コアな鑑賞者や専門家から軒並み高い評価を得る映画というのは、
得てして一般大衆からの人気を得ることができないものですが、
この作品はその典型のようなものだと思われます。
1998年、テレンス・マリックの監督・脚本によって、日米戦、
あのガダルカナルの戦いを実話ではなく架空の物語として描いた
「シン・レッド・ライン」(The Thin Red Line)
は、キャスティングの段階ですでに大変な話題を呼びました。
しばらく活動を休止していたマリックが久しぶりに映画を作るという情報が流れると、
数多くの有名俳優が、殺到という言葉が相応しいくらいのアプローチをしてきたのです。
ブラッド・ピット、アル・パチーノ、ゲイリー・オールドマン、ジョージ・クルーニーなど
一流の俳優たちが、わずかな金額でもいいから(中には無料でもいいという人もいたとか)
仕事をしたいと申し出、ブルース・ウィリスは、出演について話をしにきてくれるなら、
キャスティングクルーのためにファーストクラスのチケット代を負担するとまで言いました。
ジョシュ・ハートネットはこの作品のオーディションを8回受けるも、不採用。
出演が決まる前にマリックに会ったショーン・ペンは、
「1ドルでいいからどこに行けばいいか教えてくれ」
”Give me a dollar and tell me where to show up."
とまで言ったそうです。
制作側からはロバート・デ・ニーロ、トム・クルーズにも打診が行われたそうですが、
オファーのあまりの殺到ぶりに、キャスティング・ディレクターは、
これ以上のリクエストを受け付けないと発表しなければならないほどでした。
監督は、そのほかにもジョニー・デップ、マーティン・シーン、ケビン・コスナー、
ディカプリオ、マシュー・マコノヒー、イーサン・ホーク、ウィリアム・ボールドウィンなどに
役割を検討し、実際に会って話をしているそうです。
ただ、ハリソン・フォードはニック・ノルティが演じたトール大佐の役を断り、
ニコラス・ケイジなどは、マリックが二度目にキャスティングの話をしようと電話をしたとき、
電話番号が変えられていて連絡が取れなくなっていたそうです。
ちゃんと断れよケイジ(笑)
しかし、贅沢というのかなんというのか、そうやって山ほどの俳優のラブコールを断っておきながら、
やっとのことで出演にこぎつけたジョージ・クルーニーはほぼ端役扱いで一瞬だけ、
本人は自分が主役だと思っていたエイドリアン・ブロディ(『ピアニスト』の主役)は、
撮影したはずのシーンのほとんどがカットされていて、
彼はプレミアで観たときに初めてそのことを知って愕然としたそうですし、
もっとひどいことに、ゲイリー・オールドマン、ミッキー・ローク、マーティン・シーン、
その他のように、撮影したはずなのに完成版にはどこにも出演していない、
つまり出演箇所が全てカットされてしまったなどという俳優たちもいました。
これを剛気(あるいは俳優の無駄遣い)と言わずしてなんと言う。
そして、もはや映画が一流かどうかはこの人がスコアを書いているかどうかで決まる、
(とわたしが勝手に定義しているところの)ハンス・ジマーの起用。
戦争映画としては画期的なカメラワーク、淡々と紡がれる哲学的なモノローグ。
ついこの間紹介したそのドイツ軍版である「ライプシュダンダルテ」は、
改めてこの作品のヨーロッパ版を狙ったのに違いない(つまり二番煎じ)と思われました。
その結果、評論家は百点満点で78点、レビュー集計サイト「Rotten Tomatoesm」では
80%の支持率を得ているなど、概ね評価の高い作品ではありますが、
一般の意見を覗いてみると、(もっともこれは日本人の感想ですが)
「全く面白くない」「意味不明」「よくわからない」
というのがちらほらあって、これはある映画評論家の言うところの
「混乱していて未完成な感じがする」
「分裂症的なところが偉大という評価から遠ざけている」
という部分が、エンタメを求める鑑賞者に分かり難さを与えているのだと思われます。
わたしには特にわかりにくくも意味不明とも思えませんでしたが、
「ライプシュタンダルテ」に退屈したという鑑賞者が一定数いるように、
戦争映画に活劇的スリルやわかりやすいドラマを求める向きには
確かに面白くもおかしくもないであろうという気はしました。
映像はともかく、それに付随するセリフがその大きな原因です。
たとえば、トレイン二等兵のモノローグ、
「この偉大な悪は、どこから来たのか?
どうやって世界に忍び込んだのか?
