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PNS「ナスル」「シャムシール」とパキスタン海軍〜国際観艦式外国艦艇一般公開

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観艦式はもうとっくの昔におわたのに、相変わらずのんびりと
外国艦艇一般公開についてのレポをお送りしている当ブログです。

さて、前回で南太平洋艦隊を見学し終わったわけですが、
知人が桟橋を奥に進み、次はパキスタン海軍の列に並ぼうと言ったので、
特に考えもないわたしはそれに従うことにしました。

オーストラリア海軍のHMAS「スタルワート」艦橋から見たところ、
パキスタン海軍からは大小の2隻が来日していました。



その名も「ナスル」と「シャムシール」。
(看板の説明を熱心に点検しているお子あり)

わたしが知る期間だけだと、パキスタンからの観艦式参加は初めてです。
せっかくこうやって日本においで頂いたのも何かのご縁。
我々日本人がほとんど知ることのないパキスタン海軍について、
今回はその歴史について語ることを試みます。

っていうか、これはわたしにとって全く未知の領域。
皆様の中にも興味のある方がおられるにちがいない・・と信じて。


■ パキスタン海軍 波乱含みの誕生 

【パキスタンとインドの分離独立】

1947年8月15日にイギリスから独立した英領インドが
主に宗教上の理由でインドとパキスタン王国に分離します。

パキスタン海軍は、そののち、消滅したインド海軍から移管された
人員と装備でスタートしました。

パキスタン海軍の最初の装備は、スループ2隻、フリゲート2隻、
掃海艇4隻、海軍トロール船2隻、ハーバーランチ4隻というものです。

この譲渡の時から、インドとは早速悶着が起こりました。

インドは分離独立したパキスタンに対し、ボンベイ造船所の機械はもちろん、
たまたまパキスタン国内にあった機械すら譲渡を拒否してきたのです。

発足当初のパキスタン海軍の人員は200人の将校と3,000人の水兵のみ。
最上級は大佐で、しかも軍人としてほとんど未経験。
士官のうち20名がインド海軍の執行部出身で、機械技術者は6名のみ、
兵器システムや艦船全体専門の電気技術者等は皆無という状態です。

パキスタン海軍は、創設早々から、人員不足、運用拠点の不足、
財政的支援不足、技術的・人的資源の不足に悩まされることになります。

当時三軍のうち陸軍と空軍の力が強く、防衛計画も予算も
陸空軍中心に組まれたという事情があったからです。
造船所もなく(当時地域唯一の造船所はボンベイにあった)、
次世代を担う人材の育成をする場所にすら事欠く国内事情も加わり、
パキスタン海軍の出だしには暗雲が立ち込めていました。


PNS「シャムシェール」
1947年インド海軍から譲渡されたパキスタン海軍の最初のフリゲート艦
訓練艦として使用された

今回来訪しているフリゲート艦と同名ですね。


■ 始動1947年~1964年
【第一次印パ戦争】

イギリスから分離独立したインドとパキスタンの間には
カシミール地方をめぐって1947年から第一次戦争が始まりました。

戦闘は陸空で展開したため、ほとんど出番のない海軍は、
駆逐艦でパキスタンからインドへの移住者の移送などを行っていました。

新海軍のトップはイギリス海軍から送られた英国人将校が占めていました。

ただ、このお陰で第一次戦争が終わった後、パキスタンは
イギリス海軍から寄付と譲渡により多数の護衛艦を得ることになります。

【イギリス統治が続くパキスタン海軍】

1950年、ついに海軍の国有化が行われることになります。
陸空軍から多くの将校が海軍に志願し、下士官は将校として任官しました。

政府は海軍のトップにパキスタン人を任命するよう交渉しましたが、
体制が覆ることはなく、その後も指揮権はイギリス人少将に、
パキスタン人は参謀長以下にしか任命されることはありませんでしたし、
非戦闘任務全てが常に英国海軍の支援監督の下に行われました。

政府は1954年、潜水艦を調達するためにイギリス政府に働きかけましたが、
貸与すら拒否されたため、パキスタンは、自国海軍の近代化のために
アメリカに、駆逐艦の貸与と金銭的な支援を求めて交渉を持ちかけました。

