新東宝映画、「大東亜戦争と国際裁判」二日目です。
大東亜戦争をかいつまんで説明していくスタイルは、まるで
おさらいをしてもらっているような感があります。
高校の日本史の授業で見せたらいいのではないかとふと思いました(提案)
さて、アメリカ大使館がクレームをつけた部分は他にもあって、
それはハルノートに続き、日本大使館が最後通牒を手交するのに手間取り、
その結果攻撃が先になってしまった(攻撃より1分でも早ければよかったわけです)
というシーン。
「日本の行動を正当化する以外の何ものでもない」
という理由で削除を求めてきたそうです。
正当化も何も、大使館の事務ミスが結果的に最後通牒なしの攻撃になったのは
歴史的な事実であるというのに、削れとはいかなる言い分でしょうか。
しかし、制作側はこれを飲んだらしく、大使館がタイプに苦労するシーンは
かなり詳細に描写されていたにもかかわらず、全てバッサリカットされました。
(大使館員役の人が気の毒・・)
さて、前回の部分で描かれた如く、開戦以来日本は押せ押せのイケイケでした。
その頃、近衛元首相邸に吉田茂元駐英大使が訪問しています。
「今こそ平和交渉のチャンスと考えます」
この吉田茂役、そっくりでしょ?
似ている俳優がいなかったのか、一般公募で選ばれた素人さんです。
確かにそっくりですが、映像を見ると音声と口が全く合っていません。
素人の悲しさ、セリフどころか発声ですら全く話にならず、
こっそり吹き替えしたのではないかと思われます。
吉田は勝っている今こそ和平工作を行い終戦させるように勧告しますが、
イケイケの軍部(そして何より国民)の前には、近衛ならずとも
何も動かすことができなかったのは歴史の示す通りです。
■ 反撃
しかし、ここまで劣勢だったアメリカが情勢を転換させる
乾坤一擲の打開策として、帝都東京を爆撃するという
「ドゥーリトル爆撃」を慣行したのでした。
こちら帝国海軍旗艦「大和」では、聯合艦隊司令長官山本五十六(竜崎一郎)が
東京空襲をすなわち米軍の反撃が始まった、と呟きます。
そして威儀を正し、
「陛下の御ためにもなんとしても早期決戦として敵の空母を叩く」
そう、日米戦の勝敗の転換といわれるミッドウェイ海戦に突入するのです。
聯合艦隊は出撃直後、米潜水艦によって発見され、
日本機動部隊がミッドウェイに向かっていることが知られてしまいました。
アメリカ空母機動部隊はすでにミッドウェイ周辺になく、
日本機動部隊は待ち受けた罠の中に突っ込み、
開戦以来の死闘を余儀なくされた。(とナレーター)
結果、聯合艦隊は大型空母4隻を始め、機動部隊の主力を失い、
ここで大東亜戦争は文字通りの転換期を迎えてしまうのです。
そして、戦いの前線はソロモン群島に移りました。
ガダルカナル島をめぐっって死闘が繰り返される中、
山本長官はラバウルにあってアメリカの反攻を食い止めんと
陣頭指揮にあたりましたが、
無線を解読したアメリカ軍は、ワシントンのノックス海軍長官直々の
「山本を葬れ」という指令の下にP-38で長官機を待ち伏せ、
これを撃墜して我が方は聯合艦隊司令長官を失います。
その後相次ぐ敗戦に、鈴木貫太郎首相は終戦を工作しますが、
本土決戦を望む軍部はそれを退け、戦局はより絶望的な道を辿ることに。
このあと戦況は日を追うにつれ悪化し、サイパン島陥落後、
東條内閣は解散に追い込まれました。
アメリカの映画や漫画などで、ヒトラー、ムッソリーニと並んで
東條がまるで彼らと同じ独裁者であるかのように登場することがありますが、
任命された総理であり、政治結果を問われれば更迭される身分であることを
ほとんどのアメリカ人は知りもしなかったということになります。
そして追い込まれた日本は取ってはならない戦法、特攻を選んだのでした。
特攻隊の隊長がなぜか丹波哲郎。
人間魚雷といわれた「回天」も、若い命を乗せて散っていきました。
天一号作戦で生還を期さぬ戦いに赴く戦艦「大和」の
艦長有賀幸作中佐(菊池双三郎、似てない)。
軍令部次長、第二艦隊司令伊藤誠一中将(船橋元、
どちらかというとこちらの方が有賀っぽい?)。
なぜか大和副長能村次郎大佐に天知茂が!
