■ シコルスキ CH-53A シースタリオン Sea Stallion
展示ヤードにその姿があり、現地には説明の看板がありながら、
なぜかフライング・レザーネック航空博物館のHPには
影も形もその存在がないという不可思議なことになっていますが、
気を落とさず説明していきたいと思います。
CH-53Dシースタリオンは、海兵隊で使用されている中量輸送用ヘリコプターです。
もともと海兵隊ように開発されたもので、現在は
ドイツ、イラン、イスラエル、メキシコで運用されています。
そのミッションはというと、海兵隊任務部隊などを支援するために
重機、人員、物資をヘリコプター輸送することで、
1962年から運用するために発注されました。
シコルスキのヘリコプターの中では最大級の大きさであり、
従来の固定翼機に匹敵する耐荷重能力を備えていました。
【誕生までの経緯】
1960年、アメリカ海兵隊はHR2Sヘリコプターの後継機を探し始めていました。
1961年から陸海空軍は合同で
三軍VTOL輸送機”Tri-Service VTOL transport”の開発を開始していましたが、
設計はあれこれと複雑になるわ、計画は長引くわで、
これでは満足のいく時間内に実用機を受け取ることができないとして、
結局海兵隊はこの計画からいち抜けたーと脱退しています。
このときですが、結果的にはヴォート・エアクラフトXC-142という
超かっこ悪いティルトウィング垂直離着陸機が
世界で初めて誕生しています。
「どすこ〜い」
XC-142Aは5機製造されましたが、そのどれもが事故を起こし、
うち3機が失われ、実用化には至りませんでしたから、
いちはやくこの計画から足抜けした海兵隊は、慧眼だったか、
あるいは危機を見抜く力があったということなのでしょうか。
この機体、わたしはオハイオ州はデイトンの
国立アメリカ空軍博物館で実際に見ているはずなんですが、
データをいくら探しても出てきません。
VTOL機に見切りをつけた海兵隊ですが、海軍兵器局が
1962年3月、海兵隊に代わって、海兵隊のために
「ヘビー・ヘリコプター・エクスペリメンタル/HH(X)」
の要求を提出しました。
その要求は、
「航続距離120マイル、最高速度170マイル、最大8,000ポンドの貨物、
乗客、医療用リッターを持ち上げることができる
マルチロール・ヘリコプター・プラットフォーム」
というもので、強襲輸送では、兵員ではなく重装備の運搬ができること。
この「豪勢な」要求にはいくつかの企業が飛びつきました。
ボーイング・バートル社はCH-47チヌークの改良型を、
カマン・エアクラフト社は英国フェアリー・ロトダイン複合ヘリの開発型を。
そしてシコルスキー社は長年ヘリコプターの飛行に携わってきた経験から、
大型の実用機CH-54「ターレ」とS-64「スカイクレーン」をもとに、
CH-54/S-64と同様の頑丈さと柔軟なシステムを備えた機体に
新しいエンジンを積んだS-65を提案しました。
ボーイング・バートル社とシコルスキー社の競争は激しく、
チヌークはアメリカ陸軍が保有して評価を得ていたこともあって有利でしたが、
最終的にシコルスキー社が落札しました。
【製作】
海兵隊は当初、4機の試作機を調達しようとしていましたが、
苦しい懐具合を忖度したシコルスキー社が、
契約をキャンセルさせないように開発費の見積もりを下げ、
2機だけにすれば安くですみますけど?と提案しました。
当時のアメリカ国防長官ロバート・S・マクナマラは、
チヌークを共同で運用すれば費用の面でもお得で便利、と考えていたため、
この計画に対して圧力をかけてきたそうです。
海兵隊はこれに対し、
「チヌークを改造するのは安くない、かえって費用がかかる」
とマクナマラ側を説得し、要求を通しました。
こういった政治的な側面や技術面が進捗を遅らせたため、
コネチカット州にあるシコルスキー社の工場で
初号機が初飛行を行ったとき、当初の予定より約4ヶ月遅れていました。
