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”配給食糧のための誓い” 戦後南北アメリカのジレンマ〜ソルジャーズ&セイラーズ記念博物館@ピッツバーグ

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面倒がってはいけないのですが、いちいち正式名称を書くのが面倒な
ソルジャーズ&セイラーズ・メモリアル&ミュージアム、
兵士と水兵のための記念博物館、略称SSMMは、もともと
南北戦争に参加した軍人たちの慰霊と記念のために設立されましたので、
それらの展示は、開館当時からそのつもりで作りつけにした
フランス窓式ガラスの展示ブースに納められています。

開館して100年以上の歴史では、何度もドアを取り替えたり、
ガラスを張り替えたりしているのだと思われますが、見たところ、
特に最近しつらえられた近代的な装備は、センサーとライティングです。

わたしが訪ねた時にも見学者はほぼわたしだけというような状態でしたが、
いつ来るかわからない見学者のために電気をつけておくのはエコではないので、
博物館ではケースの横にセンサーを取り付け、前に人が立ったら
電気がついてケースの中身が見やすくなるという仕掛けでした。

例によって画面左から進んでいくと、パッと電気がついて
明るくなったケース内の展示です。

展示テーマは「ピッツバーグ騎兵連隊」。

そしてさらによく見ると、アラームシステムも装備されていました。
画面右側のシールはシステム装備のお知らせです。
見張りを置くための人件費を節約した結果でしょう。

クロスしている銃はジョスリンカービン銃52口径で、両脇にあるのが
レミントンのアーミーリボルバー44口径。
画面下はスペンサーカービンという7連装銃です。

ある南軍の兵士がこの銃についてこのように書き遺しています。

「7連装の悪魔の銃は朝から晩まで火を噴いて人を傷つけた」

銃の真ん中の写真の人物は、ペンシルバニア第4騎兵隊の

ジェームス・チャイルズ大佐 Colonel James H. Childs

1862年のアンティータムの戦いの際、部下と「気持ちよくおしゃべりをしている最中」、
彼の右腰から砲弾が命中し、彼は馬から投げ出されました。

自らの死を悟った彼は、苦しい息の下意識を失うまでの40分間で
最初に軍事任務を調整し、引き継ぎを行い、電話で家族に最後のメッセージを送り、
きっちり財産の処分まで指示し終わってからこと切れたということです。

大佐の亡骸はピッツバーグのアレゲニー墓地に埋葬されています。

ピッツバーグ騎兵隊の兵士。
銃を立てかけてサーベルを抜身で持っています。

中央の鞍は南北戦争前に騎兵隊の大尉が特注した
「通気孔付き」で、馬にも人にも快適なデザインだそうです。

このデザインはアメリカ陸軍の騎兵隊に採用されて、
1857年から1948年まで使われていましたが、
騎兵隊はその後廃止されて消滅しました。

手前の黄色い円にアレンジされているのは騎兵隊専用の鎧などです。

南北戦争の騎兵隊による突撃の様子。

次の展示コーナーは「南北戦争時代のピッツバーグ」。
センサーはケース右側に写っています。

当時の女性が着ていたギンガムチェックのロングドレスが目を引きます。
この頃は既成服が手に入った時代ではないので、ドレスは
自分で縫うかテーラーに縫ってもらうかしていたはずです。

画面下のミニ大砲はロッドマン砲。
今滞在している場所から歩いて10分のところにあった
フォートピット鋳鉄所で製造されていたタイプです。

ロッドマンガンは、南北戦争の少し前、火器士官であった

トーマス・ジェファーソン・ロッドマン (Thomas Jefferson Rodman)

がコロンビヤード砲を改良して作ったもので、大型の鋳造物としては
ひび割れその他の損傷を起こしにくいように、鉄を内外から均等に冷やして作り、
外形を滑らかな先細り("soda bottle"と呼ばれる形)に鋳造されました。

 

この風格のある犬は、「ドッグ・ジャック」Dog Jack。

ペンシルバニア第102砲兵隊のマスコットだった迷子のブルドッグです。
戦場で「一緒に戦い」、いつの間にかいなくなっていたそうですが、
このジャックが映画化されていました。

"Dog Jack" trailer

南部の綿花農場から逃げ出した奴隷の黒人少年が、北軍に加わり
かつての「マスター」に銃を向けて兵士となっていくBLMなストーリーをでっち上げ?
それにこじつけで犬を絡ませたという犬迷惑な話。(だと思います。観てませんが)

案の定映画サイトではこのように酷評されています。

あんまりに酷すぎて愛犬にはとても観せられません。
この映画にお金を払った人はみんな返してもらうべきです。
こんなものを観て時間とお金を無駄にしないでください。
第102ペンシルベニア連隊の犬の実話に基づいているといいつつ、
映画製作者は英雄としての彼(犬)の名誉に泥を塗っています。

