さて、またもや話題をベース歴史ツァーに戻しましょう。
ここ旧横須賀海軍鎮守府のドライドックについて前回お話することで、
ここ横須賀がいわば日本の重工業の始まりであることをあらたに知りました。
つまり、日本はアメリカの黒船という「武力」によって国を開かされ、
世界の荒波に漕ぎ出していくわけですが、その後の国力の発展はすべてすなわち
「武力に対抗する武力の充実」によって購われてきたということです。
日本に限らず、これは古今東西、世界の常識です。
大国主義が終わった現在も、世界が弱肉強食であることに変わりはありません。
自国を守れない国は他国に侵略され、チベットやウィグルのようになるだけなのです。
この構図を考えると、「日本の右傾化を懸念する」というもっともな理由で、日本が
武力を行使できる国になることを反対する国というのは、明らかに日本の国力を殺ぎ、
パワーバランスで優勢を占めようとしている国でもあるというのがおわかりでしょう。
さて、今日は時事問題になだれ込んでいる場合ではないので()さくさくと次にいきます。
前回1.2.3号のドライドックについてお話ししましたが、いくつかの
この米軍基地ツァーに参加された方のブログを見たところによると、
たとえばドックに船が入っていても、一応見学はできるらしいことがわかりました。
ただ、その際「絶対に写真は撮らないように」と注意されるのだとか。
次の見学に行く途中にあった医療所。
これも、旧軍時代からの建物だそうです。
夢窓国師がここに5年住んでいたという史実から、
昭和45年になって日本と米軍が協力して建てた碑。
このモニュメントに見える三重塔が昔ここにあったそうです。
「夢窓国師って良く聞くけど、なにした人だっけ?」
と言う方は、
「室町時代に西芳寺(苔寺)」始め多くの寺を設計した臨済宗の僧侶」
というひとことだけを覚れば十分でしょう。(適当)
ここから山の斜面を見ると、怪しいトンネルが。
昔、政府が雇ったお雇い外人の一人、
ハインリッヒ・エドムント・ナウマン
は明治初期にここで発見された(つまりここを開発する過程で)象の化石を
研究、報告しました。
ナウマンといえば我々に取ってはすぐ「ナウマン象」と言う言葉を思い浮かべますが、
ナウマン自身が自分で化石に命名したのではありません。
それから約40年後、静岡県浜松市で見つかった象の牙などがそれと一致したため、
京大の槇山次郎助教授が、ナウマンにちなんで「ナウマン象」と名付けたのです。
ところで皆さん、わたしは、この歴史的事実の中からあることに気づき、
ちょっとした感動をおぼえたのですが、それを聞いていただけますか?
それは、もし槇山助教授が自分の名前をその象につけていたら、彼の名前は
「マキヤマ象」
として未来永劫歴史に残ったであろうということです。
学者であれば自分の名前が古代の遺跡や化石の名前になって残ることは
名誉であり憧れでもあったはず。
なのにかれなぜそれをしなかったのでしょうか。
ナウマンという人物は、21歳の若さで日本政府に招聘された、いわば「お雇い外人」でした。
この「お雇い外人」の中には、「海のものとも派」や、本国では実力的にも評価されなかった
「一旗揚げてやろう派」なども混入していて、日本が西洋文明を取り入れる段階で、
しばしばその「いい加減な仕事」が真面目な日本人に正しいこととして受け入れられてしまった、
という例が、少なくともわたしの専門である音楽についてはいくつかあります。
ナウマンもまた、日本に招聘されたときには海のものとも山のものともわからない、
未知数の学者でありながらいきなり東大教授となったわけですが、
かれが日本の地質学に残した功績は大でした。
日本の地質研究の基礎を立ち上げ、伊能忠敬の業績を検証する形で日本全土の地形調査をし、
しかも関東大震災のときには焼け落ちた東大図書館に自分の蔵書を寄贈しています・
こんなナウマン博士に対し、槇山博士はじめ日本の考古学者は心から感謝し、
かつ深い敬愛を注いでいたからこそ、彼の名をこうやってリスペクトしたのか。
わたしはそんな風に思ってみます。
「ナウマン象」の命名は1921年、まだハインリッヒ・ナウマンは存命中でした。
日本の学者が、古代の象に自分の名前を付けたことを彼が知ったのは亡くなる6年前のことです。
若き日、10年の間に祖国に対してなした功績をいつまでも忘れず、このような形で感謝の意を捧げた
東洋の小さな国の学者たちに対し、彼はその晩年、どのような感慨を持ったでしょうか。
先ほどの夢窓国師の泊船庵の碑にも書いてありますが、
横須賀工廠の前身である横須賀造船所をこここに造るとき、
かなり当時の自然はこの工事によって姿を変えてしまったそうです。
山をくりぬいて、トンネルを造り、物資を貯蔵したそうですが、
このように塞がれてしまった壕の跡はあちらこちらに見られます。
現在も米海軍によって利用されている壕もあります。
それが、これ。
壕を利用すると言っても、倉庫にしたり牢屋にしたり、という使い方ではなく、
完璧にアメリカ風の建物の仕様で、レストランなどもあったりするそうです。
さすがはなんでも内側を改装して長年使い続けるアメリカ人だけのことはあります。
昔日本人がそこで何をしていたか、なんてあんまり気にしないのかもしれないなあ・・。
ここで停泊している艦船を埠頭からさっと見学。
これは・・・確か駆逐艦カーティスウィルバー?
