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Channel: ネイビーブルーに恋をして
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アフターバッテリーコンパートメントと”ピッグボート”の意味〜潜水艦「シルバーサイズ」

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潜水艦「シルバーサイズ」の中央部まで見学してきました。
コントロールルームとコニングタワーの後ろには、
後部バッテリー室の上にあるクルーズギャレー、そしてメスです。


クルーズメスは乗員の食堂であり、娯楽室であり、
まるで居間のような場所であると説明しましたが、
この部屋には乗員が必ず見る掲示板があります。


今ではもちろん乗員への連絡とかではなく、見学者のための
「シルバーサイズ」のスペック紹介にのみ使われています。
カレンダーだけは、1944年の6月のものとなっています。
このカレンダーを宣伝のために製作&配布した、
「ケルソー肥料と種 ケルソーズフィード*シーズ」
という会社が、まだ現存するのかミズーリ州を検索していたところ、
結果としてそちらは見つからなかったのですが、その代わり
全く偶然に、わたしの昔の知り合いの名前のFacebookを見つけました。

仕事のため来日した彼女とはかなり仲良く付き合っていましたが、
仕事の契約が切れセントルイスに帰ってから一度、

「クルクルドライヤー(アメリカにはない)を送ってほしい」

と手紙に20ドル同封して頼んできたことはあり、
しばらく手紙をやりとりしていましたが、いつしかそれも途絶えました。

その後、わたしがアメリカ在住中、行方を探したことがあります。
まだSNSもなかったので、相手を探すのには
インターネットで住所を検索するしかなく、これという住所に
一通手紙を送ってみましたが、返事はありませんでした。

発見したフェイスブックから彼女のHPも見つかり、
現在セントルイスに住んでいることがわかりました。

私事ですが、とても嬉しいハプニングで、
「シルバーサイズ」に感謝することがまた一つ増えました。



そして今更ですが、ここにある「シルバーサイズ」紹介文をあげておきます。

USS「シルバーサイズ」は、真珠湾攻撃からわずか8日後、
1941年12月15日にアメリカ海軍に就役し、
1942年4月30日に通算14回となる彼女の戦争哨戒の
最初の任務に出発しました。

そして、日本沿岸の東シナ海に沿いの
「帝国の水域」(エンパイアウォーターズ)
で、太平洋艦隊の一部として任務を行いました。
また、マリアナ諸島、カロライナ諸島、ビスマルク諸島周辺、
およびソロモン諸島に沿ってガダルカナル島に至る
主要な敵の航路をパトロールしました。

彼女の使命は、石油、ボーキサイト、ゴム、石炭、食品、
そして鉄鋼などの原材料と物資の敵の輸送を止めることでした。



こちらの掲示板には、前回紹介したこのクルーメスで
第10回となる戦時哨戒中の乗員がくつろぐ写真に、
彼ら一人ひとりの名前を添えています。

そして、右上には第二次世界大戦中の喪失潜水艦全ての艦名が、

「 STILL ON PATROL」(未だ哨戒中)
という戦没潜水艦に捧げられるフレーズの下に記されています。
名簿にあるのは、
「シーライオン」「グラウラー」「ワフー」「グレイバック」
など、ここで語った記憶もある潜水艦を始め、52隻。

これに対し、日本海軍の喪失潜水艦はというと、伊号だけで約80隻、
呂号も合わせると、130隻近くになっています。

日本と違うのは、戦没年月日がわかっていない艦がないことでしょうか。

日本の場合、通信を絶って帰投しなかったことから、
不明のまま戦没と認定された艦がいくつもあります。


■ 水兵の信条(Sailor's Creed)
左上の「Sailor's Creed」は、自衛隊でも入隊の時に行う
自衛官の宣誓のようなものです。
これが作戦本部長の手によって書かれたのは、1993年といいますから、
決して歴史としては古いものではありません。
水兵=セイラーという言葉は、文字通りの階級の意味ではなく、
海軍軍人全てのマインドを表す象徴的なものですから、
このクリードを述べるのは水兵に限りません。

