わずか11日の滞在、卒業式という記念行事ということもあって、
今回のアメリカ滞在中は結構奮発ぎみのレストランが続きました。
この日は、冬滞在した時に大雪にもかかわらず突撃した絶景レストランへ。
卒業式後ディナーもここがいいんじゃない?と言ったら、MKが生意気にも
あそこは味があまり好きじゃない、というので最後まで避けていたのですが、
この日ちょうどオープンテーブルで日没の7時半に予約が取れたこともあり、
TOはまだ来たことがないし、別のメニューを選んだら?と説得しました。
結果、あの大雪の日とは打って変わって美しい初夏の景色を
日没から夕暮れまで楽しむことができて最高でした。
夏暑さが厳しく冬は雪が降るので、この時期ピッツバーグは工事シーズン。
道路も張り替えのため、あちこち通行止めになって迂回が多かったこと。
ブリッジの工事にはこんなカバーをかけて行っていました。
ここからは、カーネギー・サイエンスセンターが展示している潜水艦、
USS「レクィン」SS-481を対岸から見ることができます。
「レクィン」はコロナ下では閉鎖されていましたが、今見たら
内部の見学は再開したようなので、最後のピッツバーグ滞在となる次回、
必ず内部の見学をしてくることを皆様に約束します。
まるでケーキのようなグラスフェッド牛肉のタルタル。
この日のわたしのチョイスはマッシュルームのパピヨット(紙包み)。
各種キノコの下にはポレンタ(コーンミール)が敷いてあります。
TOのカモの胸肉いちごバルサミコソース添え。
カモにオレンジ以外のフルーツを合わせたあたりが挑戦的。
だんだん陽が暮れて暗くなってきました。
対岸の常設野外ステージでは、おりしもロックコンサート中。
写真を拡大してみると、ブラック・ストーン・チェリーという
ヘヴィメタの人気バンドでした。
全米ハードロックのチャートで一位になったこともあるということです。
そのこちら側には「ミスター・ロジャース」のブロンズ像が・・。
ミスター・ロジャースといえばピッツバーグの生んだ偉人。
「アメリカの最もいい人」としてここでも紹介したことがありますが、
帰りの飛行機でトム・ハンクスの「幸せの回り道」をもう一度観て、
あらためて嘘くささとトム・ハンクスの演技に背中がゾワゾワしました。
特にダウンタウンのレストランで、週刊誌記者のボーゲルに、
「1分間でいいから君の愛している人のことを考えてみて」
といい、ボーゲルが目を瞑ってそれを試みている間、
彼を見ているロジャースの目つきが、もう怖いのなんのって(笑)
ちなみに英語の映画サイトを覗いてみると、世間はおおむね好評ですが、
たまにわたしと同じ感想を持つ人もいて、ほとんどが辛辣です。
「フレッド・ロジャースは、かけがえのない遺産を残した偉大な人物であり
人道主義者であり、トム・ハンクスは非常に著名で好感の持てる俳優だ。
それでもこの映画は、不気味さが散りばめられた単純に不自然なものだった」
「Mr.ロジャースのトワイライト・ゾーン版を見ているような気分でしたね。
まさに『Bizarre』。
カフェでの1分間の沈黙、トムの表情、
トワイライトゾーンのテーマ曲の出番です。 :(」
評価は真っ二つで、絶賛かさもなくば否定しかない映画です。
でもかえって観たくなった方もいるかもしれませんね(笑)
さて、お待ちかねデザートは三者合議の末、キャロットケーキを選びました。
薄切りのニンジン(茹でてあるかも)をバラの花にして、揚げた飾り付き。
食事が終わった時にはすっかり暗くなっていました。
9時近かったので当然といえば当然ですが。
ピッツバーグはこの時期日の入りが8時くらいです。
ところで、メニューを調べるために検索していたところ、
このレストランに昨日トラックが突っ込んだことがわかりました。
Truck slams into side of Altius restaurant in Mt. Washington
何突っ込んでるんだよ(笑)
これ、確かトイレがあった場所だと思う。
ところでわたしの座った席からは窓の外に
POW/MIA「あなたたちを忘れない」の旗が見えていました。
レストラン隣はピッツバーグ名物ケーブルカーの駅なのですが、
その前に戦争鎮魂碑が建っていたからです。
ここは正式名「デュケイン・インクライン」(Duquesne incline)の