どのような種、どのような根から成長したのか?
誰がやっているのか?
誰が我々を殺し、我々から命と光を奪い、
我々が知っていたかもしれない光景を見て我々をあざ笑っているのか?
私たちの破滅は地球のためになるのだろうか?
草の成長や太陽の輝きを助けるのだろうか?
この闇はあなたの中にもあるのか?あなたはこの夜を通り過ぬけたことがあるか?」
こんなポエムが続くと、結構うんざりする人もいることでしょう。
ただ、評論家に「混乱」「分裂症」と言わせる部分の正体については、
この項を締め括るときに結論できればいいなと考えております。
さて、本題に入る前に、例によってタイトルについて話しておきましょう。
さすがの日本の配給会社も、この映画に「南海の死闘」とか「太平洋の悲劇」とかいう
どこにもありそうなタイトルをつけるのははばかられたと見え、大人しく(?)
原題のままの(ただしThe抜きで)「シン・レッド・ライン」を採用しています。
これは、当ブログ映画部から見ても英断というか当然の帰結で、
逆にこれ以外のタイトルがありうるのかと聞きたいくらいです。
しかしながら、この言葉が全く日本の鑑賞者に理解されていないにもかかわらず、
配給側からは、まったく説明を行おうという努力がなされていないように見えます。
(ならなんで今回に限って原題をそのまま採用したんだ、と意地悪く思うわけですが)
そこでネットを検索したところ、日本語ではほぼこの言葉についての情報が
ゼロのようですので、映画の説明に先立ち、この語源から紐解いていきたいと思います。
「The Thin Red Line」
薄い赤色のライン、意味はそのままです。
この赤とはなんであるか、というと、赤い軍服を着た兵隊たちの作る防衛線です。
この言葉は、ラドヤード・キップリングの詩「Tommy」(『Barrack-Room Ballads』)
の一節からの引用です。
Then it’s Tommy this, an’ Tommy that, an’ “Tommy, ‘ow’s yer soul?
” But it’s “Thin red line of ‘eroes” when the drums begin to roll,
The drums begin to roll, my boys, the drums begin to roll,
O it’s “Thin red line of ‘eroes” when the drums begin to roll.
この詩の中で、キップリングは英国の歩兵(トミー)を
「the thin red line of heroes」(細く赤いラインの英雄たち)
と呼んでいますが、これはクリミア戦争の「バラクラヴァの戦い」における
第93連隊の兵士たちを指しているのです。
クリミア戦争は、1853年に始まり、3年後の1856年に終結しました。
オスマン帝国、イギリス、フランス、サルデーニャの連合軍が、
クリミアに侵攻し、ロシアの潜在的な拡大を阻止すること目的としたものです、
クリミアの小さな港町バラクラヴァを確保するために、
イギリス軍、フランス軍、オスマン・トルコ軍の大部隊が派遣され、
保塁地が作られましたが、2,500人以上のロシア騎兵が攻め込んできました。
ロシア軍は熟練した騎兵を中心に構成されており、機動力に優れています。
オスマン・トルコ軍は防衛線を維持することができず、
サザーランド・ハイランダーズ第93連隊が保持する第2防衛線に退却を行いました。
そこで、約200名のハイランダーが二列からなる「赤く」「薄い」ライフル隊を形成します。
伝統的には、騎兵は4人で1列に並んで対抗しますが、司令官のキャンベル卿は、
ハイランダーが新型のミニー銃で武装していて十分な再装填が可能だと判断したのです。
砲撃とともに400人のロシア騎兵が突撃してきたとき、キャンベル卿は兵士たちにこう叫びました。
「ここから退くことはできない。この場で死ぬしかない」
しかし、生存の可能性がほとんどない状態で立ち往生していた部隊は、
敵を撃退しただけでなく、残っているロシア軍を追撃しようとまでしました。
この戦いに立ち会った『タイムズ』紙の特派員が、イギリス軍の勇気を
ロシア軍の騎兵隊とイギリス軍の拠点との間には「鋼鉄で覆われた細い赤の筋」、
すなわち93部隊の「シン・レッド・ライン」があるだけだった