2,860軸馬力のT64-GE-3シリーズのターボシャフト・エンジンが2基搭載された、
CH-53「シースタリオン」ヘリコプターは、飛行試験中にもかかわらず、
すでに米海兵隊は16機を発注していました。
飛行試験は予想以上に順調に進み、開発期間の遅れを取り戻すことができ、
1964年は一般公開の運びとなりました。
CH-53Aシースタリオン
という軍用呼称と名前が付けられたのもこの頃で、
約2年後には初めてベトナム戦争の実戦部隊に参加しています。
Sea stallionというのはタツノオトシゴのシーホースと違い、
完全な造語で、スタリオンは「種馬」の意味です。
海軍&海兵隊使用のヘリには「Sea」が付くことになっていますが、
馬は馬でも、英語では猛々しく雄々しいイメージの
「スタリオン」を持ってきたところに「シーホース」からの発展性を感じますね。
【仕様】
CH-53の外観は、ヘリコプターとしてはオーソドックスなレイアウトといえます。
コックピットのフライトデッキは前方に大きく張り出したデザインで、
機体の外側を見渡せるようにガラス張りの窓で覆われています。
フライトデッキには2名のパイロットが配置され、
胴体側面のドアからアクセスします。
コックピットの真後ろには、重機関銃を搭載できる武器ステーションが2つ。
各砲手が任務を行うためのオープンエアの四角いポートが与えられています。
CH-53の胴体はもちろん幅よりも全長が長いですが。
この正面を見てお分かりのように、実に堂々とした顔つきです。
胴体から突き出たサイドスポンソンによって幅が広くなり、
外部燃料タンクをさらにその外側に搭載して航続距離を伸ばすことができました。
エンジンは胴体上部の側面、前方よりにマウントされています。
6枚羽根のメインローターマストは胴体に密着し、
胴体の屋根から突き出たエンジンルームの固定具の上に乗せられます。
タラップは電動で下降し、タラップの端には銃座を設置することも可能。
貨物室は広く、武装した兵士は向かい合って2列に座るようになっています。
シースタリオンはGPSセンサーを内蔵しており、
キットとして7.62mmと50口径の銃が搭載されています。
通信はUHF/VHF/HF無線、セキュア通信機能、IFFを搭載しています。
シースタリオンは、同じシコルスキー社の
S-61R/ジョリー・グリーン・ジャイアントシリーズにデザインが似ているので、
「スーパー・ジョリー・グリーンジャイアント」とあだ名がつけられました。
コックピットの後ろの胴体右側には乗客用のドアがあり、
後部には動力式の荷台が付いています。
水陸両用を目的としたものではありませんが、胴体は水密性があるので
緊急時にのみ着水することができました。
操縦機能については、3つの独立した油圧システムが使われています。
乗員はパイロット、副操縦士、クルーチーフ、空中監視員の4名の乗員、
兵員は38名、4名の医療従事者というのが基本のセットです。
搭載貨物は内部に3,600kg、外部にスリングフックで吊るして
5,900kgを搭載することができました。
艦艇に搭載できるように、テールブームとローターは折りたたみ式。
CH-53DにはAN/ALE-39チャフディスペンサーや
AN/ALQ-157赤外線対策などの防御対策が施されています。
【空軍・海軍での運用】
CH-53は、1967年の1月には早くもベトナムの戦場に到着していました。
ベトナム戦争シリーズで何度も書きましたが、ベトナムの暑いジャングルの中、
敵はどこにでも潜み、どこからでも出てくるかに思われたようです。
しかも彼らはソ連の支援を受けていました。
CH-53はすぐに実戦の「洗礼」を受けることになりました。
しかし一旦任務に就くと、CH-53は比較的信頼性が高く、
頑丈であることが証明されました。
当初期待された仕様通りに撃墜された飛行士を救出し、
大量の貨物や兵員をホットゾーンに出入りさせ、
必要に応じて負傷者を安全地帯まで移動させることができたのです。