終点(というか上と下をつなぐ線路ですが)駅です。
昔は斜面を上り下りするケーブルカーが20以上あったのですが、
電車やバス、車の発達につれ、姿を消していきました。
最後の二つのケーブルカーも、1960年代に廃止されそうになりました。
(廃止されかかっているケーブルカー)
歴史的価値を惜しむ住民が保存運動を展開し、資金を集めた結果、
ピッツバーグのアイコンとして残されることになりました。
(存続が決まって喜ぶケーブルカー)
ケーブルカーの駅。レトロです。
チケットの自動販売機だけがタッチパネルでカード対応と最新式。
昔のままに残っているケーブルカー操作ブース。
拡大してみると中の人がレンズをものすごい凝視していました。
駅舎内では、ピッツバーグの古い写真や資料が展示されています。
フランク・ロイド・ライトにあの「フォーリング・ウォーター」を作らせた
あのユダヤ人実業家カウフマンのデパートが「カウフマンズ」です。カウフマンズはその後メイシーズに買収されました。
その頃まだ稼働していた他のケーブルカーなどの写真も見られます。
1836年の大冠水と1845年の大火事の写真。
特に大火事は「ホロコースト」というくらいの惨事になったそうです。
一体どうなってこうなるのか、洪水もものすごいことになっています。
現在のダウンタウンの部分が水浸し。
この日は「Fig & Ash」(イチジクと灰)というレストランに行きました。
チャコールグリルが売り物なので「アッシュ」なのかもしれません。
この名前からも何やらセンスを感じるし、とにかく利用者の評判がいいので、
卒業式ディナーにぜひ行きたいと思ったのですが、全く空きがなく、
MKの友達が来てからやっと、キッチン横のカウンターの席が取れました。
実はこの時座ったカウンターテーブルのエンドに、
海兵隊員の若い男性の写真が飾ってあり、(撮影は控えました)
それがオーナー兼シェフらしい男性に顔がそっくりだったことから、
「もしかしたらアフガンかどこかで亡くなったんじゃないだろうか」
とみんなでヒソヒソ言い合いました。(当人に聞くわけにもいかないし)
この料理人は、ずっと火の前で薪をくべたり、その上に鍋を置いたり、(時には薪の上に直にフライパンを置くなど、ストーブの扱いがすごかった)
焼き物一般を全部手がけていましたが、シェフではありません。
シェフは、キッチンを腕組みしながら見ているだけの人で、過去、地元フットボールチーム「スティーラーズ」のキャンプで
シェフを務めた経歴があるとHPの紹介に書いてありました。
わかりませんが、シェフとしてかなり評価されているということなのでしょう。
もう一つついでに、火の前にいるのはスーシェフで、ピッツバーグ大学卒。
ビジネスの学位を取って一旦会社で働いた後、料理人に転身した人だそうです。
わたしが頼んだのはHulibut、ハリバ、日本語ではオヒョウの味噌ソース。
アメリカで白身の料理というと必ずと言っていいほどハリバです。
付け合わせはビーチマッシュルーム(シメジのことかと)とケールでした。
TOはこのマカロニ的な何か。
家族で食べに行くと全員が違うものを頼んでシェアします。
MKはハンガーステーキ。
MKの友達の女の子が頼んだポークベリーはその大きさにびっくりです。
彼女はわたしたちにも味見のため肉を分けてくれましたが、それでも
まだたっぷりある肉の塊をぺろりと残さず平らげ、驚かされました。
若いって素晴らしい。
デザートは二人にひとつづつ、合計二皿頼みました。
これはわたしとTOのフラン(プリン)。
とにかくここの料理は今回滞在の2トップに数えられるくらいで、
感動的ですらありました。
ピッツバーグ最後の夕食は、ここも人気でなかなか予約の取れない
高級タイ料理「プサディーズ・ガーデン Pusadee’s garen」へ。
これも予約が取れず、ずっとキャンセルが出るのを狙っていましたが、
MKがキャンセルが出たところをすかさず抑えてくれたのです。
昔からビール醸造所が集まっている地域にあるこのレストランは、
その一角の煉瓦造りの建物2軒をウィングで繋いで、
真ん中の部分をお店の名前通りのガーデンとしていて、雰囲気抜群です。
この日は木曜でしたが、写っているのはいずれもデートディナーの人たち。
特に右奥のカップルのアジア系女性は、社会通念上限界ギリギリに胸を露出し、
