さて、卒業式シリーズも終わったので元のシリーズに戻ります。
しばらくの間、宇宙開発競争におけるソ連とアメリカ双方の奮闘努力、
そこで行われた技術者たちの真摯な取り組みについて語ってきました。
そもそも宇宙開発競争の大きな渦に二大国家がのめりこんだのは、
巨大な国家的意志がそれを是としたからに他なりません。
しかし、もっと根源的なところにあったはずの最初の小さなきっかけ、
人類を宇宙へ向かわせる強い意志を、巨大な流れへの原動力に変えたのは、
他ならぬ人間=「宇宙を夢見る人」であったはずなのです。
それは一体誰だったか。わたしはこのクェスチョンに、今ならこう答えられます。
それは、人類を宇宙に送りたい、宇宙の神秘に少しでも近づきたい、と
ロケット開発を夢見ていたロシアの科学者、セルゲイ・コロリョフと
その仲間という一握りのロケット開発者だった、と。
コロリョフの解説でも書きましたが、元々ソ連共産党は、
宇宙開発などになんの意味があるのか、という態度で無関心でした。
コロリョフがソ連メディアを焚きつけ、アメリカのメディアがそれを書き立て、
ついにはアメリカ政府が宇宙開発競争を受けて立ったことを知るまでは。
アメリカはというと、それでも自国の優位を信じ現状に甘んじていました。
本気になったソ連がスプートニク打ち上げに成功したと知るまでは。
つまり、米ソが宇宙開発競争へと国家の舵を切っていったそのきっかけが
セルゲイ・コロリョフであったということがお分かりいただけるでしょう。
最初にコロリョフにスプートニクの実物(ビーチボールに脚がはえたような)
を見せられたフルシチョフは、何じゃこりゃと言ったとか言わなかったとか。
しかし、ロケット科学者の煽りに乗って半信半疑でゴーサインを出したら
このビーチボールで宿敵アメリカに途轍もない打撃を与えたことを知ります。
フルシチョフ、これにすっかり気をよくして、よし、もっとやれ、
どんどん打ち上げて我がソ連の威光をアメリカに見せつけろ、
とさらなるイケイケモードに突入し、アメリカはそれを追う形で
二大国家の「宇宙戦争」の構図は出来上がっていったのでした。
■宇宙飛行士たち
その際、国家が生んだ偉大な宇宙のヒーローとして、
全面的にメディアの前に立ったのは(科学者ではなく)宇宙飛行士たちでした。
ソ連は、ロケットを打ち上げた科学者は、機密上の理由から、
その存在すら「赤いカーテン」と言われる機密に隠されていたので、
その分、宇宙飛行士がわかりやすく宇宙開発の象徴となったのです。
ソ連の「最初」の宇宙飛行士たちが揃った珍しい瞬間です。
ソ連では宇宙飛行士をアストロノーではなく「コスモノー」と呼びました。
彼らはレーニンの顔と飛ぶR7ロケットのパネルの前でマイクを囲んでいます。
おそらくテレビの座談会か何かのシーンであろうかと思われます。
彼らは全員がボストーク計画の宇宙飛行士(コスモノー)であり、
テレシコワを除く全員が軍パイロット出身で、全員軍服着用です。非公式の写真で、撮られたのは1960年代ということがわかっています。
左から右に向かって:(括弧内はコールサイン)
パーヴェル・ポポーヴィッチ(イヌワシ=ベルクート)
ボストーク4号・ソユーズ14号 初のランデブー成功
ユーリ・ガガーリン(ヒマラヤ杉=ケードル)
ボストーク1号 人類初の有人飛行に成功
ワレンチナ・テレシコワ(カモメ=チャイカ)
ボストーク6号 初の女性宇宙飛行士
アンドリアン・ニコラエフ(ファルコン)
ボストーク2号 ソユーズ8号 軌道上への滞在時間の最高記録を更新
ゲルマン・ティトフ(ワシ=オリョール)
ボストーク2号 初の宇宙からの地球撮影 初の宇宙酔い経験者
テレシコワは最終的に空軍少将になっていますが、
彼女が軍に入隊したのは宇宙旅行を成功させてからのことなので、
おそらくこの時はまだ軍人ではなく、私服で出演しているのでしょう。
ちなみに彼女が工学博士号を取得したのは、40歳の時です。
■フェオクチストフのフライトスーツ
(彼が宇宙服なしで打ち上げられた理由)
先の座談会には出席していませんが、宇宙飛行士であり、宇宙技術者だった
コンスタンチン・ペトロヴィッチ・フェオクチストフ
Konstantin Petrovich Feoktistov
Константин Петрович Феоктистов、1926-2009
のスペーススーツ実物がスミソニアンには展示してあります。
これがスペーススーツ?無印良品のポロシャツとチノパンでは?
