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映画「大東亜戦争と国際裁判」〜判決と処刑

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映画「東京裁判」以前に、これほど極東国際軍事裁判の内容について
史実に沿って作られた映画はなかったのではないかとわたしは思います。

記録に残された裁判における出来事と照らしても、かなりの点
忠実であろうとしている様子が窺い知れるのです。

しかし、ときおり実際にはなかったことが挿入されています。
例えば、東條英機がキーナン検事から

「(開戦を決定したことについて)間違ったことをしたと感じていないのか」

と聞かれ、

「あなたにアメリカ人として愛国心があると同様、私も日本人として
愛国の精神に基づいて行ったのである」

というシーンがありますが、東條は法廷ではこう言っていません。
実際の法廷での発言は、簡単に

「間違ったことはしていない。正しいことを実行したと思います」

というものでしたが、それに対し、キーナンが

「それではもし無罪放免になったら再び繰り返すつもりか」

と尋ねたので、ブルーエット弁護人が途端に異議を叫び、

裁判長が質問を退けたため、
東條はそれに対する返答をしないまま終わっています。

映画の東條の台詞は、このあと彼が夫人と面会したとき、夫人の勝子が

「あなたがキーナンの質問を肯定なさりはしないかと気が気ではございませんでした」

と言ったのに対し、実際に答えたという言葉から取られています。

「返答したとしても大したことはなかったろう。
あくまでも答えろというのであればこう答えるつもりであった。
全アメリカ人がアメリカを愛する如く私も日本人として
愛国の精神に基づいて行ったのである、と」

 

■ 判決

 

検事側の最終論告が始まりました。
4月29日、天皇の誕生を祝う「天長節」に始まった裁判は、
2月21日の「紀元節」に『閉幕のコーラス』に擬えられる最終論告を行う、
というのは、あるいはキーナン検事の「演出」だったかもしれません。

これも要約してみると、

「日本の戦争が自衛のためだったという主張は暴慢無礼の他ない」

「にもかかわらず日本は平和を求めたというのは厚かましい」

「真珠湾攻撃は詐欺、欺瞞、不誠実を象徴する」

「被告は誰一人として人類の品位というものを尊重していない」

ゆえに、被告たちは

人類の知る最悪刑に値する

というのがキーナン検事の論告でした。

このあと記者団に質問されると、彼は

「イエス、死刑だ。遠慮なくロープを使えという意味だ」

と答えました。
この最終論告にははっきりいって罵言に満ちた剥き出しの悪意に満ち、
被告の一人鈴木貞一企画院総裁のいうところの

「復讐心の満足と勝者の驕慢心以外のなにものでもない」

という品位のなさが横溢していました。
もっとも、キーナンの論告はまだ「まし」な方で、ソ連検事のそれは
その勢いで行くと全員死刑しかないのでは、というほど峻烈なものでした。

廣田弘毅外相夫人静子が法廷の傍聴からの帰り、
娘に向かって

「どんなことがあっても廣田の娘として強く生き抜くんですよ」

と思い詰めたように語っているシーンですが、実際には
静子夫人は裁判開廷前の1946年5月18日にすでに自宅で服毒自殺をしています。

夫人は夫が収監されて最初の面会の後、裁判の見通しを聞かされたのか

「パパを楽にしてあげる方法がある」

と家族に言っていたということです。
裁判の傍聴には二人の娘だけがきていました。

そし11月12日、判決言い渡しの日がやってきました。

判決は一人ずつ入廷して行われます。
法廷内は眩しい映画用のライトと多数の電球に照らされていました。

「被告荒木貞夫、被告を終身刑に処する」

土肥原賢治大将=絞首刑(デス・バイ・ハンギング)

広田弘毅元首相=絞首刑

実際の廣田がそうであったように、目を瞑って話を聞いています。
判決の後、廣田は傍聴席の娘たちを見遣りました。

そして実際は彼女らに微笑んだのですが、映画ではそうしていません。

廣田元首相の極刑はだれも予想していませんでした。
極刑の通訳をやりたくないので、

「助かる廣田さんをやりたいから」

とわざわざ東條と代わった二世通訳の林秀一は「あまりのことに
蒼白の顔を引きつらせながら機械的に通訳」したほどです。

板垣征四郎大将=絞首刑

「不動の姿勢で聞き、回れ右をして去る。礼はしない」(東京裁判)

