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映画「世界大戦争」〜同盟軍対連合軍

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新東宝の映画を紹介してほしいという一部のマニアックな期待に応えるべく、
今回一字違いで少し違いますが、東宝のSF作品を取り上げます。

「世界大戦争」。

いきなり結論を言うと、東西緊張から第三次世界大戦が開戦し、
日本どころか世界が破滅することがわかったとき、
そこで生きる一つの家族はどうその日を迎えるかと言う終末ものです。
昔読んだSF小説で、小松左京か筒井康隆か星新一だったかも忘れましたが、
東京に某国から核が誤って発射されてしまったというところから始まり、
着弾するまでの人々のパニックを描いた作品に似ていると思いました。

もっともこの小説は、混乱と諦めの果てに迎えた最後の瞬間、
着弾した核は不発であり、人々が喜んでいると、はるか彼方から
何発かのミサイルが接近してきていたという救いようのないオチでしたが。
(この短編、どなたか誰の作品かご存知ありません?)


さて、本作、制作は1961年、昭和36年、松林宗恵監督、
プロデューサーは田中友幸、特撮円谷英二という黄金トリオによる作品です。

1961年というと、米ソ冷戦について宇宙開発に絡めながら
書いてきた当ブログにとっては特筆すべき年です。

米ソ間にはあの「U-2撃墜事件」が起こっており、これはすなわちアメリカが偵察方法をより宇宙に深化させていくきっかけとなりました。

国内では那覇基地から核ミサイルが誤射されたという事故も起こっています。

しかしわたしが最も強く感じたのが、その前年に公開された、
ネビル・シュートの小説の映画化である

「渚にて」 ”On The Beach” 
の影響でした。


常陸宮殿下がプレミアを鑑賞されたと封じるニュース付きです。

On The Beach ≣ 1959 ≣ Trailer


「ワルツィング・マチルダ」につい涙を誘われます。
そういえば、中学生の時にオーストラリアの姉妹都市から訪問留学生が来て、
クラス委員ということで「お世話係」を任されたわたし、

「オーストラリアにワルツィング・マチルダって曲あるでしょ」

と話しかけたところ、彼ら(男女合わせて6人くらいいたような気がする)
誰一人として知らなそうだったので、実際歌ってやった思い出があります。

前もって読み込んでおいた、「これが世界だ!オーストラリア」には
これが第二の国歌と書いてあったのに、なんで?
と不思議でたまりませんでしたが、子供は知らなかったりするのかな。

閑話休題。
当時の緊迫する世界情勢を受けて、大手映画会社は

東宝『第三次世界大戦 東京最後の日』

東映『第三次世界大戦 四十一時間の恐怖』

と同時に似たような企画をあげています。

その後すり合わせでもしたのか、最終的に東映は怪獣ものに流れ、
東宝が「世界大戦争」とタイトルを変更して制作することになりました。


「渚にて」は、すでに核爆弾の曝露で北半球は全滅しており、
残る南半球も汚染の南下で人類滅亡が避けられないとなったとき、
ほとんどの人々は配布される薬剤を使って安楽死することを選び、
人生を肯定しながら静かに最後を迎えるという内容です。
核による終末を描くことは当時の創作界の「流行」だったのは確かですが、
この映画に描かれた、騒乱も暴動もパニックも混乱も強奪もない、
ただ美しく死にゆこうとする人々の恐ろしいまでの諦念は、
必要以上に?日本人の琴線に触れた可能性があります。

潜水艦ごと自沈するため出航する潜水艦長(グレゴリー・ペック)、
彼を愛しながらそれを陸から見送る美しい女性エバ・ガードナー、
愛車の運転席で排気ガス自殺するフレッド・アステア、
配布された薬を飲んで死ぬ潜水艦乗員アンソニー・パーキンスとその新妻、
という具合に、個人が「そのとき」をどう迎えるかが描かれますが、
つまり東宝映画はこの日本版をやりたかったのだと思うのです。