第7艦隊のマークと、この下にあるマークで見当をつけました。
(解説の人の話を実はあまり聞いていないエリス中尉である)
しかし、余談になるのですが、カーティス・ウィルバーで検索して、とんでもない団体のページを
見つけてしまいました。
つまり、「自衛隊と米軍の軍事一体化許すな!」とかまあその他色々、
とにかく米軍艦がどこかに入港するという情報を聞きつけては港で
「帰れ」
「平和の港に軍艦は要らない」
とか騒いで、米軍軍人に嫌がらせをすることを至上目的にしている人たちのサイト。
「岩国のデモ大成功!」
なんてあるので、知り合いもいることだし、どれどれ、と見ると
「怒」とかかれた紙を全員が持って基地の近くで座り込み
怖いよ君たち怖いよ。
岩国基地の艦載機がこれで活動をやめたとでもいうのなら大成功なんでしょうが、
何をもってこの人たちは「大成功」と言っているのか。
もしかしたら
「嫌がらせしたったわ!今日はこのくらいにしといたるわ!」
ってこと?
そう言えば、海兵隊のホーネットドライバー、ブラッドも
「来るよ〜(笑)そう言う人たち」
とぼやいてましたっけ。
嫌がらせが最終目標なら十分それは大成功なんでしょうけど。
ちなみに彼らがカーティスウィルバーの入港に反対する理由は以下の通り。
米第7艦隊の駆逐艦カーティス・ウィルバーは
巡航ミサイル・トマホーク90基と劣化ウラン弾3100発を搭載し、
イラクで無法な侵略戦争にも直接参戦しています。
いま、世界中どこへでも「殴り込み」をかけるための「米軍再編・基地強化の計画」で
日本全国で文字通り、自治体・住民ぐるみの反対闘争が発展しています。
今回で3回目を迎える同艦の大阪港入港が、「日米合意文書」で
「米艦船による一般商業港使用」も明記しているこうした米軍再編の動きと一体のものであり、
民間港の軍事使用拡大そのものであることは明白です。
罪のない多くのイラク国民の命を奪ったこのような軍艦の入港を認めることはできません。
そして、入港のために日本の旗を振ってお迎えしている地元の幼稚園児を
「幼稚園児まで動員されて『日の丸』を振らされて』
とばかり憎々しげに写真を撮ってサイトにさらしています。
悔しかったら自分たちも日本の旗、振ってみい。
・・・え?振れない?
・・・・・振れない。
そりゃまったしつれいしました〜。
人影発見。
並行して泊まっている小さなフネとの間にわたされたラッタルを
ひょいひょいと行き来していますが、
これ、結構怖くないか?
万が一脚を滑らせたときのためにネットが張ってある・・。
ということはやっぱり時々落ちるんだ・・。
しかし、この人たちって、港や基地前や、やったところでどうしようもない
(つまり物事の解決にならない)場所でしかこういうことをしないのね。
わたしは不思議でたまりません。
だいたいこういう軍の配置を決めるのは第7艦隊でもましてや一駆逐艦でもなく、
アメリカ本国でしょう。
命令に従っているだけの現場の軍人に、セコい、しかも全くの安全圏に立った嫌がらせなんぞしていないで、
ワシントンのホワイトハウス前でやっておいで。
うん、ペンタゴン前でもいいかな。
せめて日本国内なら東京の米国大使館前でやるくらい、根性見せてみい。
ところでサイトによるとこの活動、2008年くらいから全くなりを潜めております。
なるほど、今この人たちは、「原発反対」グループと
「オスプレイ反対」グループにわかれて活動しており、そして最近のトレンド物件は
「特定秘密保護法案反対」
なのですね。わかります。
はて。
なんだって、こんなところに「戦艦オレゴン」の記念碑が?
オレゴン(USS Oregon, BB-3/IX-22)は、1890年に竣工し、
その後米西戦争に参加、サンフランシスコを発ってから66日間航海を続け、
記録を讃えられた戦艦ですが、1919年に退役しました。
その後なぜか1956年、ここ横須賀で解体されたため、碑があるようです。
この日のツァーでオレゴンについての説明は全くありませんでしたが、
インターネットで調べた所によると「オレゴンの鎖」がここ横須賀にあるという話です。
もしかしたら・・・・これかな?
埠頭から歩いて行くと、正面に6号ドライドックが見えてきました。
今まで見たドライドックとは違って、巨大な塔が屹立しています。
続きます。