スミソニアン航空宇宙博物館の展示から、
「マーキュリーとジェミニ」というタイトルでお送りします。
冒頭写真はアメリカ初の有人宇宙船計画、マーキュリー計画のために選ばれた
アメリカ最初の宇宙飛行士7名、通称「マーキュリーセブン」です。
前列左から:ウォリー・シラー、デイク・スレイトン、ジョン・グレン、スコット・カーペンター
後列左から:
アラン・シェパード、ガス・グリソム、ゴードン・クーパー
映画「ライト・スタッフ」では、この写真を撮るシーンがありましたね。
「セブン」という数字が狙っている感じさえしますが、
元々マーキュリー計画の宇宙飛行士は6人ということに決まっていたのが、
最終的に7人になったという話をどこかで読んだ気がします。
マーキュリーセブンは、最終的に全員が宇宙飛行を行いました。
マーキュリー計画を始め、その次のジェミニ計画、
アポロ、そしてスペースシャトルに至るまで、この中の誰かが参加しています。
■マーキュリー計画
ソ連のスプートニク打ち上げ以降、国力を上げてこれに追いつき、
追い越そうとするアメリカがまず立ち上げたのはマーキュリー計画でした。
マーキュリー計画はカプセル一人乗りでした。
アメリカは、安全な宇宙飛行と地球への帰還のためのハードウェアの開発、
そして人類が宇宙でどのように生存し、生活できるかを
マーキュリー計画を通じて探究しようとしました。
1961年から1963年までの間で、アメリカは多数にわたる試験飛行と
6回の有人マーキュリーミッションに挑戦しました。
そして、それはソ連に周回遅れと言いながらも、華々しい成功を収めます。
1961 初打ち上げ〜アラン・シェパードとマーキュリー3号
「ライト・スタッフ」では艦載機で空母に着艦するシーンで登場した
アラン・シェパードが、まずマーキュリー3号で宇宙に。
つまり彼がアメリカ人初の宇宙旅行者です。
飛行時間は短かったのですが、待機時間の間にトイレに行きたくなり、
懇願して宇宙服の中で用を足し、スッキリして打ち上げられました。
つまり宇宙服の中で用を足した最初のアメリカ人となったわけですが、
ソ連ならこういう話は絶対オフレコになっていたでしょう。
1962 初軌道周回〜ジョン・グレンとマーキュリー6号
ジョン・グレンのマーキュリー6号に使われたフレンドシップ7は
スミソニアンにその実物が展示されています。
軌道に打ち上げられた初めてのアメリカ人が、ジョン・グレンです。
何度か当ブログでも取り上げていますが、グレンは海兵隊パイロットです。
弾丸飛行で大陸間横断時間の最短記録を樹立した
大変優秀なテストパイロットでした。
初めての宇宙飛行士をどこから選ぶかという話になった時、
選考委員会は航空機パイロット、潜水士、深海潜水士、
登山家(サーカス芸人という話も)など、
必要とされる技能を持っている職業の中から、
軍のテストパイロットが最もこれに適していると判断しました。
その理由はいくつもありますが、選考プロセスが簡略化されること、
またこの役割はほぼ確実に機密情報の取り扱いを伴うため、
セキュリティ上の要件も満たしているというのが大きなものでした。
宇宙飛行士の選考基準は次なようなものです。
40歳未満であること。
身長5フィート11インチ(1.80m)以下であること。
健康状態が良好であること。
学士号またはそれに相当する学位を持っていること。
テストパイロット養成校を卒業した者。
総飛行時間が1,500時間以上であること。
ジェット機パイロットの資格を持つ。
年齢が40歳までというのは随分緩い基準に思われますが、
学士号を持っていてテストパイロットの学校も出ていて、
飛行時間をクリアしているとなると、当時は20代では無理だったのです。
また、身長制限があったのは、マーキュリー宇宙船の設計上、
背の高い人を収容することはできなかったからです。
しかし写真を見るとガス・グリソム(160センチ台。腕組みの人)以外、
結構皆180センチぎりぎりっぽいですね。
カーペンター(右端)とか、これ身長誤魔化してないか?