それでは早速始めましょう。
音楽:團伊玖磨先生というだけでその有り難さにひれ伏してしまいます。

ヴォーン・ウィリアムズを映画担当にした国策映画、
「北緯49度線」みたいな重みと気合を感じますね。

團伊玖磨 - 世界大戦争 (1961)

ロマンティックな緩徐部分は2:40あたりから、
メインテーマは4:28から。


映画はいきなり平和な繁栄する首都の姿を映し出します。
まずは登っていく東京タワーのエレベーターから見える景色。

この頃の東京は一般の家屋らしい民家が四谷や麹町などに多いのに驚きます。


まだ路面電車の走る都内の通勤風景。

プロ野球ナイター戦。


今はなき松竹歌劇団のグランドレビュー。


製鉄所、羽田国際空港、築地市場、船の進水式。
戦後16年経って、戦後の焼け野原から奇跡の復活を遂げた東京の姿です。


今日は11月15日、七五三です。

七五三参りで賑わう神社に、一組の家族の姿がありました。
田村茂吉(フランキー堺)と妻お由(乙羽信子)、
歳を取ってから設けたらしい二人の子供、7歳の春江と5歳の一郎です。

ピカピカの黒塗りの高級車を参道に乗り付けてきたので、
どんな富豪の家族かと思いきや、これは茂吉が運転手をしている
プレスセンターの公用車で、通勤途中、家族を乗せてきただけでした。

堂々と公用車の無断使用とは、おおらかな時代だったんですね。

おおらかといえば、境内で外国人の男性が、振袖の女の子に、

”Hey, little girl, can I take a picture? Huh?"

と言いながらほぼ無許可でシャッターを切っておりますが、(字幕なし)
この英語もかなり失礼な感じだし、今なら色々とアウトです。


路面電車の線路があるので、幹線道路でしょう。
おそらく今では全く面影もなくなっていると思われます。



プロの運転手が運転しながら喫煙というのが許されていた時代。
シートベルトもしていませんが、そもそもこの時代そんなものはありません。



そのとき、カーラジオが不穏なニュースを伝えました。
同盟国軍が北大西洋で大掛かりな軍事演習をおこなっているというのです。

この世界では、米ソではなく、「同盟国」「連邦国」という名称が使われます。

ソビエト連邦という名前からわたしは当初勘違いしていたのですが、
連邦国がいわゆる西側陣営で、同盟国が東のようです。


こちらは同盟国パイロットだと思われます。全員が英語を使っているため、どちらかわかりにくいのが問題です。


その時、同盟国(ソ連)の対潜哨戒機が、演習海域で連邦国側のと思われるミサイル潜水艦を発見しました。


対潜哨戒機とされるのはこの頃特有の後退翼機です。
ツポレフのつもりかな?


哨戒機の連絡を受け、連邦国側の潜水艦が同海域に進入しました。
鯨のようなノーズの形に時代を感じさせます。

連邦国ミサイル潜水艦はその後対潜網(いつの時代だ)で拿捕されてしまい、
これが両陣営に最初の大きな緊張を生むことになります。


「コレワタイヘンナコトニナルカモシレナイ」
茂吉が運転する車の後部座席で連邦国記者のワトキンスが呟きます。
この記者役がジェリー・伊藤(本名ジェラルド・タメキチ・イトウ)。
ブロードウェイでデビューしてすぐ朝鮮戦争に出征し、
その時日本人女性と結婚したのが日本で俳優・歌手になりました。


さて、こちらいかにも昭和30年台の光景。

欧米人から見れば立派な?アジアの貧民窟ですが、
この頃の日本の庶民の家庭ってこんなものだったんだと思います。

白黒テレビのアニメ(漫画映画)に見入る姉弟の風貌も
これぞまごうことなき「昭和の子供」。
そして脚を投げ出して編み物をしている美人がヒロイン、冴子(星由里子)。
最初、冴子が兄弟の母かと思っていたのですが、
カツオとワカメの歳の離れた姉サザエさんと同じく、彼女は彼らの姉です。

