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徴兵制〜ハインツ歴史センター ベトナム戦争展

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ハインツ歴史センター「ベトナム戦争展」の次のコーナーは、
ずばり「徴兵」です。

まずこの「ベトナム世代」とされた図をご覧ください。

「徴兵対象である2700万人のアメリカ人男性のうち、
40パーセントが軍隊に従事し、250万人がベトナムで参戦した」

これをアメリカ人男性全体で表したのが下のグラフ?となります。

60%  入隊しなかった

30%  ベトナム以外で従軍

10%  ベトナムで従軍

徴兵制というと日本の赤紙ではありませんが、否が応でも引っ張られ、
対象のほとんどが激戦地に送られたというイメージがありますが、
これははっきりいって「意外な数字」だと思われませんか。

全人口ではなく、兵役対象者のうちベトナムに行ったのは10%なのです。

それでは、過半数を超える「入隊しなかった人々」というのは
いったいどういう手を使ったのか。
その言い方がまずければ、どういう抜け道があったのか。(余計まずいか)

合法的に徴兵を逃れた人はどのようにおこなったのか。

本日お話しするのはそんなことです。

ベトナム戦争が起こってから、18歳以上の男性は、選択的任務に登録する必要がありました。
彼らは26歳まで徴兵の資格を維持していました。

それぞれの人体一個は、徴兵対象の人員の1パーセントを表します。

■ 徴兵

アメリカ人は徴兵にさまざまな反応をした
社会的地位、人種的背景、代替行動の試み

ジョンソン大統領のベトナムへのより多くの軍隊の派遣命令は、
アメリカ人の18歳から26歳までの全ての男性に影響を及ぼしました。

兵役への登録は義務となっていました。

しかし、団塊の世代(ベビーブーマー世代)の該当者は、ベトナムはもちろん、
世界中の米軍基地での任務に必要とされるよりも多くなりました。

そのため選抜徴兵法(Selective Service)により、
多くの場合、教育を受けている者には延期を認め、
必要な人数だけを選び出すということをしていました。

このポリシーはなぜか「チャネリング」と呼ばれていました。

チャネリングというと

「高次の霊的存在・神・死者などの超越的・常識を超えた存在、
通常の精神(自己)に由来しない源泉との交信・情報伝達」Wiki

ということになりますが、何かの皮肉だったんでしょうか。

組織としては国の人的資源をできるだけ有効活用し、これが
社会に与える悪影響を極力最小限に抑えることを目指しましたが、
ただし、公平性の点から見ると全く忖度されなかったというのが現実でした。

大統領はアメリカ人に向けて、自分は予備役は召集しないと指摘しました。

徴兵のみに兵員確保を依存するという彼の決定は、つまり、
「政治的コスト」を極力削減すること=国民の反発をおさえる
を目的としていました。

徴兵対象者は通常予備役の男性よりも若く、所帯を持っていないからです。

しかし、ジョンソン大統領が言わなかったことがあります。

Gen William C Westmoreland.jpg

ベトナム派遣軍司令官、ウィリアム・ウェストモーランド将軍
(William Westmoreland)

この人が、より多くの人員を要求していたということです。
軍人としては当然かもしれませんが、彼らは戦争に勝つためには
もっと多くの兵員が必要だと主張していました。

ちなみにこのウェストモーランドですが、戦後のインタビューで、

「ガンガン爆撃をすればベトナム戦争に勝てた」

「アジア人は子供みたいでどんなに些細なことでも口うるさく問題にする」

などと言い放ってしまうような人で、さらにCBSの報道ドキュメンタリーにおいて、
彼自身が

「戦争中の敵兵力、特に解放戦線の非正規民兵の推定数を大幅に過小評価していた」

などという元CIA職員や部下の武官らの証言をもとに批判されることになると、
これに対しCBSを名誉毀損で訴えたりして、なかなか軍人としては
熱いというか、まっすぐというか、まあそういう人だったようです。

そしてこれが徴兵カード。

アンソニー・ベレスという1941年12月20日生まれ、ニューヨークは
ブロンクス出身の茶髪茶色い目の眼鏡をかけた男性のものです。

この展示場では、リンドン・ジョンソンを中心に語った前回にも取り上げた、

「なぜアメリカの若者がそんな遠い地で死なねばならないのか?」

つまり、なぜベトナム戦争を行うのか、ということについて
ジョンソン自身がテレビで語った映像がエンドレスで放映されていました。

「1965年7月28日、ジョンソン大統領はテレビ出演し国民に向かって
『なぜベトナムなのか』を語りました。

彼は共産主義と戦っている南ベトナムを保護できるかどうかはアメリカ次第だ、
として『現場から駆逐されること』は、現在、そして将来のアメリカの
安全と信頼を危うくするだろう、と述べました。

そしてまた、徴兵を『劇的にエスカレートさせる』と発表しました」

 

