映画「世界大戦争」最終日です。
この映画では戦闘機同士の交戦が緊張した世界の引き金となり、
あっという間に核戦争になってしまうという仮定を描いていますが、
いかに映画というフィクションでも、あまりにこの過程が短絡的過ぎて、
もう少しリアリティを持たせてくれ、と思わずにいられません。
初見、ギリギリで核が回避されるエンディングだと決めてかかり、
さあ、いつになったら東西首脳の話し合いが行われるんだ、と思っていたら、
そういう各国の政府の動きなど全く描かれることなく、というか、
最初から最後まで連邦国と同盟国の首脳や政府は登場せず、
現場の軍人が汗を流したり神に祈ったりしているうちに、
どこかの誰かがいつの間にかあっちこっちで核のボタンを押しているのです。
ただ、前回も書いたように、この映画、ハリウッドの
「渚にて」を日本版でやってみたかったというものなので(多分)、
彼方でもそうだったようにまつりごとレベルは全くお呼びではなく、
ただ、昨日まで平和の中に生きていた市政の人々の姿を描くことだけが
最初から最後までその目的となっているのだと思われます。
というわけで、いつの間にかこの世界では戦争が始まっていました。
学校は休みになり、生徒たちは血相変えて家に走って帰り、
それを見た焼き芋屋の親父は気が動転しております。
冴子が横浜での高野とのお泊まりから朝帰りしてきたとたん、
人々が避難をはじめ、街は混乱に飲み込まれていきます。
都心部なら地下鉄に逃げこむという方法もありますが、
郊外で一体どこに避難しようというのでしょう。
核爆弾の発射についてはなんの公式発表もなく、ただニュースは
「最悪我が国も被害に遭うでしょう」
「政府は最後まで諦めていません」
と訳のわからん報道をするのみ。
どこに落ちるかわからないのに、皆、どこに逃げるつもりなのか。
保母の白川由美が今や一人で切り盛りしている保育園には、
次々と園児の親が子供を迎えにきていました。
横浜のホテルに雑役婦として出稼ぎに来ているこの母親は、
東京の保育園に病気の娘を迎えに行こうと必死ですが、品川まで来たところで電車も止まってしまいました。
彼女は人波に逆らって歩いて保育園まで辿り着こうとします。
その頃、同盟国軍基地ではミサイル発射準備が粛々と進みつつありました。
なんといつの間にか発射命令が下されたようです。
彼らが見つめる地図上の日本には、全国に4つもミサイル基地があります。
人々の逃げ失せた街には、宗教に救いを求める信者たちが、
太鼓を叩き、題目を唱えながらその辺を練り歩き、
野良犬あるいは元飼い犬が埃の中を徘徊しています。
「放送は、いかなる事態になりましても最後まで続けさせていただきます」
ラジオのアナウンサーの声に、時計屋の鳩時計の鳩が鳴く音が重なります。
「渚にて」のコカコーラの瓶とか、サンフランシスコのゴーストタウン、
教会に救いを求める人、というあのシーンの日本版でしょうか。
娘の元に走り続けた母親はついに力尽きて路上に倒れました。
保母の白川由美は、最後まで子供たちのそばを離れず、
サイレンが鳴り響く中、いつも通り絵本を読んでやっています。
日本から離れていく「笠置丸」船上で、高野は
首都がミサイル攻撃を受けるという最悪のニュースを知りました。
たまらなくなって無線室に駆け込み、恋人の冴子に向けて打電を始めます。
その時たまたま高野の部屋で無線機の前に座っていた冴子は、
恋人からの無電を受け取りました。
「サエコ」「サエコ」
冴子がそれを受け取ったことを知った高野。
「コウフクダッタネ サエコ コウフクダッタネ」
愛してるはもちろん、逃げろとか助かってくれとか一切なし。
この時点で家にいることから、高野は冴子がおそらく逃げずに
家族と一緒に最後を迎える決心をしたことを知ったのでしょう。
落涙しながら彼女は返信を打ち、嗚咽します。
「タカノサン アリガトウ」
こういう時どちらからも「アイシテル」が出ないのが昭和30年代。
この頃の日本人の語彙には「愛している」はなかったのかもしれません。
誰もが覚悟を決めているように描かれますが、この段階になってニュースは、
「現在両陣営のいずれも宣戦布告はしておりませんが、
事態は予測を許しません」
え?さっき開戦したって言ってなかったっけ?