と、惜しみなくちょい役に有名どころを使っている当作品です。
ちなみに、本作登場人物は述べ5千人に上ります。
大和の三人はセリフがなく、双眼鏡をのぞいているだけの出演です。
そして世界最大の不沈戦艦大和は九州南西海上に至るや、三時間の猛襲ののち沈みました。
それは同時に日本海軍の最後でもありました。
聯合艦隊を失い、サイパン、グアムを落とした日本本土には
連日のB-29により都市爆撃が襲いました。
「都市と一般人を攻撃することで国民の戦意を失わしめる」
というドゥーエの理論そのままに・・。
米英ソ三国が突きつけてきた、日本に対する無条件降伏の勧告、
三国共同宣言について首脳会議が行われました。
「日本から軍国主義を排除」
「日本領土を北海道、本州、四国、九州に限定」
「軍隊の武装解除」
東郷外相はこれを受け入れるべきという考えでしたが、
徹底抗戦を訴えたのが阿南惟幾陸相(岡譲司)でした。
米内光政海相(坂東好太郎)は受け入れ派です。
しかしそんなことをやっている間に、
アメリカは世界初の原子爆弾を広島に落とし、
一瞬にして三十万人の非戦闘員を殺傷しました。
三日後には長崎にも。
ソ連が日ソ不可侵条約を破って満洲に侵攻してきたのも同じ8月9日でした。
そしてついに天皇陛下のご聖断がくだりました。
日本はポツダム宣言を受諾する旨鈴木首相が閣議で告げたその夜、
つまり8月14日、阿南陸相は自宅で切腹による自決を遂げます。
8月30日、連合軍最高司令官マッカーサーがバターン号で厚木に到着しました。
彼曰く「私の国」を勝者として統べるためです。
9月2日、東京湾上の「ミズーリ」艦上で日本の降伏調印式が行われました。
降伏文書にサインする重光葵。
占領軍の総司令部はお堀横の朝日生命ビルに置かれ、
直ちに占領政策を進める一方、勝者が敗者を裁く、
軍事裁判を行うための準備を進めました。
戦犯第一号として逮捕が指示されたのは東條英機でした。
東條は妻と娘に、実家に帰っているようにといいます。
「アメリカが自由に発言する機会を与えれば、
わしは堂々と所信を述べて戦争の責任を取る。
しかし、晒し者になるようなら覚悟はできている」
そのとき、表にジープや車がやってきました。
連合国が身柄を確保に来たのです。
東條は夫人と令嬢を裏木戸から出るように促し、
兼ねてから覚悟のとおり引き出しの銃を取り出しました。
監督は登場夫人に話を聞き、その時の会話もほとんど
そのとおりに再現していますが、夫人からは
「米軍は(脚本に書かれているより)もっと荒っぽかった」
と指摘されたので、東條が自決を図るための銃声が聞こえた後は
ドアを足で蹴破るなどの演出をした、とノートにはあります。
(しかし実際にはそのようなシーンはない)
元々の脚本では、東條はこのとき、
「儂は間違っておらん・・・戦争は正しかったのだ」
となっており、撮影もされたそうですが、完成時にカットされました。
もちろんその筋の「検閲」に対し自主規制した結果です。
「儂に生恥を欠かすなと伝えてくれ」
映画ではこう切れ切れに苦しい息の下から護衛に告げています。
それにしてもこの角度、東條英機に似てますよね。
妻は生垣に屈んで、銃声が聞こえた時に
早く楽に逝かれますように、と唱えていたそうです。
その後、戦犯の逮捕が始まりました。
東條は命を取り留めましたが、米軍はこれを失態と感じ、
とにかく生きて捕らえることを至上命令としました。
近衛公(高田稔、似てる)。
弟は指揮者の近衛秀麿ですが、ヨーロッパで指揮者として活動していた頃、
ナチス嫌の彼は、たびたび彼らの意向を無視し嫌がらせを受けていました。
ある日、総理となった文麿が電話で
「ドイツ大使館からお前のことで文句いわれている。
総理の面子を保つため、お前ナチスの言うことを聞いてくれないか」
と言ってきたのに憤慨し
「弟が自分の信念を貫くために苦しんでいるのに、
そんな言い方はないだろう!」
以後、終戦になるまで文麿と秀麿は音信不通だったそうです。
次男(和田孝)が裁判の公正性から、父が罰せられることなどない、
と希望的観測を述べるのに対し、近衛は
自分の責任を痛感している、と眉を曇らせます。
おそらく彼はこの裁判に「正統性」などないことを知っていたはずです。
ここにいるのは次男ですが、近衛の長男はこの頃
シベリアに抑留されており、抑留中病死しています。
だからこそ裁判の前に自死する道を選んだのでしょう。
ドイツから帰国した弟の英麿は、兄が自殺するのではないかと
薬物を捜索したものの見つけることができず、
安心して隣の部屋で寝ていたら死んでいたということです。
青酸カリは風呂の中にまで持ち込んで見つからないようにしていたものでした。
