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映画「燃ゆる大空」〜ヘンリーとジャック

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「燃ゆる大空」やっとのことで最終回となりました。
「しかし、なんだか本編と関係ない画像だなあ」と思われた方、あなたは正しい。
しかしあとで説明しますのでちょっとお待ち下さい。

映画のデータをここで上げておきますと、制作費は当時の115万円、
劇中登場する航空機は述べ947機、使用キャメラ15台、
空中撮影128時間、使用ネガ9万フィート。

これらは現代の映画界でも実現不可能なスケールの大きさです。

前回お話しした航空機に取り付けたカメラ撮影ですが、
九七式軽爆は機関銃座にキャメラを、さらに戦闘機は翼に取り付けました。
戦闘機のキャメラのスイッチは操縦者(つまり軍人)が押したそうです。

そしてなんども当ブログで「仕事しろ」と叱咤した円谷英二ですが、
この映画では実機での撮影がメインであるため、あくまでも
「補助としての特撮」に留まっており、この映画での経験は、
そののち「ハワイ・マレー沖」「南海の花束」で開花することになります。


ところで、この「燃ゆる大空」には「ああ、あの」という俳優が出演しています。 



基地で彼らを迎える爆撃隊の面々。


どこかで見たことのある顔が・・・・・。
そう、あの藤田進じゃないですか。

藤田はこの頃東宝のニューフェースとして、ようやく大部屋から
主演映画を得るようになっていた時期でした。
ですから、この映画でもほんの端役程度の演技しかさせてもらっていません。
注意して観ていたのですが、最後までセリフが一つもありませんでした。
至る場面でこのように他の隊員たちと一緒に黙って立っているだけの簡単なお仕事です。

どの俳優もエキストラとはいえ、一応俳優ですから、
この画像を見ても中々の男前ばかりなのですが、
その中でも藤田は存在感が際立っています。

このときはセリフ無しの端役でしたが、後年有名になったので、
現代の映画解説ページには、ちゃんとクレジットがあります。
大スターにはなるものですね。

余談ですが、川戸正次郎というかつての戦闘機操縦者で、
海兵隊エースのボイントンと対決したというのでその方面に有名な人物がいます。
彼は、戦後も空自と民間でパイロットとして活躍し、あまりに家庭を放棄したせいか、
夫人に「わたしか飛行機かどちらか選んで下さい」
と詰め寄られ、あっさり飛行機を選んだという「空に魅入られてしまった男」ですが、
その川戸の空自時代に、映画の撮影で藤田が基地にやってきたことがあったそうです。

川戸の追想によると、空自の制服を着て司令室のデスクに座った藤田の姿は


「本物の航空団司令より遥かに司令らしかった」


ということで、なかなか説得力のある話です。
この頃は、高級軍人の似合う俳優がたくさんいましたよね。
今の俳優も、若いうちは軍服が似合う人は多いのですが、
将官クラスになるととたんにいなくなってしまう。

「連合艦隊司令長官 山本五十六」

などを見るとその傾向ははっきりしていて・・・・、
だって、山本五十六があれだもの。
役所広司という俳優はわたしは好きでも嫌いでもありませんが、
うーん、なんて言ったらいいのかしら。
逆に言うと、昔の「五十六俳優」は、藤田進もそうですが、
戦争映画以外の仕事でも、あまりかけ離れた役をしていなかった気がします。
少なくとも
「失楽園」
なんていう、「三文エロ小説」(知人の某大手出版社編集いわく)
の映画版みたいなのには、いくら仕事が来ても出ないんじゃないかなっていうね。


さて、自衛隊での撮影後、かつての「零戦エース」(しかも本物)と、
軍人専門俳優は連れ立って夜の巷に繰り出したわけですが、
この分野で元エースは俳優の超絶MMの足元にも及ばなかったということです。

わたしももし藤田進を実際に見たらきっと色めき立ってしまったでしょうね。
夜の巷のお姐さんがたとは全く違う意味で(笑)


ところで、最近次々と昔の映画がDVDで発売されていて、
少し前ならそんな映画があったことすら知らないままであっただろう
マイナーなものも、簡単に手に入れることが出来るようになりました。
歴史的にも貴重なもの、たとえば兵学校生徒を描いたドキュメンタリー
『勝利の礎』
なども、戦後GHQに破棄され、あわや幻の映画となるところを、
たった一本だけアメリカに資料として保存されていたフィルムが見つかり、
それをDVDにして映像を後世に残すことが出来たのです。

