第二次世界大戦の末期のこと。
台湾上空で交戦して撃墜された零戦搭乗員が、すぐに脱出せず、
機体を民家のない地帯まで飛ばし続けたため、敵に追尾され、
その結果落下傘を撃ち抜かれて墜落死したということがありました。
台湾に旅行したとき、そのときの搭乗員を村人の恩人として称え、
その魂を慰めるために創建した神社を訪れて紹介しました。
この神社の名前になっている「飛虎」は中国語で戦闘機を表す一つの言葉です。
この搭乗員、杉浦茂峰帝国海軍少尉を、台南の人々は
「戦闘機将軍」として祀っているのです。
しかし戦闘機を「飛ぶ虎」と言うようになったのはいつからなのでしょうか。
日本語中心で考えると「飛行」=「ひこう」→「ひこ」=「飛虎」ですが、
そもそも飛行機という言葉は日中どちらが先に作ったのかも不明なので、
ヘタな推測はやめにしておきます。
今日の本題は、それを英語にしたところの、
「ザ・フライング・タイガース」
についてですので。
■ フライング・タイガース
ビルマ公路(ロード)という言葉をご存知でしょうか。
インドからビルマ(現在のミャンマー)を経由して
中華民国に至る幹線道路のことです。
総延長1,154キロ。
1937年の日中戦争時に20万人の中国人労働者を使って作ったもので、
第二次世界大戦時にはイギリスが中国に軍事物資を輸送するルートでした。
このビルマ公路を上空から保護するという名目で組織された
アメリカのボランティア航空グループ(略してAVG)それが
「フライング・タイガース」でした。
1943年当時の中国全土における日米の基地所在地を表す地図です。
●が日本軍、★がアメリカ軍の基地のあった場所で、
米軍基地は1941−42年はAVG、ボランティア航空隊が使用しました。
航空隊の志願者はほとんどが元々陸軍か海軍の航空隊に所属していましたが、
ボランティアとして参加することを表明すると、政府の許可を得て
軍の任務を休止するという特別措置が取られました。
クレア・リー・シェンノート将軍が率いるフライング・タイガースは、
第一次世界大戦期間、最も有名、かつ有能な戦闘機ユニットのひとつでした。
AVGは43機のカーチスP-40と84名のパイロットで運用を開始し、
1941年12月18日、崑崙付近上空で初めて日本軍と遭遇することになります。
1942年7月4日、グループが正式に
陸軍航空隊 第23戦闘機部隊「フライング・タイガース」
となってAVGボランティアグループは廃止されました。
そして、1943年の3月になって、第14空軍ができるまで、
同グループは中国航空任務部隊の一部として活動しました。
そのときから終戦の日に至るまでの中国での航空作戦は
B-29によるものを除いて、全てが第14空軍の指令下で行われています。
シェンノートの巧みな戦闘機戦術のもと、フライングタイガーグループは
日本軍も空中戦で打ち負かされる可能性があることを証明し、
そのことはアメリカ全体の士気を高めることに成功したといえます。
「日本軍の輸送隊に背後から爆撃を行うP-40の編隊」
この絵を描いたTom Leaという名前に聞き覚えはないでしょうか。
ペリリュー島やエニウェトク島の戦いについて書いた時、
戦闘ストレスに冒された一兵士を描いた、
『海兵隊員はそれを例の2000ヤードの凝視と呼ぶ』
(Marines Call It That 2,000 Yard Stare)
を紹介しましたが、この絵の作者がトム・リーです。
ついでに、この、シェンノートの、
「写真より本人の特徴を捉えている肖像」
の作者でもあります。
シェンノートのフライトジャケット内側背部分に縫い付けられた
AVG(のちのAAF)「0001エアマンズ・フラッグ」実物。
来華助戦 洋人(美國)
軍民一体 救護
で、我々日本人には
「我々中国を助けるためにやってきたアメリカ人なので
軍民一体で救護してください」
という意味だと即座にわかってしまいますが、
しかし、英語の説明は、
「着用者はアメリカの航空士であり、安全に戻った場合は
(救護してくれた人に)報酬が与えられると書いてある」
となっています。
スミソニアンともあろうものが、と思いますが、
報酬を与えると書かなくては中国人は助けてくれない、
と頭から決めてかかっているので、こういう間違いが生じるのでしょう。
印象って怖いですね。
まずこの星条旗は、昆明(クンミン)の飛行場にあった
シェンノート将軍の本部で掲揚されていた実物です。
右二つのどちらも翼をつけた虎が図案化された肩章は、
第14航空隊のもので、いずれもシェンノートのAVG、
ボランティア航空隊の図案を発展させたものです。
これはたしかウォルト・ディズニーのスタッフのデザインだったかと・・。
シェンノートが中国で着用していたM1式ヘルメット。
そしてやはりシェンノート着用のA-2フライトジャケットです。
初期の「ボランティアグループ」時代、シャークペイントを施した
