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軍神の床屋さん〜真珠湾特殊潜航艇・古野繁實少佐

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古野繁實海軍少佐。
海軍兵学校67期、昭和16年12月8日、
特殊潜航艇乗組としてハワイ真珠湾の攻撃に参加、戦死。
死後二階級特進。

今日は12月8日。
真珠湾攻撃から今年で72年が経ちました。
このときに行われた航空機動部隊による攻撃は様々な媒体で語られますが、
そのときに真珠湾に突入した特殊潜航艇5隻の戦果は、
はっきりしたことが未だにわかっておらず、学者の研究対象になっているほどです。
それらは真珠湾を語るとき海面での戦闘に比べて語られることはありません。

しかし当時、このときに潜航艇で突入した潜水艦部隊の9人は、
生きて捕虜第一号となってしまった酒巻和男少尉を除き、
「真珠湾の九軍神」
として何よりも大々的にその功績を喧伝されました。

わたしは、時折情報チェックのために聴く、我が家の「ゆうせん」の
「軍歌・戦時歌謡」チャンネルで、「大東亜戦争海軍の歌」の二番、

あの日旅順の 閉塞に
命捧げた 父祖の血を
継いで潜つた 真珠湾
ああ 一億は みな泣けり
還らぬ五隻 九柱の
玉と砕けし 軍神(いくさがみ)

というのを聴くたびに、

「これがもし酒巻少尉も戦死して軍神が10人だったら、この歌詞は
どうなっていたのだろう。
九柱は語呂がいいけど、十柱は「とばしら」とでも読ませたかな」

など、とてつもなくどうでもいいことをつい心配してしまうのです。

結果に過ぎませんが、「9人」というのは据わりがいいというか、
「軍神の数」としては10人より「様になる数字」ではないかというか。

さて、今日お話しするその九軍神のうちの一人、古野繁實少佐は、兵学校67期です。
特殊潜航艇のこのときのメンバーは、隊長岩佐直治中佐が、65期。
66期がなく(松尾敬宇中佐は66期)古野少佐と横山正治少佐が67期、
広尾彰大尉と捕虜になった酒巻少尉が68期です。


特殊潜航艇のチームは、開戦時、大尉、中尉、少尉、という、
軍隊的には「実働隊」と言うべき若い士官が指揮官となりました。


その67期に、わたくしエリス中尉の敬愛する笹井醇一少佐がいることもあり、
このクラスについては当ブログで何度か記事にしてきました。
あるとき、兵学校67期であった親族をお持ちだという方、Y氏が、
インターネット検索によってそんな記事から当ブログを探し当て、

「海兵67期がどんな環境で学んでいたか教えていただけないか」

というご依頼をしてこられました。

その親族に当たる海軍軍人とは、潜水艦勤務で、ラバウルで戦死した
越山澄尭海軍大尉と仰る方なのですが、まず、越山大尉とクラスメートである、
この古野少佐の物語を、真珠湾攻撃の日に再掲させていただくことにします。

越山大尉の親族であるY氏は、67期の潜水艦乗りが、開戦までの間どうすごしたか、
そして同期の「軍神」になった同じ「どんがめ仲間」の古野中尉の戦死を
どのように見たのかの片鱗を、拙文より読み取っていただけますと幸いです。

なお、越山大尉について、一項を設けてその戦歴と級友の回想から、
在りし日の大尉の面影らしきものに迫ってみました。

近々アップしますので、これもご笑覧ください。



1941年12月8日。

真珠湾攻撃が航空機を主力とする機動部隊によって行われたとき、
同時に五艇の特殊潜航艇が湾内に突入しました。

生きて捕虜になってしまった酒巻和男中尉を除いた九人の戦死者をだれが言い出したか
(海軍当局の発表には軍神の文字はない)
「九軍神」
とマスメディアは高らかに謳い、国民は熱を帯びたように彼らを讃え、憧れ、世に言う
「軍神ブーム」が起こりました。

人々は競って、学校の生徒は教師に引率されて軍神の家に詣で、礼拝しました。
新聞記者は遺族に頷けばいいだけの問いを投げかけ、その答えが麗々しく紙面を飾り、
その家族は涙を見せることもできなかったといいます。




まだまだ実戦には不備が多く、時期尚早というほかないこの潜水艦での攻撃を
よく言われるように

「最初から戦果が期待されず、かつ生還を期さない特攻作戦で、
戦争突入の象徴として死んで軍神となる」

ことが目的だったということを、
当の彼らがどのくらいその覚悟の裏に感づいていたかは今となっては謎です。

なぜならこの計画を生みだしたのは彼ら自身とも言えるからです。





古野繁實中尉は福岡県遠賀に生まれました。
実家は里山を抱え込んだ広大な屋敷を持ち、代々庄屋をつとめた旧家。
六人兄弟の三番目で親の期待を一身に受けていました。

兵学校を卒業し潜水艦に配せられた古野少佐は、
同じ「どん亀乗り」の仲間と呉で下宿を始めました。
67期のほとんどがそうであったように、このとき少尉だった彼らは人生でおそらく
「最も楽しい時期」を過ごしたのでしょう。
航空ほどではなかったかもしれませんが、開戦前の六五期前後の若い海軍士官は
どこにいってもММ(モテモテ)だったといいますから。

