スミソニアン博物館にはグラマンが提供した
「マイルストーン」(歴史的)機の展示コーナーがあり、
そこに並ぶ古今の航空系展示物を見ているだけで圧倒されます。
ソユーズやアポロ11号の月面着陸機などに目を奪われますが、
とにかく歴史的に「初めて」都冠のつく機体ばかりなので、
気がつけばノースアメリカンのX-15のような、
「航空機の究極の完成形」とまで言われる機体も、
どちらかといえばひっそりとそこにあったりします。
X-15。
それは将来のハイパーソニック航空機を可能にする、
重要な飛行データを収集した歴史的な機体であり、大気圏内有人飛行と大気圏外宇宙有人飛行との間の
ギャップを埋め、橋渡しをしたといわれています。これらのロケットパワーの研究用航空機は、マッハ5、
つまり音速の5倍である「極超音速領域」を調査しました。
驚くべきことに、X-15は、今現在でも、依然として
世界史上最も速く、そして高く飛んだ航空機です。
1959年に行われた最初のテスト飛行以来、X−15は
マッハ4、マッハ5、そして6に達し、飛行中に
高度100,000フィート(30,500m)を遥かに超えて190回以上の飛行を行った最初の航空機となりました。
スミソニアンのX-15、機体番号66670は
製造された3機のうち一番最初のものです。
現存するのはこの機体とあともう一機です。
この66670は記録を樹立した機体ではありませんが、
82回のミッションの過程でマッハ6に達しました。
■X-15の機体
わたしがこのホールに立ってこの写真を撮りながら思ったのは、
なんて翼の小さな飛行機なんだろう、ということです。
翼というものがほとんど意味を持たないような・・・、それは
ロケットに申し訳程度に翼をつけてみただけ、というように見えました。
スピードが目的で建造された飛行機に、飛行を安定させるための
大きな翼は全く必要がないのです。
なぜなら、X-15は自分で離陸せず、ボーイングB -52で
高度12,000メートルまで運ばれ、翼の下からドロップ発射されるシステムでした。
一階のフロアからは下腹しか見えません。
2階からはほぼ真横から見ることができます。
この時は、10代の少年が食い入るように説明を読んでいました。
ここに訪れる青少年の中から将来のパイロットが生まれる確率は高いでしょう。
彼が見ているX-15機体図
スペースの関係で90度傾けました
胴体は長く円筒形で、後部フェアリングにより外観が平らな感じ。
背中と腹部の厚いウェッジフィン・スタビライザーが付けられました。
引き込み式着陸装置は、機首車輪の台車と2つの後部スキッドなので、
着陸の動画を見ると、只事でない感じの土煙が上がっています。
パイロットは着陸直前に下部フィンを切り離してパラシュートで落とします。
なぜなら下部フィンがスキッドの邪魔になるからです。
また、時速4,480km、高度37kmで作動する射出座席がありましたが、
計画中には一度も使用されたことはありません。
パイロットが着用したのは、窒素ガスで加圧できる与圧服でしたが、
高度11km以上では、コックピットも窒素ガスで0.24気圧に加圧され、
呼吸用の酸素はパイロットに別途供給される仕組みでした。
■ X -15のテスト飛行
「大気圏内有人飛行と大気圏外宇宙有人飛行との間の橋渡しをした」
と先ほど書きましたが、X-15プログラムの199回に渡るフライトで得られた
貴重なデータは、全てマーキュリー、ジェミニ、アポロ、そして
スペースシャトルプログラムに生かされました。
特に、新しい耐熱素材、そして空中と宇宙の間を移動するための
飛行制御システムの開拓はこれがなければ生まれていなかったでしょう。
カリフォルニアのエドワーズ航空基地のランウェイ上にあるX-15.