1955年、これを受けたアメリカ海軍の顧問がパキスタン海軍に派遣され、
パキスタン海軍に踏襲されていた英海軍の影響は一掃されました。

Royal Pakistan Navy から「ロイヤル」という接頭辞は削除され、
名称は『Pakistan Navy』PN に変更されることになりました。

三軍の優先順位も、海軍-陸軍-空軍から陸海軍-空軍へと変わります。

しかしその後も、どこから軍艦を調達するかなどの折衝をめぐって、
陸海軍の間に激しい内部対立が生じるようになってしまいました。

まあどこの国にもよくある話なんですが。
その後パキスタン政府が反共チームに参加した結果、
英米からは駆逐艦2隻、沿岸掃海艇8隻、油送船1隻が調達されました。



■ 印パ戦争とその後の戦時配置1965年-1970年

「パ海軍初の潜水艦『ガージ』取得」

海軍近代化のために潜水艦をなんとしてでも調達したいパキスタン海軍は、
カラチにある海軍工廠に英国関係者の指導を要請、同時に
インド洋で作戦展開するための訓練支援をアメリカ海軍に要請しました。

1963年ごろは、ソ連海軍がインド海軍に潜水艦を貸与する、
という情報があったため、潜水艦調達に対して米英は協力的だったのです。

当時西側がピリピリしていた反共というポイントをうまく利用し、
の協力を取り付けた結果、1964年、ついに待望の
PNS「ガージ」Ghazi が就役しました。


1965年、戦場でのPNS「ガージ」

 アメリカ海軍の「テンチ」級潜水艦USS「ディアブロ」Diablo S S-479
として就役し、その後パキスタン海軍に貸与されて
PNS「ガージ」として就役させることになったのです。

そんな折の1965年、カシミール侵攻が勃発します。
これにより印パの間で第二次戦争が勃発。

配備された最初の長距離潜水艦「ガージ」は、
インド海軍の空母INS 「Vikrant」の脅威に対し情報収集を行います。

その後パキスタン艦隊はインド空軍のレーダー施設、
ボンベイのインド海軍西部海軍司令部に対して砲撃作戦を展開しました。


その頃、パキスタン海軍は海軍航空の設立について、
戦闘機とそのパイロットが海で失われることを恐れ反対する派と、
この考えに敵対する航空AHQスタッフとの間で、対立が起こっていました。

そして、パキスタンには東パキスタン(現バングラデシュ)
との間の外交問題も起こっていました。

パキスタン海軍が戦争に対して準備不足で、
戦略は現実から切り離した結果でしかないのは明らかでした。


■ 第三次印パ戦争とPSN「ガージ」沈没

第三次戦争のきっかけは東パキスタンに起こった災害でした。

当時実権を西パキスタンに握られて植民地状態だった東パキスタンに
サイクロンが起きて国土が水没したのですが、中央政府の対応をめぐって
住民の不満が爆発し、独立運動が起こってしまったのです。

パキスタン軍が出動してこれを抑えるため制圧をおこなうと、
難民がインドに流れ込んでしまい、これにインドが怒って
第三次戦争が起こってしまったのでした。

【印パ海軍の戦闘】

戦闘が始まると、インド海軍はパキスタンの海上国境を突破し、
ソ連製の「オーサ」級ミサイル艇 で最初のミサイル攻撃を成功させました。

 このとき発射されたのは対艦ミサイルであるスティックスで、
時代遅れのパキスタン軍艦はこれに対する防御の術を持たず、
結果、軍艦2隻を沈没で失い、1隻が修復不可能な損傷を受けました。
さらにパキスタン軍の兵舎を狙ったインド海軍のミサイル地上攻撃では
1700名が死亡するという大惨事となり、
パキスタン海軍には心理的なトラウマを抱えると共に、
その後の戦闘能力を大きく低下させていくのです。

しかし対するパキスタン海軍は、潜水艦「Hangor」が
インドのフリゲート艦INS「 Khukri」を沈没させたこともあります。

INS「ククリ」

これは第二次世界大戦後初の潜水艦による軍艦の撃沈となりました。
インド海軍はこの沈没で18人の将校と176人の水兵を失いました。

そんなときパキスタン空軍のF-86 戦闘機が、
フレンドリーファイアーで海軍艦を攻撃するという事件が起こり、
パキスタン海軍 の作戦能力は事実上消滅し、士気は急降下しました。

