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「コーヒーポット・ジョー二世」の除隊・第二次世界大戦海軍資料〜兵士と水兵のための記念博物館@ピッツバーグ

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ピッツバーグの「ソルジャーズ&セイラーズ・メモリアル&ミュージアム」
の回廊はいよいよ近代海軍の展示が始まり、思わず盛り上がるわたしです。

■ 航法のための設備いろいろ

「ジャイロスコープ・コンパス」と説明があります。
つまり略してジャイロコンパスですね。

転輪羅針儀という言葉もありますが、日本語でもジャイロスコープです。

一応説明しておくと、高速回転するコマが回転軸の方向を保とうとする性質と、
自転する地球のの表面において回転軸を水平に保った場合に、
ジャイロ効果のジャイロモーメントにより
ジャイロスコープの回転軸が一定の方向に向く作用(プリセッション)を利用し、
方位を知ることができるのです。

見るからに旧式のジャイロとお見受けしますが、説明によると
やはりこのタイプが商標を取ったのは1919年のことでした。

このモデルはニューヨークのスペリー・ジャイロスコープカンパニーによる製造で、
第二次世界大戦に参加したアメリカ海軍の艦船のほとんどが使用していました。

この自転車の空気入れみたいなものは、フォグホーン、つまり
霧笛ということになります。
USS「ホーネット」に搭載されていたものだとか。

こんな小さな機械で無敵の役割を果たすのかと思いますが、
当時の霧笛音発生器は「ダイヤフォン(Diaphone)」方式と言って、
遠くまで届く深い、大きな音を発生させることができました。

Vintage 1940s Gamewell Diaphone Fire Alarm Horn w/ Switch Valve RARE! |  #407931543

典型的なダイヤフォン、小型の「ゲームウェル・ダイヤフォン」は
こんな形をしているわけですが、・・・あれ?

これと同じ形のものが江田島の旧海軍兵学校校舎についていたような記憶が。
あれはもしかしたら霧笛だったのでしょうか。
そもそも瀬戸内海に霧は発生するのかって話ですが。

それはともかく、音を増幅させるのに必要だったのが
ダイヤフォンの場合は圧縮空気であるわけです。

艦上でこの音を発生させる時、空気を圧縮するのに
この自転車の空気入れみたいなのを使ったわけですね。

どうして圧縮空気があのボーーーーという音になるのか、
どうしても知りたい方はこちらをご覧ください。

こちら

 

このブログでも何度も紹介しているエンジンテレグラフです。

船がスピードを変更する時、操縦者は艦橋(船橋)から機関室に
「エンジンオーダーテレグラフ」の表示を手動で動かし、
コニュニケーションをとります。

ブリッジにあるテレグラフが操作される時、ベルがなって
機関手にデバイスを同じ位置に変更して指令を確認することを警告します。

ここにあるテレグレフステーションは19世期から1950年台までの
スタンダードになっていた型式のものです。

右上はUSS「ニミッツ」にあった「バトルランタン」。
Battle Lantern とは、非常用の灯りと考えていただいていいかと思います。

戦闘による損傷、機器の故障、節電、およびその他の突然の出来事により、
艦内の一部に電力、そして光ががなくなるような事態に陥った時、
この電池式ランプは、エリアへの主電源が遮断されると自動的に点灯し、
長時間にわたって主電源から絶えず再充電され消えることはありません。

しかし艦のすべてのエリアにバトルランタンが装備されているわけではなく、
艦橋など最も重要なエリアのみで、ヘッド(トイレ)にはこんなものありません。

ですから、経験豊富な乗員は常に小さな懐中電灯を携帯して非常時に備えており、
停電が発生した時に消灯しているコンパートメントにいても、
活動を継続したりそこを離れることができるようにしていました。

というか軍艦で停電って、そんなにちょくちょく起こることだったんですかね。

その下にある鐘は時鐘ではなくランチング・ベル(Launching  Bell)といい、
進水式のセレモニーのために使われてそれっきりという鐘です。

道理できれいなわけですが、それではこのランチングベル、
どの艦の進水式に使われたかというと、

USS「ピッツバーグ」SSN-720

つまり1984年12月8日に一度鳴らされただけのものなんですね。

この「ピッツバーグ」は艦種記号をごらんになっておわかりのように、
原子力潜水艦、「ロサンゼルス」級となります。

720insig.png

ところで艦体よりもこちらのマークを見ていただきたい。
「ピッツバーグ」を表す象徴的なものが、実はこの
黄色い鉄橋だけしかないということがこれでおわかりですね。

USS Pittsburgh (SSN-720) participates in a dockside ceremony. Note the former USN jack waving from the front of the sub.