事情を深読みすれば、田村茂吉は冴子が生まれてから出征し、
戦争が終わって帰ってきて、やっと暮らしが立ち行くようになって
二人の子供を改めて設けたということなのかもしれません。

茂吉のうちはこんなあばら家(失礼)なのに、下宿人を置いていて、
冴子はいつの間にかその高野という航海通信士と好き合っています。



その夜、その高野が乗り組んでいる「笠置丸」の乗員は、
怪しい光が海上に落下するのを目撃しました。
光は空中で一瞬赤く不気味に光ります。

「なんだろう、あれは・・・」

同じ頃、高野家では夫婦が晩酌を楽しんでいました。
そしてしみじみと、

「俺たちもここまで来たなあ。
戦争で裸一貫引き上げてきたこの俺が」

ここで映画は「終末」を予感させるちょっとした伏線を見せます。

表から聞こえる焼き芋の呼び声を耳にした3人は、焼き芋屋の親父が
広島で身寄りをなくし、売上を原水爆廃止運動に注ぎ込んでいる、
という噂話から、こんな不吉な会話を行うのです。
「焼き芋屋の親父に何ができるもんかい。縁起でもねえ」
「でもお父さん、今度水爆が落ちたら皆その場で蒸発してしまうのよ」

当時の世界情勢は現在進行形で米ソ冷戦が核と強く関わっていたため、
現在の日本人より、その危機感は具体的で切実だったかもしれません。
現にこの後、キューバ危機も起こったわけですしね。



しかし正常バイアスで強くそれを否定せずにいられない茂吉。

「そんな馬鹿なことあるかい。
そんなことになったら神も仏もいねえってことになるじゃないか」


さて、こちら東京プレスクラブ。
場所は丸の内のどこか?


茂吉が運転手仲間と売りに出されたテレビを見ていると、
放映されている歌番組に臨時ニュースの字幕が映し出されました。



和田弘とマヒナスターズかな?
臨時ニュースに変わると、地中海沿岸で軍用機が撃墜されたと報じられます。
世界のあちこちで小さな衝突が多発しています。



色めきたった茂吉は早速証券会社に電話をします。
戦争なので上がる株を買っておこうというわけです。


ここは首相官邸。

前にずらりと各報道局がテントを出しています。
入り口に一番近いのが朝日新聞とNHK。
おそらく力のある順番に並んでいるのでしょう。


事態を受けて日本政府の閣議が始まりました。
この内閣のメンバーは、

総理大臣 山村聡
外務大臣 上原謙
防衛庁長官 河津清三郎
官房長官 中村伸郎
厚生大臣 熊谷卓三
文部大臣 生方壮児
法務大臣 土屋詩郎

「もし何かあったら我が国も連邦国陣営の一環である限り
攻撃を受けることは覚悟しなくてはいけない」

そうならないための最善の努力を、と閣議は締められました。


そんな事態を夢にも知らない恋人たち。
商事会社でOLをしている冴子のもとに高野からの電話がかかってきます。



船の給仕長が胃を切除したので、その見舞いに行ってから帰る、と高野。
当時の横浜港ですね。


彼が向かった先は保育園でした。
おりしも運動会が行われています。



療養中だった給仕長、江原(笠智衆)の娘は保育園の保母です。
彼は運動会の手伝いにやってきていたのでした。



高野が下宿の田村家に帰宅してきました。

待ちかねていた冴子は、背広の上着を受け取ってそれをハンガーに掛け、
男が服を脱いで立っている後ろから着物を着せ掛けてやるのでした。

そして得意そうにアマチュア無線のライセンスを取ったことを報告します。

下宿人の高野の自室は二階にあり、しかも和室なので、
冴子は彼が留守の間に遠慮なく部屋に入り込んで勝手に掃除をしたり、
なんなら私物の無線機で練習してライセンスを取ったりしていたわけです。

昭和の時代は、鍵のかかる自室などそもそも存在しないものでした。


さて、ここはどこにあるのかはわからない、連邦国極東ミサイル基地。

ってことは、日本政府は連邦国の同盟国として(ややこしいな)
国内の基地での核保有を唯々諾々と引き受けたことになるんですけど。

え?ミサイル基地を管理しているのは日本ではなく、連邦国だからセーフ?
なわけあるかーい(笑)


