映画「海軍特別年少兵」2日目です。
本作はタイトル画でもお分かりのように、主役の少年たちがほぼ無名
(その後俳優として名前が残っているのは二人だけ、一人が梅雀で、
もうひとりがバイプレーヤー福崎和弘)であるため、その分予算を
全フリしたのではないかというくらい、脇役が豪華キャストです。
主役と言っていい工藤役の地井武男といい、このベテランたちの存在は、
熱いけれど、時として生硬な少年たちの演技を補って余りあります。
さて、入団から2ヶ月経った8月13日(お盆ということでしょうか)
初めて家族との面会が許されました。
林の母はさすがに来ていませんが、同級生の江波の母(山岡久乃)が
林に母親からことづかった差し入れを持って面会にきています。
しかし嬉しそうに外に出ていく教班の者を尻目に、教室に残って、
手持ち無沙汰に艦隊勤務などをハーモニカで吹いている者もいます。
入隊を決めたときに殴られた医者のせがれ宮本と、身内らしい身内が
横須賀で賤業婦に身を落としている姉しかいない橋本です。
二人とも家族が来るはずがないと決めてかかっていました。
が、来ていたのです。
橋本の姉ちゃん、ぎん(小川真由美)は門を出る吉永中尉を捕まえ、
ついつい溢れ出る職業的なしなを含んだ声音で、
「大尉さん!頼まれてくんないかしら」
「わたしは中尉です」(´・ω・`)
「あっ、あははは・・あたし陸軍ならよくわかるんだけど」
そうして弟への差し入れのこと付けを頼みました。
自分のことを弟が恥ずかしがるので、会わずに帰るつもりです。
しかも持ってきたのがお客にもらった恩賜の煙草とお酒。
どちらも訓練生には年齢的にも禁止されています。
吉永中尉はなんとか渡せるお菓子だけを橋本に届けてやりました。
橋本の隣の宮本の父は、息子から
「あんな非国民ずっと監獄にぶちこんどけばいいんだ」
とアカ呼ばわりされて毛嫌いされているわけですが、
なんと、来ていたのです。この父ちゃんも。
そして、なんたる偶然、海兵団の近くの飲食店でそうとは知らず出会い、
時節柄売り物もない外食券飲食店に居座って飲食物を交換しているうちに、
お互いが身内に面会に来たものの、歓迎されない立場ゆえ気後れして
会わずに帰ろうとしている同類同士であることに気づきました。
ちなみに撮影時、本当に季節は夏の盛りだったらしく、
この小川真由美始め、ほとんどの出演者は首筋にびっしょり汗をかいています。
今ならメイクさんが拭うんでしょうけど、そのままになっています。
「床屋なら立派なもんじゃないの。どうして会ってやらないの?」
なぜか宮本父、自分が医師であることを隠しています。
そして、
「国のためっていうけど、俺たち貧乏人は国から恩を受けちゃいねえ」
だから会っても激励なんてできない、とついつい日頃の思想を語ってしまうのでした。
ぎんは無邪気に、
「おじさん、そんなこと言ったらアカと間違えられるよ?」
そこで宮本父は、警察で拷問を受け、脚を潰されたことを最後に告白します。
息子が、「父は”びっこ”」と言ったのは、嘘ではなかったのです。
そんな宮本父に、ぎんはかまわず恩賜のタバコを(それもつい頭を下げて)
取り出し、渡そうとしますが、まあ受け取るわけないですよね。
ぎんは宮本父が出ていくと、またしてもタバコを拝むように頭をひょいと下げてから
火をつけますが、一口吸ってすぐ消し、
「ん、やっぱり吸い付けたタバコの方が口に合うね」
彼らの生徒生活が軽快な音楽とともに活写されます。
総員起こしのあとの吊り床納めも、手早くできるようになった頃、
9月、辻堂海岸で陸戦訓練の総決算ともいえる野外演習が行われることになりました。
「気持ちいい〜!」
彼らにとって嬉しいのは、民宿の食事と、それから「布団で寝られること」。
わたしが心配した通り、ハンモック就寝はやっぱり結構辛いことなんですね。
大声で歌いながら(またしても『艦隊勤務』)お風呂に入ったり、
枕投げをしたり、まるで修学旅行気分です。
林はいつになくはしゃいで、今までこんな美味しいご飯や
フカフカの布団で寝たことはない、といい、
「俺、海軍にきて本当に良かったと思ってる」
ああああ、それはフラグ(以下略)
ちょっとじーんとなってしまったみんなは、気をとりなおすように
栗本のリードで今度は
「四面海なる帝国を 守海軍軍人は 戦時平時の別ちなく 勇み励みて勉むべし」
と「艦船勤務」を歌い出します。
しかし次の日の紅白戦で事件が起こりました。
林が帯剣(ベルトにつけている短剣)を失くしたのです。
「なにっ!」
「教班長・・・」
この頃の梅雀さん、健気でキュート。声とか可愛すぎ。
とかいってる場合ではありませんね。
日没まで皆でで捜索を行い、さらにその後は工藤と林二人で探しますが、
広い海岸のあちらこちらを走り回っているので、見つかりません。
ついに、工藤は林に宿に一人で帰るように言付けるのです。
それが取り返しのつかない悲劇を生むことになると想像せず・・。
陸海軍を問わず、武器の扱いは常に「陛下から頂いたもの」として、
細心の注意が払われるのが常でした。
もちろん自衛隊だって何か部品をなくしたら、全員で出てくるまで探すそうですが、
(『あおざくら』『ライジングサン』参照)そうなった時のプレッシャー、
恐怖感はおそらく今日の比ではなかったと想像されます。
