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Channel: ネイビーブルーに恋をして
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ビューティフル・ドリーマー〜ピッツバーグでの「音楽体験」

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■ MKのアパート引越し

アメリカのアパートの契約は日本と違い、年に2回の更新日があります。
2月と8月の1日にはアパートを退去する住人が一斉に引越しするので、
その日はエレベーターが大変な混雑となります。

MKも8月1日付けで部屋を退去することになりました。

アパートには一人部屋、二人部屋、三人部屋があり、MKが半年前入居したのは
二人でシェアするタイプで、ご覧のような広いリビングに個室が付いていました。

ルームメイトはMKの大学でコンピュータサイエンスのドクターを取ったインド人で、
それだけでも超優秀な人物であること決定なのですが、いかんせん、
キッチンのスペースをほとんど自分のもので占拠し、リビングも散らかし放題。

「どんな優秀か知らないけどちょっとだらしなさ過ぎない?」

ついつい愚痴をこぼすわたしにTOは、

「まあまあ。あの国では掃除などはカースト下位の仕事なんだから」

というし、MKは全く気にならない、とむしろインド人を庇い、
円満にルームシェアを行い、無事に半年の契約期間が過ぎたようです。

インド人ドクターは規定通り8月1日に出て行きましたが、
MKはこの後アパート内の部屋を移るだけなので、
しばらくここに一人で住んでいいということになりました。

そこで、この絶景リビングを心ゆくまで楽しもうと、
引越し前に押しかけ、ここでコーヒーを楽しんだりしました。

オフィスから次の部屋の掃除ができたと連絡があったのは8月4日です。
急に言われてもMKも大学で仕事をしているので、親が出動。
同じく渡米していたTOとMKが学校に行っている間、荷物をまとめ、
手作業で新しい部屋に荷物を移していくことにしました。

そしてこちらが新しい一人部屋です。
MKはむしろルームシェアをしたい派なのですが、時節柄、
同居相手の感染が気になるので、こちらの方が安心だろうと。

「学生が住むアパートなのになんだか贅沢すぎない?」

思わず夫婦でぼやいてしまうくらい、この一人部屋も広さがあります。
大型冷蔵庫に食洗機、オーブン、洗濯機と乾燥機も部屋に完備。

キッチンカウンターはアイランド型ではありませんが、
日本の家族向けマンションより下手をしたら立派で大きかったりします。

電子ピアノは西海岸に帰っている彼の友人の預かり物です。
夏の間はここにあるので、もっぱらわたしが練習用にしています。

ベッドとベッド下のタンス、机と椅子は備え付け。

昼過ぎから仕事を始め、アパートの端から端まで、
エレベーターも使って荷物を運んだわけですが、
その日の歩行数は25,000歩、距離にして18キロでした。

流石に次の日はぐったりしてしまったものです。

■ 海兵隊軍楽隊「第二次世界大戦時のヒット曲」コンサート

7月4日の独立記念日、テレビではいろんな「パトリオット企画」、
たとえばこの局は、海兵隊音楽隊による第二次世界大戦時のヒット曲コンサートを放映しました。

 

軍楽隊といえば、日本国自衛隊の誇る音楽隊は、コロナ以降演奏活動をほとんど自粛しているようです。
海上自衛隊東京音楽隊の定期演奏会はわたしが知るだけで二回直前の中止を決めました。

二回目などは参加予定者一人一人に担当者が直々電話をかけ、
口頭で中止を通知とともに謝罪してこられたので、わたしは
残念よりお気の毒なのと恐縮でなんとも悲痛な気持ちになったものです。

音楽隊の使命は儀礼式典などの演奏が第一であるとはいえ、
国民に自衛隊の存在を広報する目的がコロナのせいで失われていることは、
関係者ならずとも心を痛めていることに違いありません。

アメリカも疫病のせいでコンサートや公演が中止になっていましたが、
その代わりこのような番組が組まれて活動が国民の目に触れるわけです。

この日の海兵隊の特別番組を観て、わたしは日本でこういう番組が作れない、
自衛隊音楽隊がほとんどの国民には認知されていない理由を突き詰めると
日本という国における自衛隊の存在そのものについての問題点と、
いつもの「なんとかしなければいけないのに」という気持ちに行き着くのです。

 

ただ、今回とてもほっとしたことがありました。

先ほど女子バスケットボール表彰式で、優勝したアメリカの国歌演奏の映像に、
一瞬ですが陸海空自衛隊の制服姿が旗の下で敬礼している姿が映ったのです。

自衛官が表彰式の国旗掲揚を行っている(日常的に旗の扱いには慣れているし)
からには、当然国歌演奏は自衛隊音楽隊ということではないですか!