呉で下宿を探し始め「その辺のたばこ屋のおばさん」に聞いて
紹介してもらった家に住み始めた彼らは、そのたばこ屋の隣にあった
「ナイスな女床屋さん」のいる床屋のお得意客となりました。

このきれいな床屋さんを、古野少尉はいたく気にいっていたようです。
同期の松下寛氏の戦後の回想―

「開戦前のある日、呉の床屋で古野君と会った。
彼は床屋の彼女に思し召しがあったらしく、
彼女の理髪する順番が廻ってくるまで、いつまでも待っていた」


古野中尉が特潜に行ったのは昭和16年の春のことでした。

潜航艇のメンバーの一人、酒巻少尉は、
受け取った転勤命令が暗号電報だったことに驚きます。

「たかが一海軍少尉の転勤に・・・」

そして、士官10人、下士官12人の

「その存在そのものが秘密兵器である甲標的搭乗員」

は、帽振れで送られることなく、元の配置から密かに姿を消したのです。
軍艦千代田に集められたその中には「平和への誓約」の主人公、
シドニー湾に特殊潜航艇で突入し戦死した松尾敬宇大尉の姿もありました。

真珠湾への甲標的突入は、当初訓練にいわば「無聊をかこつ」日々の中で、
搭乗員岩佐大尉を中心に自然に発生し、それを彼らが若さの情熱で具申し、
司令部詣でを繰り返した末受け入れられたということです。


生還の望みがないことを理由に、山本五十六司令長官は、
最初甲標的の参加を許可しませんでした。
さらには主力を自負する機動部隊方面からは

「甲標的にうろうろされては相手に気づかれるおそれがあるし、
もしそうなれば急襲が難しくなる」

という理由で、作戦そのものに否定的な意見が出されます。

しかし死を覚悟で作戦への認可を訴える若者の情に、
山本長官は最後にはついに
「ほだされた」
ということになっています。

この特殊潜航艇について全ての人が持つのは
「なぜ」
「何のために」
十人もの人間の生命と引き換えにするにはあまりに杜撰で無謀な、
かつ戦果の見込めない突入が行われ、
かつ機動部隊の華々しい成功者ではなく彼らが軍神となったのか、
という単純な疑問ではないでしょうか。


ここで思い出すのが「天一号作戦」、大和特攻を伊藤中将に説得した草鹿中将の言葉です。

「一億特攻の魁となっていただきたい」

成功の見込みの無い無謀な作戦に首を縦に振らなかった伊藤中将が
この一言で作戦を受諾したのです。

冷徹な作戦遂行の結果敗して死するのと、象徴としての死を最初から目的に戦うのと―
同じ死するのでも後者の死により意義があるという選択でしょうか。

死ぬことで後に続くものの精神的支柱、殉国の象徴となる、というのは
殉教者の真理であり、あるいはこれが当時の軍人の理想であったのかもしれません。



古野中尉は自分の任務についての一切を同居のクラスメートに語りませんでした。
新配置について一カ月後、かれは下宿を引き払います。

「当時はまだ真珠湾の計画はできていなかったと思われるので
彼自身に運命の切迫感を感じさせるものはなかったであろうが・・」

同居していたクラスメートの今西三郎氏はこう懐古します。

しかし、甲標的の何たるかと、その性能や目的などを目にしただけで、
おそらく古野中尉の中にはある覚悟と確信―
―自分は近々確実に死ぬであろうという確信が
芽生えていたことは想像に難くありません。

「貴様らのように命は永くないよ」

古野中尉がこうつぶやくのを今西氏は耳にしています。


そして、その言の通り古野少佐が軍神となってからのことです。

松下氏は前線帰りの髪を刈りにいつもの床屋に出かけました。
古野中尉がお気に入りだった美人がいる床屋です。

古野中尉が

「いつまでも自分の髪を刈ってもらう順番を待っていた」

のは、任務に就く直前のことだったのでしょうか。
それとも下宿を引き払う時だったのでしょうか。

いずれにしても、そのとき、古野中尉は気に入っていた女床屋さんに、
心の中でひそかに別れを告げたに違いありません。


その女性が、松下氏を見るとこう話しかけてきました。

「十二月八日真珠湾に攻撃をかけた特別攻撃隊の九軍神の中に
古野という名がありましたが、
わたしがいつも頭を刈っていたあの古野さんと同一人物なのですか」

そうだ、と松下氏が答えると、彼女は今更のように自分の手をじっと見つめ、
思いだそうとするかのようにしばし瞑想し、その後こう呟きました。

「あの人がねえ」










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