上空に飛んできているのは牽引をするB-52です。
X -15のノーズには
BEWARE OF BLAST「爆風注意」とラベルされています。
同じ注意書きがエンジン部分にもあります。
X-15のテールは厚いくさび形で、極超音速でも安定するためのデザインです。また、推力はリアクションモーターXLR11液体推進ロケットエンジン2基。
X-15の特徴である黒い塗装が施された機体の素材は「インコネルX」。
ALLOYXともいうニッケル—クロム—鉄合金で、
チタン、ニオブ、アルミニウムを含有し、高温および低温下で耐腐食性を持ちます。
その特徴は、高温下で強度、耐酸化性が高く、極低温でも耐性を持ち、
耐腐食性が良好ということです。
前方を示す黄色い矢印のペイントの上には、
U.S AIR FORCE X-15A.F. SERIAL NO. 56-6670
その後ろの黄色いRESCUEの下には、
EMERGENCY ENTRANCE
CONTROL ON OTHER SIDE
とあります。
■X -15のパイロット
実は、その上の部分には、歴代パイロットの名前が記されています。
スコット・クロスフィールド NAR
ジョー・ウォーカー NASA
ピーターセン大佐 USN
J.B. マッケイ NASA
ラッシュウォース少佐 USAFニール・アームストロング NASAエングル大尉 USAF
ミルトン・トンプソン NASA
ナイト少佐 USAF
ビル・ダナ NASA
アダムス少佐 USAF
機体にはスペースに限りがあるので、軍人はタイトルだけで、
一般人(NASA)はファーストネームあるいはイニシャルが付けられています。
アルバート・スコット・クロスフィールド(ライトスタッフに出てましたね)
のNARは、彼がノースアメリカン所属のテストパイロットだったことを表します。
クロスフィールドはアカデミックなメソッドで訓練された
「エンジニア/テストパイロット」第一世代の一人で、
1959年、最初にX -15を操縦しました。
X-15実験前のクロスフィールド
クロスフィールドが操縦するX-15 機体番号は66671
2番目に名前があるジョー(Josepf)・ウォーカーは
X-15を初めて高度108キロメートルまで飛ばしました。
ウィリアム・J・ナイト(Knight)少佐は、1967年に
実験機のX-15A-2で有翼機の速度記録、7,274 km/hを樹立しました。
有翼機で宇宙空間に達した5人のパイロットのうちの1人でもあります。
■X-15フライト3-65-97事故
テスト飛行は一度悲惨なクラッシュ事故を起こしており、X-15フライト3-65-97、あるいはX-15フライト191とも呼ばれています。
享年37
1967年11月15日、マイケル・J・アダムスが操縦したX-15は、
発射後数分で機体がバラバラになり、パイロットが死亡、
機体が破壊されるという悲劇に終わりました。
この日、X-15の上昇に伴い、アダムスは、搭載されたカメラが
地平線をスキャンできるように、計画された回転マヌーバを開始。
高度7万m23万フィートで、急速に密度を増す大気圏に降下中のX-15は、
マッハ5(5,300km/h)のスピンに突入します。
機体そのものにスピン回復技術が備わっていなかったにもかかわらず、
アダムスは技術を駆使してX-15のコントロールを維持することに成功しました。
しかし、その後機体は急速なピッチング運動が激しくなり、
ほぼ垂直に急降下して機体は分離、地面に墜落したのです。
X-15という歴史的機体の実験に関わったテストパイロットは12名。
8名のパイロットが地球から80キロ上空の飛行を体験し、
このうち2名がのちに宇宙飛行士になりました。
一人はアポロ11号で人類初めて月に降り立ったニール・アームストロング、
もう一人はスペースシャトルに乗り組んだジョー・イーグルです。
ちなみにチャック・イェーガーが優秀なテストパイロットでありながら
宇宙飛行士のテストも受けられなかったのは、学位を持っていなかったからです。
宇宙でのアクシデントに対処するのに、科学技術のアカデミックな下地が必要、
とされたのですが、国家的規模の事業のフロントに立つ宇宙飛行士に
NASAは結構「イメージ」を重視していたんだろうとは思います。
時代的に当然ですが、選ばれた宇宙飛行士は後のアポロ計画に至るまで
全員が見事に白人男性ですし、選考の際には、夫婦仲がうまく行っているか、
などということも一つのポイントになったといいますから。
■ニール・アームストロングと映画「ファースト・マン」
ライアン・ゴズリングがアームストロングを演じたこの映画の最初は、
X-15、66672の機体でテスト飛行を行うアームストロングが、
機首を下げるタイミングを遅らせて、予定された着陸地点を通り過ぎ、
エドワーズ空軍基地から72kmも離れた場所まで行ってしまって、
教官のチャック・イェーガーにダメ出しされるシーンから始まります。
イェーガーはニールを「注意散漫だ」と決めつけるのですが、
映画を最後まで見た人は、彼がなぜ上空で機首を下げなかったのかを、
彼の娘の死と重ね合わせて納得するという仕掛けです。
ここスミソニアンの解説には、ただ、
「ニール・アームストロングは、X -15のリサーチパイロットという任務に
大変誇りを持っていました」
とだけ書いてあります。
アームストロングのX -15での飛行は通算7回、総飛行時間は2,450時間、
高度63.2kmに到達し、マッハ5.74を出すという成績でした。
映画「ファースト・マン」では、彼がX-15の臨界点で見た世界も、
そしてジェミニ8号で見た宇宙も、そして月面もが、ニールにとっては
幼くして死んだ愛娘のいるところに繋がっているとして描かれます。
シー宇宙飛行士(享年38)
そして、宇宙飛行士の訓練の一環として行われるT-38の操縦訓練中、
事故死する宇宙飛行士エリオット・シー(See)の葬儀や、
アポロ1号のメンバーが全員死亡した火災事故なども描かれ、(カプセルのハッチがその瞬間ガコン!と歪むのが怖かった・・)
宇宙と「死」の近さが映画を通じて強調されます。
ただ、アームストロングが宇宙飛行士に転職したのは、
娘の後を追うことを望んでいたからというのは、少し穿ち過ぎの気がします。
なぜなら、彼が宇宙飛行士応募に願書を出したのは、
ジョン・グレンの地球軌道周回が成功したことを受けてのことであり、
これは、彼が、宇宙飛行士の任務における安全性(つまり生存の可能性)
が高まったと判断したからと考えられないでしょうか。
彼は「死」に魅入られていたというより、ただ、死を恐れなかった。
なぜならそこに愛する娘が待っていると信じていたから。
という方が納得がいくのですが。
続く。