とつい思ってしまったわたしはきっと疲れています。
フォエクチストフについては、以前当ブログで
ナチスに捕虜になって撃たれたけど弾が当たらず助かった、
(多分死んだふりをして後で脱出したのだと思われる)
という話をしたのを覚えておられるかもしれません。
ちなみに座談会に呼んでもらえなかったのは、もしかしたらこの人が
宇宙飛行士で唯一、宇宙飛行士でありながら設計にも加わった技術者で、
博士号を持っているけど軍人でも共産党員でもない唯一の民間人だったから。
・・・かもしれませんしそうではないかもしれません。
さて、フィオクチストフが搭乗したのはボスホート1号でした。
ボスホートはボストーク宇宙船の発展形です。
一人〜二人乗りだったボストークに、3人も乗せるために改造したものです。
改造するといったって、部屋を建て増しするみたいにスペースを広げる、
なんてことは不可能なので、シートを増やしただけでした。
(まあ改造はそれだけではないんですが)
するとどうなるかというと、内部が狭いので、スペースを確保するために
それまであった宇宙飛行士の座席射出のシステム装置がなくなりました。
それまでのボストーク宇宙船は、降下時に宇宙飛行士は射出されて
パラシュートが自動で開き、地上に降下したのですが、
それができなくなったので、宇宙船にパラシュートをつけて降下し、
地面が近づいたら新しく増設した逆噴射ロケットで
減速させて着地するという仕組みになりました。
あと、これが最も困ったことに、宇宙船内が狭いので、
宇宙飛行士は宇宙服を着せてもらえませんでした。
というわけで、そのとき乗り組んだフィオクチストフは、
宇宙服の代わりにこの無印良品のポロシャツとチノパンを着て、
右下の写真にあるラグビーのヘッドギアみたいなのを被っていました。
これ、もしズボンがショートなら、まんまラグビーする人みたいです。
ユーリ・ガガーリンが人類として初の宇宙打ち上げに臨んだとき、
フェオクティストフが作成した宇宙飛行士のチェックリストの草稿です。
打ち上げ前、軌道上、降下中の手順をガガーリンに指示しています。
宇宙飛行士が打ち上げセンターのスタッフとして他のミッションに臨み、
これから任務をおこなう宇宙飛行士にアドバイスをしたり、
何か起こった時に対処法をサジェスチョンするという態勢は、
ソ連よりむしろアメリカによく見られるパターンです。
ボストーク1号と2号を比べてみると、明らかに増設された部分があります。
しかも、2号は乗員が二人だったので、宇宙服を着ることができました。
ってか、宇宙服って着るのが当たり前ですよね?