こちらが引き渡し式(commissioned)での「ピッツバーグ」。
艦首に立てられた旗の種類にご注目ください。

これは「ユニオンジャック」(イギリスのじゃないよ)というアメリカ海軍の
現在の国籍旗で、州の数が50になった1960年からこれを使用しています。

911の後しばらく、「わたしを踏みつけるな」の蛇さんでおなじみ、
ガズデン旗が使用されていましたが、2019年にまた元に戻りました。

 

原子力潜水艦「ピッツバーグ」は、湾岸戦争の「砂漠の嵐」作戦と
イラク侵攻に対する「イラクの自由作戦」で、いずれもイラクに軍に対し
トマホークミサイルを実射しています。

そして対テロ戦争が終結したとされた2019年に退役を行い、2020年4月という、
今にして思えばコロナ騒ぎ真っ最中の時期に除籍となっています。

ちなみに、奇しくも最後の艦長はピッツバーグ近郊の町カーネギー出身だったそうです。

■ 海軍のショア・リーブ(上陸)犯罪防止対策

この水兵服の人は、

2nd Class Electrician Mate

なので、海上自衛隊でいうところの電子整備かと思ったら、
左腕に「SP(Shore  Patorol)」の腕章をつけています。

つまりこのPetty Officer=下士官、二等兵曹はショア・パトロール、
つまりアメリカ海軍の憲兵ということになります。

海軍の場合、憲兵はMPではなくSPなんですね_φ(・_・

憲兵にSPの呼称を使用するのは米国海軍、海兵隊、沿岸警備隊、
そしてイギリスの王立海軍だけです。(海上自衛隊は知りません)

彼らSPは「リバティポート」における何百人もの乗員たちの
秩序を維持するという誰からも羨ましがられない任務を担っていました。

ところでリバティポートとはなんぞや、ということですが、これは
要するに軍艦が停泊し、乗員たちが「上陸」する港付近のことです。

ちなみに日本海軍並びに自衛隊でいうところの「上陸」のことは
英語では「Shore Leave」(海岸を離れること)といいます。

巷に「港港に女あり」という言葉が存在するほどに、何ヶ月かぶりに上陸する海の男は
一般的に、昔から悪い方向にハメを外すことが多く、要するにこのSPさんたちは、
そういった場合に起こりがちな事件や犯罪などを取締るために配置されていたのです。

この職種は若い彼ら自身にとってもなかなか辛いものに違いありません。
せっかくの上陸なのに、ハメを外すどころか人の素行を見張らなければならないという・・・。

船で抑圧された男性の集団が、港で解き放たれたときに起こってくる様々な問題。
これはある意味、およそ船というものができたころから存在する根深いものです。

というわけで、アメリカ海軍は最近になって、現役の軍人とその18歳以上のゲストを対象に、

「プログラム・21世紀の自由」

「プログラム・独身水兵」

なるものを定めました。

このプログラムは、すべての軍種の同伴者のいない軍人に、非番の際の
社会的、文化的活動、レクリエーション、運動、フィットネスなど、
安全でかつ健全な環境を提供することにより、軍人たちの個人の生活の質を高める、
ということを目的としています。

もちろん今時ですから海軍基地の施設ではインターネット、コンピュータを
だれでも無料で無制限に利用でき、ほとんどの場所には劇場があり、
テレビを備えたラウンジエリアには卓球台、ビリヤード台はもちろんのこと、
プレイステーション3やXbox360など最新のビデオゲームなども楽しめます。

スナックバーでは無料で様々なアイテムを楽しむことができ、時には
軍の企画したパッケージツァーにサインアップすると、
ちょっとした見学や遠足、観光なども楽しめるというわけです。
この勢いだとマッチングやブラインドデートなども・・それはないのか。