そして、この戦争で配備されていた海軍唯一の長距離潜水艦
「ガージ」が、謎の状況下で沈没してしまったのです。

この沈没理由を、パキスタン側は機雷の爆発により沈没したとし、
インド海軍は撃沈したと主張して、いまだ原因は明らかではありません。

ともかくも、これが心理的に決定打となって、
パキスタン海軍は士気を明らかに喪失してしまうのです。

実際この戦争で海軍は従来の半分の戦力を喪失することになりました。

【パキスタン軍の敗北の理由】

後年の研究者によると、このときのパキスタン海軍の敗北は、
最高司令部が海軍の役割を定義することをせず、
海軍を『軍隊として考える』ことに失敗したから、とされています。

どういうことかというと、為政者が、海軍を軍として十分に理解せず、
またシーレーンを守ることの重要性も理解していなかったため、
海軍が本来持つべき力を発揮させられなかったということでしょう。

第三次印パ戦争ではインドの圧倒的な勝利となり、
東パキスタンはバングラデシュとして独立を果たしました。

■近代海軍への再編成と構築 1972年~1989年
戦後、海軍の近代化が押し進められます。
1972年ブット政権は、海軍の上級提督5人を解任し、人事を刷新。

1977年にアメリカから旧「ギアリング」級駆逐艦「エッパーソン」、
PNS 「タイムール」Taimur を取得。

PNS「タイムール」

1974年には、ついに海軍航空部門が設立されます。
イギリスからウェストランド・シーキング・ヘリコプターが供与され、
1979年にはインド海軍に対抗し、偵察機から陸上発射できる
地対艦ミサイル・エクゾセの試射を実施。
南アジアで初めて陸上弾道ミサイル搭載の長距離偵察機を保有しました。

潜水艦は、フランスの「アゴスタ70A」級潜水艦を購入、
「ハルマット」「ハシュマット」として就役し、このことは
インド海軍に対する海底での優位性をもたらしました。

当時アメリカはレーガン政権で、経済復興と安全保障支援を目的とした
32億ドルの対パキスタン援助案をアメリカ議会に提出し、
海軍はハープーンシステムの入手交渉に成功しましたが、
アメリカ国内におけるインドの強いロビー活動の妨害があったそうです。

こうして互いに軍備拡張を競い合った結果、インドとパキスタンは
互いに相手を封じ込めることができると確信していました。

やがてパキスタン海軍は、中東諸国への戦時展開を開始し、
アメリカ海軍を支援するためにサウジアラビアに戦力を展開しました。

■ 自立・交戦・秘密作戦(1990年-1999年)

1989年にロシア軍がアフガニスタンから撤退すると、
ブッシュ政権は秘密裏に行われていた原爆開発計画の存在を暴露し、
パキスタンに対する武器禁輸措置を発動します。

1990年にリース期限切れの装備を全て返還させられ、
海軍はいきなり資金調達の問題に直面してしまいました。

この禁輸措置は海軍の活動範囲を著しく狭めることになります。

ちなみに潜水艦の取得先を中国で検討していましたが、
あまりに静謐性がないためこれを断念したという話です。

どうも大人の事情というのか不可思議なのですが、アメリカの
禁輸措置にもかかわらず、米海軍はパキスタン海軍との関係を維持して、
原潜や空母の運用に関わっていたようです。

パキスタンもアメリカと繋がって損はありませんから、ソマリア内戦では
米軍の行動に参加し、ソマリア沿岸で戦時哨戒を行っています。

その後米国議会で禁輸が解除され、海軍は哨戒機を譲渡されました。


パキスタン海軍のP3Cオライオン

1999年8月10日、インド空軍が海軍航空隊を撃墜し、
将校を中心とした16名の海軍関係者が死亡する事件が発生。

1999年8月29日にはP3Cオライオンが事故により失われ、21名が死亡。

撃墜の件でパキスタン海軍はインドを国際裁判所に提訴しましたが、
後に裁判所の権限が過大であるとして請求は棄却されています。

 ■アフガニスタンでの対テロ戦争と北西部での作戦
(2001年~)