着せずに宇宙に打ち上げるって、かなり酷くないか。
ほんと無茶しますよねこの頃のソ連って。
宇宙飛行士の人権より、国威とアメリカに勝つことだけが大事だったのね。
ボスホート1号に搭乗した3人とは、宇宙工学者のフィオクチトフ以外に、
宇宙飛行士ウラジーミル・コマロフ、そしてもう一人は
宇宙医学を専攻した医師のボリス・イェゴロフとなります。
イェゴロフ
3人乗せるなら医師もいた方がいいよね、ということだったのでしょうか。
イェゴロフは宇宙に行った初めての医師となりました。
イェゴロフヘッドギア装着の図。
男前が台無しだ。
医師で宇宙飛行士、おまけにこのイケメンである。
というわけで女優と次々浮名を流し、そのせいなのか、結婚歴3回。
しかし、脳梗塞でわずか50歳代で他界してしまいました。
小さくてすみません
フィオクチストフのスペーススーツ(ってもんじゃないですけど)
の横には、そのときに携えていったサバイバルギアが添えられています。
これは「ボスホート・ナイフ」と呼ばれています。
ソ連の宇宙船は陸地に降りるように設計されており、
できれば発射場近くの平原に降りるのが理想的とされていました。
しかし万が一、回収予定地以外の荒野に着陸したときのために、
クルーのサバイバル・キットには狩猟用ナイフが含まれていました。
何のためにこんなものが、って?
それはあなた、もちろん着地してからの食糧確保と外敵駆除でのためですよ。
フェオクティストフらのボスホート1号では使う必要はなかったのですが、
ボスホート2号の乗組員にとっては、大変お役立ちキットとなりました。
なぜならボスホート2号は予定地から約2,000キロメートル外れて着陸し、
原野で回収を待つハメになったからです。
宇宙飛行士は救助隊が来るまでの間、
近くで動物の遠吠えを聞いた:(;゙゚'ω゚'):と報告しています。
■ 史上初!!宇宙遊泳
タイトルの「イグジット・トゥ・スペース」は「宇宙に出る」、
つまり宇宙遊泳を意味します。
前にもスミソニアンシリーズで一度お伝えしていますが、成り行き上
もう一度、アレクセイ・レオーノフの初の宇宙遊泳について書きます。
最初からエアロックを増設した宇宙船に乗せた乗員二人は、
先ほども言ったように宇宙服を着せてもらうことができました。
その理由は史上初の人類による宇宙遊泳を成功させるというのが
ボスホート2号の重要ミッションだったからです。
スミソニアンに展示されているのは、まさにレオーノフが宇宙空間に出た
その瞬間の再現シーンであり、スーツはもしかしたら本物かもしれません。
ここで注目していただきたいのは、エアロックと呼ばれる「トンネル」です。
宇宙飛行士が加圧された宇宙船から出るために、
ソ連の技術者たちは柔軟なエアロック・アタッチメントを設計しました。
エアロックは軌道上で膨らませるトンネルで、
宇宙船から出たり入ったりしても、密閉された状態を保つ仕組みです。
アレクセイ・レオーノフは、打ち上げ前からこのエアロックを使って
宇宙遊泳の訓練を行い、史上初の宇宙遊泳に備えました。
のちにアメリカも宇宙飛行士の宇宙遊泳に成功しましたが、その時は
宇宙船は完全に減圧され、ハッチが直接宇宙に向かって開く仕組みでした。
ちなみにレオーノフが最初に宇宙空間に出他とき、彼の体は
4.8メートルのテザー(命綱)で宇宙船と繋がっていました。
しかしそのとき、問題が起こります。
宇宙を初めて「歩いた男」は、危うく最初の死者となるところでした。
というのも、「宇宙遊泳中、レオーノフのスーツは予想以上に膨張し、
硬くなり、大きすぎてエアロックに入らなくなったのです。
エアロックに入れない、つまり宇宙船に戻れないということです。
スミソニアンに展示されているのはレオーノフが訓練で使用した
ベルクート(ゴールデンイーグルの意味)与圧服というものです。
本番でも同型のものが使用され、おそらくソ連のどこかにあるのでしょう。
宇宙服が膨れてトンネルを通れなくなってしまい、どうしたかというと、