茂吉の家族は全員が晴れ着に着替えました。(冴子は朝帰りのまま)
食卓にはありったけの心尽くしのご馳走が並べられ、
「まるでお正月みたい」
子供たちは大喜びです。
流石に上のこまっしゃくれた女の子は、
「でもいいの?
父ちゃん、どこかに逃げないとってラジオが言ってるわよ?」
などと不思議がっていますが、7歳と5歳ならもう少し
世間の騒然とした様子や戦争・核の意味もわかるのでは?
とにかく、親父である茂吉はこの娘の問いを一笑にふし、
「べらぼうめ、9000万日本人どこに潜り込めるってんだ」
都内では避難しようとする人の多くが動けなくなっていました。
おそらく今朝別れたきり離れ離れで最後を迎える家族も多くいるでしょう。
どう足掻いても同じ運命なら、せめて家族一緒に過ごしながら最後を迎える、
というのが茂吉夫婦が下した結論でした。
「冴子、お前幸せかい?」「母ちゃんは?」
真っ青な顔をして頷く冴子と吉。
ここでまたラジオがアバウトすぎるニュースを伝えます。
「両陣営の邀撃戦闘機はかなり撃墜された模様ですが、
その主力は依然として攻撃を続けております。
この情勢ではミサイル戦争に発展するのも時間の問題と思われます」
「しかし日本政府は決して希望を捨ててはおりません
日本の皆さん、決して希望を捨ててはいけません。
世界の皆さん、希望はまだあります」
希望がゲシュタルト崩壊しそう。ってかこの状況で希望って何?
病気のお吉は食後の薬を忘れずにちゃんと飲み、
先日植えたチューリップの芽が出ているか確かめに庭に出ます。
必死で「日常」を演じようとする茂吉とその妻ですが、
空気読まないリアリストの冴子がそれをぶち壊します。
チューリップの芽がまだ出ていないねえ、などという両親に向かって、
ヒステリックにこんな言葉を投げつけるのです。
「その方がいいわ!土の中なら死なずに生き残れるかもしれないもの。
これからどんなことになっても・・・!」
「冴子!」
咎める母親に彼女はキッと目を据えて、
「この地上に生きているものが皆無くなってから、
チューリップは芽を出すのよ。花を咲かせるのよ。素敵じゃない?
まだ芽を出さなくてよかった!」
そしてワッと泣き出すのでした。
茂吉は一人2階に駆け上がって物干し台から沈みゆく夕陽を眺めます。
よりかかったら崩れ落ちそうな手すりに手をついて。
「俺たちは死ぬもんか!死んでたまるか!
母ちゃんには別荘建ててやるんだ!
冴子にはすごい婚礼させてやるんだい!
え・・おおっ・・春江は・・・スチュワーデスにさせてやるんだ!
一郎は大学にいれてやんだよ・・お・俺の行けなかった”でえがく”によ!」
その時です。
ミサイル基地(もはやどちらのかわからない)から
次々と、各地に向けた核ミサイルが発射されていきました。
抑止力のための核などという言葉がちゃんちゃらおかしくなるくらい、
あらんかぎりの核爆弾が、一斉に上空に放たれていくのです。
一体倫理観とかどうなってるのこの世界。
ここで初めて登場するのがミサイル防衛隊という謎の組織。
おそらく陸上自衛隊のミサイルを扱う部門を、
お為ごかしに「防衛」とつけて誤魔化しているのだと思います。
でも、撃たれる前に向こうを撃たない限り「防衛」なんぞできないんです。
核ミサイルは撃たれてしまったらその時点で終わり。
というか、この頃の自衛隊は迎撃ミサイルは持ってなかったのかな?
