スミソニアン博物館の「第二次世界大戦の航空」シリーズ、
展示室にある航空機の紹介もあと一機を残すのみになりました。
■ マッキ C-202. フォルゴーレ
Aeronautica Macchi C.202 Folgore
最初にこのコーナーにある戦闘機を紹介したとき、
マスタング、Bf109、スピットファイア、零式艦上戦闘機、
そしてこのマッキ・フォルゴーレなるイタリアの戦闘機をして、
「第二次世界大戦中最も有名な戦闘機5機」
というのはいかがなものか、ということを控えめに言ってみたわけですが、
それはわりと世界中の識者の共通認識でもあるらしく、ある記事では、
こんな文句からこのフォルゴーレの紹介が始まっていました。
ここで正直に言おう。 Let’s be honest here.
忖度なしで正直に言わざるを得ない決定的な点があるってことですか。
ちなみにこの筆者が「正直に言ったこと」をそのまま書いておきます。
フォルゴーレは第二次世界大戦におけるイタリア最高の戦闘機であったが、
その性能はイギリスやアメリカの戦闘機に及ばなかった。
(多分ドイツと日本の戦闘機にも及ばなかったのではないかと・・)
さらにこのような過酷な現実が列挙されております。
最高速度372m/p.h.はマスタングよりも65遅い
航続距離475マイルはマスタングより1200マイル近く短い
サービスシーリングは1マイル近く低い
メッサーシュミットよりも重い
1機を製造するのに約22,000人のスタッフが必要
ちなみにメッサーシュミットは1機を約4,000人で製造
左翼が右翼よりも約9インチ長い
なんと・・・!
イギリスには一瞬とは言えディフィアントという、前方攻撃武器がない戦闘機が
存在したということに驚かされたばかりなのですが、今回のシリーズでは
それを上回る衝撃的な飛行機がこの世に存在したことを知りました。
マッキ・フォルゴーレ、両翼の長さが違うのです。
改めて写真を見ると、レンズによって生じた歪みだけとも言えず、
手前の左翼が向こう側より短いのではないか、と思われてきます。
それにしても、どんな構造物でも基本左右対象に作られているのが自然の道理、
と思い込んでいる我々にとって、これは前代未聞ではありませんか。
ドイツ人ならそもそもそうならない設計をするだろうし、日本人なら
おそらくはそんな解決法など夢にも思いつかないに違いありません。
それではなぜこんな設計の飛行機が生まれたのか。
その目的は何だったのかを説明する前に、諸元などを上げておきます。
翼幅 10.6m
長さ 8.9m
高さ 3.6m
重量空時 2,350kg
重量満タン時 2,930kg
動力 アルファロメオ R.A. 1000 R.C 41-1
モンソニ(ダイムラー-ベンツDBー601 A-1 ライセンス製産)
武装 12.7 mm機銃 2基 7.7mm機銃 2基
Monsoniというのはイタリア語のモンスーンという意味であり、
Forgoreは奇しくも同時代のアメリカ軍の名機と同じ、「ライトニング」という意味です。
まあ、それをいうなら日本にも「震電」というのがありましたが、こちらはなぜか
英語圏では「マグニフィセント・ライトニング」となっております。
さて、ここでスミソニアンの解説です。
1940年に設計されたマッキ・フォルゴーレは、第二次世界大戦で
大量に使用された最も効果的なイタリアの戦闘機でした。
さすがはスミソニアン、いきなり「正直に言おう」などと言い出さないあたりが
国立博物館としての品位というか、優しさを感じさせますね。
1941年後半から終戦まで約1,200機のフォルゴーレが運用されました。
1943年9月にイタリアが休戦した後、フォルゴーレは、
イタリア共同交戦空軍(Italian Cobelligerent Air Force)
として対ドイツ戦に投入されるようになります。
昨日までの同盟国に対し、今日からいきなり機銃を向けて戦うというのも
一体どうなんだろう、と考えさせられずにいられない変わり身の早さですが、
こういう人たちだから、いまだにドイツ人は日本人を見ると、
今度はイタリア抜きでやろう
と言わずにいられないのだと思います。
続きです。
フォルゴーレのパフォーマンスと機動性は優れていましたが、
武装については同時期の他の戦闘機より劣っていました。
メッサーシュミットより重く、マスタングより遅くとも、
機動性は悪くなかったと、そうおっしゃるわけですな。
さらには、
C.202フォルゴーレは、第二次世界大戦中にイタリア王立空軍(RA)が
大量に投入した最高の戦闘機で、イタリア国外ではほとんど知られていない。
この飛行機は、イタリアが世界水準の戦闘機を設計・製造できることを証明した。
とまで言い切っています。
スミソニアンがそういうからにはやっぱり結構いけてたんじゃないのかしら。
(と権威に弱いわたしはついそう思うのだった)
航空製造会社Aeronautica Macchi S. p. A.は、ラジアルエンジンを搭載した
マッキの初期設計機C.200 サエッタSaeta (これも雷光の意)をベースに、
フォルゴーレ(雷)を設計・製造しました。
Mario Castoldi
設計したのはマッキ社の設計責任者であるマリオ・カストールディ。
サエタの機体にDB 601を搭載してフォルゴレを完成させました。
イタリアは、1930年代半ばには航空先進国でありましたが、いかんせん
エンジンの開発に遅れをとっていたため、同盟国のメリットを生かして
ドイツからダイムラー-ベンツのエンジンを輸入したのです。
C.202は1940年8月に初飛行し、RA(王立空軍)は1941年の夏に
同機を1°ストームC.T.(第1航空隊?)に配備し、さっそくRAFと交戦しました。
北アフリカにおける戦況を左右するには遅すぎたとはいえ、
この新しいマッキC.202は、アメリカのカーチスP-40や
イギリスのホーカー・ハリケーンよりも明らかに優れていることを証明した。
あれ・・?そうだったんですか?