彼は最新の注意を払って宇宙服から圧力を減らして萎ませていきました。
そしてなんとかギリギリにエアロックに入れる大きさに調整し、
宇宙船に戻ることができました。
当初、船外活動をリアルタイムで放送する予定でしたが、
緊急事態を受けて放送は即座に中断されました。
万人監視の中、レオーノフが宇宙に取り残されるようなことがあったら、
国威発揚どころの騒ぎではなくなるからですねわかります。
この時に限らず、宇宙空間に遊泳するというのは、
我々が現在想像するより遥かに危険と隣り合わせでした。
テザーが切れたり、膨らみすぎて宇宙船に戻れなかったとしたら、
もうその瞬間、彼を救出する術はありません。
その体は生命が失われた後も永遠に宇宙空間を彷徨い続けることになります。
あ・・昔、そんなシーンが出てくるSF小説を読んだことがあったっけ。
アシモフだったか、ハインラインだったか、ブラッドベリだったか。
題も覚えていないし、本当にそんなシーンがあったかも漠然としませんが。
そうそう、ソ連が秘密にしているので全く知られていないけど、実は
宇宙で「彷徨っている」ソ連飛行士がいるとかいう噂もありましたっけ。
ま、なんだ、レオーノフは無事に帰って来られてよかったですね。
ちなみに、レオーノフが素人画家であるという話は以前にもしましたが、
彼はちゃんとスケッチブックを持っていき、軌道上の日の出を見ると
すぐさまこれをスケッチして、宇宙で初めて絵を描いた人第一号にもなりました。
その「史上初の宇宙でのアート」が左。
色鉛筆に紐がついていますが、レオーノフが手首につけるためのものです。
お宝写真。
自分で描いた宇宙遊泳の作品の前に立つレオーノフ。
JALのハッピと鎖帷子ふうシャツと本人の表情の取り合わせがシュール。
宇宙遊泳のその日から52年後の写真だそうです。
さて。ボスホート2号のミッションによって、宇宙服さえ適切なものであれば、
人類は宇宙空間で活動が可能であることが実証されました。
このことは、実証されてみればなんでもないかもしれませんが、
初めてその空間に一歩(っていうのかな)を踏み出す者にとっては
そこ知れぬ恐怖と不安しかなかったものと思われます。
しかも想定外のアクシデントに見舞われたにもかかわらず、
その問題を解決して生還した宇宙飛行士、レオーノフの冷静さと優秀さは
もっと歴史的にも評価されて然るべきではないでしょうか。
続く。
しばらくの間、宇宙開発競争におけるソ連とアメリカ双方の奮闘努力、
そこで行われた技術者たちの真摯な取り組みについて語ってきました。
そもそも宇宙開発競争の大きな渦に二大国家がのめりこんだのは、
巨大な国家的意志がそれを是としたからに他なりません。
しかし、もっと根源的なところにあったはずの最初の小さなきっかけ、
人類を宇宙へ向かわせる強い意志を、巨大な流れへの原動力に変えたのは、
他ならぬ人間=「宇宙を夢見る人」であったはずなのです。
それは一体誰だったか。わたしはこのクェスチョンに、今ならこう答えられます。
それは、人類を宇宙に送りたい、宇宙の神秘に少しでも近づきたい、と
ロケット開発を夢見ていたロシアの科学者、セルゲイ・コロリョフと
その仲間という一握りのロケット開発者だった、と。
コロリョフの解説でも書きましたが、元々ソ連共産党は、
宇宙開発などになんの意味があるのか、という態度で無関心でした。
コロリョフがソ連メディアを焚きつけ、アメリカのメディアがそれを書き立て、
ついにはアメリカ政府が宇宙開発競争を受けて立ったことを知るまでは。
アメリカはというと、それでも自国の優位を信じ現状に甘んじていました。
本気になったソ連がスプートニク打ち上げに成功したと知るまでは。
つまり、米ソが宇宙開発競争へと国家の舵を切っていったそのきっかけが
セルゲイ・コロリョフであったということがお分かりいただけるでしょう。
最初にコロリョフにスプートニクの実物(ビーチボールに脚がはえたような)
