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Channel: ネイビーブルーに恋をして
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「艦船勤務」〜映画「海軍特別年少兵」

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東宝映画が毎年終戦に合わせて公開していた
「東宝8・15シリーズ」最後の作となった、

「海軍特別年少兵」

を取り上げます。

昭和20年、硫黄島の戦い。
米軍11万人と艦船多数の兵力に対し、その5分の1(艦艇ゼロ)で
これを迎え撃った日本は次第に追い詰められていました。

突入してきた日本兵を射殺したアメリカ海兵隊員は驚くのでした。

「子供じゃないか」

そして日本人のむごさとやらを非難するわけですが、
その子供兵士こそが、本作のタイトルにもなっている

「海軍特別幼年兵」

通称特年兵です。

しかし、日本海軍とて最初から少年を戦争に投入しようとしたのではありません。
元々の目的は、将来の中堅幹部の養成を目的にした制度であり、基礎教育終了後は
海軍兵学校に学ばせ、幹部に育成するための教育機関だったのです。

海軍特別幼年兵という言葉を検索すると、ほぼこの映画の情報しかないのですが、
なぜかというと、もともとその名の制度による戦闘団があったわけではないからです。

日本が敗戦の最終段階に追い詰められるに至って、海兵団という
各鎮守府にあった海軍教育課程の生徒を戦場に駆り出すしかなくなりました。

追い詰められたドイツでも最後の方はヒトラーユーゲントが駆り出されたように、
日本の切羽詰った事情が生んだのが特年兵であった、というわけで・・・、
つまり日本も負けていなければここまでする必要もなかったのです。

だから、子供が戦争に参加していたからということで

「なんと酷い奴らだ!」

と日本人を非難するならば、その前に自分たちが、
沖縄で女子供を含む一般人を海上の軍艦から艦砲を壕にぶち込んで
殺したりしていないことを証明してからにしていただきたい。

とやたら冒頭から喧嘩腰ですが、こういう、どこかの高みに立って
人道上の非難をしてみせる全ての言論に、わたしは猛烈にムカつくもので。

とはいえ、実際にアメリカ人が言ったわけでもないセリフに、今更
怒ってみるというのもちょっと大人気ないので、とっとと始めましょう。

 

オープニングタイトルは、彼らが神奈川県の三浦郡竹山村に、昭和16年
「横須賀第二海兵団」として開団後、改称された武山海兵団の入団試験で
健康診断を受けている映像に重ねられます。

竹山海兵団は、戦後陸自の竹山駐屯地、海自横須賀教育隊として転用されています。
今調べてみたら、横須賀音楽隊もここが本拠地らしいですね。

そういえば何年か前、某デパート旅行会主催の観光ツァーで駐屯地見学したことがあります。

監督は今井正。

この人の作品には、あの「ひめゆりの塔」なんて作品もありましたね。
戦争中には戦意高揚映画を撮っていながら、戦後は反動で?左に振り切れて
共産党員にまでなってしまったあたり「戦争と人間」の山本薩夫とそっくりです。

振り切れといえば、山本作品の「皇帝のいない八月」なんてすごいですよ?
自衛隊反乱分子が武力クーデターで右翼政権樹立を企む!てな話ですから。

さて、入団が決まった少年たちが、各々の私服をセーラー服に着替えると、
地井武男演じる「教班長」、工藤上等兵曹が、なぜか竹刀を持って、
これまで身につけていたものを一切故郷に送り返すように、怒鳴ります。
兵学校でも行われていた慣習で、これは「娑婆っ気」を捨てて、
今日から海軍軍人なるための一つのイニシエーションのひとつです。

ナレーション役である登場人物の一人、江波洋一が

「海軍二等水兵となる」

と言っています。
1942年までは四等水兵からのスタートでしたが、改正されました。

班ごとに分かれるや、工藤教班長から1番に自己紹介を命じられた林宅二。

「お前からだ」

うーん、これは違うかな。
教班長なら、生徒のことは貴様というんじゃないかな。

ところで、このいかにも東北の貧農で酒浸りの父を持つ息子という役柄がぴったりな、
素朴な風貌の俳優ですが、これが映画デビュー作となった中村まなぶ、
のちの中村梅雀だというので、クレジットを見て驚きました。

『もみ消して冬〜我が家の問題なかったことに〜』のお父さん役で、
軽くファンになってしまったわたしですが、調べてみると
実はプロのベーシストとしても活躍していると知り、二度びっくり。

彼は母親に少しでも楽な生活をさせてやりたい一心で
教師の勧めもあり、海兵団を志願したのでした。

「郷土会津の誇りにかけ、昭和の白虎隊員として華々しく討死する覚悟です!」

会津若松出身、栗本武。
白虎隊といえば、東郷神社境内にある「海軍特年兵之碑」には、

「戦場での健気な勇戦奮闘ぶりは 昭和の白虎隊と評価された」

と記されています。

栃木県出身の宮本平太は貧乏な開業医の息子です。



彼の父吾市(三國連太郎)は当時のインテリにありがちな左翼主義で、
かつ無政府主義者思想でもあり、海兵団に入るという息子に
「社会主義者」「非国民」と言われて思わず殴りつけたりします。