ハリケーンより劣っていたってさっきの媒体では言われているんですけど。
それどころか、
このイタリア製戦闘機に乗るパイロットはすべての対戦相手を凌駕した。
ただし、
スーパーマリン・スピットファイアと北米のP-51ムスタングを除いて。
うむ、やっぱりね。
しかし、そのうちDB 601エンジンの供給が尽きます。
そこでアルファロメオは先ほども触れたモンソニー(モンスーン)と呼ばれる
コピー版をライセンス生産し始め、その結果、フォルゴーレは
レジア・エアロノーティカの他のすべての戦闘機を凌駕するようになったため、
大量生産されるようになった、ということです。
■ 翼の長さが違ったわけ
主任設計者のカストールディは、エンジンから発生するトルクと
Pファクター(プロペラ係数)を打ち消す独自の方法を採用しました。
空力現象により、飛行機は離陸時に揺れ、時には制御不能になるのを防ぐために
カストールディが考案したのが、
左翼を右翼よりも21cm長くする
驚きの解決法でした。
翼を大きくすることで左側の揚力が大きくなると、機体が右に傾きます。
するとそれがトルクとPファクター(非対称ブレード効果)に対抗して
結果として揺れが打ち消されるという理論です。
つまり言い方を変えると、エンジンと回転するプロペラのトルクで
機体が左に押し下げられるのを打ち消すために、左側に少しだけ揚力を与えるのです。
これは面白い解決策ですね。
戦後、フォルゴーレは、より強力なDB605エンジンを搭載するために改良され、
C.205ヴェルトロ(Veltro、グレイハウンド犬の意)と改称され、
1949年までエジプト空軍で最後に活躍していました。
尾翼には王立空軍のエンブレムとマッキC202の名称が。
国立航空宇宙博物館にあるマッキC.202は、世界に2機しかないうちの1機です。
終戦後、多くの枢軸機の中の1機として評価のため持ち込まれ、何年も保管されていました。
キュレーターは1942年夏にリビアで活動した
4º Stormo(ウィング)
10º Gruppo(飛行隊)
90º Squadriglia(飛行隊)
90-4(機体番号)
のペイントを再現することにしました。
4º Stormoは王立空軍の有名な戦闘機部隊です。
北アフリカにおける枢軸国の進攻を戦い、1940年から終戦までに500の勝利を収めました。
妙に写実的な部隊マーク。
オノと・・束ねた何か?
まさかファシズムの語源と関係あるとかじゃないよね?
と思い、念のため調べてみると、ビンゴ!
この「束ねたもの」は「ファスケス」といい、斧の周りに木の束を結びつけたもの。
古代ローマで高位公職者の周囲に付き従った者が捧げ持った権威の標章で、
20世紀にファシズムの語源ともなった、ということがわかりました。
ファスケス
Barraccaというのは今調べたらイタリア語で「小屋」だそうです。
なるほど、バラックということね。
フォルゴーレのコクピット。
当博物館展示機がペイントを再現したのは
4º Stormo10º Gruppo90º Squadrigliaのフォルゴーレ。
1942年、リビアの航空基地で撮影されたものです。
マッキC202とブリンディッド航空基地の王立空軍航空隊のみなさん。
皆の表情が心持ち(´・ω・`)としているのは、この写真がイタリアの降伏後、
基地を確保されたときに(記念として)連合軍のカメラマンに撮られたものだからです。
さすがラテン系のイタリア人も皆神妙な顔をしています。当たり前か。
スミソニアンが所蔵しているフォルゴーレは、現存している2機のうちの貴重な1機です。
1500機も生産したならもう少し残っていてもよさそうなものですが。
続く。