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スピットファイア〜シカゴ科学産業博物館

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MSIの「小さな飛行機展示」のなかで、最もわたしの目を惹いたのは、
あたかも空戦真っ最中のスピットファイアとシュトゥーカでした。

いろんな航空博物館で戦闘機の展示を観ましたが、
外で野晒しにされるままの残念な展示がほとんどに対し、
ここMSIとオハイオの国立航空博物館、そして
まだ紹介していませんが、サンディエゴの航空博物館、
この三つは屋内展示されているという点でまず格違いです。

そして、国立であるオハイオの博物館以外では、
専門の航空博物館でもないここが、もっともいろんな意味で
優れた航空展示をしていると感じました。

さすが、「北半球一の科学産業博物館」を自称するだけのことはあります。


かつて実際にこのような体勢で行われたに違いない空戦を、
ワイヤの吊り方で生き生きと再現する手法。

2階の同じ高さからこのかつてのライバル機を目にするだけで、
想像力の豊かな人なら、想念を過去へと容易く運んで
一時のタイプトリップを楽しむことができるに違いありません。
さて、そのスピットファイアです。

速度と機動性は戦闘において特に際立っており、
その高度な空気力学により、これまでに製造された
最も重要な軍用機の 1 つになりました。

スピットファイアは、4 か月にわたるバトル オブ ブリテンで、
シュトゥーカを含む数百のドイツ戦闘機を撃墜しました。
スピットファイアは、戦前、戦中、戦後を通じて継続的に改良され、
生産された唯一のイギリスの航空機でした。
■スピットファイア

ます、わたしが愛してやまない、サー・ウィリアム・ウォルトンの
「スピットファイア」組曲から「プレリュードとフーガ」、
これを貼っておきますので、是非聴きながらご覧ください。

William Walton : Spitfire Prelude and Fugue. Video clips.
不詳わたくし、この曲があまりに好きすぎて、
かつて乗馬をやっていたとき、部内試合本番のBGMに使ったくらいでした。

このYouTubeも、数ある同曲バージョンの中で、
エンジン始動音から始まり、工場での組み立てシーン、
待機中のパイロットにスクランブルがかかり、座っていた椅子を倒して
走っていくシーンなどが観られるおすすめです。
前半プレリュード部分は第二次世界大戦時のモノクロフィルム、
後半フーガからは現存するスピットファイアでの飛翔と、
なかなかこの映像構成も気が効いていると思います。



第2次世界大戦中、

Supermarine Spitfire Mark 1-A
スーパーマリン スピットファイア マーク 1-A 

は、ドイツの侵略に対するイングランド本土防衛の最大の要でした。


 "The spitfire had style and was obviously a killer."「スピットファイアにはスタイルがあり、際立った”キラー”だった」

MSIのスピットファイア紹介パネルに書かれたこの言葉は、
RAF(ロイヤル・エアフォース)のエースパイロット、


アドルフ”セイラー”・マラン 1910-1963Adolph’ Sailor' Gysbert Malan

のスピットファイアへの賛辞です。

海軍士官候補生から海軍予備役少尉になったのち、
RAFのパイロットになった経歴から、同僚に
「セイラー」と呼ばれていたというマランは、
第二次世界大戦中にRAF戦闘機部隊に所属し、
最も高い撃墜スコアを記録したエースとして大変有名です。

以前スミソニアンの展示を元に世界のエースシリーズをした時には
その名前は出てきませんでしたが、

27機破壊、7機共有破壊と未確認機2、確実3、16機損傷

という記録はRAFのトップに位置します。

そのシリーズでも書きましたが、戦闘パイロットの撃墜数というのは、
時と場所、機体の性能と相手の状況によって一括りに語れないものなので、
「数重視」では、どうしてもRAFのパイロットは浮かんできません。

なぜなら、1941年当時、ルフトバッフェは技術的にも技量的にも
そして戦術的にも洗練され、大変レベルが高かったからです。

ドイツのエースが、いずれもソ連空軍相手に、とんでもない数の
撃墜数を上げていたことを思い出していただければと思います。
たとえば、バトル・オブ・ブリテンで彼と対戦して被弾負傷した
ルフトバッフェのエース、ヴェルナー・メルダース大佐は、
死亡時(乗客として乗っていた飛行機が墜落)28歳で
すでに115機の撃墜記録を持っていました。


Werner Mölders 1913-1941
余談ですが、前述のセイラー・マランは、戦闘機パイロットのために
「空中戦のための10箇条」(Ten Rules)というものを提唱しています。