Pー40の前で整列するパイロットたち。
公式記録によると、AVGは投入開始から6ヶ月半で
280機以上の日本軍機を撃破し、
9名のパイロットと50機ほどのP-40を失いました。
1942年7月4日、第23戦闘機部隊のP-40が中国の基地に並ぶ様子。
1942年3月20付「ライフ」誌掲載のフライング・タイガース記事。
「フライング・タイガース・イン・ビルマ」
というタイトルに、サブタイトルは
「90日で十人にも満たぬ我がパイロットがジャップ300機撃墜」
公式記録よりかなりの数盛っていますが、まあこれはありがちってことで。
続く記事も少し翻訳しておきます。
3ヶ月の悲惨な戦争から一つの輝かしい希望が浮かび上がってきた。
それは、ビルマと東南アジアにおける通称「フライング・タイガース」、
カーチスP-40にサメのシャークマウスをペイントした、
戦闘機パイロット集団であるアメリカボランティアグループである。
彼らは多くの場合10対1と上回り(キルレシオで)これまでに
約300機以上のジャップ機を撃墜し、おそらく八百人以上を殺した。
彼らはビルマと中国南東部のジャップ空軍の攻撃に苦しめられている。
しかし同時にかつてはヤンキーの信念であったものを決定的に証明した。
つまり、一人のアメリカ人パイロットの力は
二人か三人のジャップに相当するということである。
「彼らが欲しい」
先週、オーストラリアのブレッティン中将は言った。
「200人のジャップに対し100人のタイガーがいたら負けないだろう。
私自身は日本軍を決して軽蔑するものではない。
彼らは『ゴッド・ファイター』だと思っている」
これらの若者たちの驚くべきは次の点である。
1)彼らは最長で6年間の軍事飛行経験があり、自分たちのマシンが
何をするかについての本能的な感覚を持っている
2)彼らは空中で血を流し
3)彼らは常に空中での戦いに挑んでいる
その結果、彼らに遭遇した敵は相当な苦痛を与えられることになろう。
初戦において、彼らは喪失4機に対し相手を6機撃墜で報いた。
2回目の交戦では〜それは奇しくもクリスマス当日だったが〜
こちらの損失はゼロで78機の日本機のうち20機を斃した。
まさに「ホロコースト」スイッチが入ったのである。
AVGは文字通りボランティアとして陸海軍から志願してきた者たちである。
ジャップが気づかないように、内密理に生成されたその組織は
中国が戦うのを助けるということを目的としていた。
賃金は月600ドルで、1機日本機を撃墜するたびに500ドルのボーナスが出る。
米軍のランクはそのままであると保証された兵隊たち、そのほか、
「ツーリスト」(物見高い人)、曲芸師、芸術家などが、昨年の夏、
中国大陸のエアフィールドに訓練のため到着した。
航空隊司令はクレア・シェンノート大佐である。
大戦が始まった12月7日には彼らはすでに用意ができていた。
他の航空博物館で見覚えのある顔がいくつかあります。
上段左上から:
ジョン・V・ニューカーク分隊長(28)NY出身
イーグルスカウトだった
ジェームズ・H・ハワード分隊長(29)中国生まれ
中国語が喋れる
ロバート・レイエ飛行士(26)コロラド出身
海軍搭乗員
中段;
エドワード・F・レクター小隊長(25)ノースカロライナ出身
山間のコーン畑育ち、海軍入隊
『働き者の田舎少年』などと書かれている
デイビッド・リー・ヒル小隊長(26)テキサス出身
オースティン大学(名門)から海軍入隊。
海軍では「サラトガ 」と「レンジャー」に乗り組んでいた
フランク・リンゼイ・ロウラー飛行士(27)NC出身
「サラトガ 」航空隊にいたことがある(が何かの事情で首になった)
下段;
ノエル・リチャード・ベーコン小隊長(24)アイオワ出身
父は市長経験者、ボーイスカウト出身、バスケットボール選手、
クラリネットも得意
教育大に進むもペンサコーラで海軍入隊 未婚
ウィリアム・エバート・バートリング(27)ペンシルバニア出身
建築業者の息子 カーネギー鐵工所で働いていたが海軍入隊、
「ワスプ」の急降下爆撃機に乗っていた
ヘンリー・M・ゲセルブラット二世(25)セントルイス出身
ワシントン大学およびUCLA卒業
映画「急降下爆撃機(Dive Bomber)」の撮影のスタントを務める
飛行歴は早く、16歳でシカゴの航空フェアにデビューしている
まあ大体は軍人ですが、スタントをやっていた人とかもいたんですね。
最後に、フライング・タイガース必携だった会話帳です。
中国大陸に進出していたアメリカ人パイロットは、
このような手帳を携帯して現地の人とコミニュケーションしていました。
2、私はアメリカ軍人です。道に迷いました。
3、敵から匿ってください
4、5、6、7、日本軍(中国人ゲリラ、中国軍)の居場所から
どれくらい離れていますか
4から7までの質問に対する答えはどうやって聞き取ったのでしょうか。
続く。