そんな父を思い出しながら、かれは

「父の分までお国に尽くします!」

「親父がどうしたというのだ」

「私の父は・・・びっこなんです!」

放送禁止用語などというものはなかったころの作品です。

長野県出身、橋本治。

「私は早く死にたくあります!」

流石の教班長もこの答えの意味を追求しません。
彼もまた、貧困家庭の出身でした。

林宅二と同郷の江波洋一は、教師の息子です。

林拓二を海兵団に入れるように説得したのは何を隠そう彼の父。

「水飲み百姓より帝国海軍軍人がいいに決まってる」

ところが、林の母親を説き伏せた教師の父(内藤武敏)母(山岡久乃)は、
なぜか自分の息子の入団となると渋い顔をするのでした。

父親は海軍兵学校や陸軍士官学校を受けるならともかく、
秀才で中学に通っている息子がなぜ2等水兵なんぞに、と不満なのです。

起床ラッパが鳴り響き、少年たちの海兵団1日目が明けました。

海軍なので当たり前ですが、釣り床で寝ています。

これいつも思うんですが、寝返り打てなくて辛くないんですかね。
横向き寝とかうつ伏せ寝とかしたい人は特に。

総員起こしで全員が「釣り床納め」、ハンモックを畳みますが、
初めての朝なので皆まだもたもたしています。



階段は全力で駆け下り。昇る時は一段抜かしです。
服装など身嗜みチェックのために踊り場には全身が映る鏡があります。

総員校庭に集合し、ここで海軍体操をするはずですが、
本作ではいきなり甲板掃除(床拭き)となっています。

整列が「どん尻」になった者は練兵場一周。
案の定、林が最初の罰直を受けてしまいました。

やっと食事の時間になったと思ったら、教班長は林を狙い撃ち。
階段の横にあった「今日の標語」は何か聞いてきました。

答えられない林に代わって指名された江波が、
嫌味なくらいスラスラと標語を暗唱します。

「聖戦完遂は我らの双肩にあり!堅忍不抜の海軍精神を磨け」

林は決して標語を見ていなかったわけではありません。
しかし、国民小学校をほとんど家のせいで欠席していたため、
「完遂」という字は覚えていても、これをどう読むのかわからなかったのです。

しかし、言わせて貰えばその設定そのものに矛盾があります。

特年兵はその中から将来海軍兵学校予科に進むシステムも設けており、
初年兵教育として中学3、4年の学力を付けさせるのが目的だったので、
国民学校もろくに通っていない生徒はそもそも海兵団に入れなかったでしょう。

林はまたしても昼飯抜きという罰をうけることになりました。

ちなみに中村梅雀氏は自身のブログで、本作DVD発売を機にこう語っています。

「撮影するにあたり、実際の年少兵だった方々に当時の事を教わり、
訓練や生活は本当にリアルに再現した。

今井正監督は決して手を抜かない。
殴るのも全て本気で殴らせた。
殴る側も役に徹しなければ殴れない。
その厳しさ苦しさ痛さは、今も忘れられない。

それは、どこまでも厳しく優しい、監督の愛情なのだ。
映画に対する情熱なのだ。
どんなシーンも、納得がいくまで決して諦めず、何度でもやり直しをした。
だから少年兵たちの目が生きている。

鬼教官の工藤教班長役の地井武男さんは、少年たちを殴り続けた。
本当に大変だったと思う。」

続いて教練の様子が描かれます。
座学、行進、敬礼、手旗信号。

そしてカッター訓練でもやっぱりヘマをする林。
オールを落とし、自分も落ちてしまいます。

林が泳げないことを教班長に報告した同郷の江波、
ついでに橋本も水に突き落とされ、しかも助けてもらえません。

泳ぎ着いたところをオールで突き放され、

「帝国海軍軍人がカナヅチで義務を果たせると思うか!」

いや、いくらなんでも泳げないのにこれは無茶というものでしょう。
下手したら死ぬよ?
水泳訓練してやれよ。

初めての日曜日、まだ外出は許されず、生徒たちが命ぜられて
故郷に海兵団生活について「感じたままを」手紙に書いていると・・、

予備士官の東京帝大卒英語・国語担当、吉永中尉がやってきて、
手紙を書こうとしない橋本に声をかけました。

何故書かないのか、彼は理由を答えようとしません。

その理由は、養父母への反発でした。

彼の叔父夫婦、大滝秀治と佐々木すみ絵。
ちょい役、しかもこんな憎まれ役を大物が演じる贅沢な映画です。

養ってやっていることを恩に着せてこき使い、水商売で働いている
姉からの仕送りが途絶えると、ご飯のお代わりにも小言を言う夫婦。

 