と書き、この記事から「シン・レッド・ライン」という言葉が生まれたのです。
具体例
圧倒的な攻撃を受けたときに、薄く広がった部隊が踏ん張る様子を表す表現として
この言葉は現在も英語圏では残されており、たとえば、
アメリカでは炎の赤とかけて、消防隊を意味することもあります。
さあ、ということは、映画はこの勇気あるハイランダーたちのように
それを彷彿とさせる「逆転」があるということなんでしょうか。
1943年、南太平洋のガダルカナル島では、主要な米国の攻撃が終わりに近づいています。
アメリカ陸軍は、この作戦に終止符を打ち、日本軍の最後の抵抗を打破するために
完全な装備からなる師団を上陸させました。
と思ったら、映画はいきなりワニがジャングルの湖沼に沈むシーンから、
メラネシアの原住民の子供たちが海を泳ぎ、砂浜で遊ぶ光景が展開します。
この冒頭で流れる曲は、ガブリエル・フォーレの「レクイエム」終曲、
「In Paradisum」です。
楽園へと導きますように 天使たちがあなたの到着したときに迎え入れ
あなたをい殉教者たちが 聖なるところエルサレムへと案内しますように
Requiem, Op. 48: VII. In Paradisum
「自然の中心(heart)でのこの戦争ってなんだろうか。
なぜ自然は自分自身と競い合うのか?陸と海は争うか?」
とかなんとかビーチでポエムってる野郎は、しばらく見ていないとわかりませんが、
実はアメリカ陸軍上等兵、ウィット (ジム・カヴィーゼル) 。
レクイエムは村の子供達が手をたたき歩きながら歌う歌に変わります。
ポエム野郎、実は隊友と一緒に、AWOL(absent without leave)つまり
無許可離隊(脱走ともいう)してメラネシアの原住民と一緒に暮らしているんですね。
しかし、海岸線に突如現れたのはアメリカ軍の哨戒艇によって、彼らは確保されてしまいました。
彼は兵員輸送船に戻され、投獄されます。
上官ウェルシュ軍曹を演じるのは「1ドルでもいい」とオファーを受けたショーン・ペン。
彼の言によると、ウィットは元から「そういう奴」だったようです。
彼らは第25歩兵師団C(チャーリー)中隊。
ヘンダーソン飛行場を確保し、日本軍から島を奪取してそのルートを遮断する作戦の
援軍としてガダルカナルに送り込まれてきました。
彼は懲罰部隊送りで、そこで負傷者を搬送する係を言い渡されます。
彼はせめてもの反発で、軍曹に自分が見た「別の」世界について話してみますが、
俺には見えない世界だ、と一蹴されるのでした。
実際の軍隊ならおそらく話半分でふざけるなと怒られると思われますが、
この映画ではほぼ全ての登場人物がこの調子なので、その心配はありません。
甲板では大隊長トール中佐(ニック・ノルティ)がクインタド准将(ジョン・トラボルタ)と
何やら話し合っていますが、作戦についてではありません。
いわば軍における出世と処世術に対する達観を披露する准将に対し、
トール中佐の方は複雑な思いでそれに相槌を打っています。
トールはどうやら出世が遅くようやく中佐になった人物で、そのことは
彼が二階級上のクインタドより歳をとっていることからもわかります。
家族を犠牲にし、上にときには媚びてなんとか得てきた今日の地位。
彼は心の中で、これ以上の昇進は望むべくもなく自分はおそらく死ぬこと、
この戦いが勝利の作戦を指揮する最後のチャンスであると呟きます。
海軍輸送船の中ではC中隊のメンバーが来し方行く末について思いを巡らせています。
小さい頃継父に煉瓦で殴られたのより今の方が怖い、
と軍曹に訴えるドン・ドール二等兵(ダッシュ・ミホク)。
支離滅裂なドールの話を聞きながら不安そうなフィフ伍長(エイドリアン・ブロディ)。
中隊長のせいでこんなところに来た、と八つ当たりするマッツィ二等兵。
八つ当たりされているのは繊細な元弁護士、中隊長のスタロス大尉(イライアス・コティズ)。
1942 年 8 月 7 日、C中隊は無敵の状態でガダルカナル島に上陸します。
おそらくこの映画で人間の次によく出てくるのがオウム。
自然の象徴として、この生き物の映像が多用されます。
島の内陸部にC中隊はジャングルを踏み分け進んでいきます。
このいかつい面構えの兵隊は、ケック軍曹(ウッディ・ハレルソン)。
「それら様々な形で生きているあなたは何者?