そしてスミソニアンに展示されているジョン・グレンの宇宙服セット。
フル着用バージョン
1962年2月20日、ジョン・グレンがアメリカ人として初めて
地球周回軌道に乗ったときに着ていた宇宙服がこれです。
ガガーリンのSK-1与圧スーツ ヘルメットは取り外し不可
ここにはガガーリン宇宙飛行士のスーツもありますが、それと同様、
戦闘機のパイロットが着用する高高度与圧服を応用したデザインです。
世界初の宇宙服であるS K -1は、ヘルメットのバイザーはガラス仕様、
そのせいで20キロの重量がありましたが、アメリカが開発した
グレン着用の「マーキュリースーツ」は、アルミナイズされたナイロンで
カバーレイヤーとする軽量な多層構造でできており、重さは10キロ。
バイザーがアクリル樹脂だったことで随分軽くなったようですが、
ヘルメットと頭をしっかり固定する作りだったので、首を回せない
(つまり横を見るときには体ごと向けないといけない)のが問題でした。
13個のジッパーと、カスタムメイドの手袋、ブーツ、ヘルメット。
これらが体にぴったりとフィットするカスタムメイドでした。
ガガーリンの宇宙服と比べてみると、フィッティング度が違うというか、
ソ連の方は随分ダブダブしているように見えますが、
これでも小柄なガガーリン(160センチ台)に合わせて作ったものだとか。
冒頭の宇宙服のうち何人かのものからは腰から管が出ていますが、
これは酸素供給用で、排気はヘルメットから行います。
最後にマーキュリー計画の有人飛行の成果を一覧表にしておきます。
MR-3 フリーダム7号 アラン・シェパード アメリカ人初の打ち上げ
MR-4 リバティベル7号 ガス・グリソム 海上で回収中ハッチ開かず
MR-6フレンドシップ7号 ジョン・グレン アメリカ人初の軌道3周
MA-7オーロラ7号 スコット・カーペンター計算間違いで着水地点がずれる
MA-8シグマ7号 ウォルター・シラー 耐空時間新記録(9時間)
MA-9 フェイス7号 ゴードン・クーパー 軌道22周で記録更新
マーキュリー7のうちディーク・スレイトンは、心臓に疾患が見つかり、
マーキュリー計画には参加できなかったのですが、その後
体を鍛えて再挑戦し、アポロ・ソユーズテストで飛行することができました。
余談ですが、当時オンエアになった人形劇「サンダーバード」には、
主人公の何人かの名前が、マーキュリー7の名前から取られています。
スコット・トレーシー← スコット・カーペンター
ジョン・トレーシー← ジョン・グレン
バージル・トレーシー← バージル・アイヴァン・”ガス”・グリソム
ゴードン・トレーシー←ゴードン・クーパー
アラン・トレーシー←アラン・シェパード
アメリカ人なら皆知っていたと思いますが、あなたはご存知でしたか?
■ ジェミニ計画
一人乗り宇宙船だったマーキュリー計画の後、
NASAは2人の宇宙飛行士を乗せるため、
スペース拡大を目的に再設計したジェミニ宇宙船を導入しました。
1964年から1966年にかけて、宇宙船の制御、ランデブーおよびドッキング、
船外活動(宇宙遊泳)の技術を向上させるために、
10回の有人ジェミニ・ミッションが飛行されました。
あるジェミニ計画のミッションでは、2週間を宇宙で過ごすことに成功。
これは、将来のクルーが月へ行き、探索し、帰還するのに十分な時間でした。
これがジェミニ宇宙船。
二人乗りで、各自のコンパートメントに扉が別々に付いています。
身動きというのができない狭さであることがよくわかりますね。
閉所恐怖症には絶対に乗れない代物です。
宇宙軌道上のジェミニ宇宙船
1965 エドワード・ホワイトとジェミニ4号
アストロノー、エドワード・ホワイトの空軍軍人姿
ところで、アストロノー(Astronaut)という単語は昔はなかったもので、
宇宙飛行が始まったとき、アメリカの中の人(NACAの人。しつこい?)が
「空の旅人」を意味する「aeronaut」から思いついたつもりでした。
実はその言葉は1920年からSFの世界で存在していたのですが、
中の人はそれを知らず、オリジナルだと思っていたようです。
しかし、このブレインストーミングの結果、オリジナルではないとはいえ、
アストロノーという言葉を正式に採用することになったのです。
そのとき委員会では宇宙飛行士の給与についても規定を作り、
それは公務員として等級12から15まで資格と経験によって決まり、
実際には年俸は現在の73,953〜113,370ドル
(8478.5266〜12999.1176円)が提案されました。
能力と危険手当て込みと思えば、年俸8千万〜1億3千万は高くありません。
(むしろ安いのでは?とわたしは思います)
さて、このエドワード・ホワイトがアメリカ人として初めて
宇宙遊泳を行ったということは以前もお伝えしました。
左手の時計にご注目
宇宙遊泳のことを英語でスペースウォーク、EVAといいます。
EVAはExtravehicular activityのことで、
世界最初のEVAは前にも書いたようにアレクセイ・レオーノフが行いました。
レオーノフのEVA時間は12分9秒。
白い金属製のバックパックに45分分の呼吸・加圧用酸素を入れ、
15.35mのテザーを引っ張る以外、動きを制御する手段がない状態でした。
このときレオーノフの宇宙服が内圧で膨らみ、
宇宙船に戻れなくなって内圧を抜きながらなんとか生還していますが、
この時の宇宙飛行士の覚悟については、
わたしが以前想像したより事実は凄まじいものだったのがわかりました。
レオーノフは、もし宇宙船に帰れずに回収できなかったら、
もう一人のクルーに自分を置いて帰るようにと遺言?を残し、
さらに宇宙空間に取り残されたときに飲む毒薬を用意していたそうです。
そもそもその状態でどうやって毒薬を飲むのかという気もしますが。
いつでも噛み砕けるようなカプセルをヘルメットに仕込んでいたのかしら。
レオーノフは薬を噛み砕く事態にはならず、潜水病のような状態とはいえ
きちんと生きて帰ることができたのは前回書いた通りですが、
この時の問題をソ連はなかったものとして冷戦終結後まで隠蔽していました。
もしレオーノフが宇宙に取り残される事態になっていても、
おそらく冷戦が終わるまでそのことは秘密のままだったでしょう。
ホワイトの宇宙遊泳は、1965年6月3日、21分間に渡って行われました。
宇宙船に繋がれたホワイトに酸素は7.6mの管を通して供給され、
通信装置も搭載されていました。
アメリカはこのとき、宇宙で初めて手持ち式の操縦装置を使い、
自分の動きを制御することに成功しています。
これはジップガンと呼ばれた手動の酸素排出器で、
わずか20秒分推進するだけのものでしたが、実際にうまく作動しました。
ホワイトはこれがめっぽう楽しかったらしく、
あっというまにガスを使い切ってしまいました。
そして、帰りたくねえ!と駄々をこねたというのは有名です。
ちなみにこの時の会話(一部脚色しています)。
グリソム(打ち上げセンター):
フライトディレクターが言っている、戻って来い!