教班長が手紙を書かせたのは、何も知らない彼らが油断して、
甘えた泣き言を故郷に書き送ることを見越してのことでした。

「そんな甘ったれたことで帝国海軍軍人と言えるか!」

父親への反発から手紙を書かなかった宮本と橋本、高みの見物。

しかし手紙を書かせた理由はそれだけではありませんでした。
教班長は林だけを呼び、手紙を朗読させます。

それはなぜか江波の母に当てた手紙でした。
そこには俸給が出たらお金を送るので、それを父にわからぬように
母にだけ渡して欲しいと切実なことが書かれていました。

父というのが穀潰しの酒浸りで、入隊前夜も田んぼで息子に絡み、
殴り合いをしてきたのです。

理数科担当の教官、予備士官の山中中尉が着任してきました。
山中中尉役の森下哲夫はバイプレーヤーとして(Dr.ヒネラーとか)
いろんなドラマに出演、2019年に逝去しています。

同じ東京帝大出身の吉永中尉は同僚の国枝少尉(辻萬長)に紹介しますが、
なんでか物凄く態度が悪く、国枝少尉、ムッとしてます。

これはあれかな?国枝少尉が国学院大学卒だからとかそういう理由?

だとしたら鼻持ちならない奴決定ですが・・・。

吉永は生徒たちについてこんな逸話を紹介をします。

彼の担当である英語の時間、江波訓練生が、海軍なのに
どうして敵国語である英語を勉強するのかと聞いてきたのです。

「英語など時間の無駄に思えてなりません」

海軍ではバケツ=オスタップ(ウォッシュタブの変化形)、
ゴーヘイ=前進、そのまま(Go ahead)、ラッタル=階段(Ladder)など、
英語からきた名称が多く、海軍という軍隊の任務上艦船の臨検や尋問、連絡にも
英語が必要となってくるため、最後まで英語教育を中止しませんでした。

本物の特年兵が監修していたというからには実話なのでしょうけど、
この「考査で成績最下位だった班は食事抜きでテーブルを持って立っている」
というのはあまりにも不条理です。

だって、必ずどこかの班が最下位になるわけですよね。
おまけに工藤さんたら、テーブルを持ち上げている彼らの腰を、
「海軍精神注入棒」とやらでバンバン叩くんですもの。

これも梅雀さんによると「本当にやっていた」ということになります。

 

しかもこれが「一人足を引っ張る奴」=林のせいだと思っていて、
聞こえよがしに嫌味を言う栗本と林を庇う橋本の間で乱闘騒ぎになる始末。

まあ、すぐに仲直りするんですけどね。

しかし、この件でさすがに見かねた吉永中尉と工藤の間で口論が起こります。

罰直主義は利己心を増長するので是正すべきという吉永。
罰直は海軍精神を鍛えるための伝統であるという工藤。

吉永は教育は愛であると主張し、工藤は力であるとし、平行線に終わるのでした。

吉永の意見はもっともですが、そもそもこの戦争中という非常時において、
彼らの置かれた立場を平時の理論で測るのはいかがなものかとも思われます。

彼らの意見の対立は、実に最後の沖縄の戦場にまで持ち越されることになります。

会議の間ずっと落書きをしていたらしい山中中尉ですが(笑)、
若手教官だけになると、早速吉永に向かって

「教育は愛なんてそらぞらしい、工藤のいうのが本当だ」

さらに、

「教育が愛などと言うなら、どうして特年兵制度などに反対しないんだ」

と大正論をぶつけてきます。

そりゃそうだ。
軍人直喩を唱え、人間に見立てた藁人形に銃剣を持って突撃する訓練。

こんな教育を14歳の子供に行うことそのものが愛とは程遠いじゃないか、
というのが山中中尉の本音であり、実は誰もが口には出さないけれど、
心のどこかで誰もが疑問を持たずにいられない矛盾が大前提なのですから。

訓練生は出した手紙だけでなく返事もしっかり検閲されます。
教班長に母からの手紙を音読させられる会津藩士の家系の息子、栗本。

まるであの「フォレスト・ガンプ」のダン中尉の家系のように、栗本の家は
戊辰戦争、日清戦役、日露戦争、シベリア出兵で代々男たちが戦死しています。
彼は兄も支那事変で亡くしているのです。

檀那寺の和尚(加藤嘉)は無責任に(笑)戦死者を出すことを
日本でも数少ない名誉な家だと称えるのですが・・

彼の母(奈良岡朋子)は決してそれを嬉しいとも思っていないようです。
人前では繕っていても世のほとんど全ての母親の気持ちは皆同じでしょう。

次に呼ばれたのは橋本。
今三島にいてお客には兵隊が多い、と言う手紙に、工藤は
(そんなことくらい察しろと言う気もしますが)

「お姉さんは何をしているんだ」

「姉は酌婦・・いいえ、娼妓です」

「・・(´・ω・`)」

最後は林でした。

母親は、給料3円50銭なのにどうして5円も送ってこられるのか、
と手紙に書いており、それを読みながら林は驚愕します。

「教班長・・・わたしは3円(しか送っていません)」

「きっと手紙を書いた江波のお母さんが聞き間違えたんだろう」

しかし、教員の間でもこの金額の相違は話題になってしまい、
工藤はその理由を尋ねられ、苦し紛れに、

「きっと同じ教班の者が同情して・・そうだと思います!」


・・・工藤教班長・・・これはいわゆる一つの・・・・愛?

 

続く。


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