を見せられたフルシチョフは、何じゃこりゃと言ったとか言わなかったとか。
しかし、ロケット科学者の煽りに乗って半信半疑でゴーサインを出したら
このビーチボールで宿敵アメリカに途轍もない打撃を与えたことを知ります。
フルシチョフ、これにすっかり気をよくして、よし、もっとやれ、
どんどん打ち上げて我がソ連の威光をアメリカに見せつけろ、
とさらなるイケイケモードに突入し、アメリカはそれを追う形で
二大国家の「宇宙戦争」の構図は出来上がっていったのでした。
■宇宙飛行士たち
その際、国家が生んだ偉大な宇宙のヒーローとして、
全面的にメディアの前に立ったのは(科学者ではなく)宇宙飛行士たちでした。
ソ連は、ロケットを打ち上げた科学者は、機密上の理由から、
その存在すら「赤いカーテン」と言われる機密に隠されていたので、
その分、宇宙飛行士がわかりやすく宇宙開発の象徴となったのです。
ソ連の「最初」の宇宙飛行士たちが揃った珍しい瞬間です。
ソ連では宇宙飛行士をアストロノーではなく「コスモノー」と呼びました。
彼らはレーニンの顔と飛ぶR7ロケットのパネルの前でマイクを囲んでいます。
おそらくテレビの座談会か何かのシーンであろうかと思われます。
彼らは全員がボストーク計画の宇宙飛行士(コスモノー)であり、
テレシコワを除く全員が軍パイロット出身で、全員軍服着用です。非公式の写真で、撮られたのは1960年代ということがわかっています。
左から右に向かって:(括弧内はコールサイン)
パーヴェル・ポポーヴィッチ(イヌワシ=ベルクート)
ボストーク4号・ソユーズ14号 初のランデブー成功
ユーリ・ガガーリン(ヒマラヤ杉=ケードル)
ボストーク1号 人類初の有人飛行に成功
ワレンチナ・テレシコワ(カモメ=チャイカ)
ボストーク6号 初の女性宇宙飛行士
アンドリアン・ニコラエフ(ファルコン)
ボストーク2号 ソユーズ8号 軌道上への滞在時間の最高記録を更新
ゲルマン・ティトフ(ワシ=オリョール)
ボストーク2号 初の宇宙からの地球撮影 初の宇宙酔い経験者
テレシコワは最終的に空軍少将になっていますが、
彼女が軍に入隊したのは宇宙旅行を成功させてからのことなので、
おそらくこの時はまだ軍人ではなく、私服で出演しているのでしょう。
ちなみに彼女が工学博士号を取得したのは、40歳の時です。
■フェオクチストフのフライトスーツ
(彼が宇宙服なしで打ち上げられた理由)
先の座談会には出席していませんが、宇宙飛行士であり、宇宙技術者だった
コンスタンチン・ペトロヴィッチ・フェオクチストフ
Konstantin Petrovich Feoktistov
Константин Петрович Феоктистов、1926-2009
のスペーススーツ実物がスミソニアンには展示してあります。
これがスペーススーツ?無印良品のポロシャツとチノパンでは?
とつい思ってしまったわたしはきっと疲れています。
フォエクチストフについては、以前当ブログで
ナチスに捕虜になって撃たれたけど弾が当たらず助かった、
(多分死んだふりをして後で脱出したのだと思われる)
という話をしたのを覚えておられるかもしれません。
ちなみに座談会に呼んでもらえなかったのは、もしかしたらこの人が
宇宙飛行士で唯一、宇宙飛行士でありながら設計にも加わった技術者で、
博士号を持っているけど軍人でも共産党員でもない唯一の民間人だったから。
・・・かもしれませんしそうではないかもしれません。
さて、フィオクチストフが搭乗したのはボスホート1号でした。
ボスホートはボストーク宇宙船の発展形です。
一人〜二人乗りだったボストークに、3人も乗せるために改造したものです。
改造するといったって、部屋を建て増しするみたいにスペースを広げる、
なんてことは不可能なので、シートを増やしただけでした。
(まあ改造はそれだけではないんですが)
するとどうなるかというと、内部が狭いので、スペースを確保するために