この「燃ゆる大空」も映像のデジタル化が無ければ、
おそらくこうやって観ることは叶わなかったわけで、
そのことには大変感謝します。

だがしかし。

当時の常識、当時の世相、そういったものがそのまま観られるからこそ、
こういった昔の映画は見る価値があると言うのに、
DVDでの再販に際して、どう考えてもこれを、現在の「規範」に照らして、
勝手に編集してしまったらしい部分があるのです。


前々回、戦地での慰問鑑賞用に、
佐藤が奈良大尉を負って山中を彷徨するシーンがまるまるカットされていた、
という話をしたのですが、ここでいう「編集」は、大したものではありません。

ありませんが、ある意味、悪質でわたしなど
「許せん!」
と思わずつぶやいてしまうものです。


最後に、中国軍との空戦で相手を撃墜するも被弾し、
飛行機を部隊に持って帰るという執念だけで飛行機を駆って、
基地にたどり着いた行本の臨終シーンがあります。

とても瀕死とは思えない正確さで長文を噛まずに(笑)しゃべり終えた行本。
その後、意識が混濁したり、同じことを繰り返したりして、
いかにももうろうとしている様子を脚本は出そうとしているのですが、
いかんせん本人の演技力の問題で、
「もうろう」という感じが全くしないのが困りものなのです。
でもまあいいか。
「いかにも」というあざとい演技よりも、こういう映画の場合、
これくらいの方がリアリティがあっていいかもしれない。

さて、とにかく朦朧としながら僚機の行方を案じた行本に、まず山村が

「俺は二機落としてきたぞ」

といい、隣にいる僚機の操縦者が

「俺も二機」

といいます。
最初、作業をしながら走り読みならぬ「走り観」していたときには気づかなかったのですが、
ちゃんとこのエントリのために観たところ、この部分で、
「二機」の後の音声が消されていることに気づきました。
戦中の検閲や慰問用のカットではなく、明らかにDVD化されたときに加工されているのです。

そこで何度もシーンを戻して口の形を見たのですが、どう見ても

「やっつけたぞ」

と言っているようにしか見えないのです。
その後の行本のセリフが

「そうか、よかったな」

ですので、「やっつけた」=「よかった」がまずい、という判断でしょうか。

まったくよお・・・・・(笑)

変な配慮してんじゃないよ。
だいたい何に対して配慮してるんだか。

先日のニュースで、法務省が今年度から実施している、
チャーター機を使った不法滞在外国人の一斉強制送還で、

「予定されていた中国国籍の不法滞在者の中国への送還を取りやめ、
別の国の不法滞在者に変更した」

とあり、その理由というのが

中国の一方的な防空識別圏の設定などによる日中関係の悪化に配慮

って云うんですが、これに匹敵するくらい意味不明な配慮ですよね。
(説明っぽいな)

ついでにこれ、ひとこと云わせてもらいますが、

中国が防空識別圏を設けたことなどで日中関係が険悪化し、
別の国籍者の一斉強制送還に変更された

って本当に意味分からんのですけど。

「悪化したからこそ強制送還」

でしょ?普通は。
まったく、日本人って、特に日本のお役所って、事を荒立てたくないがために、
ときおりとんでもない「配慮」を勝手にやりますよねえ。
わたしは、これは日本人の愚かな部分だと思いますよ。はっきり言って。

このDVDの音声抹消も、どうせ、担当者が責任を取りたくないから

「何か言われて問題になる前にその原因を取り除いてしまう」

というお定まりのパターンでしょ?

それでなくてもこのDVD復刻版、最初に

「不適切な表現がありますことをご了承ください」

とお断りがあり、この暴挙が版元のつまらん配慮からであることを証明しているのですが、
わたしに言わせてもらえば、このお断りによってこの映画を観る人は
「不適切な表現をご了承」した上で観てるということになるのだから、
ご丁寧にもわざわざ音声を消す必要は全くないはずなのです。