果たして、一人で暗い顔をして夜道を歩いてきた林は、
宿の前でくるりと踵を返してしまうのでした。
一方、切り株に腰掛けてタバコ休憩していた工藤は、
その近くに帯剣を見つけたのです。
宿舎に林が帰っていないことに不安を覚え、総出で必死の捜索を行いました。
「林〜!帯剣は見つかったぞ!」「林〜!」
ああしかし、林は廃屋の梁に首を吊って自殺していたのです。
嗚咽する班員たち。
武器を失くしたことを苦にして自殺する兵隊、というのは
よく創作物で目にしますが、実際にそういうことがあったかどうかは
(あったんでしょうけど)具体的に資料になっているわけではありません。
しかし、気の弱い者や、失くしたことより罰直が死ぬより怖かったりすると、
こういうことも起こったのだろうとは思います。
ちなみに、自衛隊では備品をなくして自殺したという事件はないようですが、
ただ、一人の隊員がなくした銃の捜索のため残業した時間が長く、
(のべ56日間)それが原因で鬱になり自殺、と言う例はあったようです。
そこで工藤は、
「貴様そんな弱虫だったのか!」
と言うや、変わり果てた姿の林を軽々と抱き起こし、頬を往復ビンタ。
いや、遺体の胸ぐら掴んで引き起こすのってそんな簡単じゃないと思う。
それに、普通の神経をしていたら仏様に対しそんなことできませんて。
案の定吉永中尉が色をなし、
「工藤上曹、死者への無礼は許さんぞ!」
その悲しい知らせは岩手の父と母に伝えられました。
へたへたとその場に座り込む母(林八重)。
そして父(加藤武)。
彼は林が給料を全て仕送りしだすと、心を入れ替え、
酒をやめて真面目に働くようになっていたのです。
一つだけ空席になった食事テーブルを囲み、皆表情を硬らせています。
「お前たち、何か俺に言いたいことはあるか」
全員を食後グラウンドに集合させ、木銃を持たせて、
「言いたいことを言えないような女の腐ったようなのに教育した覚えはないぞ」
余談ですが、「女の腐ったの」という言葉は、この頃の映画にしょっちゅう出てきます。
自粛か放送コードか知りませんが、いつの間にか死語になりました。
この言葉は性差別的であると言って終えばそれまでですが、
女性という性そのものを貶めているわけではないと思うのです。
ちゃんとした女性ならそうではない、という意味で「腐ったの」という
「但書」がついているわけで、本来なら女性らしい(とされる)傾向である
「控えめ」「感情を抑える」が腐って悪化すると、
「陰険」「はっきりしない」「明朗でない」等々になるといいたいわけですよ。
まあそもそも「女性らしい」という言葉そのものが差別とされる今日、
「誰かを不快にさせる」この言葉は遅かれ早かれ淘汰されていく運命だったと思いますが。
生徒たちを外に追い立てて、棒術の棒を持たせ、
「俺の胸を突いてこい」
教班長はいうのですが、生徒たちにそんなことできるわけないよね。
皆「やあー!」といいながら代わりに藁人形に突進し、
工藤もまた生徒を押し除けて突撃するのでした。
「弱虫は死ね!」
と繰り返しながら。
そして工藤上曹は志願して転属していきました。
「わたしはフネの方が性に合っているようです」
最後に予備士官である教官たちに向かって、チクリと一言。
「あなた方とは違い、彼らの家庭は世間の庇護が受けられず、
貧乏ゆえに自分たちしか頼るものがない者が多いのです」
そして敬礼をして去っていきました。
いつも虚無的なリアリスト、山中中尉は、
「工藤上曹は生徒たちに負けたんだ。彼らは純真そのものだ」
そしてこんなことを言います。
自分はここに転任命令を受けた時、もう少し生きられるとほっとした。
そんな卑怯な自分に比べ、幼い彼らがその純真さで死を尊いと思い、
生を放棄しているの見て、負けたと思った。
「だから俺もフネに転任願いを出した」
橋本の姉、ぎんが突然弟との面会を求めてやってきました。
艦艇実習で生徒には会えないことを知ると、彼女は、
自分が結婚して満州にいくことを伝えてくれ、と吉永中尉に頼みます。
ところで、彼女が出て行った途端、教官の国枝少尉がいうんですよ。
「あの女、素人じゃないでしょう」
素人じゃなければいきなり「あの女」呼ばわりですかそうですか。
映画スタッフの感覚なのかもしれませんけど、これも失礼よね。
しかしその夜、橋本はハンモックで涙に咽びました。
姉が結婚するということが嬉しかったのです。
次の日の手旗信号訓練で、姉の結婚のことを知った江波が橋本に送ります。
「オメデトウ」
喜び勇んで返答する橋本。
「アリガトウ」(´;ω;`)
5月27日の海軍記念日には演芸大会が行われました。
もうすぐ彼らが入隊して1年が経とうとしています。
「寛一お宮」の舞台で江波とともにお宮に扮した橋本が笑いを誘っているその時、
吉永中尉が憲兵隊に呼ばれてみると、そこにはなぜかぎんがいるのです。
彼女は逃亡兵と一緒に満州に行こうとしてつかまってしまったのでした。
結婚するというのは彼女の希望にすぎなかったようです。
ここでよくわからないのは、吉永中尉とぎんを憲兵隊の剣道場で面会させ、
その生い立ちから二人の馴れ初めまでを語らせる憲兵隊の意図です。
帰ってきた吉永中尉は本当のことを橋本に話しそびれます。
いや、ちょっとこれはいくら言い難くても告げるべきでは?