それまであった宇宙飛行士の座席射出のシステム装置がなくなりました。
それまでのボストーク宇宙船は、降下時に宇宙飛行士は射出されて
パラシュートが自動で開き、地上に降下したのですが、
それができなくなったので、宇宙船にパラシュートをつけて降下し、
地面が近づいたら新しく増設した逆噴射ロケットで
減速させて着地するという仕組みになりました。
あと、これが最も困ったことに、宇宙船内が狭いので、
宇宙飛行士は宇宙服を着せてもらえませんでした。
というわけで、そのとき乗り組んだフィオクチストフは、
宇宙服の代わりにこの無印良品のポロシャツとチノパンを着て、
右下の写真にあるラグビーのヘッドギアみたいなのを被っていました。
これ、もしズボンがショートなら、まんまラグビーする人みたいです。
ユーリ・ガガーリンが人類として初の宇宙打ち上げに臨んだとき、
フェオクティストフが作成した宇宙飛行士のチェックリストの草稿です。
打ち上げ前、軌道上、降下中の手順をガガーリンに指示しています。
宇宙飛行士が打ち上げセンターのスタッフとして他のミッションに臨み、
これから任務をおこなう宇宙飛行士にアドバイスをしたり、
何か起こった時に対処法をサジェスチョンするという態勢は、
ソ連よりむしろアメリカによく見られるパターンです。
ボストーク1号と2号を比べてみると、明らかに増設された部分があります。
しかも、2号は乗員が二人だったので、宇宙服を着ることができました。
ってか、宇宙服って着るのが当たり前ですよね?
着せずに宇宙に打ち上げるって、かなり酷くないか。
ほんと無茶しますよねこの頃のソ連って。
宇宙飛行士の人権より、国威とアメリカに勝つことだけが大事だったのね。
ボスホート1号に搭乗した3人とは、宇宙工学者のフィオクチトフ以外に、
宇宙飛行士ウラジーミル・コマロフ、そしてもう一人は
宇宙医学を専攻した医師のボリス・イェゴロフとなります。
イェゴロフ
3人乗せるなら医師もいた方がいいよね、ということだったのでしょうか。
イェゴロフは宇宙に行った初めての医師となりました。
イェゴロフヘッドギア装着の図。
男前が台無しだ。
医師で宇宙飛行士、おまけにこのイケメンである。
というわけで女優と次々浮名を流し、そのせいなのか、結婚歴3回。
しかし、脳梗塞でわずか50歳代で他界してしまいました。
小さくてすみません
フィオクチストフのスペーススーツ(ってもんじゃないですけど)
の横には、そのときに携えていったサバイバルギアが添えられています。
これは「ボスホート・ナイフ」と呼ばれています。
ソ連の宇宙船は陸地に降りるように設計されており、
できれば発射場近くの平原に降りるのが理想的とされていました。
しかし万が一、回収予定地以外の荒野に着陸したときのために、
クルーのサバイバル・キットには狩猟用ナイフが含まれていました。
何のためにこんなものが、って?
それはあなた、もちろん着地してからの食糧確保と外敵駆除でのためですよ。
フェオクティストフらのボスホート1号では使う必要はなかったのですが、
ボスホート2号の乗組員にとっては、大変お役立ちキットとなりました。
なぜならボスホート2号は予定地から約2,000キロメートル外れて着陸し、
原野で回収を待つハメになったからです。
宇宙飛行士は救助隊が来るまでの間、
近くで動物の遠吠えを聞いた:(;゙゚'ω゚'):と報告しています。
■ 史上初!!宇宙遊泳
タイトルの「イグジット・トゥ・スペース」は「宇宙に出る」、
つまり宇宙遊泳を意味します。
前にもスミソニアンシリーズで一度お伝えしていますが、成り行き上
もう一度、アレクセイ・レオーノフの初の宇宙遊泳について書きます。
最初からエアロックを増設した宇宙船に乗せた乗員二人は、
先ほども言ったように宇宙服を着せてもらうことができました。
その理由は史上初の人類による宇宙遊泳を成功させるというのが
ボスホート2号の重要ミッションだったからです。
