前回まで、二人の腰部砲手、ウェストガンナー、
右のスコット・ミラーと左のビル・ウィンチェルを紹介してきました。
途中から参加したため、25回の回数に達していなかったミラーは
国債ツァーに加わらなかった、ということを覚えておられるかと思います。
今日はそのミラーの代わりにツァーに参加したもう一人の右腰部砲手、
19歳のトニー・ナスタルの話をしようと思います。
一度だけなので彼をメンフィス・ベルの乗組員としていない媒体も多く、
例えばwikiには載っていても、メンフィスベル・メモリアルアソシエーションの
HPでは乗組員として数えられていないのが彼の存在です。
メンフィス・ベルに一度だけ乗ったメンバーは彼だけではなく、
特に機長は25回のうち4回はモーガン大尉以外で、
C・L・アンダーソン大尉は2度、ジョン・ミラー大尉は1度、
メンフィス・ベルの指揮を執っていますが、彼らとナスタルの違いは
つまり公債ツァーに参加したかしなかったかということでした。
1度のミッション➕ツァーに参加してスポットライトを浴びたことで、
その後の彼の人生には常に注目されるものになります。
■ キャシマー・アントニー”トニー”・ナスタル
Casimer Anthoniy Nastal
写真を見てもお分かりの通り、彼は当時19歳と大変若い軍曹でした。
ナスタル軍曹は 1941 年に兵役に入り、447BG、8AF など、
このときすでにさまざまな爆撃機での実績を重ねていました。
彼は先にメンフィス・ベル同じ飛行隊に所属していたB-17爆撃機、
ジャージー・バウンスに搭乗し、6回ミッションを行っています。
ところで「ジャージー・バウンス」と言う言葉でピンときた人いますかね。
ここで盛大に余談に突入しますが、「バウンス」はジャズ用語です。
この頃の爆撃機には、乗組員たちの気分を表す愛称がつけられましたが、
機長が全権的に自分の妻や愛称をゴリ押しするわけでもなく、
流行っていたジャズのタイトルが選ばれる例もありました。
「ジャージー・バウンス」はご存知ベニー・グッドマン楽団のヒット曲で、
1942年ごろ、4週間連続でチャート一位となり、そののちも
グレン・ミラーやエラ・フィッツジェラルドなどがカバーしました。
映画「ミッドウェイ」のサントラにも収録されています。
Jersey Bounce
この名前がつけられた爆撃機はアメリカに3機、イギリスにも何機かあり、
「ジャージーバウンス3」は撃墜されたことがわかっています。
余談ついでに、ジャズの曲名をつけた爆撃機を紹介しましょう。
B-17G「Ain't Miss Bea Heaven」「Ain't Misbeheavin'」(『浮気はやめた』のもじり)
Fats Waller - Ain't Misbehえavin' - Stormy Weather (1943)
B-17F「Baltimore Bounce」(ボルチモア・バウンス)
B-17G「Blues in the Night」(ブルース・イン・ザ・ナイト)
B-17G「Mairzy Doats」
B-17F「Memphis Blues」(メンフィス・ブルース)
B-17G「Minnie the Moocher」(ミニー・ザ・ムーチェ)
Cab Calloway - Minnie the Moocher ( Remastered 720p ) 麻薬中毒の少女の話
B-17F「Mr. Five-by-Five」
B-17G「Old Black Magic」(オールド・ブラック・マジック)
"That Old Black Magic"から取られたMarilyn Monroe - That Old Black Magic (Bus Stop)
B-17G 「 Paper Dollie」(ペーパー・ドーリー)
「Paper Doll」からThe Mills Brothers - Paper Doll
B-17G 「 Pistol Packin Mama 」
B-17G 「 Shoo Shoo Baby 」
B-17G 「Shoo Shoo Baby aka Silver Fox 」
B-17F 「Star Dust 」(スターダスト)スター・ダスト(Stardust) - ザ・ピーナッツ (The Peanuts)
スターダスト (耳コピ英語なのに発音がすごい)
B-17G 「 Sweet Adeline 」(スィート・アデライン)Sweet Adeline - The Mills Brothers (1939)
B-17F「Yankee Doodle Dandy」
閑話休題、話を元に戻します。
ナスタルがジャージー・バウンスに搭乗してミッションを行ったのは
6回でしたが、かなり過酷な任務となったようです。
ジャージー・バウンス時代のナスタル:おそらく前列左
