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宇宙開発競争 アメリカのプレッシャー〜スミソニアン航空宇宙博物館

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さて、前回は「スプートニク危機」をアメリカに与えたところの、
ソビエト連邦のぶっちぎり宇宙開発期についてお話ししました。

今日はぶっちぎられた方のアメリカについてです。
スプートニクうちあげからルナ3号に至るまでのソ連の快進撃資料の横に、

「PRESSURE ON AMERICA」
というタイトルで紹介されたコーナー。

ここでは、東西二大陣営の技術力最高峰を自負していたアメリカが、
あれ?余裕こいていたのに俺たち意外と負けてね?とショックを受けた後、
文字通りソ連に追いつけ追い越せの奮闘を始めるわけですが、
そこには大きなプレッシャーがのしかかってたんですよまあ聞いてください、
と大体そういうことが語られています。
アメリカは1957年に最初の科学衛星打ち上げを計画していました。
しかし、海軍のヴァンガードロケットを使用した2回の打ち上げの試みは
惨事に終わりました。

■ ヴァンガード・ロケットVangard Rocket
というわけでその惨事に終わったヴァンガードですが、説明にわざわざ
「海軍」と書かれていることに気づかれたでしょうか。

衛星ロケットヴァンガードを開発したのはアメリカ海軍なのです。

あれ?NASAじゃなかったの、という声もあるかと思いますが、
この頃まだNASAはなく、政府が人工衛星の打ち上げは海軍が行うとし、
陸軍には弾道ミサイルの開発、と分業されていたのです。

もちろん空軍も別に開発を行なっていました。

結局この分業制のせいでソ連に勝てないんと違うんかい、
となってNASAが生まれるわけですが、その話は後に回します。

【科学衛星の開発】

1955年、アメリカは1957〜58年の国際地球観測年(IGY)に向けて、
科学衛星を軌道に乗せる計画を発表しました。
ソ連がなんたら記念日に間に合わせるためにスプートニク2号を上げたように、
こういう事業には何かしらの「お題目」を必要とするんですね。

当時、打ち上げのためのロケットには陸海軍3つの候補がありました。

陸軍弾道ミサイル局のSSM-A-14レッドストーンの派生型
海軍のRTV-N-12aバイキング観測ロケットをベースにした3段式ロケット
空軍のSM-65アトラス

の三案です。
そもそもなんで軍が開発していたかというと、当時の宇宙事業の目的が
偵察衛星=兵器システムだったからで、計画も最高機密区分だからでした。

「軍事偵察の歴史」でも触れたように、偵察に関しては合法性の問題があります。
その点、平和的民間衛星であるIGY衛星は、いい「隠れ蓑」となり、
宇宙の自由という先例を作るという大義名分にもなります。

そしてNSCは、IGY衛星が軍事計画に干渉してはならない、と強調しました。

ヴァンガードを打ち上げた 海軍研究所(NRL)もまた、
軍事組織というより科学組織と見做されていたのです。
この頃、陸軍がドイツの科学者、フォン・ブラウンの協力のもと、
レッドストーン弾道ミサイルを計画していたのですが、
IGYの責任者は海軍研究所を科学組織と捉えていたため、
陸軍やドイツの学者の案を退け、
ヴァンガードを推進するように政治的に動いたのです。

そして1955年、国防総省は、
ヴァンガード計画をIGYプロジェクトに選びました。
ヴァイキングを製造したマーティン社がロケットの主契約者です。

ロケットは3段式。
第1段はゼネラル・エレクトリック社の液体燃料エンジン、
第2段はエアロジェット社の液体燃料エンジン+慣性誘導システム、
自動操縦機能、
そしてスピン防止機能付き3段目は、
固体燃料ロケットモーターでできていました。

【スプートニクならぬ”カプートニク”】
1957年12月6日。

アメリカ海軍はケープカナベラルから1.5キログラムの衛星を搭載した
ヴァンガードTV-3ロケットを打ち上げました。



このロケットは高度1.2メートルに達したところで落下し、爆発しました。
このロケットに搭載されていたのが、冒頭写真の衛星です。


搭載している時はこんな形状でした。
スミソニアンに展示されている衛星は、脚がぐにゃりと歪んでいますね。

ロケットは高度1.2メートルに達したところで落下し、爆発しました。

「悲惨なロケット事故ワースト10」などのYouTubeで見ることができます。衛星はロケットの上部から爆発し、発射台近くの茂みに着地し、
そしてそこで信号を発信し始めました。


「OH, WHAT A FLOPNIK!」
共産国家のソ連なら、こんなタイトルを考えた奴は即刻シベリア送りでしょう。
良くも悪くも自由主義国家なんで、この失敗を大いに楽しんだのは
実は皮肉屋のメディアだったかもしれません。
Flopというのは物がどさっと落ちるという意味がありまして、
もちろんこれを「スプートニク」と合わせているわけです。

他にも、「Kaputonik」カプートニクなどという愛称?もありました。
こちらはKaput=ダメになった、イカれた、破壊されたという意味で、
ドイツ語起源の単語のチョイスに、当時関係者にドイツ人が多かった、
ということへの皮肉が込められているような気がします。
事故調査の結果、燃料タンクの圧力不足により、高温の排気ガスが逆流、
インジェクターヘッドが破壊され、エンジン推力が完全に失われていました。

