラダのドレッシングは洋梨か玉ねぎワサビか選べたので洋梨を選択したのですが、
そのどちらも手違いで載せていなかったらしく、バルサミコ酢になりました。
そしてやっとここでコーンスープが出てきます。
やはりビジネスよりは皿数も多いし3割増しくらい手間がかかっている気がします。
何が一番美味しかったかというと実はこのスープでした。
「メインのステーキには2分お時間をいただきます」
とお断りがありましたが、2分って一体どこから出てきたのか。
レンチンする時間かしら。
さすがにファーストだけあって、今まで機内で出されたステーキの中では
一番美味しかったと思いますが、残念ながら中身に全部火が通ってしまっていました。
焼き加減も聞いてくれなかったし。
デザートはクランブルタルトを選択。
これもビジネスにないサービスで、フルコースの最後のプチフールもありました。
食事が終わってしばらくしたら、FAが空いている隣の席に
ベッドちゃんと作ってくれました。
ファースト席を二人分使うなんてなんて贅沢なのかしら。
リラクシングウェア(品質も悪くない)は持ち帰り自由です。
ありがたくいただいて帰りました。
「よろしければお着替えになっておやすみ下さい。
お着替えの際にはお部屋を用意します」
着替えのお部屋って何かと思ったら化粧室に足台を出すことでした。
ちなみにファースト席には化粧室が4ブースあるので、今回は
トイレを待つ場面が一度もありませんでした。
さてそれでは寝みますか、と隣に行ってみるとこの通り。まるで旅館みたい。
下にマットを敷いてあり、ちゃんとしたシーツのかかった布団に
さらに毛布を乗せて端を折ってあるという心配り。
ベッドの寝心地も広さも十分で、(まっすぐ寝ると両手が下に落ちることもなく)
おそらくわたしの機内体験史上、最も快適に、ぐっすり寝ることができたと思います。
降りる1時間前に和食の朝食を頼みました。
器に入れた納豆が出てきたのは初めてです。
さて、というわけで飛行機は無事に成田に到着しました。
飛行機が停止し、「ポーン」という音が鳴っていつも通り立ち上がると、
FAがやってきて、
「しばらく機内でお待ちいただくことになります」
席に座って途中だった「フォードvsフェラーリ」を最後まで観終わりましたが、
まだ一向に案内がありません。
そのうち、乗り継ぎをする客だけに降りるようアナウンスがあり、
前の席のKPOOPがマスクにサングラス、なぜかシリコンの手袋をはめて
出て行った後、さらに30分くらいは待たされたでしょうか。
降りるとわたしを先頭に検疫のラインまで案内されました。
MKが帰国した5月終わりには鼻に綿棒を差し込む方式だったそうですが、
今は試験管状の容器に使い捨ての容器で唾を入れて提出します。
通路では検査方法がビデオ放映されていて、
皆なるほどーという感じで心の準備をしながら待つわけです。
機内では検疫所に提出するための書類を前もって書いておき、
それを要所で見せながら行程をこなすために進んでいきます。
この書類ではアメリカが「特に流行している地域」に指定されていました。
滞在していて体感する限り、世間は日本と変わらない感じだったのですが。
というか、右側に「流行している地域」が書かれていますが、
これ世界中の国なんじゃないかと・・。
むしろ流行していない地域って台湾以外にどこ?
採取した唾を提出してからかつてのゲート前に設えた待合室で
与えられた検査番号が呼ばれるまで待ちます。
MKのときには指定ホテルに一泊したそうですが、今では
この待合室でせいぜい1時間待てば結果がわかるようになっています。
ちなみ検疫所や待合室は一切撮影禁止となっていました。
そしてめでたく陰性ということになればこの紙をもらうので、
これを入国審査、そしてホテルのフロントで見せるわけです。
(この検疫マークの錨に注目したのはわたしだけ?)
再入国審査では自動読み取り機にパスポートをスキャンするだけで
審査官と対面することなくゲートを通過しました。
これもおそらく防疫上の配慮と思われます。
税関ではわたしの荷物を眺めて、税関員が
「何しに行かれてたんですか」
と質問してきました。
旅行でもビジネスでもなさそうとなると、目的に疑問を持たれても仕方がないかもしれません。
息子の大学生活立ち上げのための手伝いに、と端的にいうと
なぜか
「ご苦労様です」
とねぎらわれてしまいました。
そして1時間に一本しか来ない循環バスを待ち、やっとのことでホテルにたどり着いたというわけです。
(そして冒頭に戻る)
そうそう、さっき在住地保健所から電話がかかってきました。
帰国後の体調を聞かれ、できるだけの自粛を要請され、もし熱が出たら
保健所の専用の窓口に電話をするように、ということをいうためだけに
帰国者全員に連絡をしているのです。
今回の検疫を体験アメリカへの入国と比べても、日本のコロナ水際対策は
ちゃんとしすぎるくらいちゃんとやってると感じました。
おわり