木村兵太郎大将=絞首刑

「姿勢を正して聞いていた」

武藤章中将=絞首刑

「やはりそうか、という感じでうなずき、微笑して軽く黙礼した」

松井石根大将=絞首刑

「二、三度軽くうなずいた」

東條英機大将=絞首刑

「両手を背に組み、ゆったりと現れた。
わかった、わかっとる、といいたげにうなずいた」

東條は判決前日、運動場を歩きながら

「この青空を見るのは、これが見納めかなあ」

と「屈託なげに明るい声で」いい、その声に振り返った
大島駐独大使に微笑しています。

面会に来た夫人には、「七つの喜び」として

1、裁判が順調にうまくいって皇室にご迷惑をかけずに済んだ

2、東條邸が財閥に金をもらって建てられたと報道されたが誤解が解けた

3、長兄、次兄が早死にしたが自分は64歳まで長生きできた

4、これまで健康で過ごしてきた

5、巣鴨に入ってから宗教を真剣に味得した

6、日本で処刑されるので日本の土になれる

7、敵であるアメリカ人の手で処刑されること、戦死者の列に加わること

が嬉しい、と語りました。

東京裁判の判決はニュールンベルグ裁判より軽いものであろう、
と予想されていましたが、全員が有罪となり、死刑七人、終身刑十六人、
有期刑二人とニュールンベルグ以上でした。

厳しく被告たちを糾弾したキーナンですが、個人的には

「なんという馬鹿げた判決か。
重光は平和主義者だ。無罪が当然だ。
廣田が死刑などとは全く考えられない。
松井の罪は部下の罪だから終身刑がふさわしい。
廣田の罪はどんなに重くても終身刑までだ」

とその晩「ヤケ酒」を煽りながら語ったそうです。

逆に巣鴨に拘置されていた未起訴組の間では、絶対に死刑だろう、
といわれていたのが海軍の嶋田繁太郎大将でしたが、大将は死刑を免れました。

判決に対しては5名の判事が意見書を提出しています。

フィリピンのハラニーヨ判事だけはもっと厳格に処罰するべき、
という意見でしたが、インドのパル判事は全員無罪、
オランダのローリング判事は独自の量刑を述べていました。

ローリング判事の意見は

「嶋田、岡敬純中将、佐藤賢了中将も死刑にすべきだが、
畑俊六、廣田、木戸幸一、重光、東郷茂徳は無罪」

というもので、また政府の政策を実行した軍人は無罪、
という考えでした。

フランスのベルナール判事は

「起訴不起訴の権利は検事側に一方的に握られ、
裁判所には基礎を構成に指導する立場も機会も与えられず、
被告は”不当な責任”を追求された」

「天皇が一切の訴追を逃れたのは”不公平である”」

「判事国は主導権を多数派が握り、少数派国の意見は軽んじられた」

という意見書を出しました。

ちなみにフランス判事オネトは法廷でフランス語の使用を禁じられ、
これに怒り狂ったことがあり、フランス人の誇りにかけて、裁判長に対して
真っ向から噛みついたところ、「愛国者は誰であれ評価する」
というキーナン検事がこれに対し拍手をしたというエピソードがあります。


そして、ウェッブ裁判長自身も個人意見書を出していました。

「裁判所には共同謀議を犯罪にする権限はない」

「日本の被告にナチスドイツ被告より重罰を科すべきではない。
どの被告も死刑を宣告されるべきではない」

「ただし、刑は見せしめのために行うものであるから、
絞首台の上や銃殺隊の前で素早く命を経つよりも、
日本国内または国外に流刑にしたほうがよい」

「天皇は進言によって行動したとしても責任を逃れられないが、
本官は天皇を訴追すべきだったと示唆するものではない」

「つまり被告は全て共犯であり、天皇が免責されるなら被告も減刑されるべきだ」

そしてパル判事の意見書は日本文訳1219ページに及びました。
その主張は東京裁判の違法性と起訴の非合理の強調に貫かれていました。

そして、日本が戦争に踏み切ったのは自ままな侵略のためではなく、むしろ
「独断的な現状の維持」制作を取る西洋諸国によって挑発されたためである、
と弁護側の論調をほぼ全面的にしたものとなりました。

「ハルノートのようなものを受け取ったらどんな小国でも立ち上がって戦うだろう」

「原爆の投下の決定はナチス指導者の指令に近似した唯一のもの」

つまり、裁く者の手も汚れている、というのがパル判事の意見であり、
その結果が被告全員の無罪主張でした。

■ 処刑

映画では、映画的手法として、まず清瀬弁護人が執務室の窓辺にたたずみ、

「わたしは戦争を憎む」

と物思いにふけり、街角で廣田弘毅の助命嘆願署名を集める
廣田の家族と関係者、続いて東條と最後の面会をする家族の姿が語られます。

映画ですのでどうしてもドラマとして盛り上げるため(それでなくとも
裁判シーンが多く盛り上げる部分が少ないので)、娘たちが号泣したりしますが、
実際は夫人に皆に伝えて欲しいこと(皇室に迷惑をかけずに済んだことを感謝していること、
大和民族の血を信じているから前途に明るい見通しをもって死んでいくということ)
を筆記させたのち、微笑してあっさり立ち上がるなど、飄々とした風だったといいます。

