日本の映画配給会社のタイトル詐欺ともいえるネーミングセンスのひどさを
常日頃熱く訴えている当ブログ映画部ですが、今回はちょっと虚を突かれました。
今回も結論から言うとそれはいつもの「タイトル詐欺」と言えないことはないのですが、
・・・なんと言うか、難しいケースです(笑)
最近日米に加えて意識的にドイツの戦争ものを紹介している関係で、
今回、「ドイツ戦争映画」という検索に引っかかってきた映画の中からチョイスしたのが、
「アイアンクロス ヒトラー親衛隊《SS》装甲師団」
でした。
大抵の場合わたしはろくに内容を確かめず直感で購入を決めます。
タイトルだけを手がかりにこんなDVDを選択する人間はあまりいないかもしれません。
いわんや女性においてをや。
言い切るつもりはありませんが、少なくない購買層はいわゆる
ゴリゴリの「パンツァーオタ」に属する男性ではないかと思う次第です。
さて、届いたDVDを手にしてみると、パッケージには大きな鉄十字をバックに疾走する戦車、
その前で7人の兵士達が迷彩服で武装してヒーロー戦隊もののようなポーズを決めています。
さらにパッケージには、
「ナチス最強の部隊 最後の戦い」
という文句。
さらにパッケージをひっくり返してみると、
「”悪魔”と恐れられたナチス親衛隊の視点から
戦場の恐怖と真実を暴く衝撃の戦争大作!!」
と❗️二つサービスで煽っているではないですか。
さあ、以上から皆さんはどんな映画だと想像されるでしょうか。
「プライベート・ライアン」や先日紹介した「戦争のはらわた」のように、
緊張した戦闘シーンから始まってもよさそうなものですが、ところがどっこい、
まずこのような言葉で映画の「立場表明」が無音の中行われます。
「この映画は政治的なものではなく 一人の兵士の記録である」
これがオープニングです。
とはいえ、このような始まりを持つ戦争ものは過去の記憶からも決してないわけではありません。
映画制作の意図が反戦であると強調するために、あえてこのように始まり、
その後は戦闘シーンでなければ脱走兵が逃げてきたりするものです。
しかし、タイトルが始まると、戦闘シーンか、あるいはナチス司令部で
制服の高官たちが作戦会議をしているシーンを期待していた人をがっかりさせます。
まず、子供達の合唱によるコラール風の美しい旋律をバックに、
ナレーションが始まります。
「調和と生存 調和は自然のバランス 生存は自然が課す試練
試練は生に目的を与え 生存は魂に深く根付く
樹木の小さな種が光に向かい 上へ上へと伸びるように
生存は生き物に植え付けられた本能
自然も日々生存を賭けて闘う 時に美しい風景を見せる
それは 長年にわたる生存を賭けた闘いの果実
自然は厳しい選択を迫り 人が忘れがちな掟をつかさどる
愛 それは原動力 すべてのものを突き動かす
自然は生存の果実を愛する
すべての生き物もその果実を愛し 自然に従って生きる
これが完璧な調和」
こんなネイチャー系ポエムが、地球から昇る太陽、さかまく波、木漏れ日、
茫漠たる雪山、のびゆく白樺、火山から噴火する溶岩など、
ナショナルジオグラフィックの写真のような大自然をバックに女性の声で語られるのです。
ポエムは後半になって、その「愛」が時代の流れとともに変わり、
「人々は大切なものを見失い始めた」
「人間に対する愛、家族に対する愛、祖国に対する愛」
つまり、クラウゼヴィッツ式にいえば、
「戦争はこれらの愛の現れである・・・”by other means."(形を変えた)」
といったところでしょうか。
もちろん、この愛が「大切なものを見失った結果」であるという大前提で。
もうこの時点で、タイトルの「アイアンクロス」に疑問を持ち始めるわけですね。
そこで、原題をあらためて見てみましょう。
My Honor Was Loyalty「我が誇りは忠誠心」
そしてメインとなるタイトルが、
LEIBSTANDORTE
フラクトゥール(亀甲)文字で書かれたタイトル文字を読んだのですが、
aとo、さらにbとdがまったく同じ形なので解読に苦労しました。
これを、
「ライプシュタンダルテ」
と発音します。
ちなみに亀の甲文字はドイツ人にとっても読むのが大変だったので、