スミソニアンに展示されているのは、まさにレオーノフが宇宙空間に出た
その瞬間の再現シーンであり、スーツはもしかしたら本物かもしれません。
ここで注目していただきたいのは、エアロックと呼ばれる「トンネル」です。
宇宙飛行士が加圧された宇宙船から出るために、
ソ連の技術者たちは柔軟なエアロック・アタッチメントを設計しました。
エアロックは軌道上で膨らませるトンネルで、
宇宙船から出たり入ったりしても、密閉された状態を保つ仕組みです。
アレクセイ・レオーノフは、打ち上げ前からこのエアロックを使って
宇宙遊泳の訓練を行い、史上初の宇宙遊泳に備えました。
のちにアメリカも宇宙飛行士の宇宙遊泳に成功しましたが、その時は
宇宙船は完全に減圧され、ハッチが直接宇宙に向かって開く仕組みでした。
ちなみにレオーノフが最初に宇宙空間に出他とき、彼の体は
4.8メートルのテザー(命綱)で宇宙船と繋がっていました。
しかしそのとき、問題が起こります。
宇宙を初めて「歩いた男」は、危うく最初の死者となるところでした。
というのも、「宇宙遊泳中、レオーノフのスーツは予想以上に膨張し、
硬くなり、大きすぎてエアロックに入らなくなったのです。
エアロックに入れない、つまり宇宙船に戻れないということです。
スミソニアンに展示されているのはレオーノフが訓練で使用した
ベルクート(ゴールデンイーグルの意味)与圧服というものです。
本番でも同型のものが使用され、おそらくソ連のどこかにあるのでしょう。
宇宙服が膨れてトンネルを通れなくなってしまい、どうしたかというと、
彼は最新の注意を払って宇宙服から圧力を減らして萎ませていきました。
そしてなんとかギリギリにエアロックに入れる大きさに調整し、
宇宙船に戻ることができました。
当初、船外活動をリアルタイムで放送する予定でしたが、
緊急事態を受けて放送は即座に中断されました。
万人監視の中、レオーノフが宇宙に取り残されるようなことがあったら、
国威発揚どころの騒ぎではなくなるからですねわかります。
この時に限らず、宇宙空間に遊泳するというのは、
我々が現在想像するより遥かに危険と隣り合わせでした。
テザーが切れたり、膨らみすぎて宇宙船に戻れなかったとしたら、
もうその瞬間、彼を救出する術はありません。
その体は生命が失われた後も永遠に宇宙空間を彷徨い続けることになります。
あ・・昔、そんなシーンが出てくるSF小説を読んだことがあったっけ。
アシモフだったか、ハインラインだったか、ブラッドベリだったか。
題も覚えていないし、本当にそんなシーンがあったかも漠然としませんが。
そうそう、ソ連が秘密にしているので全く知られていないけど、実は
宇宙で「彷徨っている」ソ連飛行士がいるとかいう噂もありましたっけ。
ま、なんだ、レオーノフは無事に帰って来られてよかったですね。
ちなみに、レオーノフが素人画家であるという話は以前にもしましたが、
彼はちゃんとスケッチブックを持っていき、軌道上の日の出を見ると
すぐさまこれをスケッチして、宇宙で初めて絵を描いた人第一号にもなりました。
その「史上初の宇宙でのアート」が左。
色鉛筆に紐がついていますが、レオーノフが手首につけるためのものです。
お宝写真。
自分で描いた宇宙遊泳の作品の前に立つレオーノフ。
JALのハッピと鎖帷子ふうシャツと本人の表情の取り合わせがシュール。
宇宙遊泳のその日から52年後の写真だそうです。
さて。ボスホート2号のミッションによって、宇宙服さえ適切なものであれば、
人類は宇宙空間で活動が可能であることが実証されました。
このことは、実証されてみればなんでもないかもしれませんが、
初めてその空間に一歩(っていうのかな)を踏み出す者にとっては
そこ知れぬ恐怖と不安しかなかったものと思われます。
しかも想定外のアクシデントに見舞われたにもかかわらず、
その問題を解決して生還した宇宙飛行士、レオーノフの冷静さと優秀さは
もっと歴史的にも評価されて然るべきではないでしょうか。
続く。