そこまでいうか・・・。

1862年当時の「キャンプ・ハウ」(Howe)。
現在ここはシェンリー・パークといって、わたしがピッツバーグ滞在時
毎日のように歩きにいく公園になっています。

ジョン・ロジャース作
「誓いを行い食糧の配給を受ける」
"Taking Oath and Drawing Rations"

石膏で彫刻され、砂色に塗られたこれらの小像は、ロジャースの有名な
南北戦争シリーズからのもので、「ロジャースグループ」として大量生産され、
通信販売で全国に販売されました。   この像が表しているのは、

「飢えに強いられた小さな男の子を持つ南部の女性が、
配給を受け取るために北軍将校に忠誠の誓いを行なっている」

そしてこのテーマとは、南軍が敗北したあとの南部人のジレンマに対する
同情、そして共感といったところでしょうか。

 

この「配給量食の誓い」についてまず説明しておきましょう。

南北戦争がコンフェデレート軍の敗北に終わり、南部が連邦軍の管轄下に入った後は、
南部に住む人々は、まず米国憲法と奴隷制度の廃止への忠誠を誓い、
初めて食糧配給を受ける資格を得ることができました。

つまり負けた側の人々は、民衆であっても北軍の軍門に降ると誓わされたわけで、
これを拒否すれば飢えて死ぬしかないという状態に置かれたのです。

かつて奴隷を持ち、裕福な暮らしをしていたこの南部の女性は、
敗戦後、食料を受け取るための誓いをいまや行わんとしています。

彼女の右手は北軍の将校が宣誓を行うために持った聖書に乗っていますが、
その視線は自分のドレスのスカートに隠れている男の子に向けられており、
彼女の決心が自分のためでなく我が子を飢えさせないためだったことを表しています。   宣誓を執行する将校の前の樽の隣に立って食料の入っているバスケットに
肘をついて女性を眺めている黒人少年は、かつての彼女の使用人でした。
  正確には、黒人少年にとって彼女はかつての主人の愛人という設定です。
敗戦によって彼女は奴隷だけでなく、庇護してくれるパトロンも失ったのです。   製作者のロジャースは、南部の女性が彼女の飢えた家族の食糧を確保するために
かつての敵に忠誠の誓約をするときの様子を、   「まるで裁判にかけられたマリー・アントワネットのような」   と評しています。   しかしながら富から貧困へと転落するこの瞬間も彼女は決して卑屈ではなく、
北軍の将校はそんな彼女に敬意を払って帽子を脱いでいます。     南北戦争後、ユニオン(北)軍は援助と引き換えにこのように宣誓を求め、
同時に旅行、政治的役職、物品の購入、または私有財産を保証しました。   Random Thoughts on History:
バスケットの黒人少年はごく最近解放された奴隷で、裸足にボロボロの服、
肩から落ちそうなシャツは彼の貧困がずっと前に始まったことを示唆しています。   彼は不可解な表情で愛人をじっと見ています。     戦後、北軍だったアメリカ人は今まで戦っていた相手と再会するということになり、
かつての敵に対する罰や寛容性が国の進路をどのように導くかを踏まえつつ、
感情的な問題にいかに対処していくかという困難に直面することになりました。   アブラハム・リンカーンは、2回目の就任式で、   「悪意を持たず容認することがこれからの国家にとって何よりも肝要である」   と演説し、それをうけてロジャースは、
南部の尊厳をそのまま尊重する北部の寛大さをこの彫像に表したのです。   彼のこの彫刻は南北どちらの人々にも人気がありました。
  多くの元北軍側の人々は、将校の騎士道的な女性への立ち居振る舞いを称賛し、
元南軍側の人々は、この場面を誇り高い南部の女性への賛辞と考えたからです。   黒人の少年については様々な解釈が生まれました。
ほとんどの人々は、彼が自分の目撃したものの重要性をまだ理解していない、
と感じ、ある執筆者は「少年は愛人の状況の変化に感謝している」と見ました。   もっとも皮肉な見方をする人によると、
「苦い薬を飲み込んでいる間、彼女がどんな顔をするか
真剣に見届けてやろうとしている」
ということになるのですが。
つまり、黒人少年の内心の復讐心をその表情に見たということでしょうか。  

ジェームズ・シューメイカー大佐 
Colonel J.M. Schoomaker (1842- 1927)

南北戦争では連合軍の大佐を務めた人物ですが、戦後
ピッツバーグに最初に鉄道を敷いた会社の副社長となりました。

南北戦争が始まった時ペンシルベニア西部大学(現在のピッツバーグ大)
の学生だったシューメイカーは、13カ月間指揮官として北軍を率い、
その間何度もめざましい戦果を挙げ、叙勲されています。

ピッツバーグに生まれ、ピッツバーグのために戦い、そして
ピッツバーグのために鉄道敷設に余生を費やし、そして
現在はピッツバーグのホームウッドにある墓地で永遠の眠りについています。

 

続く。

 

 


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