マスキーゴンに係留展示されている戦車揚陸艦、
USS「LST-393」シリーズももう少しでおしまいです。
艦内を甲板まで見学し終わったので、あとは
広いタンクデッキに展示されているミリタリーグッズ、
テーマごとに集めた展示品を紹介するのみになりました。
甲板階から右の階段で降りてきて、タンクデッキに帰ってきました。
タンクデッキA-1 フレーム1-41
という説明がありますが、何を指すのかさっぱりわかりませんでした。
そもそもフレームという言葉も正確に把握しているのかわたし?
というわけで調べてみたところ、フレームは、大型船の場合
日本語では「肋骨」といい、船体を構成する構造材です。
構造材にはこのほか梁(ビーム)ビルジ、竜骨(キール)などがあります。
タンクデッキA-1のAは「船の前部」1は「前方」。
そしてフレームは第3デッキの船の中心線を通っています。
タンクデッキは、タンク、トラック、または陸で必要なその他の貨物を含む、
あらゆる種類の貨物を運ぶために使用されました。
つまり、この紙がある部分の「艦内のアドレス」を表しています。
タンクデッキは船体構造の強化のため、
デッキ周りにこのような区切りのないコンパートメントが
ぎっしりと設けられています。
タンクデッキの構造をご覧ください。
このコンパートメントが展示室として利用されているというわけです。
第一次世界大戦に関する展示品。
クロワ・ド・ゲール(Croix de guerre)
はフランス政府から授与される軍事勲章で、
第一次世界大戦で初めて創設されました。
他国の軍人に対しても授与され、第一次世界大戦のアメリカ陸軍では
歩兵師団「インディアンヘッド」「マルヌ師団」「カンティニーのライオン」
騎兵連隊「レイダーズ」、海兵隊の「ザ・ファイティング5th」
そして黒人ばかりの分離連隊、「レッドハンド師団」
「ハーレム・ヘルファイターズ」「バッファローソルジャーズ」
がこの賞を授与されています。
また、マッカーサー、マーシャル、パットン、アイゼンハワー、ルメイ、
ルーズベルト大統領の息子セオドアJr.も受賞者です。
変わったところで、アメリカ生まれのアフリカ系フランス人ダンサー、
ジョセフィン・ベイカー、作家のアンドレ・マルローなどがいます。
■ミリタリーウーマン・イン・サービス
続いて女性軍サービス従事者のコーナーです。
左から海軍看護部隊、海軍WAVES、空軍(戦後)陸軍WACの制服。
いずれもマスキーゴン中心に近隣のベテランからの寄贈です。
WAVES =Woman Accepted for Volunteer Emergency Service
(女性志願非常時部隊)
ボランティア緊急サービスに受け入れられた女性 - 1942年7月30日結成
戦闘艦や戦闘機での勤務は許可されていません。
WAAC・WAC=Woman auxiliary Army Corp
(女性補助陸軍軍団)
1942年5 月15日設立
150,000 人以上の WAC が第二次世界大戦に従軍しました。
マッカーサー将軍は彼女らを最良の、最も不満の少ない兵士と呼びました。
WAAC'S は第二次世界大戦中に WAC'S になりました。
ANC=Army Nurse Corps
陸軍看護師団
「陸軍看護師団」は 1942年2月2日正式な軍事部隊として結成されましたが、
それ以前の南北戦争と米西戦争からすでに従軍していました。
1917年(第一次世界大戦) には403名でしたが、
1945 年には 21,000名が参加していました。
SPARS←Senper Paratus(常に備えあり)
沿岸警備隊の女性軍人サービスは1942年11月23日に結成されました。
第二次世界大戦中に 11,000 人の女性が SPARS として勤務しました。
「センパー・パラタス」は沿岸警備隊のモットーです。
Woman Marines
女性海兵隊
1943 年2月13日に結成。
第二次世界大戦が終わるまでに、州側の司令部に配属された
米海兵隊員全体の 85% が女性だったということです。
ATS=Auxiliary Territorial Service
補助領土サービス
米国のWACに相当する英国の女性部隊です。
1938年9月9日に結成され、65,000人のイギリス人女性が勤務しました。
夫婦でベテラン下士官だったダイアンとスティーブ・シェラー夫妻の
それぞれ12年、24年の勤務歴を右袖に刻んだ制服。
夫のスティーブは操舵の下士官最高位である、
Master Chief Petty Officer of the Navy (MCPON)
(海軍付最上級上等兵曹)であり、ダイアンはHospital corpsman First class医療技術を持つ下士官のランクで、レーティングはE-6となります。
NNC=Navy Nurse corps
海軍看護師団
女性看護師は南北戦争から海軍の艦船に勤務していましたが、
正式に認可されたのは1902 年のことです。
第二次世界大戦の終わりには、11,021名の海軍看護師がいました。
第二次世界大戦中、NNCの2つのグループが日本軍の捕虜となっています。
左から海兵隊、陸軍、海軍の看護部隊サービスドレス。
右はパーティ用のフルドレスですが、戦後のものかもしれません。