ー水兵の信条ー
私は、アメリカ合衆国の水兵です。

私は、アメリカ合衆国憲法を支持し、これを遵守します。
そして、私の上に任命された者の命令に従います。

私は、海軍の敢闘精神を持ち、世界の自由と民主主義を守るために
私の前に逝かれた方々を代表します。

私は、名誉と勇気と献身と、誇りをもって
我が国の海軍戦闘部隊に貢献します。

私は、卓越性を持ち、すべての人の公平な扱いを誓います。
Sailors Creed

(アメリカのTVコマーシャル)
現在、「水兵の信条」は新兵訓練所で全職員が暗記し、
士官訓練にも取り入れられています。

また「下士官信条」というのも存在し、下士官章授与式では、
下士官信条と船員信条の両方を行うのが慣例となっています。

提督だろうが元帥だろうが、海軍の制服を着たものはまず水兵であり、
然るのち士官、曹長、下士官、飛行士、海兵隊員、水上艦員、
そして潜水艦員となるのである。
これは、団結と海軍のエスプリに影響を与える重要なポイントです。

What Navy Recruits Go Through In Boot Camp | Boot Camp | Business Insider


ついでに、これは「水兵の信条」を探していて見つかった、
リクルートたちの新兵訓練です。

12:00くらいに、ガスの充満する部屋でマスクを外させて
それに耐えるなどというとんでもない訓練があって驚きます。

1:40、潜水艦を希望したリクルートに、教官がなぜ?と聞くと、
彼は率直に「モアマネー(給料が高い)」と答えています。

そして、最後。
訓練を終え、晴れてセーラー服を着た時には
やっぱり皆泣いちゃうんですね・・。
わたしもこういうのに滅法弱いもので、もらい泣きです。


■ クルーズ・ベーシング(Crew's Berthing)



クルーズ・メスの隣のカーテンの向こうは乗組員の寝室です。
下士官兵のほとんどはここにある2〜3段のバンクで寝ていました。


湾曲した壁は、結露を防ぐための断熱材として
コルクの層で覆われています。



このコンパートメントのクルーバンク=乗員寝室には、
36の寝台が備えてあり、通常「シルバーサイズ」では
72名の乗員が勤務していましたから、寝台は常に

「ホットバンキング(hot-banking)」

で稼働していました。
映画「Uボート」で、二交代でベッドを「温める」んですよ、
と新しく乗り込んできた予備少尉に古株が説明していたように、
ドイツ海軍と同じく「シルバーサイズ」では
このベッド交代システムが採用されていました。

ここに限らず多くの潜水艦乗員はこのホットバンクを経験しています。
ホットバンキングは、ベッドの数以上の乗員が乗り込んでいる艦、
全てで行われていました。

下士官兵は乗艦すると自分の寝床があてがわれますが、
最悪の場合、同じラックを8時間ごと、3人でシェアさせられました。
ベッドは一瞬たりとも空いている時間がありません。

「Uボート」で水兵が言っていたように、これだと
ベッドに潜り込んだときまだ先住者の体温が残っていて
暖かいまま=ホットバンクなので、この名称になりました。

最悪の場合と書きましたが、「シルバーサイズ」は
乗員の数の2倍バンクを有していたので、これに当てはまらず、
二人で一つのバンクをシェアしていたことになり、
厳密な意味でのホットバンクになったことはありません。





左舷と右舷の壁には小さなパイプと蛇口のようなものが見えますが、
これは、このコンパートメントを囲むようにある
燃料タンクの内容物をサンプリングするときに使用されます。

燃料はタンク内の水に浮いており、
実際の燃料の内容を確認するための唯一の方法は、
この高さのいろいろな部分からサンプルを取ることなのです。

・・・・と説明には書いてありますが、
この燃料というのが具体的にどういう状態だったのか、
これを読んだだけではよくわかりません。
乗員の寝室ですが、その頭上を見ていただくと、
まさに人間は機械に同居させていただいている感じ。