 RESISTERS 抵抗者たち

ジョンソン大統領の「なぜベトナムで死ななければならないか」には
あまりに説得力がなかったため、多くの若者がこれに反発しました。

 

一部の徴兵対象の男たちはベトナムでの兵役を拒否するために法律を無視しました。
徴兵カードを焼却するというのは最初の象徴的な抗議でしたが、これに対し、
議会が1965年に徴兵カードの焼却を違法=犯罪にしてからは、
より一層その動きは激化しました。

最初にこの「法律を破った」のは、アイオワ大学工学部の学生だったステファン・スミスでした。

徴兵カードに火をつけてみた

このあと、スミスは保安官にピストルで殴打され、さらに耳に銃を向けて
お前を殺す!と言われたそうです。

徴兵カードの焼却や破損は各地で増加していたため、米国議会は
これに対し、最高5年の懲役と最高10,000ドルの罰金を科しました。

最初にこれに「違反」したのはデビッド・ミラーという青年で、彼は
このため22か月間連邦刑務所で過ごすことになりました。

スミスはドラフトカードを取り出して火をつける前に、

「わたしの人生の5年間は、この法律が間違っていると言うには長すぎるとは思わない」

といい、その場には拍手する人もいれば、やじる人もいました。
2日後、彼はアパートにいたところをFBIに踏み込まれ連行されました。

この事件がアイオワという中西部の州で起きたことは、この戦争をめぐって
国がどれほど深く分裂していたかを示していたかを表しています。

スミスのこの行為に数千人が続きました。

何人かは国を脱出するという深刻な一歩を踏み出しました。
逃亡先にはしばしばカナダが選ばれました。

少数は戦争に抗議するために意図的にそれを行ったとみられます。
結局戦争期間を通じて3000年以上が収監されることになりました。

 CONSCIENTIOUS OBJECTORS 良心的兵役拒否者

良心的兵役拒否者

昔当ブログでは「ハクソー・リッジ」という映画でも取り上げられた
「良心的兵役拒否」について触れたことがあります。

教理上戦争を否定するいくつかの宗教の教徒は、兵役を拒否する代わりに
兵役の代替業務である市民公共サービス (CPS) に従事することになっていました。

期間は2年間と決して短くはありません。

それでも拒否ができるというのは憲法で定められた宗教の自由が
兵役の義務に優先したということになるのでしょうか。

良心的兵役拒否者の多くは、「ハクソー・リッジ」の主人公のように
武器を取らないメディック(衛生兵)を務めました。

その他の人々は、

「仕事が低賃金であること」

「自宅から通勤できる距離ではないこと」

「社会に有益な仕事である」

という条件下でアメリカに残ることを許可されました。

 

 THE DEFERRED 延期対象

「いい成績、然らずんば死」

「殺せ それが経済を良くする」

という紙を背中に貼った学生たち。

「セレクティブサービス」(徴兵庁?)は必要以上に多くの男性を集めることができます。
朝鮮戦争でも行われたように、国の4,000もある地方創案委員会は、免除と延期を認めました。

政府は国の人口を管理するという観点から延期制度が受けられる大学への入学を奨励し、
いわゆる「重要な職業」で働くことを奨励しました。

何百万人もが、延期、あるいは身体的、精神的障害を理由とした免除、
州兵などの「安全な軍への入隊」によってベトナム行きを避けようとしました。

こういった待遇は社会的に「上級」とされる人の関係者ほど簡単に受けられました。

 DRAFTEES 徴兵対象者

徴兵された男性のうち三分の一は、主に陸軍に配備されました。
その多くは貧しいブルーカラーの家庭の出身でした。

徴兵されるとベトナムに送られ、そしてそこで戦闘の結果死ぬ割合が高かったのです。

1965年、アフリカ系アメリカ人の戦闘による死亡率が高いということに対し、
抗議が起こり、これに対して軍は不平等を是正するべく動きました。

 VOLUNTEERS 志願者たち

軍隊に奉仕した人員のほぼ3分の2が志願者でした。
自国に奉仕する方法として、進んで入隊した人もいます。

それ以外の人々は徴兵を受けてこれを動機とし、進んで入隊しました。

志願者に対しては軍の優先支部への入隊が配慮され、上位の階級が与えられ、
さらに高度な訓練を受けることができるなど、優遇されることになっていました。

志願すると期間的には任務は長くなるのですが、ベトナム以外に派遣される可能性が高く、
結果として戦闘を経験する可能性は低くなったということです。

また、女性は徴兵対象ではありませんでしたが、
1万1千人近くが志願しました。

 

最後に書いておきますと、現在のアメリカでは、徴兵制は可能性として
いつでも復活させることができますが、軍隊における兵器の機械高度化や、
民間軍事会社へのアウトソーシング化により、州兵を含む志願兵でまかなえることから、
現在のところ徴兵制を採用する可能性はないということになっています。

 

さて、次回は本日述べたような経過を経て軍に入隊した10%の人々の内面や、
そこで起こった様々な出来事を紹介していきます。

 

続く。

 


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