カメラは演奏している楽隊を映すことはないので確かめることはできませんが、
音楽に限らず、自衛隊が今回のオリンピックの運営を縁の下で支えているという
確信を持った瞬間でした。

この日の海兵隊軍楽隊コンサートでは、第二次世界大戦時に流行った曲に
当時のニュース映像などが重ねられました。

戦争遂行のためにアメリカは女性部隊を正式に編成し、
宣伝によって募集して志願者を集めました。

陸軍のWAC、女性部隊のポスターには、

「帰ってくるのを待っているくらいなら一緒に行くわ」



海上自衛隊では女性隊員をWAVEと呼ぶそうですが、
アメリカ海軍におけるWAVESは、前にも指摘したように

Women Accepted for Volunteer Emergency Service

つまり「緊急時女性志願任務遂行者」であり、「任務」を意味する
「S」が欠落したこの言葉が女性自衛官を表すというのには、
わたしは大変疑問を感じているわけです。

日本語感覚として「ウェーブス」と発音するのは語感が悪いから?
(特に最後2文字が)というくらいしか理由が思いつきません。

まあ、現在のアメリカ海軍では「緊急時任務」のために志願したわけではなくても
女性軍人はWAVESらしいですが。

ちなみにこんなのありましたー。

海上自衛隊 隊歌 WAVE(婦人自衛官)の歌

WASPsはWomen Airforce Sedvice Pilots、つまり女性飛行隊です。
女性パイロットは軍用機の輸送を任務としていました。

ポスターの、

A WARTIME EXPERIMENT IN WOMANPOWER

というのは、「マンパワー」だと

「戦時下での人材育成の試み」

となりますが、それにWOをつけて女性人材育成という造語にしています。

そして沿岸警備隊女性部隊、SPARS。
沿岸警備隊のモットーである、

"Semper Paratus—Always Ready"(常に備えあり)

のギリシャ語と英語訳の頭文字から取られた名称です。

 1939年にウディー・ハーマンが作曲したヒット曲。

「さあパーティの始まりだ 
月曜の朝から金曜の昼までストレスが溜まるけど
今夜は週末、思いっきり楽しもうよ

いい気持ちになりたきゃ今
さあパーティの始まりだ」

みたいな、ご機嫌なアップテンポの曲です。

と思ったらいきなりアイゼンハワーが空挺隊を激励している写真が出ました。
これは確かノルマンディ上陸作戦の時だったと記憶します。

続いてそのDデイの写真。

これもノルマンディ作戦の写真です。

極寒の東部戦線での一コマでしょうか。
兵士の表情が意外と穏やかで明るいのにむしろ胸を打たれます。

後ろの人が携行しているのは無反動砲でしょうか。
これも東部戦線での陸軍部隊。

この「I'll be seeing you」は、帰還した軍人と女性の恋を描いた映画の挿入曲です。

軍楽隊の男性ボーカルが、甘い声でこんな歌詞を歌い上げました。
世界共通の傾向として、管楽器奏者には歌の上手い人が多いです。

「あなたに会うだろう 懐かしい場所で
わたしの心は過ぎ去った日々を抱きしめる

小さなカフェ 道の向こうの公園
子供用の回転木馬 栗の木 願いを叶えてくれる井戸

あなたに会うだろう 素敵な夏の日に
全てが楽しくて明るいんだ まるであなたみたいに
あなたを見るだろう 朝の光の中に 
そしてやってきた新しい夜 わたしは月を見るだろう
でも、そこに見るのは あなた」

戦地で恋人を思う気持ちにぴったりと沿った内容となっています。

「イン・ザ・ムード」というグレン・ミラーオーケストラの曲を知らない人は
少なくともアメリカ人には一人もいないのではないでしょうか。

グレン・ミラー楽団の曲ももちろん何曲か紹介されましたが、
陸軍軍楽隊の少佐でもあったトロンボーン奏者のグレン・ミラーについては
飛行機事故で亡くなったあとの葬儀の様子までが紹介されていました。

ちょうど字幕に「ポツダム宣言」と出ていますが、
(なぜかドイツとイタリアについてはほぼ無視で)、
日本の無条件降伏によって戦争が終わった、というところで
戦地から帰ってくる恋人に会える喜びを歌った曲などが紹介されました。

■ アメリカでのジャズライブ初体験

MKが「授業がハードでバーンアウトしたとき友達と行ってみた」という
ジャズライブハウスにライブを聴きに行きました。

アメリカでジャズライブに行くのは、実は初めてです。
しかも、今までナイトクラヴィングに行けなかった原因であるところの
息子が成長していつの間にか母親をライブに誘ってくれるようになったとは。