そのミサイル基地で輸送機の到着を確認するのはマック中尉。
(もしかしたら大尉かもしれません)
輸送機6機が空輸してきたのは大陸間弾道ミサイルでした。



こちら連邦国軍ミサイル基地のCICの様子。
自衛隊との連携とか関与は一体どうなっているんだろう(棒)


マック中尉にミサイルの受領を命じ、潜望鏡を覗く基地司令役、
ハロルド・コンウェイという俳優の名前、覚えておられます?

そう、「地球防衛軍」のインメルマン博士ですよ。

コンウェイは、その後の本多猪四郎監督の「宇宙大戦争」でも
同じインメルマン博士で出演しています。

今回英語のサイトで初めて知ったのですが、コンウェイは元々税理士で
日本で本業の傍ら外人役として各種映画に出演していた「兼業俳優」です。

そのサイトの紹介を翻訳しておきます。

「20年以上にわたって複数の映画に出演し、英語と日本語を自在に操った。
日本では『ミステリアン』(1957年)のマーカライトFAHPの開発者、
デグレイシア博士役が有名で、この時の芝居がかった日本語が
外国人俳優として、印象的だったと言われている。

また、『GODZILLA vs. THE THING』(1964年)の撮影では、
他の英語圏の俳優とともに、日本版には収録されていないが、
他の英語圏のマーケットで上映されたシーンに出演している」
コンウェイ氏は1996年、85歳で亡くなるまで日本に在住していました。


輸送機の後部からぞんざいにずるずると引き出されるミサイル。
核兵器なんだからもうちょっと丁寧に扱おう。



林立するミサイル。
新しく6基が追加され、全部で12基ということになります。
憲法9条的には、日本が保有している武器じゃないからいいのかな?


その時、基地レーダーが航空機の接近を感知しました。
サイレンと共に、ミサイルが地下に沈んでいきます。

アメリカのミサイルは、冷戦当時「サイロ」に収納されており、
核爆弾の攻撃を受けても生き残ることができたと言いますが、
彼方がサイロからの発射を設計されていたのに対し、こちらは収納式です。

当時の核ミサイルも、もしこの技術があれば採用していたでしょう。



低空で侵入した同盟国の偵察機は、あっさりミサイルの撮影に成功。
連邦国、偵察機を全く迎撃しないのはどういうわけなのか。

しかしこれで、極東に核が存在するということがわかってしまいました。


目には眼を、ミサイルにはミサイルを。

というわけで、同盟国軍は情報を得るや否や、ミサイルを稼働させ、
発射事態に備えて準備を整えました。



その夜、高野ら二人が結婚の許しを得るシミュレーションをしていると、



それを茂吉が聞いていたため、なし崩し的に許可が降りました。
よかったですね。


翌日、ワトキンスが高野に会うため、茂吉に自宅まで案内させました。
航海士である高野が見たという怪しい光についての取材です。

ジェリー伊藤の英語はネイティブ、日本語はかなり拙い感じです。

ちょっと驚いたのは宝田明の英語で、なかなかの発音です。
宝田は海軍技師の息子で、武官として駐在していた朝鮮で生まれており、
大学教育は受けていませんが、英語は喋れたようです。

高野はワトキンスにオレンジ色で周りに紫の輪が見えた、と証言し、
ワトキンスは、それはナトリウム爆弾であろうこと、そして
偵察用のスパイ衛星が飛んでいたのかもしれないと推察しました。


ところで、先日来当ブログではアメリカの偵察衛星シリーズを取り上げ、
1960年当時、アメリカが「スパイ衛星」を打ち上げまくりながら、
それを表向きは科学衛星だと言い張っていた、と書いてきました。

しかし、それから1年も経たぬのに、大衆映画のセリフに出てくるくらい、
その存在は周知のものとなっていたってことなんですよね。
天網恢恢疎にして漏らさずってやつかしら。

続く。



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