ヴァンガードロケットはその後、10回が打ち上げられ、衛星を
軌道に乗せることができたのは3回で1号、2号、3号と名付けられました。

とりあえず成功したら号数を振っていくというやり方ですか・・。
【NASA誕生と人工衛星打ち上げ成功】


最初のヴァンガードの失敗の時、怒りを込めて
だから言わんこっちゃない的なコメントしたのは、
あのドイツ人科学者、フォン・ブラウンでした。

1958年1月、フォン・ブラウンの指揮の下、陸軍は衛星打ち上げの承認を得て、
改造されたレッドストーンミサイル、ジュピターCが、
アメリカ初の衛星エクスプローラー1号を宇宙に打ち上げました。


海軍がヴァンガード3号の打ち上げに成功したのは3月のことです。



しかし、ソ連の後ろ姿はこの時点ではまだ遠くでした。
周回遅れ、と言ってもいいくらい引き離されていたと言っていいでしょう。
そもそも、この新聞にも、「陸軍のミサイルが」なんて書かれているように、
陸海空が別個にこういうことをやっていては効率が悪い、
ソ連が国家事業として国力を挙げてやっているのに、こんなことではいかん、
とアイゼンハワー大統領が考えたのも当然です。
ちなみに、スプートニクショックの後、それまで陸海空バラバラでやっていた
宇宙開発の指揮系統の一本化を決め、まずNACA(アメリカ航空諮問委員会)
を設立し、そこにいるのは「NACAの人」と呼ばれていました。

繰り返します。「NACAの人」と呼ばれていました。
が、当時のアイゼンハワー大統領は宇宙計画のための独立した組織の設立を求め、
アメリカ初の人工衛星エクスプローラーの打ち上げに成功した後、
アメリカ航空宇宙局
(National Aeronautics and Space Administration)
NASAを誕生させることになったのです。




■ ガガーリンの有人打ち上げとケネディ演説


とかなんとかやっているうちに、決定的な出来事が起こりました。

1961年4月12日、ソ連が有人飛行を成功させてしまったのです。
ユーリ・ガガーリンの宇宙服もここにはありますが、その紹介は別の日に。


前にも挙げたことがあるこの写真。
この時ケネディがライス大学で行った演説は「ムーン・スピーチ」と呼ばれます。

ガガーリンの打ち上げ成功直後、ケネディ大統領はソ連から主導権を奪うために
アメリカが宇宙で何をできるかを知りたがりました。

そこで出ばってきたのが、当時の副大統領、JFK暗殺後に大統領となった
リンドン・ジョンソンで、彼の号令によってNASA、関係業界、
そして軍の指導者たちから聞き取り調査などが行われ、その結果、

「ソ連を『おそらく』打ち負かすことができるとしたら、
それは強大な努力によって月の周りに人を送るか、あるいは
月そのものに人を着陸させるということでしょう」
と報告したのです。
その報告を受けて行われたのが「月演説」でした。

JFK Moon Speech

われわれは月へ行くことを選びます。
この10年のうちに月へ行くことを選び、
そのほかの目標を成し遂げることを選びます。
われわれがそれを選ぶのは、たやすいからではなく、困難だからです。
この目標が、われわれの能力と技術のもっとも優れた部分を集め、
その真価を測るに足りる目標だからです。
この挑戦が、われわれが進んで受け入れるものであり、
先延ばしにすることを望まないものであり、われわれが、
そして他の国々が、必ず勝ち取ろうとするものだからです。
このような理由から、昨年わたしが下した宇宙開発を促進する決断は、
大統領就任以来、もっとも重要な決断のひとつだと考えます。
(JFKライブラリー資料ページの日本語版引用)

”We choose to go to the moon.”

という言葉の繰り返しがあまりにも印象的なこの15分の演説がもしなかったら、
アメリカはソ連を追い越すことはできなかったかもしれない、と言われます。

しかし、米ソどちらの国もその時点ではまだそのような任務に耐える
十分に強力なロケットを持っていませんでした。
月への到達は、アメリカが不利な立場のまま始められるものではなかったのです。

この記事のクリアな画像が欲しくてNYTのアーカイブを探したのですが、
見るだけで料金が発生することが分かり断念しました。

まず、タイトルは、

AS EXPLORER JOINS SPUTNIK
(スプートニクに混ざろうとするエクスプローラー)
左は、エクスプローラーがヴァンガード(字が消されている)の胸ぐらを掴み、

”Let me show you, Dud, how things are done."
「おとっつぁんよ、見せてやろう。物事はどう進めたらいいかをな」
うーん、エクスプローラー氏態度悪すぎ。
右側は、ずいぶん古めかしい格好の人が、
”I feel better already."「すっかりいい気分になったわい」
いや、これさあ・・。
打ち上げただけで気分良くなってちゃダメでしょ。
エクスプローラーもさ、ヴァンガードにマウントとってどうするの。
つまりこの漫画は何を言いたいかというと、
アメリカが成功させたエクスプローラーの成果が、いかに世間からは
「自己満足の周回遅れ」
と冷ややかに見られていたってことなんじゃないでしょうか。


こんなにはしゃいじゃって・・・・。
左がジェット推進研究所の開発責任者ウィリアム・ピッカリング、
真ん中は「ヴァン・アレン帯」に名前を残したジェームズ・ヴァン・アレン、
右側がヴェルナー・フォン・ブラウンです。


スミソニアンのどこかにエクスプローラーの予備機があると知ったので、
改めて探してみたら、どうもこれらしい。↓


あまりにも小さく、メディアには散々コケにされたものの、
衛星としては有用であったエクスプローラーは、
アメリカに追いつこうとする反撃の狼煙
となったのです。

どうなるアメリカ!


続く。





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