あなたが全てを捕らえ、与える死
また、あなたは全ての生まれくるものの源泉となる
あなたの栄光 慈悲 平穏 真実
あなたは魂を鎮め 理解する
勇気と満たされた心を」
この映画で哲学的なつぶやきを行う係?は、どうやらトレインのようです。
そのつぶやきをバックに、既婚の元将校、ベル二等兵(ベン・チャップリン)は
故郷に残してきた妻の姿をありありと思い浮かべるのでした。
ベル二等兵の妻は劇中何度も何度も(オウムなみに)追想によって登場します。
進軍の途中で中隊メンバーは海兵隊員二人の死体に遭遇しました。(画像自粛)
先遣隊である海兵隊は日本軍の激しい抵抗に遭っていました。
たどり着いた海兵隊キャンプでは原住民に担架を洗わせていますが、
たちまち川に真っ赤な血が流れていきます。
やがて中隊は敵の要所であるヒル 210を発見し、
トール司令は丘を正面突破する作戦を提唱しました。
日本軍は丘の頂上、谷全体を見渡せる場所にバンカーを設えており、
丘を攻略しようとしても機関掃射や迫撃砲で撃退されるでしょう。
中隊長スタロスは無理だと言いますが、トールは進言を跳ね除けました。
作戦決行の夜明け、トール中佐は連絡の電話でスタロス大尉に
「ポイント」(陸軍士官学校のこと)で読まされたというホメロスの詩から
(英語ではホーマーと発音するのでどうもシンプソンを思い浮かべてしまう)
"Eos rhododactylos . . . rosy-fingered dawn."(薔薇色の払暁)
という言葉を気の利いたことを言っているつもりか、得意げに披露するのでした。
君はギリシア系だろ、といういらん一言にスタロス大尉は取り合わず(笑)
「我々を援護する砲の種類は?オーバー」
「105ミリ2中隊だ」
「それでは全く効果はありません(won't make a dent)オーバー」
それでも敵に落ちれば効果大だ、とトール中佐。
朝一番で激しく砲撃が始まり、中隊は緊張の極に。
もうみんな顔色が真っ青です。
そっとペンダントの妻の写真を見ているのはベル二等兵でしょうか。
ほとんどの兵は戦闘そのものが初めてで、シコという二等兵は
出発を命じられても胃が痛くて立つこともできない、といいながら、
ウェルシュ軍曹が「衛生兵に診てもらえ」といったとたん、
脱兎のようにその場から駆け出していくという有様。
ホワイト大尉が先にいる二人に「進め」という意味で手を振り回しているのに、
二人とも大尉を見つめたまま硬直して動こうとしない様子はリアルです。
しかし、ようやく二人は動き出した途端、日本軍の狙撃手に瞬時にしてやられてしまいます。
丘の上からの的確な攻撃に次々部下が倒されていくのに呆然とするスタロス大尉。
懲罰部隊に高圧的に担架で負傷者「ジャック」を運ぶように命じたところ、
(ジャックって誰?)脱走して担架兵になったウィットが、
そのジャックを運んだら元の部隊に戻してもらえるか、とかネゴしてきました。
このポエム野郎、なかなか抜け目ないやつです。
スタロス大尉には、もう後がないトール中佐がガンガン電話でハッパをかけてきます。
自分が出世するかこのまま終わるかの瀬戸際だけに血圧あがりっぱなし。
そして、どんな犠牲を払っても正面からの攻撃で高地を奪取するよう命じますが、
部下が眼前で大砲の餌食となっているのに、勇ましい返事など彼にはできません。
ここでケック軍曹と日本兵との間に心温まる?会話が行われます。
窪地に伏せるケック軍曹に、日本兵がこう叫ぶのです。
”We know you there, Yank!"(そこにいるのが丸見えだぞ、ヤンキー)
ケックがそれに対し
”Tojo eats shit! "(トージョーくたばれ!)
というと、
” No, Roosevelt eats-a shit!"(いーや、ルーズベルトがくたばれ!)
こんな気の利いた?罵り言葉が咄嗟に日本人の口から出てくるかしら、
と思ったのですが、まあ、たまたまそういう人がいたんでしょう。
そのケック軍曹ですが、日本軍が退却していったらしいというのに、
ついうっかり手榴弾のピンを間違って抜いてしまい、
味方を守るために自分が覆いかぶさって下半身が吹き飛ばされてしまいます。
「自分のケツを噴き飛ばしちまった!ばかな新兵みたいに」
「俺の女に手紙を・・男らしく死んだと」
「もう無茶苦茶だ・・もう女とやれねえ」
ドールはケックが息絶えてから、
「(妻に)手紙を書くのか」
と聞かれるとなぜかものすごくうろたえ、
「馬鹿いえ、知らない相手だ」
とパニクるのでした。
続く。