これらのプログラムの目標はひとえに潜在的な犯罪防止にあります。
SPの出番を招くという事態を防ぐため、至れり尽くせりにしているわけですね。

こちらは1944年から46年まで入隊していたシーマン、
ルース・ルドイ(女性です)の制服です。
WAVEも水兵は「シーマン」と呼ぶんですね。

写真はセーラー服の横のアフリカ系シーマン二人。

横に展示されているのは1944年から46年まで海軍に入隊していた
アルモ・J・マッコイJr.(右側)の制服です。

彼はグレイト・レイクスにある海軍訓練所のあと、
USS「J・フランクリン・ベル」USS「ジーン・ラフィット」(いずれも駆逐艦)
を経て、第34海軍建設大隊「シービーズ」に所属していました。

「シービーズ」Seabeesは文字通り「海の働き蜂」という名称ですが、
実は、

Construction Battalion(建設大隊)

のCとBで「CBs」からきています。

USN-Seabees-Insignia.svg

しかし工兵隊は「働き蜂」そのままのイメージだったので、こうなりました。
脚にいろんな工具を持って飛んでいる蜂・・脚ごとに階級が違います(笑)

この蜂のデザインは部隊によって少しずつアレンジされ様々なバージョンがあります

■ コーヒーポット「ジョー」二世

見かけは変哲もない昔のコーヒーポットです。
んが、このポットには何やら色々と文字が刻まれており、
しかも

「コーヒーポット ジョーCOFFEE POT JOE II」

なる名前が付いているようなのです。
しかも、後ろの写真には、テーブルの上の男性にこのポットでコーヒーを注ぎながら

「コーヒーポットジョー2が帰ってきた」

などと言っているようではないですか。
説明にはこうあります。

「第二次世界大戦に従事した水兵たちは、その海軍生活を
毎日のコーヒーなしに思い出すことはできません。

そのなかでもUSS『エルバン』(Erban DD631)に装備されていたこの
コーヒーポット『ジョー2』は乗員の仲間とされていました。

無線室勤務の乗員たちは、その長い勤務時間にちょっとした刺激を与えるために、
コーヒーポットをジョーと呼んでいました。
そんなある日、ジョーは修理不可能なくらい損傷してしまったので、
乗員のひとりが実家に手紙を書いて、新しいポットが調達できるか尋ねました。

そのリクエストをピッツバーグの新聞社が聞きつけ、報じたところ、
すぐさまペンシルバニア州ペン・ヒルズに住むアンナ・バレンシャガ夫人が
それに声を上げました。

「コーヒポットジョー二世」は1944年の7月から1945年の12月まで
「エルバン」で皆に愛用され、その間4度の戦闘と一度の台風を経験しています。

そして戦争は終わりました。

「エルバン」の乗員はそれぞれ艦を降りて故郷に戻っていきましたが、
そのうち三人の地元出身のもと乗員、H・C・キルドォー、ディック・ステファンズ、
そしてビル・ザビック(ジョンズタウン)は、ジョー二世に彼の「軍歴」と
送り主のバレンシアガ夫妻、そしてその家族への感謝の言葉を刻み、
ジョー二世を艦から降ろして彼を「民間人の生活」に戻すことにしました」

そしてポットに刻まれた言葉は次のようなものです。

USS「エルバン」DD631

★ グアム 1944年7月

★ フィリピン島 1944年10月

★ 沖縄 1945年3月 

★ 日本 1945年8〜9月

コーヒーポット ジョー II

1944年7月から1945年12月まで約2万回もの回数、
「エルビン」の男たちにコーヒーを提供してくれた

バレンシアガ夫妻とその家族には、祖国のために任務を行う
我々のためにコーヒーポットジョーを派遣してくれたことに
こころからお礼を申し上げるものである

我々は、自分たちの道を再び歩き始めるにあたって
ジョー ポット2を名誉のうちに除隊するものとする

ポットの反対側にはジョー2世にお世話になった
36名の当時の乗員の名前が刻まれているそうです。

( ;∀;)イイハナシカモ

 

このブースの下には航空機カタパルトが装備された軍艦の模型があります。
規模から言って巡洋艦のような気もするのですが、
案の定わたしには見当すらつきません。

どなたか心ある方の特定をお待ちしております<(_ _)>

 

続く。

 

 


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