さて、開始以来、その哨戒活動を順を追ってお話ししてきた、
ミシガンミシガン湖マスキーゴンに渓流展示されている
第二次世界大戦時の潜水艦「シルバーサイズ」。
今日からは、いよいよ実際の艦体を見学して、
その外部内部をご紹介していこうと思います。
まずは乗艦したデッキから始めたいと思いますが、
「シルバーサイズ」の哨戒について調べ終わった今、
最初に挙げた画像の意味がわかったので説明しておきます。
冒頭写真は敵撃沈数マークなどがペイントされたセイルタワー部分。
ペイントされているマークの数は、あくまでも、「シルバーサイズ」が
現役当時撃沈撃破したと信じるところの数に準拠していますが、
この撃沈数も、同じ情報を彼我の資料でざっとくらべただけで、
かなり違っていることがわかってしまったわけです。
ただし、国のために命をかけて戦ってきたベテランに対し、
多少の瑣末な結果の違いより、彼らの認識を尊重すべし、
ということになりがちなのがアメリカの戦争遺跡のリアルですので、
この辺はめくじら立てず、暖かい目で見守ろうと思います。
さて、そしてこれなのですが、今やその意味もわかりました。
まず左の機雷マークの中に書かれた16は、「シルバーサイズ」が
戦争中、各所に敷設した機雷の数となります。
この付近に「シルバーサイズ」が機雷によって
触雷沈没した日本船も確か何隻かあったはず。
そして右の落下傘に書かれた数字、2。
これは、ニコルズ艦長になってから、通商破壊作戦がなくなり、
その任務をパイロットの救出に切り替えて以降の哨戒で、
彼女が実際に海上から救い上げたパイロットの数です。
一人は陸軍航空隊のパイロット、そしてほぼ同時に
「インディペンデンス」の艦載機パイロットを助けたことも、
当ブログではすでにご紹介済みです。
とスッキリしたところで、乗艦するところから始めます。
「シルバーサイズ」の見学には、岸壁からかけられたラッタル、
ほぼ岸壁と同じ高さとなっている甲板に上がっていきます。
甲板に上がると、対岸まではすぐそこです。
「シルバーサイズ」は、ミシガン湖と、ミシガン湖から流れ込む
マスキーゴン湖をつなぐ運河沿いに係留されています。
運河にはタンカーや貨物船、民間船やヨットなども頻繁に行き来します。
運河の向こう側は緑地帯(キャンプ場が広がっている)、
さらにその向こうは広大なミシガン湖となっています。
「シルバーサイズ」に乗艦する見学者に真っ先に与えられる注意は、
以下の通りとなります。
「『シルバーサイズ』艦上の多くのシステムは、可動します。
ノブやスイッチ、ダイアル、レバー、ホイールなどを
決して触らないでください」
ディーゼルエンジン式の潜水艦の艦底にあるバッテリーは、
展示艦となったとき、「シルバーサイズ」から外されました。
大量のバッテリーを除去した前後の艦底部分には、
バランスを取るためコンクリートブロック代わりに設置されています。
このことからも「シルバーサイズ」には、往年と同じような、
潜ったり浮かんだりの動作は無理であることは明らかなのですが、
注意書きによると、電気関係と主機能のエンジンはほとんど生きています。
特にエンジンに関しては、ボランティアの奮闘努力により、
現役時代と同様稼働することができるようになり、
年に一度、戦没将兵へのメモリアルデーに、退役軍人によって
エンジン始動するイベントが博物館の目玉になっています。
ちなみに(興行成績としては大失敗だった)映画「ビロウ」に出演したとき、
USS「タイガーシャーク」こと「シルバーサイズ」が
海上を航走しているシーンは、艦体を曳航して撮影されました。
しかし「システムの多くが生きている」というのは本当です。
上部甲板の中央に立って見る艦首部分です。
舫の置き方は・・・・まあ普通。
乱雑ということはありませんが、海上自衛隊のほど芸術的でもありません。
過去の「シルバーサイズ」見学者が挙げた写真ではこんな置き方です。こんな時代もあったようですが、人が変わったか、面倒になったのかしら。
■ エスケープ・トランク
「シルバーサイズ」内部にはここから入っていきます。
ボランティアによって修復されたデッキには、
見学者のための入り口がまず設置されました。
サンフランシスコに係留してある「ガトー」級潜水艦の「パンパニート」が、「ダウン・ザ・ペリスコープ」という
潜水艦映画に出演したことがあり、当ブログでも紹介しました。
原子力潜水艦に乗せてもらえず、ディーゼル艦に罰ゲーム的に乗せられた
「落ちこぼれ軍団」が、原潜と対戦するという痛快ドラマ?ですが、
このとき、乗員が最後に「パンパニート」の甲板の
観客用の手すり付き階段からゾロゾロ出てきたシーンがありました。
もちろん、映画評価サイトではあり得ないそのシーンが
「goofs」(間抜けともいう)として指摘されていましたが、
常識的に考えて、現役の戦闘艦が、
一般人の乗降に親切な設計なはずがありませんから、
見る人が見ればすぐにわかってしまうのです。
当然「シルバーサイズ」も、その現役中は、
手すり付きの階段などというものは設置されていませんでした。
それでは乗員はどこから出入りしていたかというと、
上の写真の手すりの向こうに見えているハッチからです。
この写真の位置関係でお分かりだと思いますが、見学者用の出入り口は、
ハッチチューブの横から階段で入っていけるようにしたものです。
この部分の正式な名称は現地の説明によると、
「Escape trunk hatch」
(脱出用トランクハッチ)
となっています。
エスケープトランク、脱出トランクとは、潜水艦が沈没して水中にあるとき、
乗組員が脱出するための潜水艦の小さなコンパートメントです。
今日はこの装備について説明します。
「エスケープ・トランク」とは、エアロックと同様の原理で動作し、
圧力の異なる 2 つの領域間で人や物を移動させるというものなのですが、
とりあえず次の図をご覧ください。
映画「ビロウ」でも、海中の艦内から外に出ていくシーンがあり、
また、最後には霊の存在によって精神に異常をきたした副長が、
アクアラングなしでここから海中に出ちゃってましたよね。
で、この図を見て気が付きませんか?