だいたい、後世の人間が、勝手に創作物を改変しちゃだめでしょ。




さて、最後に二人だけで話をしたい、という本人の希望で、
行本の遺言を聞く山村。

「しっかりせい、傷は浅いぞ」

いや、だから何度も言うけど浅くないって。
でも、これはどうやら当時の「決まり文句」らしく、
行本が担ぎ込まれて来たときに皆が口々にこれを言います。

そしてこのあと、あの「軍人勅諭シーン」となるわけですね。


さて、それではそろそろ冒頭画像の説明と参りましょうか。

そのまえに今日表題にした「ヘンリーとジャック」ですが、これは何かというと、
この映画に出演している二人のハリウッド映画出演経験者のイングリッシュネームです。

一人は、この上の写真右側の、山村曹長を演じたヘンリー・大川。
この人の経歴については初回に説明しましたが、それではジャックは誰かというと、
他でもない監督の阿部豊その人のことなのです。


冒頭のポスターを見て下さい。

主演俳優が

JACK ABBE

ジャック・アッベになっていますが、これが若き日の阿部豊。

阿部は、ジャック・アベという芸名でハリウッドの無声映画に10本出演した後、
向こうで演出などを勉強し、帰国後監督に転じたという経歴の持ち主です。

ついでに、この上の写真で「傷は浅いぞ」と言っている、
ヘンリー大川は、





ご覧の通りの水も滴るいい男。
前にもお話ししたように、かれは飛行機のスタントをしていたましたし、
もともとは名門コロンビア大学で経済学を勉強し、実家も名家で資産家。
パーフェクト過ぎて逆に女性が引いてしまうレベルの男性でした。

阿部も大川もバイリンガルでしたから、それぞれその特性を生かして
映画界で有名になったのですが、こんな話があります。

昭和16年12月8日、マキノ雅広はロケ先で誘われ、初めてゴルフというものを経験しました。
マキノが打つと阿部が「ナイスショット!」と大声を出して近づいてきました。
マキノはその意味が分からず挨拶がてら尋ねてみると
「うまい打ち方で、よく飛んだってこと」と彼は答えました。
そのまま三人でゴルフを楽しんだわけですが妙に人がおらず、
三人でライスカレーを食べていると、ゴルフ場の人たちが変な目つきで見てくるのです。
三人が首を傾げていたのですが、帰り道で号外を拾って読んでみて、
日本が米国に宣戦布告したことを初めて知ってびっくりしたということです。(wiki)

「ナイスショット」はまずかったかもしれませんねえ・・。

作品のひとつ「あの旗を撃て」はマニラ、バターン半島、コレヒドール島で撮影されました。
このときの阿部監督は、少将待遇で軍服を着用していたようですが、
その様子も「どこかアメリカ軍将校のようなスマートでダンディだった」とのことです。

そして、当時の映画監督は撮影時のかけ声に「ヨーイ、ハイ!」と言っていたのに対し、
阿部監督は「アクション、キャメラ!」でした。


このような逸話や、そもそもこの陸軍省制作の国策映画の監督と主役が
「ハリウッド出身」であることを知ったとき、
わたしは不思議さとわずかな違和感を感じずにはいられませんでした。

しかしこれはつまり陸軍という組織はそれを諒とした、ということでもあるんですね。
もしかしたら、帝国陸軍には、思っていたほど融通の利かない人間ばかりではなく、
むしろ海軍で言うところの「フレキシブルワイヤ」が多数いたのではないか、
と見直すような気になったのです。

阿部監督は

「海国大日本」「あの旗を撃て」「南海の花束」「燃ゆる大空」

を戦中に制作しました。
いわゆる「国策映画の大家」という位置づけであったわけですが、
戦後、多くの映画人のようにいきなり保身のための左傾化をすることもなく、
1952年にはあの名作「戦艦大和」を制作しています。

戦中であっても戦後であっても、その戦争と軍人の描き方に変わりは見せず、
思想や政治的立場を超越して、戦争を描きながらも変わらない人間社会の真理を追求する、
その軸足は、一貫してブレることがありません。

作品というフィールドを踏み出したところで、語らなくてもいい幼稚な政治思想を語り、
挙句は、自らの思想に表現したいものすら制限されてしまった感のある、
あの某アニメ監督には爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいくらい、
阿部監督の創作に対する姿勢は、しなやかでしかも自由です。


同じく、ハリウッド仕込みの国際感覚で広く活躍したヘンリー大川とともに、
その視点は、もしかしたら、若き日に日本という国を外から見たことで養われたものでしょうか。


 


 



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