今晩中にデート相手(眼鏡に七三分けのナードタイプ白人)を籠絡しないと
家族に危険が及ぶという切羽詰まった事情があるのではないかと疑われるほど、
とにかく気合が入りまくっていました。
一度仲間で来たことがあるMKによると、何を食べても美味しいということで、
散々迷いましたが、とにかく量も多いということもあり、
基本なんでもシェア前提にオーダーを組み立てました。
テーブルには大きなURコードが貼ってあって、説明されなくても
それだけでこれがメニューだとほとんどの人が違和感なく気づきます。
日本でもこの方式のメニューが増えていますね。
これは「グリーンマンゴーのサラダ トーストココナッツ和え」。
珍しいだけでなく、真に美味でした。
アメリカ生活で初めて知ったのがこのロティでした。
ロティはナンに似たお焼きみたいなもので、全粒粉をフライパンで焼いたもの。
ナンより薄く、サクッとしています。
だいたいカレーの付け合わせとして付いてくるもので、
この日もこのイエローカレーに添えられていました。
メインは全員がタイカレーを選びました。
右からMKのスパイシーチキンカレー、真ん中はMK友達のポークベリーカレー、
左はわたしとTOが二人で頼んだパンプキンカレーでいずれもご飯付き。
パンプキンカレーのカボチャは「roasted Kabocha」となっていました。
アメリカのパンプキンはオレンジで(ハロウィーンのあれ)、
日本のカボチャのようにねっとりしておらず、まるで瓜みたいな食感です。
付け合わせのライスはタイ米ではなくスティッキーライスで、
TOはお代わりを頼んだほどでした。
この後暗くなって一層いいムードのガーデン。
初夏の夜の風は爽やかに甘く吹き渡りました。
夏に必ずもう一度来るつもりです。
わたしとTOは空港近くのホテルにすでに荷物を移しておいたので、
ここから直接レンタカーを返してホテルに戻り、次の朝出発しました、
というわけで、あっという間にピッツバーグ離陸です。
下に見えているのは全て空港の駐車場。
バスが巡回していて、どこに停めても拾ってもらえますが、とにかく広い。
空港の駐車場がビルでなく平地というのがさすが広大なアメリカです。
とにかく空港では(TOの)入念かつ慎重な準備のおかげもあって、
カウンターでも問題なく、チェックインが完了しました。
前回は予想もしていなかったため、ちょっと焦らされた、
「日本政府が要求するQRコードのダウンロード」も今回は事前に済んでおり、
係員に提示を求められてもさっとスマホから見せることができました。
しかしこんなことに慣れても、どうせ次は事情が変わってるんだろうな。
帰りの機内食もついつい和食一本槍でいってしまったわたしですが、
オードゥブルの段階からある違和感を感じたのでした。
「行きの和食は美味しかったのに、これは一体・・・」
左はトマトの下にほとんど味のないキノコの得体の知れない料理、
右はなぜか激甘のナッツ。
取り合わせもさることながら味の組み合わせも悪い。
これなど、たかが?幽庵焼きをどうしてここまで苦く作れる?
と思わざるを得ない不可思議な風味の一品となっておりました。
行きと帰りの違いは、銀座の料亭の監修のあるなしですが、
それだけでこれほどあからさまに味が違ってしまうのか・・。
それとも帰りの料理は日本から運んでくる間に劣化した?
食事が済んでからしばらくしてふと外を見ると、
ちょうどアラスカを通過するところでした。
沿岸には人が住んでいるらしく、集落も見えます。
当たり前ですが、こんなところに住んでいる人もいるんだなあ・・・。
成田に到着すると、乗り継ぎをする人(タイ航空とのシェア便だった)は
先に降りていき、残りはそのまましばらく待って、検疫に進みます。
機を降りたらあとは係員の誘導に従ってあっちに並び、こっちで紙をもらい、
唾を試験管に入れて携帯を見せ、アプリのダウンロードを確認され、と、
次々に行く先々で要求される「クェスト」を淡々とこなしていきます。
全て済んで空港の外に出たとき、到着時間から3時間経過していました。
前回と全く時間が変わっておらん。
ともあれ、いろいろあった卒業式参加旅行も無事終わりました。
とかなんとか言ううちにすぐに次の渡米が待っています。
次回は車でシカゴ近辺の海事史跡巡りをするつもりですので、
いずれその結果をここでご報告できればいいなと思っております。
終わり。