これを廃止したことはアウトバーンと並ぶヒトラーの功績といわれているそうです。
そして、このライプシュタンダルテという名詞は、一語で
第1SS装甲師団 ライプシュタンダルテ・SSアドルフ・ヒトラー
1. SS-Panzer-Division"Leibstandarte SS Adolf Hitler"
という師団名を意味します。
「虚を突かれた」「タイトル詐欺とはいえない」といった意味がお分かりいただけたでしょうか。
少なくとも後半の「ヒトラー親衛隊《SS》装甲師団」は「間違ってはいない」のです。
ただし、「アイアンクロス」てめーはだめだ。
前回取り上げた「戦争のはらわた」の原題は「The Cross of Iron」=アイアンクロスですが、
このときの映画配給会社が何を思ったかこのとっぴなタイトルをつけたため、
「アイアンクロス」はその後の邦題タイトルで使用されたことはなく、いわば
「取ったもん勝ち」
状態だったのです。
そこでこのナチス親衛隊の映画と「アイアンクロス」を短絡的に結び付けた配給会社が
安直に目を引くタイトルとして拝借しちまったということなんだろうと思います。
しかし、「戦争のはらわた」がミスリードであったと同様、こちらも間違っています。
映画を観た方は、この「アイアンクロス」には首を傾げられたのではないでしょうか。
そもそも「鉄十字」というものは、「戦争のはらわた」でもお分かりになったかと思いますが、
ドイツ軍の紋章であると同時に、普通は勲章を指すわけですよね。
鉄十字章の歴史を遡れば、ナポレオン解放戦争の頃のプロイセンから始まったもので、
・・・そしてここのところを是非心に留めていただきたいのですが、
鉄十字は現代のドイツ連邦共和国でも正式な勲章として使用されている
のです。
つまり鉄十字はヒトラー時代の専売特許ではないし、ちょうど我が海上自衛隊、
および陸上自衛隊の旭日旗が、現行で世界に認められている軍旗であるのと同様、
(禁止されたハーケンクロイツとは全く違い)ナチスを表すものでもなんでもないのです。
「戦争のはらわた」はアイアンクロス、鉄十字章が欲しくて狂っていく将校と、
そこになんの価値も見出していない下士官の葛藤がテーマに描かれていたので、
これをタイトルにすることは至極当然のことなのですが、
この映画には、鉄十字をもらうのもらわないのという話は一切ありませんし、
そもそも勲章をもらうような英雄的な活躍が描かれているわけでもありません。
その意味ではパッケージの煽りである、
「最強の部隊の最後の戦い」
というのは、ずいぶん内容からかけ離れていると言い切ることができます。
ちなみにライプシュタンダルテの徽章はこのような鍵のマークです。
創立者のヨーゼフ・ディートリッヒの名前、ディートリッヒには「鍵」の意味があるからです。
おそらくこの映画の邦題を考えた人は、ナチスやドイツ軍について詳しくないのでしょう。
わたしなら素直にこうするけどな。
「ライプシュタンダルテ〜忠誠こそ我が名誉」
あるいは(どうしてもヒトラーということばが必要なら)
「ヒトラー護衛親衛隊連隊」
そして、じっくりタイトルを吟味してみると、もう一つのことに気がつきます。
サブタイトルの
My Honor Was Loyalty
は、英語圏ではこれがメインタイトルになっているのですが、これは
ライプシュタンダルテを含む親衛隊(SS)の標語(モットー)、
Meine Ehre heißt Treue「忠誠こそ我が名誉」
を、過去形にしたものなのです。
「忠誠こそ我が名誉・・・だった」
というところでしょうか。
さて、タイトルに続いて、戦地に赴く兵士が恋人と別れを惜しむシーンが現れます。
胸に止まったテントウムシのアップ、木陰に隠れんぼしたり、おいかけっこする二人。
いうならばこれも、戦争映画にありがちなテンプレシーンです。
そして彼女は髪を結んでいた青いリボンを彼に手渡すのでした。
観ている人はこの「一人の兵士」が主人公だろうと信じて疑わないでしょう。
ところがそうではないのです。
わたしがこの映画を、ただの戦争映画ではないと思う所以です。
ネタバレ御免で書いてしまうと、この男性は主人公の兵士が戦場で一瞬すれ違い、
わずかの間心を通わせ、その後偶然、彼とその恋人の運命を知らされることになる人物です。