マクディビット(クルー):ガス、ジムだ。何かメッセージはあるか?
グリソム: ジェミニ4号、戻れ!
マクディビット:オーケー!
(ホワイトに)すぐに戻れって言ってるんだけど・・
ホワイト:いや・・・写真撮らなきゃだから・・もう少しだけ!
マクディビット:だめだよ。すぐに帰ってこないとまずいってばよ
ホワイト:ちっ・・俺の人生で一番悲しい瞬間だわ・・
ちなみにホワイトが宇宙遊泳している姿を写真に撮ったのは
クルーのマクディビットです。
この時、ホワイトはオメガのスピードマスタークロノグラフを付けており、
写真の腕にはバッチリその時計が写っていました。
NASAは宇宙飛行の開発当初から宇宙で使用できる時計を選定するために
大規模な実験をおこなっていたのですが、その結果、
宇宙での使用を承認した二つのメーカーのうち一つがオメガでした。
しかし、肝心のオメガ社は、宇宙でマクディビットがホワイトの写真を撮り、
それが公開されるまで、自社製品がNASAで実験されたことも、ましてや
宇宙飛行士がそれをつけて打ち上げられたことも知らなかったそうです。
まあ、NASAが宣伝するわけではないので、文句のつけようもないですが。
この時宇宙遊泳中着用されたオメガのモデルは、
「エド・ホワイト」と呼ばれ、時計コレクターの間では、
256万(今日現在)円で取引されています。
ジェミニ計画の「計画」
それでは、ジェミニ計画において達成した成果などを書いておきます。
ジェミニ3号 ガス・グリソム/ジョン・ヤング
ジェミニ計画としては初めての有人飛行
コールサインはモーリー・ブラウン(タイタニックの不沈のモリーより)
ヤングが宇宙にサンドイッチを持ち込みめちゃくちゃ叱られる
ジェミニ4号 エドワード・ホワイト/ジェームズ・マクディビット
アメリカ初の船外活動 (宇宙遊泳)
ジェミニ5号 ゴードン・クーパー/ピート・コンラッド
アポロ計画で最低限必要となる8日間の宇宙滞在・燃料電池使用
ジェミニ6A号 ウォルター・シラー/トーマス・スタッフォード
ジェミニ7号 フランク・ボーマン/ ジム・ラヴェル
アメリカ初のランデブーを達成・7号は14日間の宇宙滞在
ジェミニ8号 ニール・アームストロング/デビッド・スコット
深刻な機器の故障から無事生還
ジェミニ11号 ピート・コンラッド/ リチャード・ゴードン
アジェナ衛星のロケットを使用して最高高度1,369kmに到達
この記録は現在に至るまで破られていない
ジェミニ12号 ジム・ラヴェル/バズ・オルドリン
オルドリンによる長時間の船外活動で、人間が生命に危機を及ぼすことなく
宇宙空間で行動できることを実証
さて、アメリカは宇宙開発において、
長らくソ連に遅れを取っているように思われていましたが、
実際には、それぞれのミッションが前のミッションの上に立ち、
それを拡張するという、計画的な
「ステップバイステップ」のプログラムに従っていたのです。
マーキュリーとジェミニは、アポロ計画への道を慎重に準備するものであり、
それだけでなく、これらを
「アポロ計画の準備段階」「アポロ計画の一環」
とする考えもあるほどです。
国威発揚のためにともすれば人命を軽視してまで結果を急いだソ連の背中を、
アメリカは戦略的に実績を重ねて、追い抜くチャンスを待っていたのです。
一歩ずつ、着実に。
続く。