そして映画と実際の大きく違うのがこの点です。
先ほども書いたように廣田元首相の妻は裁判前に自決していたのですが、
映画では判決を聞いてから命を絶ったということになっています。

そして廣田は最後まで妻の死を知らずに処刑された、ということになっています。
もちろんこれは演出です。(どうしてこの部分を変えたのか理解に苦しみますが)
廣田は妻の訃報を聞いた時も
「二度三度とうなずき、ひとことものべなかった」(東京裁判)

そして最後に家族が面会に行った時も映画のような愁嘆場はなく、ただ
となりの板垣大将と家族をチラッと見て

「まァこんなことになったのもこの軍人のバカどものおかげだなあ」

と冗談を言っていたそうですが、それでは映画として
観ているものが混乱すると考えたのかもしれません。

廣田元首相本人によると、その板垣大将のことを

「私のところにきて、あなたのような人を引っ張り込んで
誠にすまん、と頭を下げていたよ」

と話していたこともあるそうです。
その板垣大将と家族の対面も笑い声が絶えないといったものでした。

七名の死刑が行われたのは12月23日の早朝でした。
処刑の立ち会いを命じられたアメリカ対日理事会米国代表の
シーボルトは、この日が皇太子の誕生日であることに気がつきましたが、
マッカーサー元帥はこのことについて何も言いませんでした。

前日の午後11時40分、特別に用意された仏間に、
土肥原大将、松井大将、東條大将、武藤中将が入ってきました。

各自手錠をしたまま墨で署名させられていますが、
これは実際と違うような気がします。

処刑の通告を受けた時、東條大将は最後の望みを聞かれ
ニヤリと笑って

「日本人だから日本食を食べさせてもらいたい。
ついでにいっぱいやりたい。つまらぬことだが・・」

と答え、アメリカ人の所長は、

「オールライト、サー」

と答え、「最後の一杯」として紙コップに注がれた葡萄酒が
仏間で手錠をした四人(処刑を二回に分けた)に出されました。

望んだ日本酒ではなかったものの、望みが叶えられたことに
東條大将は満足そうだったと伝えられます。

11時56分、最後に松井大将が音頭をとって万歳三唱が唱えられました。

「大日本帝国万歳、天皇陛下万歳、万歳、万歳」

そして、映画ではケンワージー憲兵大佐と見られる人物に挨拶をし、
手を握って見送られています。

迷人‎⍟Q太郎‎ on Twitter:

オープレー・ケンワージー憲兵中佐。
東條大将の頭を叩いたあと、大川周明を押さえている人です。

花山勝教誨師は四名の前を念仏を唱えながら進みました。

そして刑場の入り口で「ごきげんよろしく」と握手をして別れました。
このとき、東條、松井大将は手にかけていた数珠を外し、
家族への形見として花山教誨師に託しました。

午後11時59分、四名は処刑場に入り、午前零時、
執行官が彼らの黒いフードを被せ、処刑準備完了を報告しました。

映画では東條大将はフードを外し、これから登る十三階段を凝視しています。
そしてたった一人で階段を登って行きますが、これはもちろん演出です。

12月23日午前零時1分30秒、「プロシード」という号令とともに
執行係の軍曹がレバーを引くと、轟音とともに落とし板が撥ね、
絞首刑の執行が完了しました。

「身はたとえ 千々に裂くとも及ばじな 栄ゆる御世をおとせし我は」

映画では前日に遺したとされる遺詠のうち一句が紹介されています。
残りの三句は、

「我ゆくもまたこの土にかへり来ん 國に酬(むく)ゆることの足らねば」

「さらばなり苔の下にてわれ待たん 大和島根の花薫るとき」

「明日よりはだれにはばかるところなく 弥陀のみもとでのびのびと寝む」

映画のエンディングのナレーションは次の通り。

暗いページが閉ざされ、新しい時代の若い日本が平和国家として誕生した。
もう戦いの爪痕はどこにも見られない。

しかし、わたくしたちはわずか十数年前、戦争という現実の中に経験した
数々の悲しみ、憤りを永久に忘れることはできないだろう。

この真新しいページに二度と再び戦争という文字を書き込んではならない。

めでたしめでたし、と言いたいところですが、これは改訂後のバージョンで、
最初は

「アジアの諸民族も共存共栄の夢が実を結び、次々と独立した」

「亜細亜は一つ・・・アジア民族は永遠に限りなき前進を続けるであろう」

というものであったといいます。

これが失くなったのは、誰の、誰に対する配慮だったのかということを考えると
完成後のこの良くも悪くも戦後日本の論調を象徴するような文言には
いろんな製作者の苦渋と妥協の結果が透けて見えるような気がします。

完成した映画は昭和34年の正月映画として封切られ興行的にも成功を収めました。

 

ちなみに小森監督は、後年本作について書いた文章の中で、完成映画について
アメリカ大使館から

『特に反米的には描かれていない』

といわれた、と記しています。

 

終わり

 


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