主人公も、この冒頭の兵士も、戦場で華々しく活躍する英雄ではありません。
上官の命令に従い、目を背けるような戦場の酸鼻に慄然とし、死を恐れ、
戦友の死に打ちのめされ、そして敵に復讐心を抱く・・・。
この映画が表現しようとしたものは多層に流れる幾多もの小さな真実です。
主人公たちの体験として描かれていることに、一つとして創作されたものはなく、
全てがあの戦争に参加した兵士たちの体験したことであり、見たものだと監督は言います。
以前、ドイツ制作の映画にナチスを描いたものがないという衝撃的な事実を知り、
それはドイツ人が戦後に置かれた国民総贖罪意識のためだろうか、と書いたことがあります。
そしてこの映画も、吹き替えたドイツ語をメインで使用しているにもかかわらず、
配給会社はUK、監督のアレッサンドロ・ペペも俳優の殆どもイタリア人と言う具合です。
最初に書いておくと、ぺぺ監督は彼らを狂った(と後世のいうところの)
ナチス ドイツ教義に突き動かされた狂信者ではなく、
むしろ慈愛に満ちた筆致で表現しています。
それは、戦いの彼我にいる双方の戦士たちの個人の内面に分け入り、
ことに、敗者となったため、戦後一切の擁護や弁明を許されない
ナチスドイツの兵士たちを、それを放棄させられた(或いは自ら放棄した)
ドイツ国民に代わって語ろうとしているように見えます。
主人公はルードヴィッヒ・ヘルケル。
ライプシュタンダルテと改称された第1SS装甲師団は独ソ戦に投入され、
ハリコフで4,500名もの損耗を被ったのち、クルスクに転進しましたが、
1943年になると目にみえて戦況は悪化してきました。
彼は昨日伍長に昇進したばかりですが、森の中で敵と遭遇すると
部下を残して身を隠してしまい、そんな自分を情けなく思います。
たったひとり生き残った彼の部下の名前はシュタイナー。
偶然かか意図的かはわかりませんが、「戦争のはらわた」の主人公の名前です。
行軍しながら兵士が歌う、「ヴェスターヴァルドの歌」
German Imperial song "Oh, du schöner Westerwald"
は「クロス・オブ・アイアン(戦争のはらわた)」にも登場しましたし、
「Uボート」でも劇中で歌われていました。
装甲師団の映画ですから、もちろん戦車も登場します。
メッサーシュミットだと思う
戦車と共に進む彼らの頭上を旋回する味方の飛行機を見て、
「息子はパイロットにしよう」
とつぶやく兵士。
どんなに危険でわずかの間しか生きられずとも、
地面を進んでいる身には飛行士は羨望の的だったのです。
ここでソ連軍との戦闘が始まるのですが、早速わたしは違和感を感じました。
今までの常識から言うと、画面とBGMが全く「別物」なのです。
哀愁を帯びた、センチメンタルなピアノの調べ。
メジャーの心安らぐような美しい音楽が銃声に重なります。
そして、妻に宛てて書いた手紙をヘルケル自身が朗読するかたちで
淡々と「戦況の説明」が行われます。
「最後まで勝つと信じている」「戦友の敵討ちがしたい」
そんな、「良き兵士」であるヘルケルの偽らざる気持ちとともに。
ここには全ての士官を憎む下士官も、傲慢な貴族の士官も存在しません。
フランスの前線からわざわざ危険な独ソ戦線に志願してきたコルベ少尉を、
ヘルケルはその能力と統率力を含めて敬愛しています。
「少尉の指揮を信じています」「ありがとう」
シュタイナーは、負傷した友人を刺されて失ってから、
敵に一切の情けをかけないと決めた男です。
1943年の8月、師団は北イタリアに向かいました。
同盟国ですが、ここではパルチザンの激しい抵抗を受けます。
そして降伏後のイタリア軍の武装解除を手掛けますが、抵抗に遭い、
イタリア軍との交戦の結果制圧するということになりました。
余談ですが、このとき師団はイタリア軍から大量の軍服と、
ドイツがイタリア海軍に供与したUボート乗員用の革のジャケットを押収しています。
ちなみに、正式に師団が、
第1SS装甲師団ライプシュタンダルテ SS アドルフ・ヒトラー
(1. SS-Panzer-Division „Leibstandarte SS Adolf Hitler“)
と改称したのはイタリア戦線の期間のことでした。
続く。