潜水艦乗員が「給料が高い」というのは当時どうだったか知りませんが、
例え給料が高く、食事がダントツに豪華でも、
潜水艦勤務が最も人間の生理にとって不自然で過酷であることは、
要の東西を問わず、素人にもわかることです。



「海軍で最も献身的な志願兵の集まる場所」

と言われた潜水艦において、ここは彼らの「ホーム」でした。
後述するように、「シルバーサイズ」には
犬などのペットが何匹か飼われていた記録があるそうですが、
彼らが最もその時間を過ごしたのは、間違いなくここだったでしょうし、
あの、「シルバーサイズ」最初の戦死者となったマイク・ハービン水兵が甲板で撃たれてから、海軍葬によって海に葬られるまでの間、
その身体が横たえられていたのもここでした。


このデッキの床のハッチを開けると、そこには、
この名称でお分かりのように、実際のバッテリーが並んでいました。

ここは「シルバーサイズ」の地下室となり、
ビジターの目に留まることは平常全くない部分です。

ぎっしりと並んだ200トンもの鉛蓄電池は、
淡水の充填されたタンクの中に保持されていました。これは「シルバーサイズ」に搭載された
二つのバッテリーコンパートメントの二つ目となります。

「シルバーサイズ」のの電気負荷は全て、
艦体が潜航している時にバッテリーから電力を供給されていました。
浮上すると、バッテリーには再充電が必要です。
これは、一つまたは複数の主発電機の出力を
バッテリーに切り替えることによって行われました。

各バッテリーは直列に配線された2ボルトを生成することのできる
合計126個のセルによって構成されています。
電池セルは、21セルずつ前後6列に配置されていました。

「サーゴ」級の潜水艦の鉛蓄電池は重量1,647ポンド、
電解液31ガロン、高さ21インチ×21インチ×54インチでした。
バッテリーの充電は何度も書いていますが浮上中にしか行うことができず、
さらに充電中に発生する水素ガスを除去するために、
バッテリーコンパートメントの換気が必要でした。


続いては、「ヘッド」つまりバスルームです。
ヘッドは右舷側、乗員寝室の隣にあります。

ん?トイレにドアがないんですが・・・・。
そして驚くことに、二つしかありません。

70人にトイレふたつってこれひどくないか。
もしかしたら混雑時には甲板で用を足し・・いやなんでもない。
前にも書きましたが、トイレの機構と使い方は大変複雑で、
加圧された汚水が逆流しないようにできています。



そして左舷に位置する洗面台、これも二つです。
70人に対し洗面ボウル一つか・・・・。
皆ちゃんと歯とか磨けたのかな。

展示にはありませんが、洗濯機が「あったこともある」そうです。
洗濯機がないときは甲板で雨が降った時手洗い?

空いているドアはシャワーで、これも二つしかありません。

繰り返しになりますが、厨房の係は毎日入浴しないといけなかったので、
「シルバーサイズ」ではスチュワードだったアフリカ系の3人だけが
毎日シャワーを使っていたということになります。

一般の乗員は二週間に一度だけですから、
一回の哨戒で1度かせいぜい2度入ることができるペースです。

水上艦では、海上航行中に運よく雨が降れば、
皆が石鹸を持って甲板で天然のシャワーを浴びたそうですが、
潜水艦では残念ながらそのチャンスもそう多くなさそうです。

そしてこれこそが、兼ねてからわたしにとって謎だった、
「ある疑問」に対する恐るべき答えだったのです。
この2行を読んで、わたしは思わず(生理的に)戦慄しました。

なぜ、潜水艦を「ピッグボート」と呼ぶのか。
その起源がここにあります。

「豚の船」という、思わず聞いただけで鼻を摘んでしまいそうな通称は、
この過酷な環境と、それに甘んじ、身を委ねた男たちの身体から放たれる
「香気」が語源だったのです。

続く。


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