海軍は潜水艦への核兵器搭載を検討しましたが、実現していません。

2002年から2003年にかけて、パキスタン海軍はインド洋に展開し、
海上からのテロに対抗するための海軍訓練に参加し、最終的に中国と
誘導ミサイルフリゲート艦の設計・建造技術の獲得のための防衛交渉に入り、
F-22P誘導ミサイルフリゲート艦が2006年から建造されました。

2004年以降、インド洋に展開し、多国籍軍基地NAVCENTで
重要な役割を果たし、CTF-150やCTF-151の指揮を執るとともに、
「不朽の自由作戦」にも積極的に参加しています。
■ PNS 「ナスル」

今回国際観艦式に参加しているPNS「ナスル」Nasr(左)。

2008年には、インド洋でアメリカ海軍と共に、海上テロ防止のための訓練
「インスパイヤード・ユニオン」に参加した艦歴があります。

PNS 「ナスル」Nasr (A47) は、パキスタン海軍の905型補給艦です。
中華人民共和国の大連造船工業公司で建造され、1987年に就役しました。

連れの言葉に従って、「ナスル」の見学をしようと列に並んだのですが、
並んでいるわたしたちに、自衛官が、

「ナスルはグループごとに乗組員が付き添う形で乗艦します」

「艦内の写真撮影は禁止されています」

と注意しているではありませんか。
いうてなんだが、1987年建造の中国製補給艦のどこに、
撮影禁止にしなければいけないような機密があるというのか。

艦体錆すぎ

と思いましたが、桟橋一つ置いて宿敵海軍が停泊しているのだから、
日本人のふりをしてスパイする人がいないとも限らない、
と慎重になった結果かもしれん、とその時は思ったのです。

で、並び出したのはいいですが、列が全く進まんのよ。

グループごとに乗員が一人付き添って中を案内、
おそらくカメラは全部カバンに入れるか没収?
付き添いはこっそり写真撮らないか見張るため?

いずれにしてもピリピリした感が満載です。

なんならそういう非日常を味わうためにも乗ってみたかったのですが、
あまりに列が動かないので、堪え性のないわたしは離脱してしまいました。

ちなみにKさんによると、パキスタン海軍、終始マイペースで、
こんな状態で長蛇の列ができていても全く意に介さず、
誰か来たら見学者を止める、お祈りの時間になったら
全てを放棄して見学客を放置して甲板で祈り出す。

うーん、面白すぎるぞこの海軍。

「ナスル」の艦歴をざっと見てみたところ、

1998年、カラチで商業タンカーに突っ込まれたことがある

2004年のインド洋地震・津波ではモルディブへの救援活動を行い、
外国勢として初めて現地で救助活動を開始した

そしてまたしても面白すぎたのが、

2014年にオーストラリアで行われたカカドゥ軍事演習に参加したとき、
ダーウィンで乗組員が脱走するという事件があった。

すぐに見つかって連れ戻されたそうですが。


浦賀水道を航行する「ナスル」 K氏写真

乗員:士官26名、下士官兵120名
搭載武器:ファランクスCWAと37ミリ二連装銃、12.7ミリ機銃
艦載機:ウェストランド「シーキング」、
エアロスパティアル「アルエットIII」SA316


 ■ PNS「シャムシール」Shamsheel



「ナスル」の隣に係留してある小さな艦艇が
パキスタン海軍のフリゲート艦であることがわかって、
見学者の撮影を禁止したわけがようやくわかったわたしです。


「シャムシール」は2009年に就役したフリゲート艦で、
近代的な電子装備を全て保有し電子戦も行えます。

この建造も中国海軍で、もしかしたら撮影禁止は
中国からの意向もあったのかもしれないと思ったり。


Kさん提供

「シャムシール」、今回、日本の観艦式に出席する途中、
荒波のため行中の乗員二人が怪我をしていたことを知りました。

かなりの怪我だったらしく、同艦はフィリピンに遭難信号を出し、
サンタアナ港に臨時寄港して負傷者を搬送していたのです。

うーん、知らなかったわ。


横須賀を出港する「シャムシール」 Kさん提供


現在のところ、パキスタン海軍はインド洋での作戦範囲を拡大し続けており、
2013年に原子力潜水艦のプログラム構築を開始すると先に発表し、
また、トルコとの防衛交渉に成功したと報告されています。


Kさん提供
出待ちのパキスタン海軍軍楽隊の皆さん。
マスクをずらして楽器を咥えている人がいます。

続く。


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