各ユニフォームには、着用していたベテランの写真が添えられています。
ご本人の経歴も記されていますが、残念ながら読めません。
一番右のドレスを着ていた方は、任官されたようです。
ナースコーアの制服、ポスター、写真など。一番左の制服は赤十字のナース用です。
彼女らの着用していた帽子コーナー。
ギャリソンキャップ、ナースキャップ、ベースボールキャップなど。
続いて女性飛行部隊です。
WASP=Women Air Service Pilots
「女性空軍パイロット」
1,074人のWASPは、第二次世界大戦中、
航空機を戦闘空軍基地に輸送するためのパイロットでした。
これにより、1,074 人の男性パイロットが戦闘任務に就くことができました。
そのうち38人がこの任務で死亡ました。
しかし残念なことに、米国がWASPを軍の一員として正式に認めたのは
70 年代後半になってからでした。
そのとき初めて彼らは退役軍人としての恩恵を受けることができました。
写真の左上は、当ブログでも紹介済み。
ナンシー・ハークネス・ラブ(Nancy Harkness Love)
わずか28歳にして彼女はWASP(Woman's Airforce Service Pilots)
の共同設立者となり、輸送部隊のディレクターになりました。
女流パイロット列伝〜ナンシー・ハークネス・ラブ「クィーン・ビー」
WASPのドーラ・ストロサー、デデ・ムーアマンと一緒に写るのは
ポール・ティベッツ大佐とB-29の搭乗員。
ドーラとデデはB-29の最初のパイロットであり、
墜落による死傷者が出て、爆撃機の性能に搭乗員が懐疑的になったとき、
自らの操縦で安全性を証明し、彼らを安心させることを目的に投入されました。
冒頭の「第二次世界大戦最後の行方不明WASP」とされているのは、
現地には説明がありませんが、アメリカではきっと有名な方なのでしょう。
ガートルード・トンプキンス・シルバー
生年月日 1911年10月16日
出生地 米国ニュージャージー州ジャージーシティ
1944年10月26日(33歳)失踪
米国カリフォルニア州ロサンゼルス
状況 78年7カ月と16日間行方不明
国籍 アメリカ
職業 パイロット
時代 第二次世界大戦
所属団体 Women Airforce Service Pilots
配偶者 ヘンリー・シルバー
WASPクラス43-W-7を卒業した。
ガートルード・"トミー"・トンプキンス・シルバー
(1911年10月16日 - 1944年10月26日失踪)は、
第二次世界大戦中に行方不明になった唯一の女性空軍パイロットです。
ニュージャージー州の化学品製造会社スムースオン社(現在もある)
の創業者の娘として何不自由なく生まれ育った彼女は、
園芸学校を卒業後ニューヨークに行きましたが、
その後すぐWASPプログラムに応募入隊します。
彼女を最初に飛行機に乗せてくれたボーイフレンドが、
英国空軍の飛行中事故死したことが志望の動機でした。
WASPで任務中の1944年10月26日、彼女は
ノースアメリカンP-51Dマスタングでロサンゼルス空港を出発し、
ニュージャージーにむかうことになっていましたが、
途中経過地のフロリダパームスプリングスに到着しませんでした。
報告ミスのため捜索が開始されたのは3日後で、
地上と水上での広範囲な捜索にもかかわらず、
シルバーと航空機の痕跡はついに発見されないまま今日に至ります。
近年、2010年になって、サンタモニカ湾で捜索が行われ、また、
2019年にはディスカバリーチャンネルが、ロサンゼルスの東にある
サンジャシントの山麓を捜査しましたが、結果は得られないままでした。
マスキーゴン出身軍人の「ミッシングマン」コーナーです。
画面右側は、朝鮮戦争時F-86Fセイバーのパイロットで、
MiG-15との交戦によって損傷した機体からベイルアウトしてから
行方がわからなくなったドナルド・ライツマ(Reitsma)大尉の遺品。
1年後の1953年12月23日に死亡したと認定されましたが、
遺体は発見されませんでした。
以前も一度「ミッシングマン・テーブル」の慣習について
当ブログでは紹介したことがありますが、つまり
ガードルード・シルバーのような戦時行方不明者のための『陰膳』です。
これには決まったやり方があります。
ラウンドテーブル
行方不明の人々に対する私たちの永遠の関心を示すものです。
白いテーブルクロス
任務への呼びかけに応える彼らの動機の純粋さを象徴しています。
花瓶に飾られた一輪の赤いバラ
は行方不明者のそれぞれの人生と、信仰を守り答えを待っている
アメリカ人それぞれの愛する人や友人の人生をあらわします。
花瓶を結ぶ赤いリボン
行方不明者への責任を負う私たちの継続的な決意の象徴です。
パン皿に置かれたレモンのスライス
異国の地で捕らえられ行方不明になった人々の苦い運命を表します。
パン皿の上のひとつまみの塩
答えを求める行方不明者とその家族が耐えた涙を象徴しています。
聖書
神のもとに一つの国として設立された我が国からこれらを守るために、
信仰によって得られる力を表しています。
逆さに伏せたグラス
今夜の乾杯を分かち合うことができないことを象徴するものです。
椅子
誰も座っていません。彼らは行方不明だからです。
続く。