ベトナム戦争期間、全部で139機のCH-53Aが製造されました。あの「フリークェント・ウインド(頻繁な風)」作戦では、
人員の避難を行うなど重要な役目を果たしたのもシースタリオンです。
海兵隊は1980年にイランで行われたアメリカ人人質救出作戦
「イーグルクロウ」では、海兵隊の回転翼部隊が出動しましたが
ヘリコプターが激突炎上し「デザート・ワン」は惨事と恥辱に終わりました。
イーグルクロウ作戦
また、海兵隊のCH-53はグレナダ侵攻における
「アージェント・フューリー」作戦で使用されました。
アメリカ空軍も、この大型輸送ヘリコプターに注目しました。
1966年に最初の8機(HH-53B)を発注しました。
「スーパー・ジョリー・グリーン・ジャイアント」と名付けたのは空軍です。
もともとこのグリーンジャイアントは、
墜落した飛行士の捜索救出のために特別に改造された戦闘救助機でした。
救助活動中のHH-53C
改良された「グリーン」系のHH-53Cは、空中給油できるプローブと
さらに外部燃料タンクによって作戦範囲が改善されていました。
味方のパイロットは敵地のはるか遠くで墜落する可能性が高かったからです。
アメリカ空軍のスタリオンは、ベトナム戦争末期以降も運用されたが、
その目的はパイロット救出の一点にありました。
燃料補給プローブ、チャフ/フレアディスペンサー、
装甲を備えた広範なジャマー群も搭載され、
サーチ&レスキュー機能を向上させるためのサーチライト、
電動ホイストも追加されています。
空軍では、1970年にアイボリーコースト作戦として、
北ベトナム収容所のSS「マヤグエス」の乗組員を救助するため
海兵隊と空軍保安部隊を乗せて飛びました。
アメリカ海軍もいわば「CH-53のブームに乗った」形です。
1971年、海軍はシースタリオンを空挺掃海艇として使用するために、
15機のCH-53Aモデルをアメリカ海兵隊から直接受け取っています。
これらは米海軍では「RH-53A」と呼ばれ、
より強力なターボシャフトエンジン(各3,925軸馬力)、機雷除去装置、
水中の機雷掃討用のの12.7mmブローニング重機関銃2挺を搭載していました。
その後、アメリカ海軍はCH-53Dを「RH-53D」として30機納入し、
再び掃海任務に使用しています。
CH-53Dの登場により、米海軍はRH-53Aを米海兵隊に返還し、
これらは元の米海兵隊のCH-53Aの規格に戻されました。
アメリカ海軍は最終的にRH-53Dモデルを、
より近代的なMH-53E「シードラゴン」に変更しました。
CH-53E「スーパースタリオン」は、初代「シースタリオン」を
さらに強力にしたもので、第3のエンジンを搭載し、運搬能力が向上しています。
「シードラゴン」というのはタツノオトシゴ的な生物ですが、
「スーパースタリオン」(超種馬)ってすごいネーミングなだあ。
もはや「海」何も関係ないっていうね。
かっこよすぎか
また、VIP輸送用の「VH-53F」もあります。
イラクでのフリーダム戦争では、CH-53は空軍、
アメリカ海兵隊、アメリカ海軍によって運用されました。
「不朽の自由作戦」の支援でも三軍全てで運用されています。
2012年、CH-53Dがアフガン地域で最後の任務を行いました。
2007年9月17日、海兵隊は10機のMV-22Bオスプレイを配備しました。
今後海兵隊のCH-53DとCH-46Eシーナイツの主要な代替機となっていく予定です。
ただし、パワフルなCH-53Eは代替せず、代わりに
開発中のCH-53Kが海軍と海兵隊のCH-53Eに取って代わる予定で、
いくつかのCH-53Dヘリコプターは第3海兵連隊の訓練用に残されます。
最後のCH-53Dは2012年11月に退役しました。
サービス USMC
推進力:2基のGE T64-GE-413ターボシャフトエンジン
対気速度:160ノット
航続距離:578nm
乗組員:クルー パイロット2名、乗務員1名
武装:3挺の50口径機関銃
積載量:兵員37名または24名の患者・4名の付添い人、
または8,000ポンドの貨物
続く。