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「GET WELL 'N STUFF」 ドーナツ・ドリー〜ハインツ歴史センター ベトナム戦争展

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ハインツ歴史センターのベトナム戦争展、医療関係者の証言に続き、
その他の任務についた人々について紹介していきます。

その前に、医療関係者たちが格闘した兵士の傷、彼らにそれを負わせた
ベトナム戦争の武器について、実物を見ていくことにしましょう。

■ ベトナム兵士の武器

これはこのベトナム戦争展では

RPG (Rocket-propelled grenade)launcher

という名称になっています。

先日まで紹介していたピッツバーグの兵士と水兵のための記念博物館所蔵で、
特別展のために貸与されたということでした。

正しくはRPG-7(РПГ-7)といい、ソ連の携帯対戦車擲弾発射器です。
ベトナム戦争から使用されているものですが、安価、簡便であるため、
いまだに途上国の軍隊や武装勢力によって世界中で使用されています。

ここではRPGを「Rocket-Propelled Grenade(ロケット推進擲弾)」
の略だとしていましたが、これはいわゆる「バクロニム」backronym、
つまり、ロシア語の

「Ruchnoj Protivotankovyj Granatomjot」(対戦車擲弾発射器)

の頭文字からむりやり英語の単語を当てはめて作った言葉になります。

実態は、ロケット式ではなく、発射と同時に後方からのガス噴射で反動を相殺する
クルップ式無反動砲ということになります。

  構造が単純で取り扱いが簡単、しかも安価。
そのわりに威力があるため、発展途上国のゲリラ御用達の武器です。
海保が対峙した北朝鮮工作船の工作員もこれを使っていたという記録があります。


九州南西海域工作船事件で、沈没した北朝鮮の工作船付近の海底から回収されたRPG-7発射器(上の2挺)  

 

ベトナム戦争で北ベトナム軍やベトコンはRPG-7をアメリカ軍や南ベトナム軍の
装甲車、ヘリコプター、駐屯地への攻撃に使用しましたが、戦争そのものが
主にゲリラ戦だったので、対戦車兵器として使われる例は多くなかったようです。

北ベトナムとベトコンによって使用された武器です。
まず、

SKS 歩兵銃

中国製のソ連モデルで、北ベトナム軍が使用していたものです。
プラスチックと木材でできており「ジャングルストック」と呼ばれました。
10連発でセミオートマチック製です。

AK-47ライフル

ミハイル・カラシニコフ将軍が1948年に設計したAK-47は、
1分間に爆発を伴う40連発(100連発まで可能)で完全な自動式です。

コルトAR-15

コネチカットのハートフォードにあるコルト特許銃火器が1965年製造したもので、
セミオートマチックですが、Mー16ライフルより性能は劣りました。

さて、ここからはピッツバーグ近郊出身のベテランの寄贈品です。

■ 海軍軍人と戦艦「ニュージャージー」

ジョン・ヴォイシク(John Voycik)の海軍Pコートです。
彼は1967年海軍に入隊しました。

彼の説明でわたしはものすごく混乱してしまったのですが、そのわけは
ここにこう書いてあったからです。

彼はフィラデルフィア海軍工廠で最後にCommissioned(引き渡し)された
USS「ニューオーリンズ」でベトナムに運ばれました。

 

フィラデルフィア海軍工廠は1800年代に稼働が始まり、
アメリカで初めて槌型クレーンを装備した工廠で、
第二次世界大戦にはその最盛期を迎え、この期間に

戦艦「ニュージャージー」(USS New Jersey, BB-62)

戦艦「ウィスコンシン」(USS Wisconsin, BB-64)

が建造されましたが、戦後規模は縮小され、1970年に建造された

揚陸指揮艦「ブルーリッジ」(USS Blue Ridge, LCC-19)

が、ここで生まれた最後の新造艦になりました。
・・・・というのがWikipediaによる情報なのです。

スミソニアンが何か勘違いしているらしいことは、このヴォイシクなる水兵が
「ニューオーリンズ」でベトナムに派兵されたというのは1967年なのに、
フィラデルフィア 海軍工廠は少なくとも1970年までは稼働しており、
その年に建造されたのが「ブルーリッジ」であることは間違いないことから明らかです。

さらに、もっとまずいことに「ニューオーリンズ」は戦艦であって、
建造されたのはニューヨーク、しかも1957年に除籍されていて、
ベトナム戦争の時には影も形もありません。

まあ、スミソニアンも木から落ちることがあるってことか、と思いつつ、
なんとなく「ニュー」つながりで「ニュージャージー」の経歴を調べてみたところ、

ビンゴ!