店内は狭く、空いている予約の枠は5時から7時となっていました。
ライブは5時半から始まり、7時までには店を出なくてはいけません。

アメリカのジャズミュージシャンは、9時ごろから仕事を始めて
朝方家に帰るというものだと思っていたのでビックリです。

「今のアメリカのミュージシャンは10時には仕事が終わるのか・・・」

その勤務形態だと、ミュージシャンもずいぶん健康的な生活ができそうです。

MKに取ってもらった予約枠はもう最後の一つになっていました。
ジャズバーなのに店内禁煙です。
日本でも禁煙の飲食店が増えていると思いますが、
さすがにバーまではまだ禁煙ではないですよね?(知らんけど)

BGMは一番左のオーナーらしい人がアナログ盤を選んでかけます。

店名の「コンアルマ」はスペイン語で「魂を込めて」。

かつて世界的な有名ジャズミュージシャンが、

「いいライブハウスとはいいキッチンのある店だ」

と言い切ったそうですが、ここは料理も自慢で、
ウワカモーレやアサードなど、南米系のメニューは結構美味しかったです。

おそらくオーナーはヒスパニック系なのに違いありません。

ライブは5時半からとなっていましたが、始まったのは40分からで、
サックスがバンマスのカルテットでした。
生ピアノが置けないので、ピアニストはフェンダーローズ使用です。

手前の二組はどちらもデートで、音楽を聴きに来ているというより、
ジャズをバックに盛り上がりたい派に思えました。

「初デートにジャズライブっていいかもしれないね。
気まずくなっても音楽で場が繋げるから」

わたしがいうと、MKが

「初デートで話ができないライブ選ぶかな。俺はおすすめしないわ」

いや、逆に君にお勧めされてもな。


演奏は50分、曲はブルースとかボサノバの「ラウンド・ミッドナイト」とか、
「エスターテ」(夏という意味)とか、気のせいか南米風でした。

 

■ おまけ・フォスター記念堂

音楽つながりで、もう一つ。

ピッツバーグ大学の「学びの塔」の足元?に、いつも見えているこの建物。
てっきり学びの塔の一部だと思っていたのですが、近くを歩いた時、
これが「ステファン・コリンズ・フォスター記念堂」であることがわかりました。

フルネームで言われると誰かわからないという向きもあろうかと思いますが、
「草競馬」「おおスザンナ」「オールドブラックジョー」「金髪のジェニー」
などの作曲をし「アメリカ音楽の父」と言われるあのフォスターのことです。

建物はピッツ大の所有する博物館となっており、コンサートホールと
アーカイブ、フォスターのピアノや記念品が所蔵されています。

なんでも彼がペンシルバニア生まれでお墓がピッツバーグにあることから、
ここに記念堂を作るという運びになったようです。

 

フォスターといえば、昔教育実習に中学校にいったとき、カリキュラムに
その作品が出てきたのですが、その授業中、受け持ちクラスの男子生徒が

「フォスターがどんな悲惨な死に方をしたか」

微に入り細に入り語ってくれたのを懐かしく思い出します。(どんな思い出だ)

それは、1864年、ニューヨークのホテルに滞在中、発熱していた彼が
平衡感覚を失って転倒、その際に頭部を洗面台にぶつけて割ってしまい、
その破片で頸動脈を切断されて亡くなったという巷間伝えられる話と同じでしたが、
今回調べたところ、英語では自殺説のことも言及されているのがわかりました。

ある歴史家によるとフォスターは南北戦争中によくある自殺だったと推察しているとか。

倒れている彼を発見したジョージ・クーパーは、

「彼は裸で床に横たわり、ひどく苦しんでいました。
彼は素晴らしい大きな茶色の目に忘れられない魅力を湛え私を見上げていました。
そして『俺はもうダメだ』とささやきました」

そして肝心なのはそのとき彼が大きなナイフを持っていたと言ったことなのですが、
家族はその後フォスターが自殺したことを隠蔽したというのです。

別のフォスターの研究家も、彼は晩年死を予感させる作品を書いていることから、
自殺の可能性も微レ存だと推察しているそうです。


いずれにしても亡くなった時37歳で、所持品はわずか38セントの小銭と、
「親愛なる友だちとやさしき心よ」(dear friends and gentle hearts)と走り書きされた紙片だけ。

当時は著作権法などが整備されておらず、彼は作曲からまともな収入を得ることもなく、
つまり彼が貧困から自殺を選んだとい可能性は確かにあるかもしれません。

名作「夢路より」(Beautiful Dreamer)が発表されたのは死後2か月後のことでした。

 

 


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