それは以下の通り。

1、相手の「白目」が見えるまで待て

2、照準が確実に「ON」になってから、1~2秒の短い連射をせよ
3、射撃中は他のことは考えず、全身を緊張させ、
両手をスティックに添えて、リングサイト(照準)に集中せよ

4、常に鋭い視線を保て ”指は出したまま”

5、高さはイニシアチブを与える 常に振り返って攻撃開始せよ

6、決断は迅速に行う 戦術が最善でなくても迅速に行動する方が良い

7、戦闘空域では、30秒以上まっすぐ水平飛行をするな

8、急降下で攻撃するときは、常に編隊の何割かを上空に残し、
トップガードとして機能させよ
9、イニシャティブ、アグレッション、空中での規律、
チームワーク、これらは空中戦で重大な「意味」を持つ言葉である

10、素早くもぐりこめ 強く攻撃を加えたら すぐに退避せよ!
これらは日本の戦記物でも見覚えがあるような内容ですが、
当時から世界規範で共有されていた認識ではないでしょうか。
まあそういう「エース・オブ・エーセス」のセイラーが
スピットファイアのことをこのように高く評価していたということです。


■ スピットファイア テクニカルデータ


1)独特な薄い楕円形の金属翼により、
スピットファイアは他の戦闘機よりも空気力学的に優れていました。

2)リトラクタブル(引き込み式) ランディング ギア
空気抵抗力を減らし、高速飛行を可能にしました

3)翼の本体に組み込まれた 8 基の機関銃

4)マーリン・エンジン (ロールス・ロイス社が設計)
優れたパワーとスピードを提供しました

コクピット
密閉されたラップアラウンド コックピットにより、
あらゆる方向の敵戦闘機を発見するための視認性が向上しました


空戦に向かうスピットファイアの飛行編隊
■ スピットファイアの戦闘戦略

スーパーマリン・スピットファイアは、爆撃機攻撃から本土を守る
短距離戦闘機として設計され、ブリテンの戦いでこの役割を果たし、
伝説的地位と、戦争中最高の通常防御戦闘機の称号を得ました。

マルチロール機へと進化したスピットファイアは、
非武装の写真偵察(P.R.)機の役割の先駆けとなりましたし、
初めての夜間戦闘機の役割も果たしました。

この夜間迎撃で最も成功したといわれる例は、
1940年6月18日/19日の夜、74飛行隊の”セイラー”マラン中尉が
2機のHeハインケル 111を撃墜した時と言われます。
具体的な戦闘戦術としては、スピットファイアのパイロットは
太陽を背にして攻撃し、敵の目をくらませた、とあります。

がしかし、これも普通に世界中の空戦パイロットが言っている気がします。

あと、スピットファイア中隊は一列に並んで飛行し、
ドッグファイト中に3機の
「VICヴィック・フォーメーション」
に分かれた、という記述もあります。
VICフォーメーションとはRAFが発明したもので、
最初に登場したのは第一次世界大戦の時です。

つまり、最低3機で作る「逆さV」=エシュロン型ですね。


VICとはRAFにおけるVのフォネティックアルファベットで、
それがそのままフォーメーション名になりました。
この発明以前、軍用機は船団のように、
列をなして飛んでいたそうですが、これだと
リーダーや他の飛行機と連絡を取ることはできず、さらに
地上方対空砲火を受けた際、飛行隊は一斉に旋回することで
編隊をばらばらにしてしまうか、リーダーに付いて一列になることで
定点での放火にさらされることになります。
その点、V字編隊で飛行すると、銃撃を受けたら180度旋回することで
編隊はそのままで裏返る形で移動することができました。
また、編隊を組むことで飛行士がお互いを確認し、
手信号でコミュニケーションをとることができ、
視界不良や雲の中でも一緒に行動することができます。

その後、爆撃機や偵察機が戦闘機から攻撃を受けたとき、
VICは優れた防御特性を持つことが証明されました。

パイロットが内側に目を向けて編隊を維持することで、
互いに攻撃機を見落とすことができ、
オブザーバーや後方砲手が連動して射撃することで
互いを守ることができたのです。

VIC以前、RAFのパイロットが採用していた
ライン・アスターン隊形(単縦陣)
(4機が互いに後方を飛行する)
を、

Idiotenreihennイディオッテン ライヘン
=「バカの列」

と呼んでいたルフトバッフェのパイロットたちは、
バトル・オブ・ブリテンで、RAFのVIC隊形に対しなすすべなく、
自分達もそれを「ケッテ」Kette(鎖)と名付けて
いつの間にかちゃっかり取り入れることにしたのはここだけの話。
今現在も、VICフォーメーションは軍用機隊列の基準です。
っていうか、これって渡り鳥のフォーメーションそのものだよね。