「ニュージャージー」は1968年、近代化されて三度目の就役を
フィラデルフィア海軍造船所でおこなっており、

世界で唯一現役任務にある戦艦

として砲撃任務のためベトナムに向かっていたことがわかりました。

6ヶ月間ベトナム沖で定期的な艦砲射撃と火力支援を行い、
最初の2ヶ月で10,000発に及ぶ砲弾を北ベトナムに撃ち込んだといわれます。

そう、

スミソニアンは
「ニュージャージー」を
「ニューオーリンズ」と間違えていた

のです。
いくらニューがついてるからって間違えてんじゃねーよスミソニアンのくせに。
ととっくに特別展が終わった遠い日本で鋭くつっこむわたしでした。

「ニュージャージー」は、ベトナムであまりに派手にドンパチやりすぎて、
終戦になっても南ベトナム解放民族戦線の方が、

「ニュージャージーの砲撃を中止しなかったらパリ和平会談に出席しない」

と主張して、不活性化が決まったといわれています。
まあなんというか、戦艦としてここまで敵に言わせられたら本望というものでしょう。

予備役入りに際して、最後の艦長は、乗員に、

「よく休め。
ただし眠りは浅く。
そして、呼ぶ声を聞いたならば、自由のために火力を提供せよ」

と訓示したそうですが、その言葉の通り、のちにレバノン内戦にともない
「600隻艦隊構想」を受けて彼女はまさかの再々再々再就役を行っています。

■ 初の女性航空管制官

ドナ・ジョルダーニ(Dona Jourdani)は二つの理由で入隊しました。
航空の技術を学ぶため。そして大学に進学するためです。

彼女は陸軍に入隊し、クラスでたった二人の女性のうちの一人として
航空管制官になるための訓練を行い、どちらの夢も叶えました。

管制室のドナ(左)

彼女は第一空挺団で最初の女性航空管制官となり、
その任務でブロンズスターを授与されました。

彼女が着用していたデザートハットと、ヘミングウェイ将軍と握手するドナ。

プライベートルームも特別に作ってもらいました。

■ アフリカ系女性士官

巷では公民権運動が盛んだった頃でも、軍隊では
任官するのに人種性別は問われませんでした。

冒頭写真左の白いナースコートは、
パトリシア・タッカー中佐 Patricia Tucker(右)が
ベトナムで着用していたものです。
この写真の頃、彼女と左側のシャーリーン・マイナーCharlene Minorはどちらも大尉でした。

■ Donuts Dolly(ドーナツ・ドリー)

ケネディ大統領のファン?だった
ローズ・ガントナー(Rose Guntner)は、
親戚の入隊をきっかけに「ドーナツ・ドリー」としてツァーに参加し、
軍隊にレクリエーションゲームやアクティビティなどを提供しました。

任務として、彼女らはたとえば夜間、負傷した兵士を見舞い、
医療チームの手伝いをしたり、彼女自身のスキル(心理学者)を生かして
兵士のPTSDを緩和するような活動を行いました。

「ドーナツ・ドリー」については以前一度説明したことがありますが、
彼女たちは必ずしも戦争に賛成しておらず、むしろベトナムには
反戦の立場を取る者も多くいたと言うことです。

写真は、ベトナムでサンクスギビングの御馳走を微笑みと共に兵士に配るローズ。

ローズと彼女のパートナー(ドーナツドリーは必ず二人ペアで活動を行う)、
ギニー・ルスブリンク(どちらもペンシルバニア出身)が、
難民キャンプのベトナムの子供たちにクッキーを配っているところです。

彼女らが行ったアクティビティの一つで、「ウルフテスト」。
つまり心理テストのことですが、こういう単純なことが
戦地では楽しく感じるものなのかもしれません。

「デートはどこでしますか?」

a. ナイトクラブ  b.スポーツイベント c. 演奏会

「デートの時あなたの話題は」

a. 自分自身のこと b. 相手の興味のあること c. 世界情勢

こういった質問を元に性格判断をするわけですが、
むしろこれはレクリエーションに属するゲームだった気がします。

こっちは簡単なクイズですね。
右と左の関係のある言葉を結びなさい、みたいな。

このいかにもベトナム戦争当時の雰囲気のイラストは、
ローズさん自身が病院の壁に飾るために描いた絵なのだそうです。

GET WELL 'n Stuff

これは、日本語では「お大事に」といったところでしょうか。
アメリカでは医療関係者が患者にかける言葉のようです。

彼女とドーナツドリーとして派遣された5名の女性たちは、
毎日ヘリコプター、戦車、ジープで戦地を訪問して回りました。



ある兵士がローズにプレゼントしたもので、彼女はいつも携帯していました。
彼女自身はタバコを吸いませんでしたが、兵士が火を必要とする時
(ベトナム戦争ではほとんどの兵士がタバコを吸っていた)
彼女はいつでもそれを出せるようにしていました。

The Donut Dollies Documentary - Trailer

ドーナツ・ドリーたちのドキュメンタリーが制作されています。

 

続く。

 


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