見学者の出入り口って、位置的に「エスケープハッチ」なんじゃないの?
通常、陸上水上での乗員の乗り降りはアッパーハッチを使い、
艦体が水中にあるときのみ、エスケープハッチを使うことになります。
そういえば、この「マンセン・ラング」を着用した水兵さんが
体を乗り出しているのが、ズバリ、エスケープ・ハッチです。
マンセンラングを着用して海中に脱出するところを再現していたんですね。
これをみていただくと、艦によって多少の違いはあれ、
エスケープハッチがこの位置関係に存在したことがわかります。
■ エスケープ・チャンバー(脱出室)のメカニズム
ここでエスケープ・チャンバーのメカニズムについて説明しておきます。
潜水艦が水中にあるとき、外側のハッチの水圧は、
常に潜水艦内の気圧よりも大きく、従って、
ハッチは決して開かないようになっています。
ハッチを開くことができるのは、
エスケープ・チャンバー内の圧力が海圧と等しい場合のみです。
コンパートメントは潜水艦の内部から密閉されており、
水中に出る人は、まずエスケープチャンバー内に入ります。
この後、チャンバー内の圧力を海圧まで上げてから、
エスケープ用のハッチ(斜めに出ている部分)から外に出るのですが、そのオペレーションについて、順を追って説明します。
1.排水バルブを開く
2.コンパートメントから残留水が確実に排出される
3.潜水艦の内部と脱出トランクの間の圧力が均等になる
4.排出弁を閉じる
5.水中に出る者がスタンキーフードなど、
水中での呼吸装置をつけてチャンバー内に入る
スタンキーフード
6.海水バルブを開いて、チャンバー内に水を入れる
7.チャンバー内の空気が圧縮され、海圧と等しくなると、
チャンバーの浸水が止まる
水位は、図の水色の破線より高くなるようにする。
8.追加の空気が高圧空気供給からチャンバー内に排出される
9.空気圧が上昇
10.チャンバーの上部にある空気の泡は、外に出る順番を待っている間、
内部の人が呼吸するために残されたままにする
11. スタンキーフード内の圧力は、周囲の空気/水圧と同じにする
12.最初の脱出者は脱出チューブを登り、ハッチを押し開ける。
チャンバー内の圧力が海圧と等しくなるまで、ハッチを開かない
13.チャンバーの外に出ると、スタンキーフードの空気の浮力により、
脱出者はすばやく水面に運ばれる
14.浮上すると、周囲の水圧が低下し、
肺とフード内の空気が膨張するため、
脱出者は、肺から膨張する空気を放出するために、
水面までずっと息を吐き続けなければならない。
15.最後に出る人は、外側のハッチを押して閉める。
16. 脱出が終わると、内部ではドレーンバルブが開かれ、
チャンバーから水が排出され、潜水艦内の圧力と等しくなる
17.チャンバー内は、圧力により、
水が排水バルブから急速に押し出される
18.チャンバー内の圧力を下げると、潜水艦の外の海圧が高くなるため、
外側のハッチも強制的に閉じられる
19.まだ全員の脱出が終わっていなければ、
その後、全員が潜水艦を離れるまで、この手順を繰り返す。
昔は海の中に脱出した乗員が助かる率は大変低かったのですが、
その生存率を引き上げたのがDSRV、
Deep Submergence Rescue Vehicle
(深海救難艇)
です。
それまでは、レスキューチェンバーによる救助が主流でしたが、
1963年に起きた原子力潜水艦「スレッシャー」の沈没事故では、
沈没した深度がレスキューチェンバーの限界を超え多ところだったため
全ての救助手段は失われ、乗員は全員死亡したことから、
本格的なDSRVの開発が始まったのでした。
続く。