■ スピットファイアvs零式艦上戦闘機

戦争が太平洋に舞台を移したとき、そこに投入された
オーストラリアやイギリスの飛行士は、P-40やスピットファイアに搭乗した
戦闘経験のあるベテランがほとんどでした。

しかし、これまで相手戦闘機を圧倒することに慣れていた彼らも、
そこで対戦する零戦がスピットファイアを圧倒することを発見し、
大変な衝撃を受けたといわれています。

「機敏な日本の戦闘機相手に旋回ドッグファイトをしないこと」

この先人の教えを学ばなかったスピットファイヤーは、失われました。

ただ、これらの問題にもかかわらず、スピットファイアはそれなりに成功し、
三菱キ46偵察機を捕らえることもできたようです。

1943年10月から410機のスピットファイアMk VIIが
Mk Vcsに代わって対日本機戦に投入されましたが、
実際に行われた空対空戦闘はごくわずかでした。

1943年半ばには、ソロモン諸島作戦とニューギニアで
日本海軍が大きな損害を受けて、それ以降は
オーストラリア北部への攻撃を継続することができなくなったからです。

南西太平洋戦線の最高司令官ダグラス・マッカーサーは、
フィリピンへ凱旋をオーストラリア軍など外国勢と共有することを望まず、
このため、RAAFスピットファイアは、ニューギニアに残る日本軍に
戦闘爆撃に投入されて空戦には出番がありませんでした。
オーストラリア空軍のパイロットたちは、この状況を、
耐え難い(多分プライド的に)労力と命の浪費と見なしました。


【インド・ビルマでのスピットファイア対日本機】

東南アジア地域では、1943年11月、インド・ビルマ戦線の3つの飛行隊に
最初のスピットファイアVcsが配備されました。

スピットファイアのパイロット2機が、1943年初めて日本軍に遭遇し、
チッタゴン上空で日本機の編隊を攻撃し、このとき
一人は戦闘機と爆撃機2機を損傷させ、もう一人は2機を撃墜しました。

1943年、オーストラリア空軍のスピットファイアが
日本軍の爆撃機11機と戦闘機3機を撃墜したという記録があります。
その後もビルマで日本陸軍航空隊(IJAAF)と空戦が行われ、
スピットファイア3個飛行隊が、キ43「オスカー」、キ44「トージョー」
との数日間の戦闘の末、戦場での制空権を獲得しました。

1944 年初期から中期にかけてのコヒマとインパールの戦いにおいて、
スピットファイアは連合国軍の制空権を確保し、
西側同盟国が関与した戦争最後の大規模な戦闘に寄与しました。


■ 映画「スピットファイア」と「フュー」


「The First of the Few」
「Spitfire」1942年

この 1942 年の映画は、スーパーマリン スピットファイアのデザイナー、
R.J.ミッチェルの人生をベースにしたストーリーです。
「スピットファイア」のタイトルは、アメリカ上映用に付けられました。

戦争中に制作された多くの英国のプロパガンダ映画の 1 つで、
イギリスのプロパガンダ映画にはお馴染みの
レスリー・ハワードがミッチェルを演じています。

元々のタイトルは、バトル・オブ・ブリテンに参加した搭乗員たちを
ウィンストン・チャーチルが称えた、
"Never was so much owed by so many to so few".
(これほど多くの人がこれほど少数の人に多くの借りを作ったことはない)

という言葉の”few"からとられていますが、このタイトルが、「スピットファイア」に変わる
ほんの数日前、レスリー・ハワードはリスボンからロンドンに向かう
民間旅客機をドイツ空軍に撃墜されて死亡しました。

そして、何を隠そう冒頭にアップしたサー・ウォルトンの
「スピットファイア」はこの映画のテーマソングです。

The First of the Few (1942) - Trailer

The First of the Few Ending Clip

2番目のトレーラーの最後には、
チャーチルのセリフを進化?させたと思われる、

Never in the field of human conflict was so much owed
by s many to so few.
(人間同士の争いの分野で、これほど多くの人が
これほど少数の人に借りを作ったことはない)

という文字が現れます。
当ブログ映画部では、次回映画ログで本作を取り上げます。
どうぞお楽しみに。


■ MSIのスピットファイア

博物館のマーク 1-A は、バトル オブ ブリテンで飛行した、
数少ない現存するスピットファイアの 1 つです。

コックピット右舷側のスワスティカ=Swastika(逆卍)は、
この飛行機がドイツで 5 機の「撃墜」を達成したことを示しています。


続く。



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