ところでこのゲートの警衛の人、ここで立ったまま一生を終えるんだね。
「目標あり!方向340、高度720、距離630、ミサイルです!」
「どっちへ飛んでるんだ」
「大型ミサイル、推定落下地点東京中心部です」
詳しいことはわからないけど、これは軍事考証皆無だと思う。
「東京落下まであと124秒!」
その時、首相官邸の閣議室に、内閣総理大臣がただ一人座っていました。
「最後まで日本政府は努力をしている」って、一体なんだったんだろう。
他の大臣は、首相官邸地下5階の核シェルターに避難済みでしょうか。
総理が一人残っているのは、自分の病が進み、
もう長くないことを知っているから、とか・・・。
そしてナレーターは冷酷なこの事実を告げるのでした。
「そしてこの日、世界は第三次世界大戦に突入した」
明日が来ることを疑わず眠る子供。
全ての預かり園児が寝てしまった保育園でその時を待つ保母。
眠ってしまった子供たちを抱きながら無言の茂吉家族。
よく見ると、家族の輪の中に文鳥の鳥籠も加えられています。
冴子は手のなかの高野の写真を見つめています。
不気味に時計の針の音が響き、人々はただ沈黙したまま・・
しかし誰もが最後まで自分の持ち場を動かず、
ただそこでその時を待つだけでした。
東京の中心部、国会議事堂に向けて光が飛翔してきます。
周りの建物には明かりが煌々と灯ったままです。
一瞬の閃光の後、国会議事堂が、東京タワーが、空港が、街が砕けました。
この非常時に走っている電車が、旅客機が、紙のように宙を舞います。
絵丸出しの富士山からは、爆心地の都心からキノコ雲が上がるのが見えます。
特撮班渾身の核爆発シーンがこれでもかと。
飴のように捻じ曲がる東京タワー、溶岩流に飲み込まれる議事堂。
「俺の考えた最高に恐ろしい核爆発」って感じです。
これでは東京都下の生物はどこに逃げてもひとたまりもありません。
チューリップの球根はもちろん、おそらく核シェルターも無意味でしょう。
溶岩流に見えているのは実際の溶鉄を使用して撮影されています。
なんで核が落ちて東京都内に溶岩が流れるのかって話ですが、
おそらくビル群の鉄骨が瞬時に溶けてしまって、ということかな。
核って、瞬時に鉄骨を広範囲に渡って溶かすものだったっけ?
そして「黒い雨」が降りしきります。
撮影で降らせた水は実際にドブ水のような汚い水で、
このため照明が汚れて現場からは文句が出たという話です。
爆発から生き残った人々も、これを浴びて全滅する予定。
先に核を撃たれた側(多分連邦国側)の報復攻撃が始まりました。
弾道ミサイルがベーリング海に待機する潜水艦から発射されていきます。
まず報復として、モスクワへの核爆弾が。
負けじと今度は同盟国がニューヨークを攻撃、続いて同盟国のよしみで?
ロンドン、パリを次々と壊滅させていきます。
この都市壊滅シーンのために、映画スタッフは、
各国首都の模型を作り、前半に登場させたんですね。
これらの破壊シーンは、天地を逆にミニチュアをセッティングし、
建物は下から圧縮空気を噴き出して破壊できるように、
お菓子のウェハースで作ってあります。
これがウェハースって、凄いですよね。
素材が素材なので、保存中ネズミが齧って困ったそうです。
さて。
ここは一夜が明け、平穏な波のない海上の商船「笠置丸」。
昨夜の爆発が起こす暴風で、船は木の葉のように波に揉まれましたが、
なんとか生き残ることができて迎えた人類ほぼ絶滅後の朝です。
呆然としている船員たちの中に、高野もいました。
笠木丸船長の東野英治郎が船員に問いかけます。
「皆、東京の最後を見たな」
誰も生き残っていないのに、それでも君らは帰りたいのか、
戻れば残留放射能で被爆するかもしれないのに、死ぬために戻るのか、
と乗員一同の意思を再確認するための問いでした。
その時、笠智衆がニコニコしながらコーヒーを運んできました。
「何がどうなろうと、熱いのをグッと飲んで、ああーこらうまいと思うのが、
なんつったらいいんかな、わしにはうまく言えないが、
人間が生きている権利ですよ・・・それだ。
人間は誰でも生きていく権利があるというのになア。
それを人間が奪い取るなんて、どっか間違ってるんだ。
みんなが今東京に帰りたいというように、
生きていたいと言えばよかったんだ」
自分の娘や保育園の子どもたちも一瞬にして消えてしまったというのに、
笠智衆、なんなんでしょうこの呑気な平和ボケ爺さんは。
「もっと早く人間皆が声をそろえていやだ、戦争はやめよう、
と言えばよかったんだ・・。
人間は素晴らしいものだがなあ。
一人もいなくなるんですか・・地球上に」
え、そういう設定なの?
「東京へ帰る。ホウ」
「ホウタサー」
「238度」
「238度サー」
「ホウ」もわかりませんが、この「サー」ってなんですか?
もしかして「Sir」?
ただ海を凝視するだけの高野。
彼の帰る先には何もありません。
せめて愛する人の眠る地で自分も果てることだけが今の願いです。
老いた江原の耳朶には、最後に聴いた子どもたちの
「お正月」の歌が鳴り響いていました。
最近、日本で核シェルターが売れているという話を聞きました。
まさかと思っていたら、あれよあれよと攻め込まれたウクライナを
他人事ではない、と考える人もいるということなのでしょう。
終わり。