最終的に、彼がスコット・E・ミラーの後任として、
ベルの右腰部砲手に配属されたときには19歳、同機の最年少乗組員でした。
ナスタルが搭乗したのは、ベルが25回目にリーチをかけていたときです。
彼はベルが第二次世界大戦中のヨーロッパ戦域で必要とされた
25回目の任務にここで偶然立ち合うことになりました。
彼はこの1回で国内に帰還し、ツァーに参加することを要請されます。
それは彼が、ジャージー・バウンスを含むいくつかの爆撃機で
ミッションを重ねてきた結果、これが彼にとっても
25回目の任務完遂となったことが考慮されたからです。
ベルのメンバーの中には、帰国後戦闘に復帰ことはなく、
退役して市民生活に戻った人もいましたが、若い彼は、
ほんの短い間ツァーに参加すると、すぐに前線に復帰し、
最終的に55 回のミッションに参加し、生き残りました。
■ 戦後の生活
終戦後、民間人として彼は堅実な人生を始めました。
イリノイ州でハーリー・マシン社の「Thor」(ソー)という洗濯機
のセールスマンをしていたナスタルと、同じスペースで
ユーレカ掃除機の宣伝をしていたドリスが出会ったのは、
コモンウェルス・エジソンという商業施設でした。
それ以来彼らは51年間の人生を共に歩んできました。
トニーはジュエル・フードストア(イリノイに展開するスーパーマーケット)
の店舗を回ったあと、アーチウェイクッキーのセールスマンとして働き、
子供を二人設けて、引退後はアリゾナに夫婦で移り住みました。
ごくごく平凡な、一市井人の穏やかな人生です。
しかし、彼の人生には、ヨーロッパで一度だけ任務で乗り込んだ
メンフィス・ベルの名前が最後まで賞賛と共について回りました。
妻のドリスはいいます。
「トニーの飛行機の歴史について尋ねる電話や、
サインをして送り返してくれという写真が届かない週はありませんでした」
「でも彼に会ったとき、わたしは彼が
戦争の英雄であることさえ知らなかったんです」
結婚して、彼は妻に当時のことを話しました。
メンフィス・ベルの一員として、沿岸から沿岸までの防衛工場を訪問した
1943年の戦時国債ツアーは、特に楽しかったということ。
「デトロイトで乗組員は、タイガー・スタジアムで行われた
デトロイト・タイガース対ニューヨーク・ヤンキースのダブルヘッダーを、
ジョー・ディマジオといっしょに見に行ったんだ」
「僕はデトロイト出身だったから、その試合の合間に
5万人の観客に向かって戦争公債について話すことになったんだ。
何を話したかはまったく覚えていないけど、そのとき
タイガースのチーム全員のサインボールをもらったことは覚えてる」
西海岸に向かう途中、クルーはハリウッドに1週間滞在しています。
その時の仕事は、ウィリアム・ワイラー監督が1943年に制作した
ドキュメンタリー「メンフィス・ベル」のナレーションの録音でした。
「ハリウッドにあるウィリアム・ワイラーの邸宅で開かれたパーティにも
何度か参加させてもらったよ」
この間女優と知り合ってあっという間に深い関係になり、
自分が結婚したのも忘れて結婚しようとした搭乗員もいましたが、
もちろん彼にとって、そんなのは別世界の話でした。(たぶん)
当時、ワイラー監督は、グリア・ガーソン主演の1942年の
『ミニヴァー夫人』でアカデミー監督賞と作品賞を受賞しており、
ハリウッドに豪邸を構えていたのですが、その家の
トロフィー・ルームには、ワイラーが撮影のために
メンフィス・ベルに乗り込んで5回ミッションに同行したことに対し、
軍人に与えられる航空勲章が飾られていたそうです。
コスプレじゃないよ
戦争中、戦闘任務に5回成功した者には航空勲章が授与される決まりでした。
撮影に同行というのも、陸軍軍人としてのワイラー少佐にとっては
「ミッション」とする旨陸軍が取り計らったんですね。
それから約半世紀後の1989年、ワーナー・ブラザースの最新作
『メンフィス・ベル』の撮影がイギリスで開始され、
ナスタル夫妻と他のクルーがアドバイザーとして招かれました。
この撮影の補助?監督は、ワイラーの娘、キャサリン・ワイラーでした。
この撮影の時、現場に参加した何人かの元クルーは、助言に呼ばれたはずが、
実際は映画フタッフがその助言を聞き入れなかったことを
かなり不満に思ったと書き残していますが、彼らの妻たちは
監督の一人が同世代の女性であったことで、頼みやすかったのか、
「私たち妻たちグループでキャシー・ワイラーに、
撮影で使っていたB-17の中に入ってみたいと頼んだの」
そしてどうやら彼女らはその願いを聞き届けてもらったようです。
「実際入ってみないと、その狭さと窮屈さは想像できないわ」
ただ一度だけ乗ったメンフィス・ベルのおかげで、
彼とその妻はほかの人が一生出会えない出来事に出会い、
その「特別」を心から楽しんだようです。
続く。