さて、秀才の江波が砲術学校入校を命じられた日、
校長であったかれの父が急死したと知らせがありました。
学校を辞めて軍需工場で働いていたところ、鉄材の下敷きになったのです。
父が学校を辞めた理由は、自分の生徒を海兵団に送り込み、結果的に
彼らを死に追いやることに加担している罪の意識に耐えられなかったからでした。
一人残され、息子だけは戦地に行って欲しくないと必死にすがる母に、江波は
「僕は生まれなかったものと思ってください」
と冷たく言い捨てて故郷を後にします。
そして、次の瞬間、彼らは砲術学校を卒業し、同日のうちに
硫黄島海軍守備隊への配属を命ぜられていました。
硫黄島で戦闘を行なった海軍部隊は総勢7500名ほどでしたが、
航空戦隊と設営隊、そして警備隊からなるもので、
ここにどのくらい特年兵がいたかはわかりません。
ただ、実際にありえないこととして、海兵団の同班だった江波らが
ここでも同じ部隊におり、中隊長は教官だった吉永中尉、おまけに
工藤教班長までおなじ部隊にいたりします。
昭和20年2月16日、米海軍機動部隊の500隻が硫黄島を包囲しました。
島の形が変わるほどの艦砲射撃と砲撃で戦力は消耗していき、
わずか数日で陸海軍の守備隊は壊滅状態に陥りました。
洞窟に身を隠す彼らの耳に、米軍の投稿を呼びかける声が聞こえてきます。
手榴弾を投げ込んだだけで行ってしまいますが、実際ならもっと執拗だったはず。
そして、ついに最後の時がやってきました。
栗林中将発信の電文は、最後の総突撃、玉砕を慣行する旨伝えてきていたのです。
中隊長である吉永中尉は、同時間に万歳突撃を決心しました。
しかし、吉永中尉は、4名の少年たちには突入でなく「待機」を命じます。
年少兵を玉砕に巻き込むのは忍びず、たとえ見つかったとしても
アメリカ軍も子供である彼らを殺すことはないだろうと考えたのでした。
一緒に突入させて欲しい、と必死で頼む彼らでしたが、
吉永ははねのけ、待機場所への出発を命じました。
「江波上水以下4名、出発します」
そこで彼らの後を追って立ち上がったのが工藤でした。
制止する吉永中尉に、工藤はこう言い遺します。
おそらく「そういう教育」を受けてきた彼らは捕虜になることを望まず、
軍人としての行動を取って殺されるであろうから、私は一緒に死んでやると。
「もう遅いのです。そう彼らにさせたのはわたしであり、あなたです」
工藤の考えた通りでした。
自分たちだけで突入し、玉砕することを決めた少年たちは、死を前に
生まれて初めての恩賜の煙草を咽せながら吸い、各々の思いを語り合います。
自分が死んだら姉も少しは肩身が広くなるだろう、と橋本。
喧嘩別れしたが、自分を育ててくれたやさしい父親だった、と宮本。
そして、父が死んだときのように会津武士の妻である母は、
皆の前では涙ひとつ見せず、また納戸に隠れて泣くだろう、と栗本。
そして全員で「海行かば」を歌いました。
そのとき、彼らは見たのです。
自分たちを追ってやってきた工藤教班長が銃弾に倒れる姿を。
敬愛する工藤教班長の後を追うかのように、彼らは次の瞬間
一斉に突入し、わずか14年の若い命を散らせていきました。
映画は最後に、海軍特年兵戦死者の名簿と碑を映し出します。
東郷神社境内にある特年兵の碑文にはこのような文が捧げられています。
戦争のこわさも その意味も
知らないまゝで 童顔に
お国のための 合言葉
一ずに抱きしめ 散った花
十四才の あゝ 夢哀し