小森監督は近衛文麿夫人にも直接話を聞いています。
戦犯指名された人々が収監されていた巣鴨拘置所はこの映画公開1年前、
最後の戦犯が釈放され、閉鎖されたばかりでした。
その後取り壊され池袋サンシャインシティになったのはご存知の通り。
ですから拘置所内部もかなりリアルに再現されています。
日本人被告たちの弁護団の会議が行われています。
その弁護方針について林逸郎弁護士が説明します。
1、日本が侵略者ではなかったことを証明すること
2、何を置いても天皇陛下への訴追がなされないようにすること
ここでアメリカの検閲に備え、当初の脚本になかったシーンが挿入されました。
弁護人島津久大(江川宇礼雄)が、国家弁護には限りがあるから、
個人の刑を軽くすることに注力すべきだと異論を唱えるのです。
それに対し林逸郎弁護士(沼田曜一)は、
「あなたは国家弁護をしないで個人の弁護ができると思いますか」
すると顔を硬ばらせて、島津弁護士は
「あなたは幾千万の血を流した今度の大東亜戦争が
正しかったと思ってるんですか」
実際に島津弁護人がこのようなことを言ったという記録はありません。
児島譲の「東京裁判」でも読んだ記憶がありません。
これに対し、戦争そのものを正しかったと思う人間はいない、しかし、
国家にも自衛権があるはずだという林に対し、島津は嫌悪感をあらわにします。
これもまた、「戦争の美化、正当化を否定する登場人物」を加える、
という配慮のもとに付け加えられたシーケンスです。
日本人弁護団団長清瀬一郎弁護士(佐々木孝丸・全然似てない)が一言。
「どちらかを優先させるということでなく、あくまで法律の立場から
今度の戦争の真の原因とその責任の所在の限度を明らかにすることが必要です」
本当に起こった論争ではないので、このセリフは創作となります。
でも、一言言わせてもらうならば、限度は向こう(勝った方)が決める、
つまりこちらにそれを明らかにする権利はないのでは?
限度をできるだけこちらの立場に有利に勝ち取るのが弁護人の仕事ですよね?
さらに、児島㐮の「東京裁判」によると、個人弁護に反発したのは
「軍人嫌い」だった滝川政次郎法学博士だったとされています。
実際の弁護団の弁護方針が一致しなかったというのは事実通りです。
いよいよ市ヶ谷において極東国際軍事裁判が開廷されました。
陸軍士官学校の大講堂が法廷に使われ、そこは一部のみ現在の場所に移設され、
市ヶ谷記念館として一般公開されています。
開廷したのは昭和21年5月3日。
国家指導者というカテゴリを意味するA級戦犯として
軍事法廷で裁かれるのは全部で28名となりました。
清瀬一郎、林逸郎を始めとする日本人弁護団。
入廷する被告たちの家族も来ています。
撮影は実際に市ヶ谷大講堂で行われたのではないかと思われます。
連合国判事が入廷する中、一人落ち着きのないのが
ご存知大川周明(北沢彪)。
「パジャマをシャツがわりに着込み、鼻水をたらしたまま
只管合掌しているかと思ったらボタンを外して胸をはだけ腹を出した」
(児島㐮:東京裁判)
開廷の宣言を行ったのは法廷執行官である
D・バンミーターアメリカ陸軍大尉です。
裁判長であるオーストラリアのサー・ウィリアム・ウェッブ
(W・A・ヒューズ、割と似てるけどイケメンすぎ)が、
開廷の辞を述べました。
「しかしながら彼らがどんな重要な地位にあったにせよ、それがために
最も貧しき一日本人兵卒、あるいは朝鮮人番兵が受ける待遇よりも
より良い待遇を受けしめる理由とはならない」
このときの有名な一節は、法に仕えるものが憎悪と復讐の感情で
裁判に臨んでいる、と取られ、米人記者ですら不快と取れる論評を残しています。
裁判が始まるなり事件が起きました。
挙動不審だった大川周明が、東條の頭を音が出るほど叩いたのです。
映像に残されているのは1回目で、軽く叩く程度であり、
東條は振り返って苦笑いしているのですが、2回目は
大川を笑わずににらんだ、と記録にはあります。
「インディアン、コメン・ジー!(ドイツ語で”こっちこい”)
このあと精神鑑定を受け松沢病院に入院した大川は、
インタビューに来たアメリカ人記者に滑らかな英語で
「アメリカは民主国家ではない。”デモクレイジー”だ」
といい、記者もケンワージー憲兵中佐も笑い転げました。
入院中彼はコーランの聖典の翻訳を見事に完了し、
月・英語、火・ドイツ語、水・フランス語、木・中国語、
金・ヒンズー語、土・マレー語、日・イタリア語でしか話さず、
精神疾患は詐病ではないかと疑いを持たれていましたが、
正式な検査により、梅毒が「脳に回った」精神障害であると認定されています。
裁判は続いて罪状認否に移りました。
続く。